怒り
ビリビリと凄まじいプレッシャーに空気が震える。
素人の連斗の肌ですら感じてしまう程の圧迫感と殺気だった。
発生源は無論、優莉本人。人間を冒涜したグレアの非道さに湧き上がる怒りが全身からオーラとして噴き出しているような印象だ。
「うん、いいよ。私も自分の障害を排除するために来たわけだしね!」
優莉からの圧力を受け、グレアもここで初めて臨戦態勢を取る。
一触即発だった関係がいよいよ崩れる、その寸前。嵐の前の静けさとはまさにこのことで、静寂が互いを満たし戦いの火蓋が切って落とされるタイミングを伺う。
……どちらが先に動くのか。
戦局を左右する大切な一手を優莉とグレアのどちらが仕掛けるのか、オーディエンスである連斗が
「…………」
「…………」
十数秒と睨み合う優莉とグレア。
緊張が高まり、たったそれだけの時間が異様に長く感じてしまう中、ついに賽は投げられる。
先に動いたのはグレアだった。
右手を顔と同じ高さまで持ち上げ、指を鳴らす。
だが、その動作が完了する前に優莉が彼女の目と鼻の先まで接近していた。
想定を遥かに超える速度。刀で攻撃した時よりもさらに最高速を高めた優莉の動きにグレアの表情にも動揺の色が浮かぶ。
が、それも瞬間の出来事。
連斗がグレアの驚愕を悟った時には、既に彼女の身体は大きく後方へと吹っ飛ばされていた。
綺麗に直線飛行し、スチール製の下駄箱へと叩きつけられるグレア。あまりに強烈な衝撃にスチール製の下駄箱が傾き、彼女もろとも倒れる。
一体どんな威力と速度で衝突したら下駄箱を破壊できるのだろうか。
「す、すげぇ威力……」
電光石火の攻防を目撃していた連斗は茫然と言葉を溢すことしかできなかった。
優莉が床を蹴ったのも、走って肉薄したのも、グレアから先手を奪ったのも全てが一瞬の内で完結していて脳の処理が追いつかない。
さらに驚いたのは優莉が選んだ攻撃手段である。
銃や刀といった武器ではなく、肉弾。〝蹴る〟という単純明快な動作を超速で溝尾に放ち、彼女の身体をボールのように軽々弾き飛ばしたのだ。
人間技じゃない……。
率直な感想としてはその一点に限るが、怪物と戦うための技量や高速で移動する運動能力を有しているのなら
ご都合解釈で納得する連斗だが、唯一疑問なのは優莉が殺傷性の高い武器をあえて使わずスデゴロを選んだ理由だ。
単に意表を突くことや銃弾のように弾かれるのを懸念していたためとは考えにくい。どちらかというと鬱憤を晴らすような乱雑な行為に近い。
そうやって考察していると、優莉がスカートも気にせず上げていた色白な脚をゆっくりと地面に戻し、キッ! と崩れた下駄箱に寝そべるグレアを睨みつけた。
「少しはあなたが甚振ってきた人間の気持ちが分かりましたか?」
彼女は、猟奇的な発想で生徒を苦しめたグレアに自らの罪を還元させる意味を込めてスデゴロを仕掛けたのだ。
そんな報復みたいな真似、優莉の性格からして本望とは思えない。それを捻じ曲げる程にグレアの行ってきた所業は目に余るということなのだろう。
優莉が冷たく言い放ってから少し遅れて、グレアがむくりと起き上がり不敵な笑みを浮かべてみせた。
「あはは、また油断しちゃった。武器は警戒してたんだけどまさか格闘技で攻めてくるのは予想できなかったよ」
蹴りの刺さった腹部を擦りながらペロッと艶やかなピンク色の舌をちらつかせる。
「でも、お生憎様。私、痛みは感じないんだよねぇ~」
余裕というより、パッと見た感じ外傷らしいものはなく健全体だ。
痩せ我慢ということもない。
流石は怪物。人間なら大怪我じゃ済まないあの威力と速度の一撃を受けても全くの無傷である。
例の再生能力か、それとも銃弾を弾く鋼鉄さで防御したのか。完璧に優莉の先制を凌ぎきったグレアはニヒル、と唇の端を吊り上げる。
「だけど、ちょっと不快な思いはしたからそのお返しはさせてもらうね!」
言うがすぐに、グレアが虚空を掌で押した。
何かの合図か。明らかに反撃の文言を呈していた割に優莉のように接近せず彼女は棒立ちのままアクションを起こす。
戦況を外野から常に静観していた連斗にしてみたら一見無意味で、超速で距離を詰め斬りかかる絶好の機会に捉えられる。
「――ぐっ!?」
否、それは大きな過ちであった。
連斗の視界に入っていた優莉が脈絡もなく、その身体が大きく後方に打ち飛ばされる。
彼女自身で跳躍したわけではない。何かしらの外力が加わった不自然極まりない等速運動である。
その元凶はまず間違いなくグレアの攻撃だ。
不可視な遠距離からの一撃。グレアは動かなかったのではない。動く必要がなかったのだ。
これまで目撃してきた銃、刀、格闘技とそのどれもが規格外の威力と速度が乗算されただけで、手段はあくまで常識の範囲内にあった。
が、グレアの放った一撃はどうだろうか。高速という次元を遥かに超え、視覚情報に認識されない透明な砲弾。明らかに常軌を逸している。
そんな異次元な実力を発揮した彼女は、わざとらしい過剰な態度で優莉を
「ありゃ、軽く打ったつもりなんだけど随分派手に飛んでちゃったね」
グレアは目の上に手をかざし、階段下の小部屋まで飛ばされた優莉を遠巻きに眺めながら悪戯に声を高くして挑発していた。
「し、東雲さん!?」
優莉がやられたショックのあまり硬直してしまった連斗は、グレアの言葉でハッと我に返り後ろを振り返る。
鉄製の扉が無惨にも突き破られ、格納された物品が露出した物置部屋。その最奥では予備用の机や掃除用具やらが崩れて山のように積み上がっており、優莉を下敷きにしていた。
「し、東雲さんッ⁉︎」
すぐさま立ち上がり、連斗は下敷きになった優莉を助けようと動く。が、その背中にグレアからの冷たい視線が刺さると一瞬にして考えが変わる。
背を向けたら容赦なく殺されるのではないか?
虫の知らせともいうべき予感がし、連斗が往生していると不意に隣から返事が返ってきた。
「……ご心配をおかけしてしまい申し訳ありません。少し油断してしまいました」
机や掃除用具も一つ二つではなく、それなりの数がある全て圧し掛かられれば相当な重量となる。だというのに、一体どのようにして抜け出したのか。気付いた時には、倉庫に優莉の姿はなく、連斗の隣を陣取っていた。
こちらもまた怪物に対抗していただけはある。あれくらいの危機なら余裕で対処できるということらしい。
「無事なん、ですか……よくあの状態から抜け出せましたね。っか、あれだけの衝撃によく耐えられ――」
驚いたことをそのまま早口で捲し立てる連斗。とにかく状況を整理するので精一杯だったが、優莉の頑丈さに感動しつつもホッと胸を撫で下ろそうとして、またしても固まる。
全然、優莉は無事ではなかった。
気丈とした態度を崩さずに接してきたものだから無傷なのだと勝手に錯覚していたが、よく見ると彼女の額からは血が滴り
扇情的な光景に普通なら情動が昂るところだが、美しい白色の肌を穢す巨大な打撲痕が目に留まり、連斗は声を失う。内出血が酷く、青紫色に変色し腫れあがっている様が妙にリアルで痛々しい。
「うわっ……すごい痣だね。ごめんね、ちゃんと手加減したつもりだったんだけど、予想以上に軽かったものだから。大丈夫?」
「ご心配どうも。ですが、せっかくの隠し玉を小手調べのためだけに使ってしまって良かったのですか? 次からはそう簡単に当てられませんよ?」
怪我の度合いからしても満身創痍だろうが、優莉は眉間に皺を寄せるどころか汗一つ浮かべず、涼しい顔で皮肉に皮肉を返す。
あれだけ大きな傷だ。平凡に暮らしているのならまず味わうことのない激痛が伴っているはずなのに、どれだけ強靭な精神力を持ってしたら弱音の一つも吐かずに立ち上がれるのだろうか。連斗は心配と同時に素直に尊敬した。
「あはは、わざわざご忠告どうも。じゃあ、早速試してみる?」
敵対心を消さない優莉に対し、グレアは笑顔を維持したまま提案してくる。
そのまま掌の照準を優莉へと定め――撃つ。
先程の動作の再現。
(――来るッ!?)
一度体験しているためこの動作が攻撃への布石であることは理解できる。
が、いかに目を凝らそうとグレアの取る手法が視覚的に認識できない。
無色透明であり無音。にも関わらず人間を意図も容易く吹き飛ばす威力を有する殺意的な一撃。そんなこの上なく理不尽で厄介な攻撃を対処する術などあるのか……。
グレアが掌をかざしてから数秒遅れて。優莉の胸元に目視不可な衝撃波が炸裂した。
回避は、間に合わず。
(殺られたッ!!)
そう諦観する連斗だったが、優莉は不可視な砲弾が直撃する寸前で刀を斜めに振り下ろし衝撃を叩き斬る。
いい方向に期待を裏切られことに安堵しつつも彼女の異常なまでの戦闘センスを実感する連斗。視覚が頼りにならないあの攻撃を防ぐには、反射速度と直感に委ねる他ない。防御で凌ぐならまだしも斬り伏せるなんて芸当なら尚の事。敵の技の原理を見抜き、分析する洞察力や冷静さといったより精密なスキルが必須となる。
それをたった一回喰らっただけでタイミングを把握し、怒りや痛みに流されることなく平然と見極め、優莉は宣告通りグレアの一発を完封してしまったのだ。
恐ろしいまでの忍耐力と闘争心。あれだけの怪我を負わされ、超常的で理不尽な技に晒されようと心が微塵も折れていない。そんな鋼のメンタルがなければこの結果は実現されなかっただろう。
「あ~あ、防がれちゃったか。やっぱりこの程度の小細工は通用しないかぁ」
自慢の一撃が完璧に防がれたというのにグレアは動揺どころかわざとらしく肩を落とし落胆する演技を見せる。
不気味な余裕だった。
「タネが割れた手品はただのお遊戯でしかありません。あなたの攻撃は私のいる空間に直接作用するタイプではない。あなた自身が弾を生成し、それを撃っている。言うなれば透明な弾丸といったところでしょう」
そんなグレアの鼻っ面を圧し折るつもりなのか優莉は淡々と解明した攻略法を曝露していく。
「いくら目に映らないとはいえ、弾丸のように放たれ迫るものであれば発射から衝突までに必ずタイムラグが生じます。手から放っているのであれば、攻撃へ移る明確な動作を挟む必要もあり、それ故に掌の角度から方向と射線は容易に推測できます。あとはタイミングを計って斬りつけるないし防御をしてしまえば完全に無力化できる」
(いや、その理屈が分かったところで普通の人は防げないから!?)
優莉の常人離れした対応策に連斗は内心ツッコミを入れる。
無論、万人には受けずとも怪物と対峙している優莉さえ攻略の糸口を掴めれば戦況は有利に進むのだから不利益はない。
一方で優莉の種明かしを聞かされていたグレアはというと、やはり余裕綽々と胸を張って堂々応じてくる。
「ご丁寧に長々とした説明をありがとう。それなら、こういうのはどう?」
そう言って、グレアがパチンッと指を鳴らす。
一度目は優莉の先制によって遮られた行為だが今度は成功する。
おそらくはグレアが初撃に試そうとしていたことだ。
何が起こるのかと戦線にいないはずの連斗も思わず身構える。
瞬間、彼女の周辺にある床に無数の真っ黒な沼が出現する。沼は、ゴポゴポと気味の悪い気泡を立てながらまるで生きているように噴き上がると、やがてその奥からヌッと黒い影が這い出てきた。
「どう? 私の可愛い守護獣たち。中々にイケてるでしょ?」
両手を広げ華やかにグレアが紹介したのは、校舎を地獄に染めた張本人。漆黒の毛並みに赤黒い眼光が特徴的な狼型の怪物が数十体と沼から現れた。
RPGでいうところの召喚魔法陣。あの沼の役割とはつもりそういうことだ。
巨大狼に加え、怪鳥サイズのカラスも同時に召喚され、低い天井を悠々と徘徊してはガラスや蛍光灯を次々に破壊している。奴らに壊す意思はないのだろうが、体格が体格なだけに狭い校舎を飛び回っているだけでそこらかしこに翼や爪が激突し災害級の被害を齎す。
蛍光灯が割られたことで校舎内から明かりが奪われ、より外の暗さが強調される。変哲もなかった学校の廊下にまで暗黒の景色が及び怪物たちのホームグラウンドとして生まれ変わる。
そんなグレアの独壇場へと招待されてしまった優莉は、獣たちから一斉に敵視される。
怪物の数が段違いに多い。狼だけでも数十体。天井にはカラスが三羽と物量だけで簡単に押し切られてしまう。
いかに怪物を凌駕する優莉の実力があろうと、これだけの数を捌くのは不可能だ。加えて優莉は手負い、戦況は圧倒的不利とみていい。
(無理だ……こんな数、どうすれば……)
絶望が連斗の感情を満たす。
戦っているのは自分ではないというのに心が折れてしまい、優莉の勝利を諦めてしまう。だというのに、その当事者の瞳は一片の闘志も失ってはいなかった。
深手を負い。敵の数は増大。絶望に絶望を積み重ねられた状況であったとしても希望という可能性を捨てず邁進し続ける。
優莉の表情にはそんな揺るぎない覚悟と矜持が宿っていた。
ドクンッ、と心臓が跳ねる。
その眼が、顔が、風情が、連斗を興奮させる。
「安心してください。あなたは私が命に代えても守り抜いてみせます」
絶望に暮れる連斗の心情を察して、優莉が武器を構え一歩前へ踏み出す。
彼女をそこまで強く駆り立てる要因はなにか。
どうして他人のために戦えるのか。
連斗の思考にはそんな疑問だけが逡巡としていた。
優莉の姿が、友人と重なる。
特別な人間は大概そうだ。
常に一歩を踏み出す勇気を持っている。
東雲優莉と三国透也にはそれがあって、吾妻連斗にはそれがない。
だから連斗は普通なのだ。
しかし。逆を言えば〝特別〟と〝普通〟にはそれだけの差しかないのだ。
理屈は分かった――あとは……。
着実に何かを纏めつつある連斗は、ゴクッと生唾を呑み込む。
この緊張感は、これから始まる戦いとは全く別のものだった。
人知れず決意を宿す一般人を余所に超人と怪物は激突する。
「――ッ!?」
優莉が掲げた覚悟を鋭い剣幕に変換し、戦闘モードに突入。左手で銃を構えて発砲する。
銃口から射出された弾丸は、一番近い位置にいた狼の頭部を勢いよく吹っ飛ばす。警戒し未だ牽制状態の獣にとっては不意打ちだっただろう。
乱戦の開幕を自らの銃の音で合図した優莉は、即座にいましがた頭部を失った狼まで接近し右手の刀で胴体を一太刀で真っ二つに裂いた。
ボロボロと崩れ、消滅する獣の肉体。そこでようやく残された数十の獣たちが敵である優莉の殺気に気付き、一斉に襲い掛かる。
すぐさま優莉は身を屈め、飛びついてくる最初の個体をやり過ごすとすれ違い様に刀を一閃しこれを迎撃。続く二体目、三体目にはそれぞれ銃と刀で対処する。
覇気迫る快進撃で優莉はこの数秒で四体の獣を葬っていた。
だが、ここで彼女は終わらない。
獣たちが集団戦法を活かすべく包囲体勢を敷いてくるもそれより早く、優莉は一息で跳躍し倒れていない下駄箱の頂部に乗る。
アクロバティックかつバッタ並みのジャンプ力を披露した優莉は、下駄箱を踏み台にして天井付近まで跳ぶと飛行しているカラスの翼を切断した。
「クエエェェェッ!?」
片翼を斬られたカラスが堪らず悲鳴を上げ、空中でバランスを崩す。優莉も一緒に落下してくるが、身を翻しながら連続で銃弾を撃ち出していく。
バンッ、バンッ、バンッ。
校舎に三発の銃声が木霊する。
内一発は外れてしまうも一発は二羽目のカラスの胴体を、一発は三羽目のカラスの目玉に命中した。
百発百中とまではいかないが、不安定な空中で自由に旋回する的をピンポイントで狙い撃つなど卓越した射撃センスがなければ到底成し得ない。
それをこうもあっさりとやり遂げてしまう優莉はやっぱり凄い。
着地まで華麗に決めた優莉に感激しているのは、なにも連斗だけではなかった。
「やるぅ! 一瞬で狼ちゃんを葬ったかと思えば、カラスちゃんたちも再起不能にしちゃうとか、惚れ惚れしちゃう!!」
召喚した獣に戦闘を任せ見物していたグレアが身悶えする。
そんな風に恍惚と酔いしれている間にも優莉は意識を戦いから逸らさず、地に堕ちたカラス共を順々にトドメを刺す。
これで空から奇襲される心配はなくなった。心置きなく地上の敵へと専念できる優莉は、狼の群れへと単身で突っ込む。
「グルアァァァッ!」
狼も統率し優莉を正面から迎え撃つ。
突進、噛みつき、ひっかき。狼も持てる武器を余すことなく駆使して敵を排除しようとするも優莉は銃と刀を巧みに扱い、全方位からの攻撃を完璧にいなす。
包囲され、数が数だけに捌くので手一杯となり反撃に至らないケースもあったが、それでも隙を見て斬撃を加えて着々と狼を討伐していく。
「ふふっ……」
そんな怪物相手に無双を決める優莉をグレアはまじまじと観察していた。
そして、二人を結ぶ直線上に狼の漆黒の巨体が割り込み死角となる機を見計らい――おもむろに右手をかざす。
「東雲さん!? 奴が、狙ってます!!」
グレアが怪物と連携していることを察知した連斗は、大声で警告する。
優莉とてグレアが虚を突くことくらい想定しており、怪物との戦いの最中も彼女の動向を常に視界に収めるよう立ち回っていたが、狼の猛攻に一瞬の隙を許してしまう。
連斗が叫ぶが早く、優莉はグレアを確認。既に弾丸は放たれたとみて間違いなく、刀で凌ぐよりも横っ飛びで緊急回避を選択する。
予想通り、優莉が先程までいた場所を衝撃波が貫く。殆どラグもなく過ぎていったため左肩に衝撃が掠めるもギリギリのタイミングで致命傷は免れる。
代わりに優莉のすぐ後ろにいた狼に流れ弾が炸裂。バンッ、と耳を劈く轟音と共に爆裂四散する。
「あちゃ~絶好のチャンスだと思ったんだけど躱されちゃったか」
守護獣とかいって召喚しておきながら使い捨ての駒としか考えていないのか。味方へ誤射したというのにグレアは、犠牲となった狼へと一瞥もせずやれやれと肩を竦める。
冷酷無慈悲。無神経なグレアの横暴を表すにこれほど相応しい言葉はない。
連斗は心の奥底で
「――ッう!!」
着地を考慮せず回避したためゴロゴロと床を転がる優莉。無防備に地面へと投げ出された彼女を追って狼たちが疾走する。これを最大の好機と捉えたのだろう。
咄嗟のことで勢いを誤り、元いた場所から数メートル離れたところまで転がってしまった優莉は、強引に体勢を立て直し跳び掛かってくる狼の牙を刀で受け止める。
が、追尾するように迫っていた二頭目の牙までは防げず、刀を支える右腕を噛まれてしまう。
「ぐっ……このッ!?」
強靭な顎による咬合力に挟まれた腕の骨がミシミシと軋む。
柔肌に尖った犬歯が刺さり、優莉は初めて激痛に顔を歪めた。
このままでは食い千切られる。痛みに悶えながら思考を正常に回転させた優莉は、噛まれた右腕を狼ごと無理矢理に振り抜いて薙ぎ払う。
刀を咥えていた個体は、遠心力に負けて振り払われ、空中を踊る。優莉は流れるような動作で後衛を担当していた個体もろとも持ち前の射撃センスで仕留め、そのまま自身の腕を喰らっている獣の眉間へと銃口を当てて、撃つ。
頭部が粉砕され、優莉の腕を締めていた咬合力が弱まり解放される。
晒された右腕は赤い鮮血に汚れ、びっしりと並んだ歯形の端には犬歯が刺さり穴が空いていた。
生々しい傷を刻んだ右腕がだらんと垂れる。肉まで抉られたせいで握力が出ず、震えが治まらない。それでも気合で優莉は刀を離さなかったが、身体は正直に疲労を感じていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
辛くも窮地を脱した優莉は、乱れた呼吸を戻そうとして――奥歯を噛み締めた。
グレアが、指鉄砲を作り、構えている。
「バンッ!」
可愛らしい効果音をつけて、グレアが指鉄砲を傾ける。
敵は息吐く暇など与えてはくれない。
緩んでいた手にありったけの握力を込め、柄を縛ると猛進する殺気を叩き斬る。
キンッ、と甲高い金属音が響き、刀が硬くて透明な物体を弾く。
「がっ、あ、くっ!」
握力が半分まで低下しているせいでグレアの砲弾に押し負けそうになるが、何とか踏み止まる。
タイミングは掴めてもこれではジリ貧だ。
平静な顔の裏で優莉が冷や汗を流すと、グレアはそれを読んでかたまたまか畳みかけてくる。
「バンッ、バンッ、バンッ!」
まさかの連続射撃。当然その回数に比例して優莉には砲弾が逼迫してくる。
「――ッ、はあぁぁぁぁ!」
クールな顔を崩し、珍しく雄叫びを上げる優莉。それ程までに追い詰めらているのだろう。
優莉は限界まで力を振り絞り、グレアが指鉄砲を撃つ度に、それを刀で相殺し続ける。
何度も。何度も。何度も。
優莉は反撃の機会を伺いつつ必死に喰らいつく。
「う~ん、これでも倒せないとかどれだけタフなの?」
幾つもの弾丸を浴びせても一向に倒れる気配のない優莉をグレアは、いい加減煩わしく思い始めていた。
「何か別の策は――」
その時、グレアの脳裏に悪魔が降りる。
「あっ、そっか! 馬鹿正直に堅物を狙わなくてもよかったんだ!」
言って、グレアは優莉を指鉄砲での捕捉を辞める。
代わりにターゲットを別の人物へと絞り、的を移す。
その方向は――。
「ごめんね。ほんとはもっと刺激的に殺してあげたかったんだけど……そうも言ってられなくなっちゃった」
「えっ?」
突如訪れた危機に連斗は素っ頓狂な声を上げる。
「バンッ!」
無情にも放たれる弾丸。
理解が追いつかない連斗の眼前でそれは炸裂する。
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