第2話
◆
私がハルに連れてこられたのは、森の奥深く──小川のそばにポツンと建つ、不思議な形をした水車付きの家だった。
家の前に立つ看板には〝
「世界の落とし人、なあ」
ぼさぼさの髪。しわだらけの白衣。顔はよく見ると整っているけど、無精ひげと恰好のせいで台なしな彼は、アラン先生というらしい。
先生は、私の話を聞き終わると神妙そうな顔でヒゲをなでる。
「アカネだっけか。おまえさんにとっちゃ災難な話だわ。うん」
「先生、もうちょっと真剣に。これからアカネはどうしたらいいんですか」
ハルはなんと、アラン先生のお弟子さんなのだそう。
この星獣専門診療所でアラン先生のお手伝いをしているんだって。
ちなみに〝星獣〟は、リンデルさんのような不思議な生き物のことみたい。動物に似てるけどどこか違う生き物が、診療所にはたくさん入院していた。
「昔からまれに現れる異世界からやってくる者を、ここじゃ〝世界の落とし人〟っつーわけだが。落とし人は、なにかしら特別な力を持ってると聞く。それがアカネの場合は、星獣の言葉がわかるってことなんだろ」
「星獣の言葉……」
たしかに、と私は診療所内のゲージにいる星獣たちを横目で見る。
『ねむぅい。おなかすいたぁ』
『チッ、いつまでもいてえ! おいそこのニンゲン、早く痛み止め打てよ!』
『……うむ。今日もみな、元気だな。いいことだ』
私には、人間の言葉と同じように聞こえてくる星獣たちの声。
ハルやアラン先生には聞こえないのが、むしろ不思議なくらいだ。
「みんな、なにか言ってる?」
私の視線に気がついたのか、ハルが小さく首をかしげる。
「あ、うん。あの子はねむくて、お腹すいたみたい。そっちの方は痛いから痛み止めを打ってほしいって。隣の方は、みんな元気でいいって言ってるよ」
「ああ、たしかにあの子はそろそろ食事の時間だね。そっちの子も痛み止めが切れてくる頃だし、すごいな。本当にわかってるんだ」
「でも私、元の世界で動物の言葉がわかったわけじゃないのに……」
うちに来る患者さんたちには、できるだけ関わらないようにしていたけど。
もしも動物と話せたら、ノアとだって──。
「んま、落ちてきた時点でなにかしらの力が作用してるんだろ。とはいえ、戻る方法もわかってねえんだよなあ。ある日突然落とし人が消えたりするらしいし」
「そ、そんなぁ……」
じゃあ私、戻れるまでひとりで生きてかなきゃいけないってこと?
住む場所も、お金もないのに……!?
「そう泣きそうな顔すんなって。落ちてきたアカネにぐうぜんハルが遭遇したのは、つまり縁があったってことだ。なら、ハルのそばにいた方がいい」
「おれのそばに?」
「おうよ。んで、おれはおまえの師匠だ。ガラじゃねえが、大人として子どもを保護する義務もある。そうなりゃもう答えはひとつだろ」
話が見えなくて、私はきょとんとしてしまう。
でもハルは言葉の意味がわかったらしく、驚いたように目を見開いた。
「先生がそんなに面倒見がいいなんて、明日は槍でも降りますか?」
「うっせ。責任持っておまえがちゃんと面倒見ろよ」
「いつも先生の面倒を見てる身からすれば、アカネひとりくらい増えても変わりませんよ。むしろ人手が増えて助かります」
ひょいっと肩をすくめたハルは、こちらをふり返った。
「アカネ。いまの、今日からここに住んでいいって話だからね」
「えっ」
私が、この診療所に!?
「狭いけど屋根裏部屋が空いてるから、そこ使って。生活に必要な物はちょっと落ち着いたら街まで買いに行こう。大丈夫、お金はアラン先生が出すよ」
「で、でもそんな、申し訳ないよ……!」
見ず知らずの人にお世話になるなんて、と首を振る。
いや、この異世界には見ず知らずの人しかいないんだけど……。
「アカネ」
「はいっ」
立ち上がったアラン先生に呼ばれて、反射的に背筋が伸びる。
ポケットに片手を突っこんで、気だるげに見下ろしてきたアラン先生。かと思ったら、もう片方の手がポスンと私の頭に乗った。
「へ……?」
「ここは星獣が多く棲むリング・ベル国。で、ウチは星獣専門の診療所。仕事は尽きねえし、休日なんてものはない。日夜限らず診療だ。だがな、この森の星獣たちの健康管理を任されている分、国からそれなりの給金が出てる」
え、えっと、つまり?
「金なら心配すんなってことだ。それでも気になるなら、働いて返せ」
「働いて……」
「幸いにもアカネは星獣の言葉がわかる。その力は俺にとって天からの恵みなんだよ。的確に患者がうったえる症状がわかれば、治療もしやすいしな」
痛み止めを打ってほしいと言っていた星獣の方を見ながら、アラン先生はふっとおだやかに笑った。優しくて、とても温かい眼差しだ。
ああ、そっか。
「アラン先生は、動物が……ううん。星獣が、大好きなんですね」
「そう見えたか?」
──その瞳が持つ愛情の色を、私は知ってるんだ。
だって、動物たちを診るお父さんと同じ目だもん。
「おまえはどうだ、アカネ」
「っ……は、働くのは、いいんですけど」
心を見透かされているような気がして、私はアラン先生から目をそらす。
「お世話になるばっかりじゃ、申し訳ないし……。でも、私はアラン先生みたいにはなれないと思います」
「というと?」
「……私は、動物がきらいだから」
アラン先生とハルが、同時に目を丸くした。
「きらい?」
「はい」
「ほお……?」
今度は顔を見合わせたふたり。なにやら意味深長に目線を交わし合うと、そろってこちらを向いた。
「まあ、いいんじゃないか。きらいってのにも理由があるんだろうしな」
「うん。星獣たちを傷つけたりしなければいいよ」
まさかそんなふうに言われるとは思わず、私の方が驚いてしまう。
けれどホッとしたからか、一気に体の力が抜けて笑ってしまった。
「傷つけたりはしないよ、絶対」
「ならいい。んじゃこれからよろしく頼むぞ、助手さん」
──こうして、私の異世界生活の幕は上がった。
まさか半年以上経っても、元の世界に戻れないとは思っていなかったけどね……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます