第2話


 私がハルに連れてこられたのは、森の奥深く──小川のそばにポツンと建つ、不思議な形をした水車付きの家だった。

 家の前に立つ看板には〝星獣専門診療所せいじゅうせんもんしんりょうじょ〟とある。


「世界の落とし人、なあ」


 ぼさぼさの髪。しわだらけの白衣。顔はよく見ると整っているけど、無精ひげと恰好のせいで台なしな彼は、アラン先生というらしい。

 先生は、私の話を聞き終わると神妙そうな顔でヒゲをなでる。


「アカネだっけか。おまえさんにとっちゃ災難な話だわ。うん」


「先生、もうちょっと真剣に。これからアカネはどうしたらいいんですか」


 ハルはなんと、アラン先生のお弟子さんなのだそう。

 この星獣専門診療所でアラン先生のお手伝いをしているんだって。

 ちなみに〝星獣〟は、リンデルさんのような不思議な生き物のことみたい。動物に似てるけどどこか違う生き物が、診療所にはたくさん入院していた。


「昔からまれに現れる異世界からやってくる者を、ここじゃ〝世界の落とし人〟っつーわけだが。落とし人は、なにかしら特別な力を持ってると聞く。それがアカネの場合は、星獣の言葉がわかるってことなんだろ」


「星獣の言葉……」


 たしかに、と私は診療所内のゲージにいる星獣たちを横目で見る。


『ねむぅい。おなかすいたぁ』

『チッ、いつまでもいてえ! おいそこのニンゲン、早く痛み止め打てよ!』

『……うむ。今日もみな、元気だな。いいことだ』


 私には、人間の言葉と同じように聞こえてくる星獣たちの声。

 ハルやアラン先生には聞こえないのが、むしろ不思議なくらいだ。


「みんな、なにか言ってる?」


 私の視線に気がついたのか、ハルが小さく首をかしげる。


「あ、うん。あの子はねむくて、お腹すいたみたい。そっちの方は痛いから痛み止めを打ってほしいって。隣の方は、みんな元気でいいって言ってるよ」


「ああ、たしかにあの子はそろそろ食事の時間だね。そっちの子も痛み止めが切れてくる頃だし、すごいな。本当にわかってるんだ」


「でも私、元の世界で動物の言葉がわかったわけじゃないのに……」


 うちに来る患者さんたちには、できるだけ関わらないようにしていたけど。

 もしも動物と話せたら、ノアとだって──。


「んま、落ちてきた時点でなにかしらの力が作用してるんだろ。とはいえ、戻る方法もわかってねえんだよなあ。ある日突然落とし人が消えたりするらしいし」


「そ、そんなぁ……」


 じゃあ私、戻れるまでひとりで生きてかなきゃいけないってこと?

 住む場所も、お金もないのに……!?


「そう泣きそうな顔すんなって。落ちてきたアカネにぐうぜんハルが遭遇したのは、つまり縁があったってことだ。なら、ハルのそばにいた方がいい」


「おれのそばに?」


「おうよ。んで、おれはおまえの師匠だ。ガラじゃねえが、大人として子どもを保護する義務もある。そうなりゃもう答えはひとつだろ」


 話が見えなくて、私はきょとんとしてしまう。

 でもハルは言葉の意味がわかったらしく、驚いたように目を見開いた。


「先生がそんなに面倒見がいいなんて、明日は槍でも降りますか?」


「うっせ。責任持っておまえがちゃんと面倒見ろよ」


「いつも先生の面倒を見てる身からすれば、アカネひとりくらい増えても変わりませんよ。むしろ人手が増えて助かります」


 ひょいっと肩をすくめたハルは、こちらをふり返った。


「アカネ。いまの、今日からここに住んでいいって話だからね」


「えっ」


 私が、この診療所に!?


「狭いけど屋根裏部屋が空いてるから、そこ使って。生活に必要な物はちょっと落ち着いたら街まで買いに行こう。大丈夫、お金はアラン先生が出すよ」


「で、でもそんな、申し訳ないよ……!」


 見ず知らずの人にお世話になるなんて、と首を振る。

 いや、この異世界には見ず知らずの人しかいないんだけど……。


「アカネ」


「はいっ」


 立ち上がったアラン先生に呼ばれて、反射的に背筋が伸びる。

 ポケットに片手を突っこんで、気だるげに見下ろしてきたアラン先生。かと思ったら、もう片方の手がポスンと私の頭に乗った。


「へ……?」


「ここは星獣が多く棲むリング・ベル国。で、ウチは星獣専門の診療所。仕事は尽きねえし、休日なんてものはない。日夜限らず診療だ。だがな、この森の星獣たちの健康管理を任されている分、国からそれなりの給金が出てる」


 え、えっと、つまり?


「金なら心配すんなってことだ。それでも気になるなら、働いて返せ」


「働いて……」


「幸いにもアカネは星獣の言葉がわかる。その力は俺にとって天からの恵みなんだよ。的確に患者がうったえる症状がわかれば、治療もしやすいしな」


 痛み止めを打ってほしいと言っていた星獣の方を見ながら、アラン先生はふっとおだやかに笑った。優しくて、とても温かい眼差しだ。

 ああ、そっか。


「アラン先生は、動物が……ううん。星獣が、大好きなんですね」


「そう見えたか?」


 ──その瞳が持つ愛情の色を、私は知ってるんだ。

 だって、動物たちを診るお父さんと同じ目だもん。


「おまえはどうだ、アカネ」


「っ……は、働くのは、いいんですけど」


 心を見透かされているような気がして、私はアラン先生から目をそらす。


「お世話になるばっかりじゃ、申し訳ないし……。でも、私はアラン先生みたいにはなれないと思います」


「というと?」


「……私は、動物がきらいだから」


 アラン先生とハルが、同時に目を丸くした。


「きらい?」


「はい」


「ほお……?」


 今度は顔を見合わせたふたり。なにやら意味深長に目線を交わし合うと、そろってこちらを向いた。


「まあ、いいんじゃないか。きらいってのにも理由があるんだろうしな」


「うん。星獣たちを傷つけたりしなければいいよ」


 まさかそんなふうに言われるとは思わず、私の方が驚いてしまう。

 けれどホッとしたからか、一気に体の力が抜けて笑ってしまった。


「傷つけたりはしないよ、絶対」


「ならいい。んじゃこれからよろしく頼むぞ、助手さん」


 ──こうして、私の異世界生活の幕は上がった。

 まさか半年以上経っても、元の世界に戻れないとは思っていなかったけどね……。

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