第3話


 アラン先生が経営する星獣専門診療所は、毎日朝から晩までてんやわんやだ。


「アカネ、入院患者に異常はねえか?」


 往診の支度から戻ってきたアラン先生に、私はうなずく。


「大丈夫です。あ、でもうさぎの星獣の子が、ニンジン食べたいって朝から三十五回言ってます」


「数えてんのかよ」


 私にできるのは星獣たちの言葉を聞いて届けるだけだもん。一言一句、聞き逃さないように、ちゃんとメモしてるんだ。

 星獣は、動物が星の力を得て変化した生き物なんだって。

 リディのように風を操ったり、炎を噴いたりする子もいる。

 人に慣れていない子の診察は、命の危険も伴うんだよね。

 だからこそ、アラン先生のような星獣専門医師はとっても貴重なんだそう。


「ニンジンなあ。あげたいのは山々だが、あげすぎもよくねえからな。夜のデザートで出してやるからガマンしろって言っといてくれ」


「はーい」


 私もここで助手をするようになってから、知ったことだけど。

 星獣にも、人と同じようにそれぞれの性格があるんだ。だから、会話をするときもその子に合わせて話さないといけない。


「アラン先生が、ニンジンは夜のデザートでくれるって」


『いまは~?』


「いまはちょっと、ガマンかなぁ。でもほら、楽しみなものを後にとっておくと、そのときまでわくわくしない? きっとデザートで食べるニンジンは格別だよ」


『! たしかにねえ~。じゃあぼく、ガマンするよ~』


「うん。いい子!」


 うさぎの星獣は、ふんふんと鼻を動かすと、そのまま毛布の上で寝はじめた。

 それを見届けると、私はアラン先生のもとに戻る。

 いつの間にか準備を終えて戻っていたらしいハルも合流していた。


「納得してくれたみたいです」


「助かるわ。あんがとな」


 ちょっと乱暴に、髪をくしゃっとなでられた。

 でも、すぐさま乱れた髪をハルがきれいに直してくれる。


「先生! いつも言ってますけど、アカネは女の子なんだからもっとていねいに扱ってください。おれとはちがうんですよ」


「あはは……だいじょうぶだよ、ハル。もう慣れたし」


「だめだよ。ほっといたらどんどんエスカレートするから」


 ハルは、なんというか、紳士なんだよね。

 あまり表情が豊かなタイプではないけど、すごく思いやってくれるんだ。私がここでやっていけているのは、ハルのおかげといっても過言ではないくらい。

 しっかりしてるし、努力家だし、同い年とは思えないくらい大人だし。

 元の世界で関わっていた同級生の男子とも、全然ちがう。


「……おまえらなんか、夫婦みたいだな」


 そんな私たちのやりとりを聞いて、アラン先生はなんともいえない顔で言う。


「なに言ってるんですか。くだらないこと言ってないで往診行きますよ」


「へーへー」


 ハルは診察用のバッグを持つと、アラン先生を横切って歩いていく。

 うーん。くだらない、かあ……。

 離れていく背中を見ながら、私は小さくため息。悪意のある言葉じゃないことはわかっていても、ちょっぴり胸が苦しくなってしまった。

 きっとハルにとって私は、恋愛対象にはならないんだろう。

 たぶん、妹みたいな立ち位置なんだよね。


「……あいつは現実的だからな。そうへこむな」


「っ、え!?」


「アカネはいつか帰っちまうわけだし、しばりたくないんだろ。あいつも」


 アラン先生はたまに、心をのぞいてるんじゃないかって思うときがある。

 ぎょっとして赤くなりながら先生を見ると、ハルがいないのをいいことに、また頭をなでられた。さきほどよりは優しく、ポンッと励ますみたいに。


「ま、俺は応援してるぞ」


「な、なんのことですか……!?」


「さあなあ」


 のらりくらり歩き出したアラン先生に、あわてて付いていく。

 ……アラン先生にはお見通しなんだろうな。

 私がハルを気になっているのも、全部。

 でも、私は異世界の人間。いつかは帰らないといけないんだ。

 だから、この芽生えはじめた気持ちが結ばれることはない。それを考えたら、変な期待を持たせずに距離を保ってくれるハルは、優しいのかもしれないけど。


「帰る、かあ」


 本音を言うと、最近はちょっとだけ『帰りたくない』って思いはじめてしまっている自分がいるんだよね……──。



 アラン先生は、森に住む星獣のために往診を欠かさない。体の大きな星獣は入院ができないから、どんなに忙しくても、毎日必ず回るんだ。


「みんな悪くなってなくてよかったですね」


「だな。ふぁあ……帰ったら仮眠すっか……」


「寝るのはいいですけど、王宮への提出書類忘れずに。明日締切ですよ」


「うへー……弟子がキチク」


 ハルはアラン先生の弟子だけど、どちらかというとマネージャーみたいだ。

 師弟関係っていうより、兄弟みたいに見えることもあるし。


「なんか、いいなあ」


「うん? なにが?」


「ふたりで星獣を守ってきたんだなって思うと、胸があったかくなるっていうか。ハルと先生を見てると、ちょっとうらやましくなるんだよね」


 そこまで答えた、そのとき。


『……ママ、どこ?』


 ふいに聞こえたかすかな声に、ハッと立ち止まる。


「どうしたの? アカネ」


「いま、なんか……」


 耳を澄ますと、ふたたび『ママ』と泣きそうな声が耳をついた。

 私ははじかれるように振り向くと、そちらに駆けだす。


「あっ」


『!?』


 声が聞こえてきた茂みをのぞくと、小さな星獣が驚いたように跳ねた。かと思うと、その子はキバをむき出してイカクしはじめる。


「アカネ、下がれ」


 腕をつかまれ、アラン先生にぐいっと引き戻された。そっと様子をうかがった先生は、神妙な顔で「よりによってフェネックか」とつぶやく。


「フェネックの星獣ですか?」


「ああ。足をケガしてるみたいだから、逃げられはしないだろうが……」


「なにか、問題が……?」


「フェネックの星獣は警戒心が強くてな。大丈夫だと判断した相手にしか、絶対に触らせねえんだ。ケガのせいでよけいに気が立ってるから、いま無理やり治療すると継続して治療できなくなっちまう。しかもまだ子どもだ」


 アラン先生が頭を抱えるのを横目に見て、ハルが腕を組んだ。


「親はいなさそうですか」


「見たところな。育児放棄じゃなければいいが……」


 育児放棄。その言葉に、全身がぞわっとした。

 ……あの子、『ママ』って呼んでたよね?

 もしかして、ケガをしたまま、ずっとひとりでここにいたの?


「っ、おい。アカネ?」


「私が話してみます」


「やめとけ、噛みつかれるかもしれねえぞ」


 アラン先生が止めるのも聞かず、私はふたたび茂みをのぞきこむ。そっと枝木をかきわけて、キバをむきだしにするフェネックの前にヒザをついた。


『うううう……!』


「大丈夫だよ、怖がらないで」


『う、う……?』


「私ね、アカネっていうの。あなたはママを探してるんだよね?」


『あ、かね……? アカネ、はなせる?』


 私が星獣たちの言葉がわかるように、星獣たちも私の言葉がわかる。

 だからみんな、私が話しかけると最初はびっくりするんだよね。

 いまやその反応も慣れてきたけど。


「うん、話せるよ。だから、怖がらないでくれるとうれしいな」


『でも、ママ……にんげん、ちかづくなって』


「そのママはどこに行ったかわかる?」


『わからない。どこにも、いない。よんでるのにきてくれない。すてられちゃったんだって、ほかのみんなはいってた』


 ほかのみんなって、星獣の仲間のことかな?


『アカネ、ママ、しってる?』


「ううん。ごめんね、わからない」


『そか。じゃあ、やっぱり、すてられちゃったんだ』


 言葉はつたないけど、ちゃんと会話ができていることにホッとする。

 その場で丸まろうとするその子を、私はとっさに抱きあげた。


『んゃ!?』


「じゃあ、そのケガが治ったら、一緒にママを探そっか」


 一瞬暴れかけたその子は、私の言葉にぴたりと動きを止めた。


『さがす……? アカネも?』


「うん。でも動けなかったら探せないし、まずは足の治療をしてもいいかな?」


 ちょっと無理やりだけど、距離を縮めるならいましかないって思ったんだ。

 勘が当たったのか、その子は『うん』と身をあずけてくれる。

 よかった……。敵判定はされなかったみたい。


『アカネ、あったかい』


 私の腕のなかで、すりすりと頭をこすりつけてくる。その姿に胸が温かくなりながら、私はアラン先生たちの方を振り返った。

 あっけに取られたような顔をしていたふたりは、ハッと我に返る。


「助かった。とりあえずそのまま診療所まで連れて帰るぞ」


「すごいな、アカネ。大手柄だ」


「そんなことないよ」


 正直、うまくいく自信はなかったし。

 でも、あのまま放っておくなんて絶対にできないと思ったんだ。

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