第1話
◆
「ひやああああああっ」
わけがわからないまま、私は悲鳴をあげる。公園にいたはずが急に青空の下を落下していたら、もう叫ぶしかなかった。
しかも眼下に広がるのは、どこまでも続く森だ。
このまま落ちたら確実に死んでしまう。
ぎゅっと目をつむって、来たる衝撃の恐ろしさに声を飲み込んだ。
その、直後のこと。
「リディ、早く!」
『わかっておる!』
突如として響いた声に、ハッと目を開ける。同時に全身が柔らかな風に包まれ、急速に落下が止まった。
「は、え」
な、なにこれ。私、浮いてる……?
でも、完全に浮いているわけではない。ふよふよと少しずつ落ちていた。
そして私の下には、見たことのない生き物が飛んでいる。背中に羽を生やした
「そのまま降りてきて。受け止めるから」
「……!!」
あまりの衝撃に、一瞬、ほうけてしまったけど。
私をお姫さま抱っこの形で受け止めて、間近で心配そうに見下ろしてくる男子に、また悲鳴をあげそうになった。
「大丈夫?」
お日様色の髪。涼し気な目もとに、薄い唇。すっと通った鼻筋。
待って。こ、この人、イケメンすぎない?
「ひえ……あ、ご、ごめ……おろして、ください……」
顔が真っ赤になっているのを自覚しながらうったえると、彼はすぐに降ろしてくれた。でも、腰が抜けていたのか、がくっと膝から崩れ落ちてしまう。
そして、またも驚いた。
へたりこんだ地面が、とんでもなくもふもふだったんだ!
「も、もふい……」
『そうだろう。我の毛は極上の触り心地ゆえ。ぞんぶんに堪能するとよいぞ』
「!?」
あらぬ方向から返事がきて、私はぎょっと振り返る。
背中に羽を生やした白虎とばっちり目が合った。
え? まさか今、この生き物がしゃべった……?
『む? もしやそなた、我の言葉がわかるのか?』
「しゃ、しゃべった!」
聞き間違いではなかったことに衝撃を受け、私はおののく。
それにきょとんとしたのはイケメンくんだ。
「……? しゃべったって、おれが?」
「ち、ちが……この、えっと、白い子が!」
「ああ、リディ? さっきのガウって鳴き方は怒ってるわけじゃないよ」
「ガウ……?」
「うん?」
なんだろう。どうにも話がかみ合っていない気がする。
「あの、いまこの子、すんごい得意げに『我の毛は極上の触り心地ゆえ。ぞんぶんに堪能するとよいぞ』って言ったよね?」
「え」
「えっ?」
なにを言ってるんだ、みたいな顔をされても困ってしまう。
私は『ガウ』なんて鳴き声を聞いたわけではないし、実際にこの生き物はそう話しかけてきたのだから。
『そこの娘よ。ハルは我の言葉がわからぬのだ』
「ハル……って、このイケメンさんのこと?」
『うむ、その男の名よ。ちなみに、我はリンデルという。いやしかし、
「リンデル、さん? その、せいじゅうってなに?」
「ちょっと待って」
クエスチョンマークが頭のなかで大渋滞を起こしていると、ふいにハルくんが割って入った。その表情は、完全に困惑している。
「もしかして君、いま、リディと話してる?」
「……リディって、リンデルさんのこと?」
「なんでリディの真名を知って……。それにさっき、おれの名前も」
うーん。つまり、普通はリンデルさんと話せないのに、私がなぜか話せてしまっているから混乱してるってことだよね。
いや、私もどうして言葉が伝わるのかわからないけど。
『娘よ。ハルにこう言ってやれ。──〝世界の落とし人〟だと』
「世界の、落とし人?」
私が言葉を繰り返すと、ハルくんの目が見開かれた。
食い入るように見つめられて、私はついドギマギしてしまう。
「あ、あああのっ、リンデルさんがそう言えって!」
「君が、世界の落とし人? いやでも、そうか。だから空から──」
ぶつぶつとつぶやきながら、ハルくんは腕を組んだ。あごに指を添えて目を細める姿はすごく格好いいけど、ちょっと待って。
その〝落とし人〟って、私のことなの!?
「君……ああ、ごめん。聞いてなかった。名前はなんて言うの?」
「な、名前? 茜だけど」
「アカネ、か」
まるではじめて口にする言葉のように、ハルくんはゆっくりと私の名をつむいだ。
澄んだ青い瞳と目が合って、ドキッと心臓が跳ねる。
「確認させて。まず、アカネはリディの言葉がわかる。で、おれの名前もリディの真名も、君が落とし人だってことも、全部リディから聞いたってことだよね?」
「うん、そうだよ」
「空から落ちてきたのは? どうしてああなった?」
どうして、と言われても、その質問はむしろ私がしたいところだ。
返答に困って目を泳がせながら、落ちた瞬間のことを思い出す。
「猫を、追いかけてて」
「猫?」
「そう、前に飼ってた黒猫。すごく似てる子がいたの。だから、追いかけて探してたんだけど見失っちゃって。そしたら、急に足元が消えたんだ。気づいたときには空の下を真っ逆さまに落ちてたから、私もなにがなんだか……」
落ちる寸前に猫の鳴き声が聞こえたことだけは、覚えているけど。
でも、こんな話、信じてもらえないかな?
そう不安になりながらハルくんを見ると、意外にも真剣な面持ちは崩れていなかった。むしろ、どこか納得したようにうなずいてさえいる。
「なるほどね。わかった」
「今の話、信じたの!?」
「落とし人は突然やってくるものらしいし。リディが警戒しないってことは、アカネは悪い人間じゃない。なら、疑う必要はないよ」
ハルくんはふっと表情を和らげると、私の前にしゃがみこんだ。
「改めて、おれはハル。歳は十二」
「あっ、同い年……!」
「そうなんだ。じゃあ、おれのことはハルでいいよ」
ハルくん──もといハルは、私の手を取ると柔らかく笑った。
「よろしくね、アカネ」
「う、うん!」
優しい微笑みに、思わず首を縦に振ってしまう。
でも、すぐにそうじゃないと気がついた。
「ハル、あの……ここって、日本?」
「にほん? それって、アカネが来た世界の名前?」
きょとんとしたハルの返事に、信じたくない現実を突きつけられる。
日本人っぽくない容姿の男の子。空を飛ぶ羽付き白虎。
その時点で、頭の片すみでは疑ってはいたんだ。もう日が暮れはじめていたはずなのに、どう考えても太陽さんさんの真昼間だし。
でも、最後の望みをかけて、もうひとつだけ質問をしてみる。
「ねえ、ハル。──空を飛ぶ羽を生やした白虎って、ここでは普通なの?」
「うーん。まあ、白虎の星獣は珍しくはあるけど……。でも、星獣はだれもが知る存在だし、普通と言えば普通かな」
その瞬間、私は切なくも確信した。
このたびどうやら、知らない世界に落ちてきてしまったみたいです。
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