奇跡の後

 窮地を救われた優莉の目に映ったのは、あまりに異常な光景だった。


 度重なる奇跡の目撃者となり茫然自失としていた優莉。逃げろと訴えておきながら命を賭してグレアへと挑んだ連斗の勇敢さに敬意を表しながらもこの結果に驚嘆していた。


 ……どうなっている?


 グレアの魔の手から解放された安堵よりも現状に対する疑問ばかりが思考を巡る。

 普段からクールに状況を分析することを徹底している優莉だったが、いまばかりは冷静になれなかった。客観的な視点を持てば持つほど彼の起こした事実に理屈が結びつかなくなり、奇跡としか形容できなくなる。


「はぁ、はぁ……や、やった……」


 グレアという脅威に立ち向かい、死の淵に晒された彼は精神も肉体も限界まで消耗しきっており、ぐらっと身体が傾きかける。

 結論が出ずともまずは彼の安全を保証しなければ。解決困難な謎を先送りにし、優莉は全身がズキズキと痛むのも無視して彼を支えようと動く。


 その時だった。

 彼の背後に亡霊のように忍び寄る影が映る。


 グレアだ。

 頭部を失ったが持ち前の再生力で回復したらしい。

 それもそうだ。彼女の心臓部は未だ健在で、優莉の目にはハッキリとその存在が確認できる。それを破壊しない限り奴らは何度でも蘇り、人々を襲う。

 無論、一般の高校生である彼がそんな真実を知る術もなく――奇跡というのは何もかもご都合主義で解決してはくれないようだ。


 疲弊ひへいしふらつく彼の背後を陣取り、グレアが人差し指を突きつける。

 ――まずい!?

 咄嗟に喉を震わせ、優莉が叫んだ。


「後ろです!?」


 失血のせいで声を上げるだけで視界が眩み、意識が遠のくもそんなのはどうでもいい。一刻も早く彼に危機を伝えなければ……殺される!

 戦慄する優莉は、内に秘める力を爆発させようとするが、


「バンッ!」


 間に合わなかった。

 グレアの放った無情な一撃が、連斗を穿つ。

 眩んだ視界に広がる景色の色は酷く不鮮明だというのに、彼の身体から噴き上がる血は憎らしいほど鮮明に映る。


 ドスッ、と連斗が血の海に沈む。

 嘘であって欲しいと願いたくなる非道な現実に優莉は胸を抉られるような感覚を受ける。


 ――殺されてしまった。

 ――守るべき人を守れなかった。


 戦いに巻き込んだ挙句、命まで奪わせてしまった後悔が優莉の胸中を渦巻く。

 感情が黒く塗り潰される。途方もない罪悪感と人間の命を玩具にする奴らへの憎悪が湧き立つ。

 どう足掻いても取り戻せない儚くも尊いものを憂い嘆きながらも優莉は己を奮する。

 静かに怒りを燃やす優莉の前で、グレアは――


「ははっ、呆気なく死んじゃった。本当はもっと甚振ってあげたかったんだけど、驚きのあまり威力を間違えちゃった。君がいけないんだよ、死霊術師ネクロマンサーでもないのに悪霊である私の頭を吹っ飛ばすなんて奇跡を起こしちゃうから」


 必死の決意で未知の怪物と対峙した彼を侮辱ぶじょく冒涜ぼうとくするグレアの横暴な態度に優莉の激昂した。


「あ、ああああぁぁぁぁぁぁっ!?」


 喉がはち切れんばかりに叫び、グレアに向かって突撃。感情が奮えると胸の奥からぐわっと力が溢れる。


 どうして奴らはこうもむごたらしいのか。

 どうして奴らは命を躊躇いもなく奪えるのか。


 戦いの最中、今日まで考えていた疑念が優莉の脳を逡巡とすると途轍とてつもない力が心臓部と精神を経由して肉体へ浸透する。

 いままでも扱い、慣れた力に委ね、全身の隅々まで張り巡らせると爆発的な身体能力へと変換される。


 優莉はその恩恵を活用し、加速すると倒れた連斗の手元から刀を拾いグレアを一閃した。

 ヒュン、と銀色の接線が閃き、グレアの左腕が天井を舞う。が、当然致命傷にはならずグレアは滑稽な表情で優莉に応える。


「ははっ、なにその怒り心頭って表情! もしかしてさっき殺しちゃった彼、彼氏だったとか?」


 軽々しい口調で相も変わらず挑発してくるグレアを優莉は鋭い形相で睨み返す。


「恋人かどうかではなく、私はあなたの下劣さに怒っているのです!」


 言いながら優莉は刀で斬り続ける。

 正確無比で直線的な太刀筋から一変。優莉の抱く憤怒がそのまま宿ったような荒々しく敵を刻むことだけを重視した連続攻撃にグレアはジリジリと後退を余儀なくされる。


「命を何だと思っているのですか!? 彼も今日あなたが襲った生徒たちも死ぬ道理なんてなかった! だというのに、あなたは自身の快楽のためだけに弄び、理不尽に奪っていった!?」


 優莉は脳裏に連斗を含め、この事件の犠牲になってしまった生徒たちを浮かべながら訴える。

 狼に囲まれていた連斗を助けるより前。優莉は校舎の各所に出現した怪物を退治していたが、どうしても救えなかった命が幾つかあった。

 それも全てグレアが元凶だとしたらとてもじゃないが憤りを収められなかった


「それはちょっと解釈が違うかな? 確かに私は人間を虐めるのは好きだけどそれはあくまで趣味であって目的はちゃんと他にある」


 やれやれと肩を竦めるグレアに反省の色はない。

 解釈違いなどなかった。

 これ以上語ったところで不毛と判断すると優莉はさらに激しく刀を捌きグレアを追い詰める。


「ははっ、まだ速くなるの!? 私が空けた穴から血が出てるけど大丈夫?」


 グレアの指摘通り、裂帛れっぱくしながら刀を振るう度優莉の腹部に圧が掛かり、ブシュッと傷口から血が噴出し廊下を汚す。

 人間が許容できる出血量はとうに超えている。それでも一切の闘志を失わずグレアに斬撃を浴びせる優莉もまた常人ではなかった。


「って、霊力を操る死霊術師ネクロマンサーだから丈夫なんだっけ? でも、人間である限り限界はあるんでしょ!!」


 グレアが勝手に納得すると怒涛どとうの連続攻撃の隙を縫って左腕を蘇生。太刀筋を見切り、両手の掌をかざし砲弾で応戦する。


 相手が順応すれば優莉もまたそれに対応。刀の間合いで発生から間髪入れずに着弾する攻撃を一歩も退くことなくいなすと優莉は追撃を加える。

 グレアもまた反射神経で刀を回避し、その隙に射撃。優莉が捌く。

 正面から力と力がぶつかり合い、拮抗する。

 互いにしのぎを削る鍔迫り合いへと発展する二人の戦い。

 このままでは埒が明かないと先に踏んだのは、グレアだった。


 律儀に互角の攻防を繰り返すつもりのないグレアは待機させていた怪物たちを指示し、優莉を奇襲させる。


 グレアの命令を受け、カメレオンが舌を伸ばす。一瞬の油断が命取りになる激しい打ち合いの最中、優莉に背後から迫る攻撃を対処する余裕はない、はずだった。

 フッ、と舌が捉える直前でグレアの眼前から優莉の姿が消える。

 何が起こったのか。

 突然の事態にグレアが混乱していると、対角線に配置したカメレオンの身体に無数の銀閃が輝きバラバラに砕かれる。


「う、嘘ッ!?」


 思わずグレアは口から驚愕を漏らす。

 カメレオンを細切れにしたのは紛れもなく優莉本人である。彼女は舌が来ることを目視せず気配だけで察知すると即座に離脱し、瞬きすら許さない速さでカメレオンを切り刻んだのだ。

 しかもそれだけでは終わらない。優莉はカメレオンを葬った後、包囲するように陣形を組ませていた狼に圧倒的速度で接近し斬り伏せ、ものの数秒で十体以上は残していた個体を全滅させてしまう。


「ははっ、でも隙だらけじゃない!」


 脅威的な戦闘力を見せつけられ、若干臆すグレア。諦観しそうになりながらも狼を仕留めるため優莉が距離を空けたのをチャンスとして表情に余裕を戻す。

 遠距離戦となれば刀の優莉よりも砲弾で攻められるグレアに分がある。すぐさま二丁拳銃の如く両指を構え、優莉を狙う。


 バンッ、バンッ、と。

 グレアが撃つより早く、二度の発砲音が鳴る。


 弾丸によって吹き飛ぶグレアの両腕。またしても優莉の仕業だ。


「じゅ、銃なんていつの間に!?」


 両腕を撃ち抜かれ驚愕するグレアの視線の先には、落ちていたはずの銃を握り片手で構える優莉がいた。


「まさか……ははっ、ほんと抜け目ないわね。私の可愛い守護獣ちゃんを殺して回る間にちゃっかり武器を拾ってるなんて――」


「守護獣などと仰々しい呼び名は止めてください。私が葬ったのは人に害を成す悪霊です」


 抵抗する術を失ったグレアに躊躇なく優莉は銃のトリガーを絞る。

 無慈悲に何度も。再生を阻害するように鉛玉で肉体を消し飛ばしていく。

 やがて手足を捥がれ、グレアはだるま状態となって床に転がる。


 この一瞬が、どうやら雌雄を決する分岐点だったらしい。

 数秒の動揺や油断が勝敗を分ける。それ程までに二人の実力は拮抗していたようだ。


「どうですか? 少しは甚振られる気持ちが分かりましたか?」


 コツコツ、とグレアが仰向けから動けなくなったところで優莉は近づき、見下すように冷たく睥睨しながら尋ねる。


「う~ん、これっぽっちもかな。私、悪霊だから痛みとか感じないし」


「そうですか」


 グレアの答えは変わらなかった。

 形勢逆転されたというのに、惚けたような口調はそのままで決着を認めている。

 改心の余地がないことにどこか安心したように頷くと優莉は、最後にもう一度銃弾を撃ち込む。


 閑散とした校舎に、響く一発だけの銃声。

 今度は彼女の弱点を的確に。人間の心臓部に近い位置を銃弾が貫通すると、硝子が割れるような甲高い音が優莉の鼓膜を振動させる。


「さっすが、容赦ないね。せめて、もうすぐ少しくらい会話をさせて、よ」


 頭や腕を壊されようとも威勢を保っていたグレアのものとは思えない弱々しく覇気の乏しい声。ぐったりと横たわり他の怪物同様、彼女の肉体はボロボロと末端から崩れ、朽ちるように消滅していく。


「生憎、死者への同情はとっくの昔に捨てていますので。あなたのように悪趣味に人を殺すような輩に共感なんて、尚更です」


 勝者となった優莉は最後まで冷たくグレアを突き放す。


「ほんと、コミュ障なんだから……」


「違います。あなたのような下衆に応じるつもりがないだけです」


 これから消えるというのに、感情が働かないグレア。死への恐怖や生への渇望は微塵もなく、ただただ愉悦に任せて茶化してくる。優莉はそんな彼女をきっぱりと否定し、会話を終わらせた。


 怪物の気配もなくなり静寂とした校舎の正面口で、グレアの身体は朽ち果て、完全に現実から消滅する。

 ここまで散々苦しめてきた彼女の最期は、何とも呆気なく感想も浮かばなかった。




 殺伐としていた学校に平穏な空気が戻る。これも全て元凶であるグレアを討伐したお陰だ。

 優莉もそこで張り詰めていた糸を解き、膝から崩れ床に両手をつく。


「がっは、げほっ、げほっ!」


 優莉が咽込みながら吐血する。

 いくら肉体を強化していたとはいえ、グレアの攻撃を何度も喰らっているのだ。全身は青痣だらけで、おそらく内蔵にもダメージが及んでいる。腹部に開けられた穴も塞がってなく、ドロドロと血が溢れ止まらない。

 流石にこのまま放置すれば命に関わる。優莉は恥じらいもなくボロボロに裂かれた制服を脱ぎ下着姿を晒す。


「風穴程度の大きさだったのが不幸中の幸いですね。急所を肉ごとごっそり抉られていたら間違いなく死んでいました」


 言いながらシャツを破き傷口に巻きつけ止血を開始する優莉。これで病院までは持つだろう。

 優莉はいますぐ眠りにつきたい欲求を我慢して立ち上がるとぐるりと戦闘の巻き添えとなった昇降口を見回す。


 酷い有様だった。

 至る箇所の壁には銃撃や衝撃波による穴が空いており、下駄箱の多くは半壊。天井の蛍光灯と窓ガラスが割られ、怪獣でも暴れたような惨状である。


 何よりも残酷だったのは、血溜まりに突っ伏したまま動かない一人の男子生徒。優莉を助けるために無茶をして、グレアの砲弾に倒れた今回の事件の被害者だ。

 彼の雄姿には感謝してもしきれない。彼の活躍なくして優莉の勝利はなかった。


 優莉は全身の痛みも無視して、悲痛な面持ちで彼の傍まで歩み寄るとその亡骸の前にゆっくりと腰を降ろす。


「勇敢なあなたのお陰で私は生き延び、彼女を討つことができました。本当にありがとうございました」


 最大限に敬い、返事もない相手に深々と頭を下げる。これが優莉なりのケジメだった。


「ですが、私が未熟なあまりにあなたにはこのような過酷な運命を強いてしまい申し訳なくもあります」


 感謝と謝罪。両方が入り混じった混沌とした感情を故人へと向ける。

 この遣る瀬無さだけは、何度経験しようと慣れることのない。


 悔恨の念に奥歯を噛みながら優莉は自分の胸を押し潰さんばかりに握るが、皮膚を圧迫する痛みも心が負った痛みには敵わない。

 心傷とした感情に触発され、彼女の頬に涙が伝う。


「もしも、あなたが私を許してくれるのでしたら……あなたの無念を私に背負わせてください」


 わなわなと震えるか細い声で、優莉は涙ながらに懇願する。

 死者の念を引き継ぎたいなどお願いするのもおかしな話だが、優莉は至って真剣だった。そうしなければ自分がいま生きている理由に納得がいかない。彼の死を罪として受け止め戒めとして、未来で誰かを守るための糧とする。これまでもそうやって優莉は、救えなかった命と折り合いをつけ、生きてきた。

 加えて彼の無念を自分に刻みたい訳はもう一つある。


「残念ながらあなたの死に関する真実は私たち組織によって隠蔽されてしまいます。あなたと同じ世界に住む人たちの誰もがあなたの勇ましさも無念も理解してくれないでしょう……ですから、あなたの気持ちを私に預からせてください。何年経とうと必ず応えてみせます!」


 覚悟を宿した優莉の瞳が真っ直ぐに連斗を見つめる。

 これから〝処理〟が施されれば吾妻連斗という人物の最期は、歴史の挟間へと葬られ〝死〟という事実だけが世間に伝承される。

 ただの高校生の死など語られずして当然だろうが、それでも親族や友人にまで偽りの事実が届けられるのは何とも報われない。ならば、伝承者にはなれずともせめて記憶には残しておきたい。自分が死ぬ、その瞬間まで……それが優莉にできる唯一の救済だった。


「では、私はこれで失礼します」


 涙はとっくに枯れていた。いつまでも過去には囚われず、現実をあるがままに受け止め未来へ進む。

 優莉は、最後にもう一度深々とお辞儀をし、その場から立ち去ろうとしたその時。


「……う、ん」


 蚊の鳴くような、掠れて殆ど消えかかった声がした。

 優莉から発したものではない。周囲に他の人間の気配はなく、とある可能性が浮上する。


「まさか!?」


 幻聴とも疑わず、優莉は慌てて先程まで話していた故人を仰向けに引っくり返す。

 血が通っていない真っ青な顔と閉じた瞳。それがピクッと震えたのを優莉は見逃さなかった。

 急いで胸に耳を当てる。

 とくん、と微かな心臓の鼓動が聞こえてきた。


「まだ、生きている!?」


 驚きつつもすぐさま応急処置をすべく使用していなかった制服で連斗の傷口を縛り止血する。

 確実に死んだとして認識していたため嬉しい誤算ではあるが、どうして生きているのか不思議でもあった。


「幸い、急所は外れているようですが、この出血量……普通の人間なら死んでいるはずなのに、どうして――」


 改めて確認しても彼の患部には穴が空いており、止血したところで血は溢れ続けている。例え即死は免れたとしてもこの状態で放置されれば数分と持たずして死ぬ。だというのに連斗はその常識を覆し、瀕死ながらもこうして生命活動を維持していた。

 どうやらまたしても彼は奇跡を起こしたらしい。


 だが、それは束の間の奇跡。彼の心臓の鼓動は段々と弱っており、風前の灯火だった。

 ――生きているのなら助けなければ!

 確かめもせず彼が死んだと判断してしまった失態を一旦は頭の片隅に追いやりながら優莉はいまできる最善の択を考える。


 といっても止血は施し、医者ではない優莉ができる最大限の処置は完了している。

 あとは病院に連れて行くだけだが、問題があった。


「しっかりしてください! 私の声が聞こえますか!?」


 肩を揺さぶり、連斗の耳元で叫ぶ。それでも返事がない。

 優莉の脳裏に諦観がよぎる。

 元々、すぐに手術が必要な重症だ。いまから病院に運んだところで彼の生命力は間違いなく尽きるだろう。


「死なせるわけにはいきません――ですが、一体どうすれば……」


 最悪の結論を導き、焦る優莉。

 最善を尽くしてまだ足りないのなら逆転の発想しかない。

 焦燥感を捻じ曲げ、無理矢理冷静になって優莉は状況を分析する。


 彼を救わなければ、と一旦は無視していた疑問を掘り起こす。


 何故、彼は結界を自力で破れた?

 何故、彼はグレアに一撃を加えられた?

 何故、彼はこの状態で生きている?


 実のところ〝奇跡〟の原理は判明している。彼以上の重態でも平然と生きている優莉がその証拠だ。故にこの現象自体は〝常識〟として処理できる。

 そもそも問題の論点自体が違う。


 優莉が疑問視しているのは、彼の異常な、どうして彼が

 その一点のみだ。


 故に長年培ってきた優莉の〝常識〟はこの現象を〝奇跡〟と謳っている。が、堅牢な思考に固執していてはこの非常時を打開する妙案など浮かばない。

 優莉はこれまでの〝常識〟を捨て、より柔軟に事実を整理することで、ある仮設を立てる。


「……信じられませんが、悪霊に干渉できたこととこの生命力。彼には才覚があるのかもしれません――」


 そんな仮説は、優莉に一筋の光明を齎す。

 優莉の持つこの方法を駆使すれば、彼を救える可能性が生まれる。出口のなかった迷宮に微かに生じた希望の光。優莉はこれに縋ろうとして、躊躇ってしまう。


 仮に命を繋げたとしてもこの方法は彼を茨の道へ誘う呪いだ。

 施したら最後、死ぬまで安寧とした世界へは戻れず、地獄を彷徨う片道切符。果たして優莉の一存だけで彼を地獄へ招待してしまっていいのか。


「……ッ!」


 歯嚙みし、迷っている間にも刻一刻と彼の容態は悪化していく。

 往生してたら間に合わなくなる。

 苦渋の決断を迫られる一方で、優莉はかつてのトラウマを思い出す。


 幾度となく繰り返された凄惨な光景。

 優莉のためにと賭して、亡くなっていく多くの命。

 何度守ろうとしても必ず奪われ、後悔してきた。

 まさに東雲優莉に掛けられた呪いである。


 優莉が彼に与えられるのは、生きる可能性と確約された死なのだ。

 だからこそ優莉は決断を躊躇う。

 例えこの場で彼の命を救えたとして、その将来に〝死〟という運命が定められているのならいっそここで弔ってしまった方が幸せではないか。


「ごめんなさい……」


 散々悩み、考えた優莉の口からポツリ、と謝罪の言葉が零れる。


「許してください。他人の未来を奪えない私の弱さを――」


 優莉は救える命を見捨てられなかった。

 例え地獄を彷徨おうとも〝生きる〟という権利を他人から取り上げるなんてできない。

 東雲優莉は己のエゴで、吾妻連斗を蘇生させる選択を選ぶ。


「そして、誓ってください。私を生涯にわたり守る……と」


 優莉は婚姻のような台詞を言うが、恥じらいもなしに自身の唇を彼の唇へと押しつけ舌を使って強引に閉ざされた門を開ける。

 意識があるかも不明な相手に口づけをしたかと思えば、優莉は口内に溜めていたあるものを彼の喉へと流し込む。


 その瞬間、ドクンと彼の心臓が一際大きく跳ねる。

 しかし、それは決して命の脈動ではなかった。

 一見人工呼吸とも取れる優莉の行為。その実態は二人の間にある契りを結ぶための儀式のようなもので、心臓を蘇生させる効力はない。

 連斗の心臓が鼓動を強めたのはあくまで儀式による副産物で、目的は別にある。


 心音が拡大していくにつれ、連斗の全身が淡い光を放つ。

 推測は正しかった。

 人間としては異常な反応に優莉は確信を抱く。これこそが彼女の目的であり、連斗を救う唯一の方法だ。


 激しさを増す光と加速する心臓の鼓動。その正体は、連斗に眠る素質に他ならない。優莉が施した儀式はその秘められた才覚を強制的に覚醒させ、増幅させるもの。連斗は自身の力に目醒めたことで生命力が極限まで活性化され、結果として息吹を吹き返したのだ。


 連斗の身体から光が消え、落ち着いたのを確認すると優莉も唇を離す。

 無事に儀式は完了し、彼の容態が次第に安定していく。

 傷は塞がっておらず病院への搬送は急務なものの、それでも死の危機は脱した。


「……本当に、申し訳ありません」


 だが、優莉が施したのはあくまで呪い。

 再び宿ったのは純粋な命ではなく、使命と運命に翻弄される仮初めの命だった。

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