第1話


「ひやああああああっ」


 わけがわからないまま、私は悲鳴をあげる。公園にいたはずが急に青空の下を落下していたら、もう叫ぶしかなかった。

 しかも眼下に広がるのは、どこまでも続く森だ。

 このまま落ちたら確実に死んでしまう。

 ぎゅっと目をつむって、来たる衝撃の恐ろしさに声を飲み込んだ。

 その、直後のこと。


「リディ、早く!」


『わかっておる!』


 突如として響いた声に、ハッと目を開ける。同時に全身が柔らかな風に包まれ、急速に落下が止まった。


「は、え」


 な、なにこれ。私、浮いてる……?

 でも、完全に浮いているわけではない。ふよふよと少しずつ落ちていた。

 そして私の下には、見たことのない生き物が飛んでいる。背中に羽を生やした白虎ホワイトタイガーのようなモノの背には、同い年くらいの男の子が立っていた。


「そのまま降りてきて。受け止めるから」


「……!!」


 あまりの衝撃に、一瞬、ほうけてしまったけど。

 私をお姫さま抱っこの形で受け止めて、間近で心配そうに見下ろしてくる男子に、また悲鳴をあげそうになった。


「大丈夫?」


 お日様色の髪。涼し気な目もとに、薄い唇。すっと通った鼻筋。

 待って。こ、この人、イケメンすぎない?


「ひえ……あ、ご、ごめ……おろして、ください……」


 顔が真っ赤になっているのを自覚しながらうったえると、彼はすぐに降ろしてくれた。でも、腰が抜けていたのか、がくっと膝から崩れ落ちてしまう。

 そして、またも驚いた。

 へたりこんだ地面が、とんでもなくもふもふだったんだ!


「も、もふい……」


『そうだろう。我の毛は極上の触り心地ゆえ。ぞんぶんに堪能するとよいぞ』


「!?」


 あらぬ方向から返事がきて、私はぎょっと振り返る。

 背中に羽を生やした白虎とばっちり目が合った。

 え? まさか今、この生き物がしゃべった……?


『む? もしやそなた、我の言葉がわかるのか?』


「しゃ、しゃべった!」


 聞き間違いではなかったことに衝撃を受け、私はおののく。

 それにきょとんとしたのはイケメンくんだ。


「……? しゃべったって、おれが?」


「ち、ちが……この、えっと、白い子が!」


「ああ、リディ? さっきのガウって鳴き方は怒ってるわけじゃないよ」


「ガウ……?」


「うん?」


 なんだろう。どうにも話がかみ合っていない気がする。


「あの、いまこの子、すんごい得意げに『我の毛は極上の触り心地ゆえ。ぞんぶんに堪能するとよいぞ』って言ったよね?」


「え」


「えっ?」


 なにを言ってるんだ、みたいな顔をされても困ってしまう。

 私は『ガウ』なんて鳴き声を聞いたわけではないし、実際にこの生き物はそう話しかけてきたのだから。


『そこの娘よ。ハルは我の言葉がわからぬのだ』


「ハル……って、このイケメンさんのこと?」


『うむ、その男の名よ。ちなみに、我はリンデルという。いやしかし、星獣せいじゅうの言葉がわかる娘とはなかなかにおもしろい』


「リンデル、さん? その、せいじゅうってなに?」


「ちょっと待って」


 クエスチョンマークが頭のなかで大渋滞を起こしていると、ふいにハルくんが割って入った。その表情は、完全に困惑している。


「もしかして君、いま、リディと話してる?」


「……リディって、リンデルさんのこと?」


「なんでリディの真名を知って……。それにさっき、おれの名前も」


 うーん。つまり、普通はリンデルさんと話せないのに、私がなぜか話せてしまっているから混乱してるってことだよね。

 いや、私もどうして言葉が伝わるのかわからないけど。


『娘よ。ハルにこう言ってやれ。──〝世界の落とし人〟だと』


「世界の、落とし人?」


 私が言葉を繰り返すと、ハルくんの目が見開かれた。

 食い入るように見つめられて、私はついドギマギしてしまう。


「あ、あああのっ、リンデルさんがそう言えって!」


「君が、世界の落とし人? いやでも、そうか。だから空から──」


 ぶつぶつとつぶやきながら、ハルくんは腕を組んだ。あごに指を添えて目を細める姿はすごく格好いいけど、ちょっと待って。

 その〝落とし人〟って、私のことなの!?


「君……ああ、ごめん。聞いてなかった。名前はなんて言うの?」


「な、名前? 茜だけど」


「アカネ、か」


 まるではじめて口にする言葉のように、ハルくんはゆっくりと私の名をつむいだ。

 澄んだ青い瞳と目が合って、ドキッと心臓が跳ねる。


「確認させて。まず、アカネはリディの言葉がわかる。で、おれの名前もリディの真名も、君が落とし人だってことも、全部リディから聞いたってことだよね?」


「うん、そうだよ」


「空から落ちてきたのは? どうしてああなった?」


 どうして、と言われても、その質問はむしろ私がしたいところだ。

 返答に困って目を泳がせながら、落ちた瞬間のことを思い出す。


「猫を、追いかけてて」


「猫?」


「そう、前に飼ってた黒猫。すごく似てる子がいたの。だから、追いかけて探してたんだけど見失っちゃって。そしたら、急に足元が消えたんだ。気づいたときには空の下を真っ逆さまに落ちてたから、私もなにがなんだか……」


 落ちる寸前に猫の鳴き声が聞こえたことだけは、覚えているけど。

 でも、こんな話、信じてもらえないかな?

 そう不安になりながらハルくんを見ると、意外にも真剣な面持ちは崩れていなかった。むしろ、どこか納得したようにうなずいてさえいる。


「なるほどね。わかった」


「今の話、信じたの!?」


「落とし人は突然やってくるものらしいし。リディが警戒しないってことは、アカネは悪い人間じゃない。なら、疑う必要はないよ」


 ハルくんはふっと表情を和らげると、私の前にしゃがみこんだ。


「改めて、おれはハル。歳は十二」


「あっ、同い年……!」


「そうなんだ。じゃあ、おれのことはハルでいいよ」


 ハルくん──もといハルは、私の手を取ると柔らかく笑った。


「よろしくね、アカネ」


「う、うん!」


 優しい微笑みに、思わず首を縦に振ってしまう。

 でも、すぐにそうじゃないと気がついた。


「ハル、あの……ここって、日本?」


「にほん? それって、アカネが来た世界の名前?」


 きょとんとしたハルの返事に、信じたくない現実を突きつけられる。

 日本人っぽくない容姿の男の子。空を飛ぶ羽付き白虎。

 その時点で、頭の片すみでは疑ってはいたんだ。もう日が暮れはじめていたはずなのに、どう考えても太陽さんさんの真昼間だし。

 でも、最後の望みをかけて、もうひとつだけ質問をしてみる。


「ねえ、ハル。──空を飛ぶ羽を生やした白虎って、ここでは普通なの?」


「うーん。まあ、白虎の星獣は珍しくはあるけど……。でも、星獣はだれもが知る存在だし、普通と言えば普通かな」


 その瞬間、私は切なくも確信した。

 三葉みつばあかね、十二歳。

 このたびどうやら、知らない世界に落ちてきてしまったみたいです。

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