第23話 協定を結んだわけでもなく、間接的にもノータッチだったよ

「──ねえ、秋星あきほ。本当にアイツに会いに行くの?」

「うん。だってもう丸三日も学校休んで、部屋からも出てないんだよ」

「そんなの秋星には関係ないじゃん!」


 関係ないとかじゃない。

 私たちは三重咲みえさきという他人の存在かも知れないけど、私にとっては大切なお兄さんだから、放っておけないよ。


 私は未だに彼を罵倒ばとうする美冬みふゆをシカトし、下校帰りの電車から降りて、真っ先に自宅への歩みを進める。


 彼に直接会って、この真意を確かめたい。

 三重咲姉妹のこと、いや私自身のことをどう思っているのかと……。


「──ちょ、ごめん!!」

「きゃっ!?」


 商店街のアーケードで真正面からぶつかってくる人影。

 私はその反動で倒れ込み、固いアスファルトの床に大胆に尻もちをつく。

 無機質な歩道はさっき水撒きでもしたのかしっとりと濡れていた。

 紺のセーラー服と同じ色のスカートがじんわりと水を吸うのが肌身で感じる。


「ごめん。ちょっと急いでるんだ。だから……」


 相手は長い黒髪で綺麗な顔立ちの子だった。

 低い声からして声変わりか、そのお陰で一瞬にして中学生くらいの男の子ということが分かる。

 私は絵に描いたような美少年の表情に一時見惚れていたが、心の中で彼の姿が脳裏に浮かぶ。


 そして後からくるお尻からの痛みを奥歯を噛みしめ、さすりながら堪えて実感する。

 その彼は決してイイ男とは思えなく、私は美冬みたいな見た目から入るイケメン好きじゃないことも……。


「これで無かったことにして!!」

「えっ、これはハンカチ?」

「母さんが俺の誕生日にくれたのさ。吸水性は抜群だから服も乾きやすいはず」

「でも大事な物では?」


 見た目も鮮やかで質感からして上品な柔らかさ。

 凛々しい青い布地もしっかりしてるし、そこら辺の100均で買えるような安物じゃない。

 ましてや、お母さんから貰ったプレゼントときたものだ。


 私はピンクのチューリップの刺繍が縫い付けられたハンカチを男の子の手に押し戻す。


「いいから。人の行為は素直に受け取るもんだよ。じゃあ」


 だけど男の子は私にハンカチを押しつけて、とっとと行ってしまう。


「あっ、待っ……」


 名前を訊きたかっただけなのに声が出てこない。

 男の子の影は私の呼びかけに答えることもなく人波の雑踏に飲まれていった──。


****


『──ドンドンドン!!』


 誰かが部屋のドアを激しくノックする音が聞こえてくる。

 その発信源さえも聞くまいと布団を頭から被って黙りを決めこもうとする。


 だが、段々と音のレベルが上がり、ついに木材の軋む音までも響いてきた途端、僕は急いで起き上がって部屋のドアを開けた。


「きゃっ、志貴野しきのくん!?」


 鋭い殺気を感じたのか、ドアの間近にいた秋星が素早い身のこなしで避ける。


「良かった。やっと開けてくれたんだ」

「扉が壊れたら修繕費がかかるでしょ」


 この扉、目線の位置に曇りガラスも貼っていて、ただの扉よりは若干高めのはず。

 払おうとしてもお年玉預金しかないし、そればかり使うわけにもいかない。

 高校生になってポチ袋は貰えなくなったので残高は減る一方だから……。


「……うん。それもそうなんだけど」


 秋星が制服の胸元に付けた緑のリボンを整えながら、言いにくそうに言葉を吐き出す。

 もしかして僕への告白かと思ったけど、こんな地味な男の相手なんかするはずはないし、この緊迫した空気どうしたものか。


「……三日も部屋に閉じこもってどうしたの。やっぱり賢司けんじくんとか言う人のことを?」

「賢司は関係ないよ。僕はただゲームしながらひきこもりたい気分でさ」


 モヤシやキノコは太陽が無くても育つ。

 僕もその植物みたいに影の存在になりたかった。

 ゲームで遊んでいたと長女の秋星に嘘をつき、一人になって色々と考える時間が必要だったのだ。


 悩みの種である賢司が急にいなくなり、何と表現をしても知らないの一点張り。

 僕以外の三重咲姉妹みんなから賢司なんていなかったという返事をしてくる。

 でも彼女らはつい最近まで賢司も知ってたし、名前も呼んでいた。


 だとすると元から彼の存在がなかったわけじゃない。

 ある日を境に今までいた人物が急にいなくなったのだ。

 たったそれだけのことでも安定していた気持ちがグラグラと揺れ出す。


 それなのに僕だけには彼と過ごした想い出はある。

 スマホで学校の話しやすい関係者にも連絡をとったが、やっぱり彼のことは知らないの返答ばかり……。


「はあ……ヤベエ。キノコ拾いかしら、芝刈りか知らないけど、全くどこの異端の山をほっつき歩いてるんだよ……」

「志貴野くん、大丈夫?」

「……大丈夫だったら、こんなに落ち込んだりしないよ」


 どうして賢司と過ごした記憶だけがすっぽりと抜け落ちてるんだろう。

 僕の記憶では温泉みたく溢れ出しそうな程の量がつまっているのに……。


「ええい、いつまでこうしてるんだ僕はあああー!」

「きゃっ、どうしたの!?」


 一人でくよくよ悩んでも答えが出ない僕は頬を叩き、こうなればと秋星と面と向かって話そうとした時だった。


『ドタドタドタドタバタッー!!』


 フローリングを豪快に走っている音がこちらに近付いて来る。

 段々と大きくなってくる足音は途中から消え──、


『バイテンノトロピカルフルーツナシデソータイ、チョウクヤシー、ジャンプキィィィィークッッー!!』


 必殺技を放った元気な女の子の大声と共に──、


『バコオオオオォォォーン!!』


 ──大きな爆音を立てて、自室のドアが丁番ごと外れて部屋の奥へと拭き飛ぶ。


「きゃっ、何なの。ゴホゴホ!?」

「なっ、これはなんの騒ぎだよ。ゴホゴホ、ゴフゥゥー!!」


 僕と秋星がホコリまみれになった室内で咳き込んでいると、その元凶を起こした主が煙から現れ、ベッドの上に座っていた僕の顎に手を添える。


「これで禍々しい扉の封印を解き、シキノンに取り憑いていた悪い亡霊は退治した。だからもう夜な夜な泣くこともないだろう」

「……その声は夏希なつきか」

「うむ。この夏に希望を与える夏希さんの登場であーる」


 ドアを吹き飛ばした黒いジャージを着た夏希が俺の顎を掴んだまま、ショートカットの青い髪を揺らす。


 希望どころか余計なことをしないでよね。

 この家は僕の親父が買った三十年ローンの家だよ。

 親父の話では定年まで支払いはじっくりとあると話してたし……。


 ちなみに秋星はあまりの出来事に情報と整理が追いつかず、美少女なしからぬ呆然した顔で天井を見つめていた。


「あのさあ、夏希ちょっといい?」

「何だ、我がネオ工作員に申してみよ、シキノン閣下」


 夏希が立ち上がり、俺に敬礼するが、何か根本的にランクの対応が間違えているよね。


 そもそも閣下なんて言葉、どこから覚えてきた?

 ネオって付け加えた台詞も必要なの?


「ドア、弁償してもらうから」

「あひいいいー!?」

「そんな文句の叫びみたいなアホ面をしても無駄だよ。こっちには防犯カメラもあるからね」

「ぐふううううー……」


 夏希が床に両ひざを付けて頭を抱え、これは神様が用意した最悪なシナリオなのか、だったら豚さんを解放するしかないな……と理解に苦しむ内容をぼやく。


「ちょっとこれは何の騒ぎよ、キモオタ!!」


 暑さのせいか、胸元を着崩した制服姿の美冬が喧騒を上げながら、今は無き扉の接続部分に触れる。

 対象は扉であり、脈拍を計っているわけではない。

 壊れた残骸を冷静に分析をしてるような。


「いやー、夏希が一発ドカーンとね」

「まあ、物に八つ当たりするのも分からないこともないわ。若い男女が一つ屋根の下、ストレスが溜まらない方がおかしいし」


 一見ギャル系なイメージな美冬だけど、考え方が大人だよね。

 そうだよ、向こうが勝手に突っ込んだんだから、否はこっちにはないよね。


「でも家具を壊すのは勝手だけど修繕費は全部アンタ持ちよ」

「へっ?」

「当然でしょうが。アタシたちはお金に余裕がない現役の高校生なのよ。アタシらに払わせるとか外道だわ」

「でも僕もお金持って……」


 何で僕が修理しないといけないんだよ。

 協定を結んだわけでもなく、間接的にもノータッチだったよ。


「だったら身を挺して働きなさいな。アタシのオススメのお店があるから」

「シキノン、ファイトおおおー!」


 嫌だな、何で妹なんかの支持で。

 僕にも選ぶ権利があるはずだよね。


「……アンタに拒否権はないからねー!!」


 うわっ、こんな時での僕のひとりごとなんて聞かれたくないよ。

 はああ、僕が直さないとドア無しの部屋でプライベートもなしだし……ケチな親父に言うのもなんだしな。

 しょうがない、頑張って働くしかないか。


 どんな職場なんだろう。

 美冬のコネだったら問題なく面接は通ると思うけど、仕事内容にもよるよね。

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