第9話
息苦しかった。
ここじゃどうにも息ができなくて、
私を邪魔しない、空気で溢れている場所を探していた。
廊下も喧騒で満ちていた。
みんな平気な顔して行き交って。
上手に生きられている。私はここにはいられないのに。
深海にいるような心地がした。
流れ込んでくるものが私の鼓膜を圧迫してくる。
ほじくり出しても新しい喧騒が流れてくる。
ここから逃げるように私は階段を登った。
目が悪いならメガネを掛ければいい。
髪が長いなら結べばいい。
それなら、耳を塞ぐ私のことだって許して欲しかった。
だって仕方がないでしょう?
音が全て私に向いているような気がしてしまうのだから。
嫌いなものを避けて歩くことは祝福されてほしい。
その意思表示がヘッドホンだった。
私はみんなに何も与えず、犯さずにいるから。
だから私のことを許容してくださいと願っていた。
自分勝手だって泣きたくなるけど。
私だってあなたたちに歩み寄りたかった。
無理だった。みんなみたいに私は善人じゃない。
自分のことしか頭にないのだ。
余裕がないことを悪だと言うのだろうか。
あやかという少女だって、その友人だって。
橋本啓太だってそうだ。
みんなずるい。
私が持っていないものを持っている。
それが彼らなりの苦労からもたらされたものだと
わかってはいるけれど。それでもずるい。
私だって生きづらい。
被害者ぶらないでほしい。
なんだか私だけが悪いみたいじゃないの。
私はできない。
みんなと違って怯えている。
私に向けられていない声さえ精密に聞き取ろうとしてしまう。
そうすることで針がこちらを刺していないか確かめるのだ。
みんながそれをしているっていうの?
それでみんなが平気ならおかしい。
みんなサイコパスだ。
この感覚は私だけのものだ。
私は世界の中にはいられない。
世界は私にとって水の中だ。
地球が水で覆われていると思うと悲しくなる。
私は世界じゃうまく生きられない。
水面に行かないといけない。
それでようやく息が吸える。
階段を登っている。
もう息は切れていた。碇が付いているみたいに足は重い。
でも上の方。遠く遠くに光があることを知っていた。
ゆらゆら揺れている光がある。
私はそこに行かないといけない。
そこでなら私は息が吸える。
屋根があるから、息が吸えずにいるのだ。
鼠色のドアがあった。
重い扉が光を遮っていた。
体の重さでドアを押し開ける。
ゆっくりと、焦らすように扉は開いた。
ぬるい空気が私の顔面に流れ込んできた。
眩い陽の光があった。
ここが水面だった。
空を仰ぐように体を沿って、肺を膨らませた。
長い時間をかけて満ちた空気を吐き出す。
匂いも味もしなかった。
ここでなら息ができた。
人工物みたいな澄んだ青空がそこにはあって、
平らな地面を陽が均一に照らしていた。遮るものはない。影がない。
何度か息をして、私は寝転ぶ。
緩いコンクリートの温度は心地よかった。
頭とお尻のあたりは不快な硬さだったけど、
気にならなかった。
落ちてくる光を真っ直ぐ受け止めた。
天井一枚挟んで喧騒が薄まっている。
確かにそれはあるけれど、それは遠い国の凶悪犯罪のよう。
ここは別世界だ。
いつも見つめていた場所だ。
日頃眺めていた暖かな太陽に少し近づいた。
ここで息を吸う。
私以外の大多数はここにいない。
みんな優雅に世界を泳いでいると知っている。
こっそり息継ぎをしながら美しい世界で生きている。
なんだか生きていちゃいけないような心地になる。
それでも耳を塞いでいる自分を変えられなくて、嫌になる。
遠くでチャイムが鳴っていた。
私は聞こえないふりをする。
眠気はないけど目を瞑れば。
そしたら今日をやり過ごせる気がした。
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