89.あげた私の勝ちよ(ルミエルSIDE)

「さて、可愛いイルちゃんのために頑張るか」


 ゼルクは面倒くさがりだが、動くと決めれば手を抜かない。安心して任せられる。そう言い残して、私はシアラの世界に戻った。


「ルミエル、なにする?」


 にゃーがいなくて寂しいと心で呟きながら、イルは明るく振る舞う。まだこの世界に生まれて三年経たない幼子が、こんな気遣いをするなんて。泣いて喚いて「にゃーがいないと嫌だ」と八つ当たりしても許される年齢なのに。


 生まれてからイルの置かれた環境は最悪だった。以前にシアラやメリクから聞いたけど、それ以上に酷い。幼子の姿をしているが、私は数万年を生きた。そのほんの一瞬を生きただけのイルが、愛おしくて仕方ない。


 この子がただ幸せなだけの世界を作れたら、それだけで満足できそう。にこにこしながら、一緒にお花の種を植えた。この場所で暮らすという、イルの気持ちを後押しする形だ。安全を考えるなら、メリクの世界で暮らしてほしいけれど。


「この種は、春になると新しいお花になるのよ」


「はるは、どのくらい?」


 何日くらい待ったら、出てくる? 無邪気な質問に、そうねと考え込んだ。数字の概念が片手のイルに、その十数倍の日数を理解させるのは難しい。ならば、別の伝え方が必要だった。


「この後、寒い時期が来るの」


「うん、さむいの……わかる」


 指が赤くなって紫になって、痛くなったり痒くなったりする。白いのが上から降ってくるんだ。


 イルの表現する世界は色で満ちている。だから美しいのだけど、痛みや苦しみの記憶が多すぎた。共感して涙が出そう。ぐっと堪え、説明を続ける。


「寒いと種は眠ってるの。起きるのは暖かくなったらよ」


「うん」


 イルは自分なりの解釈で季節を判断した。寒い日々の後で暖かくなる。それは体感として覚えているらしい。もうすぐ三歳になる……ん? 誕生日が近いんじゃないかしら。メリクに聞いて準備しよう。


「暖かくないと、花も枯れちゃうわ」


 頷くイルが、身振り手振りで雪を表現する。その時は何も咲いていなかったと付け加えた。驚くほど賢いわよね。言葉が足りないのは、話しかけられた経験が少ないから。


 幼子は親の言葉を聞いて覚える。その経験が足りないから、今はいろいろ話しかける方がいいわね。


「イル、一緒に絵本を読みましょう」


「えほん!」


 大喜びのイルと部屋に戻り、たくさんの絵本を引っ張り出した。驚いたことに、イルは絵本の表紙で内容を言い当てる。というか、読んでもらった内容を覚えていた。メリクが読み聞かせた絵本は、ざっと数えても両手に余る。


「まだ読んでないのは?」


「これ」


 イルが数冊をぐいと押しやった。その中から、一冊を選ぶ。表紙は船の絵だった。


「読むわよ」


 前置きして開き、感情豊かに読み上げた。セリフの部分では大袈裟に、擬音を派手に。抑揚をつけて読んだ絵本に、イルはうっとりと聞き入った。


「どうだった?」


「おふね、よかった」


 宝物を探しにでた船が、嵐にあって流されてしまう。その先で虹をくぐって宝を見つけ、無事に帰ってきたお話だった。


 沈まなくてよかった。まず無事を喜ぶイルは、宝物に興味を示さない。代わりに、乗っていた船長の帽子が気になるようだ。絵を何度も撫でた。


「この帽子が好きなら、イルちゃんにあげるわ」


「ありがとう」


 笑顔でお礼を言われ、メリクにバレる前にと大慌てで帽子を作った。背中から帽子を取り出し、イルの頭に被せる。大喜びのイルの向こうで、メリクに睨まれたけど……あげた者勝ちよ!

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