希望

「し、東雲さん?」


 負傷した右肩を押さえながら連斗は茫然と彼女の名前を呼ぶ。

 状況が整理できなかった。さっきまで怪物に捕食される寸前だったというのに、瞬き一つの間に優莉が現れ連斗は難を逃れている。


 もしかしたら怪物に襲われたこと自体が夢じゃないかと錯覚する連斗。しかし、ボロボロに破けた制服の隙間から狼の歯形が覗き、血を滴らせながらズキズキと痛みを訴える肩が現実だと証明する。


 気のせいでなければ、優莉は怪物の群れから連斗を守るように対峙していた。


「傷口、決して浅くはないのでしっかりと押さえていてください。すみませんが応急処置は後で施します」


「あ……はい」


 異形の怪物を前に微塵も怯まず、悠然たる背中を晒す優莉。その荘厳たる佇まいに連斗は見惚れるまま頷いてしまう。


「そ、そいつらヤバいです! 人を、人を喰らう化け物です!!」


 思わずボーッとしていた連斗だが、すぐさま怪物に襲われ悲惨な末路を辿った女子生徒の顔を頭に浮かべ、優莉に危険性を知らせる。

 端的ではあるものの単純明快に怪物の異常性を伝えるも優莉は毅然とした態度を崩すことはなかった。

 それどころかむしろ首肯される。


「えぇ、知っています。ですからここで野放しにするわけにはいきません」


 話が繋がらない。優莉の口振りはまるで、怪物と戦う前座のようで――


(いや、じょ、冗談だろ! あんな怪物、どう考えたって人間が挑んで勝てる相手じゃないだろ!!)


 止めばければ、さっきの女子生徒の二の舞となる!

 優莉の行動を無謀と評し、連斗は逃げることを提案しようとしてある違和感に気が付いた。


 連斗を喰らっていた怪物の行方は何処か?

 思えばそもそもが疑問だった。右肩の痛みが現実なら連斗が無事な訳。怪物が自らの意思で離れたとは到底考えられず、その答えを探ろうと周囲に視線を泳がせると足元のすぐ近くに怪物の巨体が転がっているのを発見する。


 銀色の接線が閃いた首元を基点に頭と胴体が分断された獣の死骸。だらんと開口した口元には血が付着していることから連斗に噛みついた個体だと判別できる。

 あの数瞬の間に、怪物は何者かによって葬られていた。連斗を除き、何者かに該当する人物はいまこの場に一人しかいない……。


「安心してください。あなたのことは私が命に代えても守ります」


 合計九体の怪物を相手に覚悟を宣言した優莉は、いつからか右手に握られていた直刀を正眼に構える。

 直刀といってもサイズは太刀のように長くはなく、懐に忍ばせておける脇差くらいの大きさだ。おそらく真剣であろう刀身は、アルミ素材では再現できない銀色の光沢を放っている。


(あれ、本物か!?)


 女子高校生が携帯しているには物騒な武器の登場に連斗は疑いの眼差しを向ける。が、それよりも遥かに驚愕のシーンを目撃する。


 淡い光が見えた。透明ながら若干薄灰色をした明確に形容し難い色味のそれは、優莉の全身から迸りオーラのように揺らめている。

 優莉から湧き出す淡いオーラが右手に握った刀に伝播し纏わりつく。やがて切っ先まで伸びて、刀全体を覆い尽くす。


(幻覚……か? 東雲さんの身体にぼんやりと光が見えて)


 現実感の薄い光景に連斗が目をごしごしと擦り、再度優莉を見つめ直す。やはり彼女の身体から漂う気配は消えておらず、ハッキリと映っている。

 連斗が優莉の放つ異彩な雰囲気の正体について考えだしたその時。武器を構え、怪物と対峙していた優莉が動いた。


 グッと右足を廊下に押しつけ、腰をやや前方へ落とすとそのまま駆け出す。瞬発的に脚の筋肉へと力を込め、スタートダッシュを決めるとその速度は人間では到達できない域にまで達する。


(なんだよあの速さ! 全然見えなかった!!)


 連斗が唖然としている時には既に優莉は怪物に肉薄していた。


 怪物にとて彼女のこの速度には反応もできず、横並びに固まっていた手前の三頭が一瞬にして胴体を切り裂かれ敗北する。

 まさしく電光石火の一撃。圧倒的速さと正確無比な斬撃は怪物にとって最大の脅威となる。


「グルアァァッ!?」


 同胞を瞬殺された怪物が激情に吠え、牙や爪を武器に優莉へ襲い掛かる。

 初撃の奇襲を逃れた五体の獣がそれぞれ別々の方向から繰り出す攻撃。傍から見れば逃げ場のない完璧な同時攻撃だが、それが命中する寸前で優莉の刀が銀色の弧を描く。綺麗な半円を成す太刀筋は、たった一振りで怪物たちの牙や爪もろとも肉体を両断してしまう。


「す、すげぇ……!!」


 流麗ながら圧巻の技に連斗が感動していると、斬撃を浴びたはずの怪物の内一頭がむくりと起き上がった。どうやら傷口が浅く仕留めそこなったらしい。

 生き残った狼が単騎で突進する。たかが体当たりでも巨体というアドバンテージを活かせば人間など軽々吹き飛ばせてしまう。一度喰らったその威力が骨身に染みている連斗は怪物の最後の抵抗にブルッと怖気立つ。


「……無駄です」


 怪物の巨体が迫る中、優莉は短く息を吐きながら冷徹に言い放ち、懐に手を忍ばせる。


 ――バンッ!!


 それから僅かに遅れて、空気を震撼させる重厚な破裂音が校舎の壁を伝い木霊する。

 銃声だ。平凡な生活とは無縁で、聞き馴染みがなくても正確に音の正体を認識できる。

 左手を直線に伸ばした優莉の掌には、黒い艶がかった一丁の拳銃が握られていた。外国の軍用拳銃とよく似たデザインで、銃身が平で長い。アニメの殺し屋キャラなどが愛用してそうなタイプの銃だが、グリップから銃身に掛かる位置には金糸で花の刺繍が施されている。


 どうやら優莉の武器は刀だけではなかったようだ。


 銃にも当然、優莉のオーラが乗り移っている。火薬の躍進を受け発射された弾丸は狼のこめかみへと炸裂。続けてドサッと巨体が地に伏す音が静寂に流れる。時間に換算してしまえばほんの数分の戦闘が明けた頃、優莉の周りには十頭の怪物が死体となって倒れていた。


 まさかの完勝という急転直下の展開に連斗は色々と気持ちの整理ができず困惑していたが、これだけは分かる。優莉によって危機を助けられた、と。


「……あ、あぁ。えっと」


 お礼を述べなければと頭で思ってもスッと言葉が出てこない連斗に慣れた手つきで刀と銃を制服にしまいながら優莉が振り向く。その表情は、普段学校で見かけるものより数段綻んでおり、安らぎを窺えた。


 優雅で美徳。たかが微笑み一つに凛と咲き誇る名花のような上品さを彼女に重ねてしまう。

 普段の態度とは正反対の強烈なギャップに、連斗は地獄に塗り染められた現実も忘れて感情を高揚とさせる。


「驚かせてしまって申し訳ありません。混乱する気持ちは重々承知していますが、私はあなたに敵意はないということは信じてください」


 バクバクと恐怖とは別の意味で心臓を高鳴らせる連斗の緊張を混乱と捉えた優莉が落ち着き払った丁寧な口調で宥める。


「えっ、あぁ! それは、助けてもらったことだし当然……」


 一難が去ったとはいえ、この非常事態に気が緩み過ぎだと自重し、連斗は顔を引き締める。


「それよりも東雲さんは一体何者なんですか? 戦い慣れていた様子でしたし、あの怪物について何か知ってるんじゃないですか!?」


 見惚れていたことはさておき連斗は焦燥としながら優莉に説明を求める。

 怪物を相手に臆せず、立ち向かう気概。刀や銃を巧みに扱う技術と常人離れした運動神経と速度からも彼女が普通の人間ではなく、この異常事態に関して何かしらの情報を握っているのは容易に推察できる。


「……それに関しては残念ながら詳細はお伝えできませんし、あなたたちが知る必要もないことです」


 柔和な微笑みを崩し、優莉はいつものクールな表情へ戻すと真剣なトーンで連斗の申し出をきっぱり断る。


「必要がないって、あの怪物に襲われて生徒が死んでるのにか!?」


 学校の生徒に犠牲者が出ている以上、既に無関係ではないのに、冷徹にも突き放す優莉の軽薄ぶりに連斗は思わず語気を強める。

〝生徒が死んだ〟。そんな連斗の言葉に優莉の情緒が僅かに揺らぐ。フッと瞳を翳らせ、上唇を噛むが、すぐに平静を装う。


「申し訳ありませんがお答えできません」


 譲る気はないらしい。強情な一点張りを貫く優莉に連斗も言葉を呑む。


「ですが、この事態は私が必ず収め、あなたの命は守るとお約束します」


 興奮気味の連斗に、優莉が仰々しい誓いと共に近寄る。


「ですので、少しの間だけ眠っていてください」


 ピトッ、と。不意に連斗の額に人差し指を優莉が当てられる。


 長い睫毛に色白の肌。ぷるっと瑞々しい桜色をした唇。油断すれば吸い込まれてしまいそうな宝玉のような青く輝く瞳。

 いきなり急接近され、気付いた時には吐息の掛かる距離にそれらのパーツが全て揃った優莉の端正な顔があった。


 連斗は見る見る内に頬を朱に染め、飛び出してきそうな心臓を真っ先に押さえる。

 ちょうどそのタイミングだった。男女の適性距離を無視した優莉の指先からやわらかな光が宿る。

 光は脳天から連斗が押さえている心臓の方へと落ちて――溶け込むように


「…………?」


 きょとん、と首を傾げる連斗。何かをされた自覚はあったが、身体に変化はなく意識も鮮明だ。


「なっ、ど、どういうことですか!?」


 初めて優莉が狼狽する。何かを起こした張本人であるはずが、理解不能とばかりに困惑していた。むしろ何も起こらなかったことに驚愕している様子で。


「おかしい。そんなはずは……確かに彼からは、感じないのに――」


「えっ、と東雲さん?」


「だとするなら彼は、いやそんなはずは……」


 勝手にことを進め、勝手に悩む優莉。原因は十中八九、先程の行為にあるのだろうが、その真意が不明なため連斗には彼女が訝しむ訳も推測できない。

 何をそこまで考えているのか。名前を呼んでも反応が返ってこず、とりあえず優莉の考えが纏まるまで連斗は待つ。

 ジッと見つめるのも疲れるため、適当に視線を遊ばせていると視界の端に驚くべき光景が映る。


「――ッ!?」


 優莉が仕留めた怪物。床に横たわる奴らの肉体がボロボロと崩れ、地面に吸収されるように跡形もなく消える様を目撃してしまう。

 あり得ない状況だった。腐敗ならまだしも肉体が原型も留めず消失するなど普通の生物ならまず起こらない。


 そもそも違和感があった。優莉が刀で斬りつけた際、怪物からは一切の血が噴き出していなかったことを連斗は今更ながらに思い出す。

 昇降口の床にも怪物の血液は一滴も付着しておらず、鮮烈な戦闘を終えた後にしては異様に綺麗な風景に連斗はますます奴らの正体に関する疑問を募らせる。


「……あんなのおかしいだろ」


 怪物の消滅を眺め愕然とする連斗の態度に、優莉は何か確信を得る。


「あなた、やっぱり何も知らないんですね。私たちや悪霊のことも」


「はっ、悪霊? なんのことですかそれ?」


「いえ、それならそれで構いません。それよりもまずはあなたの身の安全を――」


 一方的に謎ばかり押しつけ、自己解釈を図る優莉が淡々と事態を収拾しようとして固まる。急に目つきを険しくし、警戒しながら周囲をぐるっと一瞥するとやがて優莉は昇降口と繋がる廊下の先を睨みつけた。


「コソコソしていないでさっさと姿を見せたらどうですか? そこにいるのは分かってるんですよ!」


「えっ?」


 突然、連斗ではない誰かに鋭く言い放つ優莉。彼女の急変具合に唖然としつつ連斗も廊下の先に視線を送る。

 薄暗く、奥までハッキリと捉えにくいそこには何者の姿もなかった。

 が、それは数刻の出来事。闇からヌッと這い出るように何かが現れる。


 音も気配もなく――唐突にそれは姿を見せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る