第24話 In nomine Patris, et Filii, et Spiritus Sancti.Amen.

 俺は医師から結果を聞き、呆けた後に怒りを漲らせた。

「なにヘマこいてんだ、この野郎!」

「……臓器移植以前の問題でした。三段複合麻酔によるアナフィラキシーです。六千万人に一人の確率で起こりますが、小夜さんは非常に激しい反応を見せました」

「ろくせんまん!? 事前にチェック出来なかったのかよ!?」

「こればっかりは、どうにも……六千万分の一を考慮しての検査は義務付けられていませんし、三段複合麻酔抜きの手術は考えられませんし、小夜さんの臓器を放置もできませんし……あのままだと近々、確実に死亡する状況でしたから……」

 医師の言う事は尤もすぎて反論が出来ない。そういえばこの医師だって、小夜に合う人工臓器を探したり、手を尽くしてくれていた。それが、手術の前の麻酔で死ぬなんて悔しいに決まっている。この医師はベストを尽くしてくれたのだ。

「……悪い、落ち着いた。で、小夜は?」

「地下の霊安室に……では」

 医師と別れた俺は、駆けるように霊安室へ急ぐ。

 そこには本当に小夜がいた。『激しい反応』という話だったが、麻酔はしっかり効いていたらしく安らかな表情だ。

 俺は既に冷えてしまった小夜の頬を撫でた。

「くそ……死亡フラグは立てなかっただろうが……この野郎」

「実は立ってたのかも」

「……ん?」

 今のは空耳だろうか。いや、確かに小夜の声が聞こえた。よくよく周囲を見渡すと、部屋の隅にずいぶんと薄い気配の小夜が立っている。

「さ、小夜……!」

「あーあ、私、死んじゃったよ。これじゃ抱いて貰えない」

「おい、そんな場合じゃねぇ! 待ってろ、何とか霊のままで居られるように――」

「あ、いや、私の魂……霊っての? その本体は、ピカピカなでっかい門の前にあるんだよ。んで、近所にいる偉そうな人にお使いを頼まれちゃって」

「……何をだ?」

「健治って呪われてるんでしょ? それは私のせいなんだって。小さい頃の私が、健治に助けて欲しくて呼んじゃったらしいの。強くて優しい健治を……」

 ああ、俺がいきなりこの時代に飛んできた理由が判明した。たぶん小夜は、俺がなるべく強い身体と立場――異教徒殲滅部隊長みたいな――で、いるよう望んだのだろう。実際、そのお陰で助かる事が山ほどあった。ただまぁ、シスターの服を強要した理由は、小夜にも俺にも判らない。それこそカミサマに教えて欲しいものだ。

 俺が考え込んでいたので、小夜は心配になったらしい。微かな声で俺の名を呼んでくる。

「健治……ごめんね、勝手に呼んで……」

「いやいや! 頼ってくれて感謝だぜ」

「ありがとう……!」

 小夜がぺこりと頭を下げた。そうして話の続きをする。

「呪いの事なんだけど、それを解いたら私を天国に入れてくれるんだって。でも解かないと地獄に落ちちゃうみたい……」

 ここで俺は衝撃を受けた。小夜には天国か地獄の二択しか無く、今回は『生まれ変わり』が用意されていないのだ。

 そういえば、『生まれ変わり』なんていうのはインド発の宗教っぽい思想で、最終的には仏教で埋葬される日本人に合っている。今回は俺がキリスト教の関係者で、ちょっとねだられ洗礼を受けさせてしまったから、小夜の死後もそんな感じなのだろう。

 これでは俺が何百年粘ろうと、小夜は二度とこの世に現れない。そんな小夜に対し、俺はこっそり悲しんでいたのだが、気取られてはいけないと顔を上げる。

「……えーと、まず、俺が呪いに掛かってるのは事実だな。解けたら、とても嬉しい」

 この呪いは鬱陶しくもあるが、今のところ呪いを解いたら俺という存在がどうなるのか判らない。もしかしたら一気に霧散してしまう可能性だってある。だがまぁ、小夜が天国へ行けるというなら俺の返答は一つだった。

「よし、呪いを解いてくれ。俺はここに居るだけでいいのか?」

「大丈夫。私を、こう……吸ってくれればいいよ」

「あー、煙草の煙みてぇなモンか」

 小夜がすいすい俺の傍に寄ってくる。出来ればこのまま小夜の霊を傍に置いておきたいものだが、近くでまじまじ見つめると、少しずつ劣化しているのが判った。

「……吸うまでに時間制限があるな。それを過ぎると霊が消えそうだ」

「そうなの!?」

「まぁギリギリまで一緒に居るか」

 劣化の具合から考えて、俺と小夜はそれほど長い時間を過ごせる訳じゃない。なので話すのは悲しみの話題じゃなくて、小夜の不安を取り除く内容を選んだ。

「天国ってのは、いいトコらしいぞー」

「ほんと!?」

 実は俺に天国の知識は無い。なので、詐欺師よろしく嘘を吐きまくる。

「まず天国はなぁ、メシに困らないんだ。毎日、自分が好きなモンを食える。あと洗濯もしなくていい。風呂も掃除もサボッてよし。ついでに病気や怪我も無い。地面はふわふわの雲で出来てるから、好きなところで寝ていいぞ。悪い奴が居ないから平気だ。みんな良い人で、親切をし合ってる。あとはテーマパークや映画館、動物園に水族館、そういうのがメチャクチャあるな」

「へー! すごい! でも健治には会えないんだよね……?」

「天国の雲には窓がついてて、そこから地上を覗ける! 不思議な窓だから、俺の名前を呼べば俺ばかり映るぞ!」

「わー! だったらあんまり寂しくないかも……!」

「窓の隣に鏡みたいなやつが置いてあって、それをキラキラさせると俺にも『小夜があそこに居るな~』と判る」

「すごい!」

 この辺で小夜の霊に限界が来た。俺はそれを小夜に告げ、すうっと吸い込む。霊は無味無臭。だから吸い込めているのか不安で、必要以上に周辺の空気を取り込んでしまった。

 そのお陰か小夜を身体に入れるのには成功したようだ。俺の中から小夜の声がする。だが内容は俺にとって非常に悲しい。

「健治ってさ、教会の人じゃん? 死んだら絶対、天国に来るよね? 私は先に待ってる!」

 天国と地獄が存在するなら、俺は確実に地獄行きだ。この世界ではキリスト教の関係者を気取っているが、それは丸々の嘘だし、悪党だけれど人も殺した。なので俺が死んでも小夜とは一緒には過ごせない。でもこれを話すと小夜まで地獄を選びそうで怖かった。だから、俺の中の小夜には見えないだろうが「そうだな、待ってろよ小夜」などとニッコリ笑顔を浮かべてやる。営業スマイルというやつだ。

 でも小夜はそれを看破した。

「身体の中に居ると判るんだ。健治は嘘をついてるね。自分は地獄行きだって思ってる。でも……健治が例え地獄行きだとしても、私にとっては神様みたいな人。もし健治が地獄へ落ちたら、絶対に迎えに行って天国へ引っ張るから安心して」

「小夜、お前……」

「そしたら天国で抱いてね!」

「はは、ずいぶん俗っぽい天国になっちまうな」

 小夜はしばらく俺の中に留まっていたようだが、やがて話しかけても返事をしなくなった。それに応じて、俺の周囲がじんわりと歪んでくる。呪いが解け始めているんだろうが、思ったよりもゆっくりだ。

 俺にはまだやり残した事があるので丁度良かった。それは小夜の魂の器を弔ってやる事だ。

 俺は端末で教会の人間を呼び、小夜の遺体を連れていく。葬儀も自分でやってやりたかったので、式の次第なんかを段々大きくなる歪みの中で勉強した。興味も無い文字列を覚えるのには難儀したが、全て小夜のためだ。例え付け焼刃のインチキ聴罪司祭だろうと、俺が頑張った方が小夜も絶対に喜ぶ。

 俺は儀式に則り、小夜のおでこと両手に油を塗ったり、パンと赤ワインをちょこっとだけ口に入れたりした。そういえば俺もコレをやられていた覚えがある。この状態から無傷で蘇ったら確かに奇跡の人だ。

 時間に余裕が無さそうなので、教会の人間には申し訳ないが葬儀を大急ぎで進行させて貰った。急に用意させたのは、十字架、ロザリオ、棺、白い花、黒い布、白い花で作られた十字架などなど。聖水は俺が作ってやった。葬儀の場所としては祭壇の前であればいいし、誰が来ようと来なかろうとどうでもいい。献花なら俺が時間の許す限りしてやるし、聖歌だって渋い声で歌う。

 でもまぁ、俺や小夜に関わっていて、その場に居合わせた信者はそれに付き合ってくれた。

 一通り終わって後は日本の風習に合わせ火葬――という所で、ついに俺の周囲が原型を保てなくなる。いよいよ呪いが解ける時が来たというやつだ。俺は最後の声を振り絞った。

「小夜の事は頼んだぜ……!」




 次に気づいた時、俺は居眠りから目覚めたという風だった。場所は小夜とのマンション。本日はお互いの仕事が休みなので、小夜が作った昼食のパスタが眼前にある。

「……あー、確か……呪いの前はこんなんだったな。そうか、解けると元に戻んのか。ええと、向こうの俺は居なかった事になってんのか? それとも死んじまったか? 死んじまった場合に、俺の霊はどうなってんだ? 地獄まであっちの小夜が迎えに来てんのか?」

「健治、なにブツブツ言ってんの? パスタが伸びちゃうでしょ」

「なぁ小夜……ちょいと中断……長くなるが、俺の話を聞いてくれねぇか?」

「いいけど……ん? 健治、泣いてんの?」

 俺は聞き上手の小夜に話をして、その結果「夢でメソメソしないでよ、私は生きてる! っていうか、昼食の最中に寝ないで!」と怒られた訳だが。でも優しい人の象徴として、シスターを挙げて来たのには驚いた。つまり『異教徒殲滅部隊長という力と立場を持った、シスターみたいに優しい健治』という訳だ。納得したけれど夢にしては出来過ぎている。

(うーん……夢かなぁアレ……むしろ夢だったら喜ぶべきだ。そしたら可哀相な小夜はいねぇし)

 俺は強い陽射しを伝えてくるレースのカーテンを開く。もくもくと白い雲が浮かんでいたので、あっちの小夜が見ているような気もした。ひらひらと手を振ってみたら、こっちの小夜が俺の背中に寄り添ってくる。

「そういう健治を見ちゃうと、さっきの話はホントかな? みたいに思えてくるね……だとしたら、どうすればいい?」

「まぁアレだ、困った時は―― In nomine Patris, et Filii, et Spiritus Sancti. Amen. って言っときゃいいんだよ。これは便利な言葉だからな」

「イン ノーミネ……? 何語?」

「ラテン語だな。ちなみに発音は褒められた」

「夢なのに設定が凄いね!」

 プッと小夜が噴き出すので、俺も笑った。その時、雲の隙間からキラキラと二つの光が見えたので――そこに二百年後の小夜と俺が居て「そんな感じで幸せになれよ」と言ってくれた気分になる。そのせいか、俺の涙はいつの間にか乾いていた。

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父と子と精霊の御名によって~In nomine Patris, et Filii, et Spiritus Sancti.Amen.~ けろけろ @suwakichi

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