真実

 どれだけ長く眠っていたのだろうか。

 そう自覚するくらいには深く眠っていた感覚があった。


 意識が少しずつ鮮明になる。

 暗闇だった世界に人工的な光が差し込むと連斗は重たい瞼を懸命に開け、真っ白い天井を視た。


「……んっ、あれ、俺……」


 寝過ぎていたせいか記憶が酷く曖昧だった。

 ベッドに寝かされていることは察しがつくも自分がどうしてここにいるのかが不明である。


 そもそもここはどこだ?


 自室とは異なる景色に動揺しつつ、ぐるりと視線を回す。

 最初に見えたのは、首元まで全身を覆う真っ白な布団だった。次いでベッドから壁までとことん白を基調とした部屋が映る。枕側の頭上にはナースコールが設置され、すぐ隣には冷蔵庫とテレビが付いた床頭台しょうとうだいがあった。

 よくよく見れば、片腕はシーツから露出し点滴が刺さっており、ここが病院で自分は入院しているのだと判別できる。


 では、どうして入院しているのか?


 連斗の疑問はそこへ至った。

 手掛かりとなるはずの記憶がおぼろげなため過去と現在が結ばれず違和感だけが残る。

 入院しているということは、それなりに重大な事件や事故に巻き込まれてことを示唆しているわけだが……。


「駄目だ、ハッキリしない」


 いくら考えても記憶を覆うもやが晴れず、憤りを感じ始めた。

 連斗は、そんな不安を誤魔化すべく点滴が刺さっているのとは逆の腕を布団から取り出し、ガシガシと髪の毛を乱暴に搔きむしる。


「……いっ!?」


 ピキッ、と腕を頭に伸ばした途端に連斗の脇腹に痛みが走る。

 一瞬だが、鋭い切り傷のような感触だった。

 いきなりのことに涙目になりながら連斗は、痛みの正体を探るため左手でゆっくりと毛布を捲る。

 まず目に入ったのは、薄手のライトグリーン色の病衣で、そのボタンの隙間からチラッと白の包帯が覗く。包帯は腹部から中心に巻かれており、何度か新しいのに交換されているのか不潔さはなかった。


「怪我、したのか……なんで?」


 入院しているのだから当たり前といえば当たり前である。一旦は自分の身に起きたであろうことを認識した連斗。

 問題は、その怪我の原因なのかだが。

 悩んだところで、またしても堂々巡りとなる。そう僅かに危惧する連斗の脳にビビッと電流のような衝撃が流れた。


 何かが繋がる……。

 抜け落ちていたピースが突如としてハマり、溝を埋める。


 怪物に襲われ、優莉に助けられ、グレアに挑んで。

 そんな夢物語のような波乱万丈な光景が次々と蘇ってくる。


「そうだ……俺!?」


 荒唐無稽で夢現な体験も身体に沁みついた恐怖が現実だと教えてくれた。

 あの事件も怪物も。怪物と戦う超人がいることも。

 連斗は一切疑わず、自身の記憶を信じるとその最後に記された出来事を思い出す。

 それは意識を失う直前。優莉を助けようと怪物に挑み、力尽きたタイミングを突かれグレアに撃たれ、倒れた……。

 現実と矛盾が生じた。


「なんで俺、生きてるんだ?」


 至極当然の疑問である。

 グレアの弾丸は直撃していた。包帯が巻かれていることからしてまず間違いない。ならばどうして連斗は無事なのか。

 あれだけの威力で撃たれれば肉体は貫通し、出血だって大量にしていただろう。仮に急所を免れたとしても放っておけば確実に死ぬ。そのような状況下で自分が生き残れた理由が検討つかなかった。


「まさか、ここは病院じゃなく天国!?」


 困惑する思考が勢い余って予測不能な回答を叩き出す。


「おっ、ちょうど目が覚めている。ナイスタイミング、僕!」


 冗談めかした連斗の独り言に、若い男性の声が返事をした。

 先程まで病室に自分以外の気配はなかったはず。驚きと恥ずかしさ半分でバッと首を横に捻ると連斗がいる病室の入り口に見知らぬ男が立っていた。


 長身で赤髪黒メッシュに色鮮やかな花柄のバンダナを巻き、その上にゴーグルまで装着と頭部にこれでもかと個性を集約させている。それだけ奇抜な格好の割に顔立ちは紳士的で、服装はコートにシャツと落ち着いており非情にアンバランスというのが第一印象だった。


「やぁやぁ、ハロハロ〜」


「え、えっと……どちら様?」


 初対面でいきなり馴れ馴れしく挨拶する男性に、連斗は警戒心高めに尋ねる。


「んあ、僕?」


 謎の男は軽い調子で答えるなりコツコツと靴底を鳴らし病室へと入ってきて、連斗の寝るベッドの横まで来る。


「僕は案内人さ!」


 キラン、と効果音が鳴りそうなニッと歯を見せた快活な笑顔だった。


「案内人、ですか?」


「そう。死者を黄泉へと送り届ける、ね」


「へっ、いや、マジですか!?」


 不穏な自己紹介をされ、慌てふためく連斗。本気で自分は死んでいるのでは、と焦る。

 記憶の最後では、グレアに撃たれたのだから結果的には納得がいく。が、死後の案内人があからさまにチャラ男というのは絵面的に嬉しくない。どうせ死んだのならもっと可愛い女の子に案内してもらいたかったと邪な念を抱きつつ男を正眼で捉える。


「っていうのは半分冗談なんだけどね」


「なっ!?」


 あっさりと嘘だと白状され、連斗はがっくしと肩を落とす。とりあえず生きた心地は取り戻した。よくよく考えてみたら死後が病院スタートってこと自体がおかしい。


 奇抜な容姿通り初対面から堂々ふざける軽薄さに、こういうノリの人物なのかぁと密かに連斗は大味な感想を抱く。


「あっ、でも。君の案内人ってのは本当さ。流石に黄泉送りにはしないけど、君に真実を伝えるよう上層から指示を受けて僕はここへ来た」


「はぁ?」


「いまいちピンときてないってリアクションだね」


 掴みづらい話の内容に連斗は目を丸くしていると男はすかさず心中を察する。


「まっ、見知らぬ男にいきなり言われても当然か。なら、先に名乗らせてもうらね」


 連斗がコメントせずとも勝手に男は納得し、自己紹介を始める。


「僕は、天牡仁てんぼうじん。君のよく知る東雲優莉の同業者と言ったところかな」


「同業者……ですか?」


 仁と名乗る男は、優莉の知り合いだという。クラスメイトの名前を出されれば連斗もそれなりに警戒が緩む。加えて優莉は怪物から命を救ってくれた恩人だ。戦う術や知識も有していた彼女の仲間となれば、仁が持つ〝真実〟が何を指しているのかも大体予測がつく。


「どうだろう? その辺りも踏まえて取り合ってもらいたいんだけど、ちょっと時間を貰ってもいいかな?」


「はい、分かりました」


「サンキュー、吾妻連斗くん。あっ、その姿勢で話し続けるのもしんどいよね、ベッド上げよっか?」


「えっと、はい。お願いします」


 慣れた様子でベッドの脇にあるギャッチアップ用のリモコンを仁が操作してくれる。

 流れのまま受け入れ、頷く連斗だったが、ふとベッドが挙上している最中に彼の言葉にあった違和感に気付く。


「……あれ? 俺名乗りましたっけ?」


「いや。でも、申し訳ないけど仕事柄、僕の方で君のことは色々調べさせてもらったよ」


 背もたれになるくらいのちょうど楽な位置までベッドをリクライニングしてくれた仁は、おもむろにメモ帳を取り出し、ペラペラと調べた個人情報を纏め上げる。


「吾妻連斗。年齢は16歳の麻央学園高校在籍の高校生二年生。身長171cmの体重56キロ、誕生日は10月15日。現在は仕事で叔母が不在なため事実上の一人暮らし状態で家事全般は比較的得意。クラスでは常に目立たないポジションで、スクールカーストも中堅。良くも悪くもヘタレだね」


「うへぇ、マジですか……」


 ドン引きだった。

 名前や年齢程度ならまだしも身長、体重の細かな値や家庭状況までとなるともはやストーカーの域である。

 臆面もなくつらつらと曝露する仁の神経に連斗は心底不愉快そうに顔を歪めた。


「え~そこまで露骨に怪訝そうな顔しないでよ。傷ついちゃうぞ僕」


 などと唇を尖らせる仁だが、本気で不快感を覚えたため連斗は歪めた表情を戻さず心的距離を置く。

 仕事で仕方なく調べるのならまだしもそれを本人に面白おかしく開示するのはどうかと思う。内容は寸分の狂いなく正確なため、かなりの腕前と情報網があるのは窺える。ある意味で彼の実力や優莉に通ずる特別性を主張するには絶好なのかもしれないが、人間性という別の観点から懐疑的になってしまう。


「ごめんて。ちゃんとここまで調べるに至った訳は説明するからさぁ」


 連斗が焦点を段々外していくと、信頼を損なうのはまずいと感じたのか仁が必死に弁明を図る。


「……分かりました」


 謝ってはもらえたため、一旦は矛を納める連斗。

 そんな態度に仁はリアルに胸を撫で下ろすと、一拍置いて剽軽ひょうけいな面構えを改め確信的な表情へ変える。


「さて、いっぺんに色々説明しても混乱するだけだろうからまずは一番君が気になっているであろう事件の発端と真相について話すとしよう」


 温度差激しく真面目な口調となり仁は居住まいを正す。

 その青い瞳がキュッと鋭くなると不思議と連斗は恐怖を感じた。


「あっ、そもそもあの日のこと。一週間前に襲われたことはきちんと憶えているよね?」


「い、一週間前ッ!?」


 気軽に事前情報として確認されたにも関わらず連斗は目を見開いて驚愕してしまう。

 仁の尋ねる〝あの日〟とは学校が怪物に襲われた事件だろう。それは話の流れから理解しているからいいのだが、問題はあの事件が既に一週間前の出来事と他人が認識している点だ。


 連斗は慌てて床頭台のテレビ横に置かれた自身のスマホを回収し時刻を確かめようとして動きが止まる。画面が真っ暗なままで稼動せず、どうやらバッテリー切れのようだ。

 しっかりと充電しているはずなのに、と怪訝に思いつつ仕方なく病室にあるアナログ時計に視線を移す。

 現時刻は正午前。日付は、連斗の記憶の最後にあるものよりも七日は経過していた。


「……嘘、だろ」


 どうやら本当に、あれから一週間が経っているらしい。

 長く眠っていた自覚はあった。意識を失っている間に学校から病院に移動しており、治療を施された観点からも時間に空白があったのは確かで、想像もしていた。

 それでもいざ事態に直面し、これだけの時間が過ぎていたと知らされるとやや堪える。

 こんなことが現実で起こり得るのかと、信じ難いと評した方がいい。


「君もかなりの重態だったし、一週間と昏睡してても不思議はないよ」


「それ、フォローどころかむしろ脅してません?」


「そうかな? まっ、命は助かったんだし、過ぎたことは気にせず結果オーライってことで。それよりも事件の真相だ」


 唖然とする連斗は余所に、仁は脱線しかけていた本筋を戻す。

 仁の意見にも一理あり、過ぎてしまった時間に悩んだとしてもどの道答えは〝流す〟か〝受け止める〟かの二択だ。迷っているだけ無駄だと悟った連斗は、気持ちを切り替え仁の語る真実へと耳を傾ける。


「色々と聞きたいことはあるだろうけど君を襲った怪物の正体。まずはそこから説明しようか」


 怪物とは謂わば事件の根幹だ。

 どこからともなく現れ、平穏だった学園を蹂躙じゅうりんした張本人。現実時間では一週間でも連斗にとっては昨日のことのように真新しい。惨憺さんたんたる光景がフラッシュバックし額に汗を滲ませながらも連斗は仁の話を待つ。


「あれはこの世で死んだ魂の慣れの果て。つまりは幽霊、悪霊だ」


「悪霊、ですか……」


 異界の化け物のようなスケールを頭の片隅では想像していた連斗は、非科学的ながらも世間に浸透しているワードに安心感と同時に肩透かしを喰らう。


「そう。人を襲う悪い霊。優莉ちゃんたちがそんな悪い幽霊と戦っているっていう構図は何となく君の中でも憶測立ってるんじゃないかな?」


「それは、はい……東雲さんには命を救われましたし、銃とか刀とか使って実際に怪物と戦っているところは見てましたので」


 仁の台詞は正しく、あの戦線を眺めている中でぼんやりとではあるが優莉の立場や悪霊との関係性はイメージを膨らませていた。

 この世界には怪物がいて、優莉はそれらと戦う戦士のような存在なのだと。連斗はそう解釈している。


「要はそういうこと。ざっくばらんに言うならこの世界には人を襲う悪い幽霊がいて、僕らはそれを退治する人たちってこと」


 連斗のイメージを打ち合わせもなしにそのままそっくり仁は言葉に起こす。偶然なのだろうが、それ程連斗の解釈に相違ない証拠でもある。


「つまり、あなたたちは正義の味方ってことでいいんですか?」


「う~ん、そこに関しては微妙なとこかな。一概に僕たちが正義で悪霊が悪役って理はないし」


 悪者を倒すという鉄板の図式が導く結論を連斗は訊くも仁は顎に手を当て、少し迷いながら曖昧な回答を返す。


「それに僕らの存在は政府に認可されていないってのが大きいかな。悪霊による被害を秘匿にするために非合法な情報操作なんかもやってるくらいだし」


 計ったかのようなタイミングで仁はとある文面が印刷されたコピー用紙を差し出してくる。

 受け取り、連斗は目を通す。ネットに挙がったニュース記事らしく、見出しにはでかでかと麻央学園高校の名前が掲載されていた。


「これって、この前の事件の……」


 それは、連斗が体験した悪霊の襲撃事件について取り挙げられた記事だが、内容を見て驚かされる。

 ライターが記載した文章には、怪物の件は一切触れられておらず、それどころか校内に侵入した殺人鬼が十数名の生徒を殺害したという事実改編が成されていた。


「どういうことですか!? 全然事実と違うことが書かれてるじゃないですか!」


「そりゃあ僕らの手によって情報や人々の記憶を改ざんしているからね。化け物が人を喰い殺しましたなんて世間に公表されたら世の中大混乱じゃん。だからこうして起こり得る可能性の話として処理してるってこと」


「正直、規模がでかすぎてなんて反応したいいか……」


 視線を逸らし、頭を抱える連斗。思考がきちんと整理できず固まってしまう。この状況をどう受け止めるべきか悩み、納得できる落とし所を探していると不意にある疑問が舞い込む。


「っていうか、どうして俺に悪霊のこととか教えてくれたんですか? 世間一般には秘匿事項なんじゃ……」


 確かにおかしかった。

 連斗はあくまで悪霊絡みの事件に巻き込まれただけの被害者に過ぎない。世の中の情勢に悪霊を秘匿としているのならばわざわざ真相を開示せずともいくらでも誤魔化しようはあったはずだ。


 ニュース記事を丸ごと改ざんできるだけの影響力がありながら高校生一人の口封じを躊躇うとは考えにくい。

 そうなれば必然的に、あえて連斗に真実を提供したということになる。


「あぁ、そのこと? 別に君は知ってても問題ないよ。だって、君は優莉ちゃんを守る死霊術師ネクロマンサーに選ばれたんだから」


 今更とばかりの平然なノリで、仁が爆弾発言をかます。

 いきなりのカミングアウトにどう対応すべきか分からず、連斗は目を丸くしてしまう。


「君はもう僕たちとは無関係な人間じゃないってことさ」


 念を押すように仁は語る。

 やはり、どう答えるべきか。連斗は仁の発言を処理するのに数分と時間を要した。

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