異世界星獣診療所!

琴織ゆき

序章


「……というわけなんだけど、どうかな? あかね


 こちらの様子をうかがうように、白衣姿のお父さんが眉尻を下げた。

 その腕に抱っこしているのはつぶらな瞳のチワワだ。生まれて半年の子犬で、三ヶ月前からウチ──ミツバ動物病院で預かっている子。


「飼い主さんが亡くなっちゃったから、ウチで飼うって……」


「うん。ほら、しばらくウチで看板わんこをしてくれてたおかげで、今や患者さんから大人気だろう?」


「……しらない」


「ミツバのマルちゃん、なんて呼ばれてるんだよ。で、それを知った飼い主さんの親族の方から、よかったらウチで引き取ってくれないかって申し出があってね。お母さんとも話し合って、茜がよければこのまま飼おうかって話になったんだ」


 マルちゃんっていうのは、この子の名前。

 ちなみにミツバは、私の苗字でもある。

 そう、ここは獣医師のお父さんが経営している動物病院なんだ。

 日々、病気や怪我をした動物たちがやってくるところ。

 ──私が、大きらいな場所。


「……やだ」


 答えた瞬間、お父さんの顔が悲しく染まった。心なしか、抱っこされているマルちゃんもしゅんとしたような気がする。


「茜、でも」


「やだ! だって私、動物きらいだもん……!」


 食い下がるお父さんをさえぎり、私は病院を飛び出した。

 あわてた声が追いかけてくるけど、ふり返ることはできなかった。



「はあ……、はあ……っ。……もう、動物は飼わないって言ったのにっ」


 夕暮れの下、行く当てもなく走り続けて、どれほど経ったのか。

 私はふと、幼い頃以来一度も来ていない公園の前で立ち止まった。


「ここ、ノアを拾った公園だ……」


 ノアっていうのは、二年前まで飼っていた猫の名前。

 耳と足の先だけ白い黒猫で、赤ちゃんのときに私がこの公園で拾ったんだ。

 それからずっと一緒だった。だけど……──。


「え?」


 記憶を辿ろうとしたそのとき、公園の奥に黒い影が動いた。

 目をこらすと、一匹の黒猫がなにかを訴えかけるようにこちらを向いている。

 ただの野良猫なら、きっと気にしなかった。

 でもその子は、耳と足の先が……白かった。


「ノ、ア? ノア……っ!!」


 気づいたら、また地面を蹴って走り出していた。

 そんな私に驚いたのか、はたまた誘っているのか、その黒猫は茂みをくぐり、公園のさらに奥へと入っていってしまう。


「待って!」


 迷いはなかった。汚れても、葉っぱや枝で肌が傷ついても、かまわなかった。

 もう一度、ノアに会えるなら。

 私の腰ほどはある茂みをかき分けて、必死に黒猫を探す。

 どこ? 見間違い? でも、あの柄は……っ。

 どうやら完全に見失ってしまったらしい。しかしあきらめきれず、もっと奥を探そうと足を踏み出した──そのせつな。


「にゃあん」


 猫の声がひとつ、響いた。

 同時に、私の足元から地面が消えた。

 例えじゃない。本当に、突然、私の立っていた場所の感覚がなくなったんだ。

 まるで、いきなり足の下に落とし穴が現れたみたいだった。


「ひ……っ! きゃあああああっ」


 とてつもない浮遊感に見舞われて、私は落下する。

 どこに、なんてわからない。

 だって、気づけば私は、見知らぬ青空の下を落ちていたんだから──!

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