第15話 手遊び

 小夜はしばらく、わんわーとクレヨン、積み木で楽しく過ごしていた。遊び方は少し高度になって、わんわーに喋らせたり、わんわーの絵が少し上手くなったり、積み木も小夜なりに何かの形を模したりしている。読み聞かせで語彙も増えてきた。しかし、あれだけ好きだった『スネークとダンボール』に対しすっかり飽きてしまい、読んでいる最中に他の遊びを始める始末。だったら、と思い他の本を試してみるが、どうやら読み聞かせ自体に興味を失ってしまったようだ。


 少々悩んだ俺は、犬が主人公の絵本を探す。あまりにも単純な内容ではなくて、ストーリーがある感じの。俺は素朴な読み聞かせにならないよう、絵を中心に動きを付けてみせたが反応は悪い。こちらに集中せず、ぷいっと積み木を始めてしまう。じゃあ一緒に積み木をと思うが、俺が積んだ物には興味など示さず、毎日同じような何かを作っては賞賛を得ようとする。こんな感じだから、せっかく増えた語彙も減ってきた。これには俺もほとほと困る。


 俺は育児書や小夜の為にダウンロードした小難しい本を読み返し、『反抗期』などという言葉に突き当たった。それによれば、別名「イヤイヤ期」とも呼ばれ、何でもかんでもイヤだと言い始める時期のようだ。

 しかし小夜はメシや着替えなど、身の回りに関してなら俺の言う事をよく聞くし――つまりこれは反抗期というより、俺が小夜の興味を惹く遊びを提供できていない、というのが正しそうだ。なので玩具屋に行き、片っ端から買い物をして小夜に与えてみるのだが、どれにも反応が悪かった。


 小夜には深くて悲惨な事情があり、発達の具合が育児書とかけ離れているので、俺には今現在これ以上の努力ができない。そろそろプロの手を借りた方がいい気がして、教会から紹介された女の保育士に来てもらった。小夜は警戒している雰囲気だが、俺は部屋の隅から様子を見る。

 保育士は絵本を読んだり、音楽を掛けて歌ったり、それに合わせて手を動かしたりしているが小夜は無反応だ。まぁ初日はこんなモンだろうと思い、しばらく来て貰うことにした。


 そのまま数日経つと、小夜が俺をチラチラ見るようになってくる。視線に気づいた保育士は、俺に恐るべき提案をした。

「健治様も是非ご一緒に手遊びいたしましょう!」

「はぁ~!? 手をピコピコ動かすやつか!?」

 俺は恥ずかしいので断るつもりだったが、これも小夜の為なら致し方ない。少しでも変化があればと思い、保育士と小夜の間に座った。

「はい、行きますよ~。こーとりーはとっても、うーたがーすき~」

 保育士を真似て、俺も手を動かす。小夜は無反応だ。すると保育士はパッと曲を変えた。

「ぐーちょきぱーで、ぐーちょきぱーで、なにつくろ~、なにつくろ~、右手はグーで、左手はチョキで、かたつむり~、かたつむり~」

 小夜はじいっと俺と保育士が手で作ったかたつむりを凝視している。手応えを感じたのか、保育士はもう一回同じ曲を流した。すると小夜が俺たちの真似をして、手をピコピコと動かす。

「かたむりー、かたむりー!」

 かたつむりを作り、キャッキャッと喜ぶ小夜の笑顔。なんだか久しぶりに見た気がする。

 そこに保育士が声を掛けてきた。

「健治様と手遊びしたいみたいですね。手遊び歌はたくさんありますから、覚えて一緒に歌いましょう!」

「あ~? 俺が~?」

 思わずそう言ってしまったが、小夜の為なのだと思い直す。その日は保育士に習って幾つかの手遊び歌を覚えた。

 そして、教会に戻ってからは手遊びの動画集をダウンロードして真似する。こんな所をお付きの信者に見られたら、物理的にこの世から消すしかない。


 翌日から俺は気合で覚えた手遊び歌をやりまくった。手先はそこまで器用じゃないが、歌なら得意の部類だ。ただまぁ、俺は渋い声なので子供受けしないのは判っている。でも小夜は喜んで、キャッキャッと笑ってくれた。こういう全開の笑顔も、いつの間にか増えている。言葉も「えーぼー、おうた、うたって」などの三語分が出て来て、俺は「やはりプロに任せて良かった」などと思うのだ。ただ、手遊びを実行させられたのは、今でも恥ずかしいが。


 それと同時に進めていたベッド上の歩行は、最初ヨタヨタ、そのうちトコトコという感じになった。「そろそろ床を歩かせてみるか」と思っていたら、見舞いに来たとき保育士指導の元、実行に移しており驚く。しばらくすると疲れて立ち止まったり座り込んだりしてしまうのだが、えっちらおっちら楽しそうにしていた。


 小夜は日に日に歩ける距離が増えて、今や病室内だけでは物足りない勢いだ。俺は担当医の許可を取り、病室の外へ連れ出してみた。まぁ単なる廊下というやつだが、中窓が見えているし、他の人間も居るしで、小夜は物珍しそうに「わー!」と喜んでいた。喜びの対象物は、人工の観葉植物や患者が移動する為の器具だったりするのだが。俺としては、もうちょっとマシな物で感動して欲しいけれど、歩いている男性などに恐怖を示さないのは有り難いと言える。

「今度はお外にも行こうな。中庭くらいなら許可が出るんじゃねーか?」

「おととー!」

「お・そ・と」

「おとと!」

「それだと魚だな……?」

 ちょっと訂正してみたが、やはり無理な物は無理だ。


 という訳で、俺は小夜と外に行く約束をしたのだが、今度は許可が下りなかった。主に理学療法士という人間から止められる。まぁ段差があったり、人混みだと自分のペースが保てなかったり、咄嗟の時に上手く避けられなかったり危険――という理屈には俺も納得できるので諦めた。イザという時に俺が抱き上げたり出来ないのも大きい。不要な接触になるからだ。なので、しばらくは病室フロアの探検で終わりそうだった。

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