奇跡

「あ、あ、ああああああああああああああ!?」


 容赦なく撃ち抜くグレアの非道ぶりを目撃した連斗は、狂乱の悲鳴を上げる。

 絶望、恐怖、無力感。優莉の腹部に弾丸が貫き、鮮血が上がる光景が頭の中にこびりつき、あらゆる感情がぐちゃぐちゃに結びつく。


「し、東雲さん……うそ、だろ」


 優莉が、死んだ……。

 湧き上がる感情の隅で諦観がよぎる。あの攻撃をまともに受けて無事なはずがない。視界が真っ暗に染まり、激しい喪失感に半身を引き裂かれるような痛みを自覚する連斗。悲しみと辛さに任せてもう一度発狂しようとしたところで、奇跡が起きた。


「ぐっ……がっ、げほっ!」


 死んだとばかり認識していた優莉が咽込み、血を吐いた。どうやら優莉は瀕死ながら辛うじて生きていたらしい。

 なんという頑丈さだ。

 吊るされグレアの銃弾を至近距離で受け、腹部に空いた風穴からは夥しい量の血が溢れているが、それでも命だけは寸前で繋ぎ止めている。重症を負ってはいるもののひとまず命が無事な件に連斗は安堵する。


「まっ、そうだよね。この程度じゃあなたたちは死なないよね」


 グレアも優莉の生存を当然のように認めており、特段驚いた様子はない。

 優莉が生きていたのは朗報ろうほうだが、依然として状況は絶望的なまま。このまま嬲り続けられれば優莉が死ぬのも時間の問題だ。かといって結界という安全圏にいる連斗ではこの事態を打開できるだけの行動も起こせず……。


 途方に暮れ、悲惨な未来を予見し連斗の瞳が後悔の色に染まる様をグレアは横目で眺める。彼女はまるで連斗の予感を汲み取ったようにニチャリと不敵な笑みを溢す。


「あはは、いいこと思いついちゃった!」


 連斗の表情を見て何を閃いたのか、無垢な子供のような明るい口調でグレアが指を鳴らす。もはや嫌な予感しかしなかった。


「こうすれば、彼女の身体と君の精神を同時に破壊できるじゃん」


 不安を抱こうと静観することしかできない連斗の前でグレアが手を構える。人差し指を前方へ突き出し、親指を上げたポーズ。これまでにも彼女が何度も披露した悪魔の手遊びに連斗は戦慄し、慟哭どうこくする。


「やめろおおおおぉぉぉぉぉッ!?」


「バンッ!」


 連斗の叫びも虚しく、グレアが二度目の銃弾を発射した。

 カメレオンの舌に縛られ、抵抗を封じられた優莉の至近距離で破壊の一撃が轟音と共に炸裂。


「がっ!?」


 意図的に狙ったのか弾丸が命中したのは、出血しているのとは逆側の腹部だった。肉を穿たれ苦悶の悲鳴を漏らす優莉。今度の一発は威力を控えており、貫通こそしなかったが代わりに範囲が拡大している。

 鈍重な攻撃に優莉の腹が大きく沈む。まるで見えない拳で殴りつけたような跡が残る。


「すぐには死なせないよ! もっともっと痛めつけてあげるんだから!?」


 グレアはわざと攻撃の殺傷性を落としていた。できるだけ長い時間優莉の肉体を甚振り尽くせるよう、身体が壊れるギリギリの威力を浴びせ続け痛みと精神的苦痛を与え続ける。

 まさに拷問だ。


 否、拷問の方がまだマシかもしれない。

 グレアのこれは、自白を目的とせず、己の快楽のためだけに優莉の精神と肉体を破壊する悪質な遊戯。

 愉悦と享楽。高揚感に胸を躍らせ、グレアは実験のような感覚で優莉を弄ぶ。


 バンッ、バンッ、バンッ!

 グレアの可愛らしい掛け声が響く度、優莉の柔肌に痣や生傷が刻まれていく。


「やめろ、やめろ、やめろおおおぉぉぉッ!?」


 喉が潰れる勢いで叫び散らす連斗だが、グレアの暴挙は止まらない。

 悲鳴も上げず、ジッと耐える優莉。その痛々しい姿が連斗の精神をガリガリと削る。


 こんなことが許されていいのか?

 駄目だ、駄目に決まってる。

 あのだけは認めるわけにはいかない!

 連斗は自問自答し瞬時に結論を導くもだからといってどうもできなかった。


 いまの連斗はあくまで傍観者だ。安全圏から下劣な輩を非難するだけのオーディエンスにできることなどたかが知れている。


「やめて、ください……お願いだから、もうやめてくれ」


 膝から崩れ落ち、連斗が結界内から涙ながらにグレアに懇願する。精神はとっくに限界だった。幾度となく凄惨な拷問を見せつけられた連斗のメンタルは既にズタボロで、己の無力さを踏み締め額を床に擦りつけるまで追い詰められる。

 己の未熟な精神と優莉の身を守るべく選んだ屈服。陳家なプライドを捨て、心が完全に折れた連斗の惨めな格好にグレアは待ってましたとばかりに嘲笑する。


「あははは、いいよいいよ。その悲痛と絶望に歪んだ顔。私は君のその表情が欲しかったの!?」


 グレアは宣言通りに連斗の精神を破壊でき、ご満悦といった様子で銃を降ろす。


「ほんと、なんで人間って他人の痛みにこんな敏感なんだろう。自分が傷つけられることよりも誰かを痛めつけらているところを見る方がよっぽど苦しそうだし。でも、そのおかげでこうやって一人を甚振っているだけでそれを見ている人も苦しめられるんだから一石二鳥だよね!!」


 感性がひん曲がったグレアの思うツボとなってしまったが、連斗は反論の言葉を黙って呑み込む。

 ここで抵抗の意思を示せばまた拷問が再開されるのは目に見えていた。


 ひとしきり笑い、連斗が脅威に屈したところでグレアは意識が朦朧とする優莉にある提案を持ち掛ける。


「さて、充分人間の絶望は味わったことだし、そろそろ本題に入ろっか。ぶっちゃけた話、私はあなたのような不純物混ざりな魂じゃなくてあっちの子みたいな純正な魂が食べたい訳なの」


 言いながらグレアは結界に守られた連斗を指差す。


「でも、あの手の結界って術者が死んでも付与した霊力が尽きない限り残り続けるタイプでしょ? そこで提案なんだけど、あの結界解除してくれない?」


「なっ!?」


 唐突にターゲットを変更したグレア。命が狙われていると知った連斗は、流石に絶句してしまう。


「勿論タダでとは言わないよ。もしも彼を守る結界を解いてくれたらその時はあなたを解放してあげる。どう悪い提案じゃないでしょ?」


 究極の選択が優莉へと突きつけられる。散々グレアの弾丸を喰らったというのに未だ意識は失わずにいた優莉は、口内に溜まった血を吐き出した後、ゆっくりと向き直る。

 彼女にしてみればこのピンチを脱する絶好の機会。連斗も交渉材料に指定された恐怖に怯えながら心のどこかで犠牲になる覚悟を決めていた。


 口の中がスッキリしたことで、優莉はグレアに答えを返す。


「お断りです。彼を犠牲にするつもりは毛頭ありません」


 迷いはなかった。優莉はいっそ清々しい表情でグレアの提案を拒否する。

 彼女は微塵も躊躇わず、連斗を助けるために自らの命を差し出した。凄まじい覚悟と矜持だ。強靭な心がなければ、この状況で堂々と殺してくれなどと宣言できないだろう。


「それよりもまだ殺らないのですか? いい加減あなたの悪趣味な拷問も飽きてきた頃なのですが」


「はぁ~ホント詰まらない。分かった、じゃあさっさと死んで」


 優莉の勇猛な姿勢にグレアは白けたとばかりに嘆息し、投げやりに言葉を吐き捨てると指鉄砲を構える。狙いは左胸、心臓がある箇所だ。


「東雲さん!?」


 連斗は思わず立ち上がり、結界を叩きながら優莉の名を呼ぶ。


「大丈夫です。私が死んでも他の誰かがあなたを助けてくれるはずです。だから安心してください」


 殺される寸前だというのに、後悔や恨みを抱くどころか優莉は微笑み連斗を安心させようと励ましてくれる。


(どうして……どうして、そこまで他人のために自分を犠牲にできるんだよ)


 大抵の人間は、この状況で迷わず自分の命を捨てる選択は取れないだろう。しかし、彼女は違った。

 自分が助かる可能性を閉ざしてまで他人を救おうとする信念。彼女は特別な人間なのだと再認識させられる。


 逆に連斗は迷っていた。

 正直、優莉が死んで結界が消失しないというならこのまま助けを待つのが賢明な判断である。

 グレアは、本物の怪物だ。強さも残虐性も、彼女を構成する要素のどれもが他の怪物とは比較にならず、歯向かえば確実に殺される。

 結界内にいる限り救出は不可能なのだから下手に抗うより、結果を待つ方が正しい。優莉だってそれを望んでいる……。


 ――違う。


 己の弱さに屈しかけた時、連斗の中で、誰かが否定した。


 ――彼女を……他人のために命を張って戦える彼女を見捨てていいのか?

 ――ただ救われるだけの弱者のままでいいのか?


 いい訳がない! 彼女を助けたい!


 諦めかけていた意識の中、誰かが問いかけ、連斗はそれを否定する。


 ――グレアの悪逆非道を許せるのか?

 ――親友やクラスメイトを殺され、憎くないのか?


 許せるはずがない! 憎いに決まっている!


 すかさず連斗の心が叫ぶ。いくら〝普通〟の人間だとしてもそれくらいの正義は持っている。


 幻聴の類か。連斗は正体不明の誰かに諭され、灰色に染まりかけていた心に火を灯した。

 同時に理不尽な悪意に抗う正義心とグレアに対する感情が湧いてくる。

 それは、透也の訃報を知らされた時にも感じた純粋な〝怒り〟だった。


 ……どうして、彼女は人の命を玩具のように弄べる?

 ……どうして、彼女は何の罪もない命を理不尽に奪える?


 グレアへの猜疑心が膨らむ度に、連斗の思考は怒りと憎しみで埋め尽くされる。


 ドクン、と心臓が跳ねた。

 ドクン、ドクン、ドクン、と数秒を重ねるうちに心臓の鼓動がどんどん加速する。

 血の巡りが活発になるにつれて、心臓に近い位置から温かなものが溢れてくる。ひたすらに温かいそれは、血管に乗って全身の隅々まで運ばれ筋肉から神経組織にまで浸透していく。


 ――力だ。

 連斗はそう直感した。


 身体の奥底から出現した力は、グレアへの怒りと憎しみに優莉を救いたい正義心が混線したアンバランスな感情が深まるに比例して、その量が急激に増していく。


「――うおおぉぉぉぉぉぉッ!」


 白か黒かではなくグレー。混沌に染まる力を自覚した連斗は、何者かに背中を押されるような感覚で握った拳で結界を殴りつけた。


 パリンッ、とガラスが割れたような音がする。連斗が雄叫びを上げ、拳を振るった直後の出来事だった。

 甲高い音の正体は、連斗が結界を破壊したものである。


 薄氷のように砕かれた結界を見て、グレアが処刑を中断し視線を連斗へ注ぐ。


 ……一体何が起きたのか?


 連斗が起こした事態を呑み込めずグレアの脳裏に疑念がよぎる。


「う、そ……なんで?」


 優莉もまた困惑の色を表情に浮かべていた。

 防御用結界はその使用意図的に外側より内側が脆くなっているが、それでも一般人の腕力で破壊できる代物ではない。結界と同等あるいはそれ以上の力をぶつけなければ破ることなど到底不可能。そう認識していた優莉の常識が、いましがた覆されたのだ。


 結界から脱出した連斗は、怪訝そうに眉根を寄せフリーズ状態のグレアを好機と捉え、すかさず結界の傍に放置されていた刀と銃を拾う。

 そして、一直線に駆け出す。

 目指すはグレア。囚われた優莉を救出すべく連斗は足の筋肉を爆発させ、その速度は普段の数倍にまで到達する。


 連斗に躊躇いや迷いはなかった。

 武器を拾ってから駆け出すまでの一連の動作は洗練されたように流麗で素人が突発的に繰り出した域を超えている。

 加えて連斗の面構えも異常だった。俯瞰的でどっしりと構え、一遍の曇りなき眼は果たすべき目的のみを見据えている。


 不可解な事態の連続。流石のグレアも遊び心を忘れ驚いていたが、すぐさま自慢の指鉄砲を構え直す。ターゲットを優莉から連斗へ。武器を携えても所詮はただの人間。優莉の超加速を目にしてきたグレアにとって連斗の疾走など赤子のハイハイに等しい。無防備に接近しようものなら格好の的である。


「どうやって結界を破壊したか知らないけど、残念。そんな鈍い動きじゃ私の攻撃は躱せないよ!!」


 言うがすぐにグレアは優莉を散々苦しめてきた例の弾丸を撃つ。グレアの掛け声がなければ不可視で無音の恐ろしい一撃。という結果しか認識できなかった連斗に避ける術はない――はずだった。


 グレアの攻撃が腹部を穿つ直前。連斗はほんの僅かにステップを刻み身を捻り華麗な回避を成功させてしまう。


「なによそれ!?」


 まさに紙一重の回避。常人が披露した常人離れした神業にグレアは堪らず小悪党の定番のような台詞を吐く。


 端的に言えば彼女は連斗たち人間を侮っていた。

 軽薄な喋り口調が何よりの証拠だ。常に絶対的強者として混乱と戦慄を招き、命を弄んでいったグレアの傲慢ぶりが仇となる。


 連斗はその油断を突き、反撃に転じる。

 お返しとばかりにグレアが攻撃を外した隙に銃を構え、撃つ。

 バンッ、と火薬の躍進を受け、銃口から銃弾が発射する。推進力が反動

 となって銃を握った腕の骨にまで響く。

 連斗の放った弾丸は、空気を切り裂きながら直線に伸び、狙い違わず正確にグレアへ迫る。


「しまっ――ッ!?」


 銃弾は、驚き固まるグレアの顔面をぐにゃりと歪め、そして吹っ飛ばす。

 頭部を失ったグレアの肉体が倒れる。

 すかさず連斗は銃を捨て、両手で刀の柄を握ると主からの指令が止まり直立不動の置物と化したカメレオンの元まで接近。優莉を縛る舌の根本を一刀両断する。


「うおおぉぉぉぉっ!!」


 頭上高くまで振り上げ、渾身の力を刀と腕に載せる。弾力のある舌を確実に切断するためには速度と威力が必要だと判断しての行為だった。

 舌を根本から斬られ、拘束力が失われたことで空中に縛られていた優莉が解放される。


「はぁ、はぁ……はぁ、はぁ……や、やったぞ……」


 奇跡が、起きた。グレアを翻弄し、優莉を絶体絶命の危機から救った連斗は安心感からか途端に膝が折れる。

 心拍数が上昇し、呼吸が乱れ、視界が定まらない。

 全身に及ぶ疲労感から刀を握るだけの握力を保てず地面に落としてしまう。


(い、息が上手くでき、ない! 身体に力が入らない!)


 連斗は、このまま死ぬのではないかと本気で思った。謎の力に頼った影響だろうか。一時的にだが、自身の限界を超える運動能力と判断力を得た代償として全身の筋肉や神経が一斉に麻痺したような錯覚を覚える。

 本気でヤバい!!

 切迫した表情で天井を仰ぎ、必死に肺に酸素を送り込む連斗。が、そんな彼の横で優莉が突如として叫んだ。


「後ろです!?」


 いきなりの警告。連斗は喘ぎながら指摘された方向に首を捻ると、そこには頭部を再生させ人差し指を突きつけるグレアがいた。


 そして――


「バンッ」


 可愛らしさの枯れた無機質な声と一緒に、連斗の背後から殺戮の銃弾が無情にも放たれる。

 避けられる道理は、なかった……。

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