新人祓魔師、始動

第10話 内定者研修

 陰陽連への入社が決定した後、予想に反して特に何事もなく家に帰されてから1週間が経過した。


「よっちゃん、最近なんか機嫌良いね」


「そうか?」


 既に卒業所要単位を取り切っている中、興味があったので受けてみた講義の終了後に善幸が荷物を鞄にしまっていると隣で一緒に講義を受けていた同学年の男友達、山根庄司やまねしょうじにそう声を掛けられる。

 

「うん、少し前のどんよりした感じとは真逆だよ。何か良いことでもあったん?」


「……まあ、無くはないな」


 山根の質問に1週間前の出来事を思い返しながら善幸は答える。

 

 朝山伊織との出会いに悪魔からの襲撃、八岐大蛇、悪魔憑き…………そして、内定。


 そう、内定だ。

 色々と大変なことになりはしたが、何はともあれ内定を手に入れることができたのだ。

 もう就活をする必要が無いという事実が善幸にこれ以上ないほどの開放感と精神的安定感を与えていた。


「っていうか、そのチョーカー何?お洒落?」


「ああ、これか……」


 あまりにも変わり映えしない普通の日常にもしかしてあの日の出来事は全て自分の夢か妄想なのではないかと善幸は思ったりもした。


 けれど外すことのできないこの首枷の存在が皮肉にもあの非現実的な1日が……貰った内定が本物だと証明していた。


「似合ってる?」


「全然」


「…………」


 この首枷を嵌めることは仕方ないにしてもどうせならもう少しお洒落な首枷にしてくれたら良かったのにな……と善幸が能天気なことを考えていると背後から「赤羽先輩ッ!」と溌溂な声が耳に入ってきた。


「夏目か、なんか随分と久しぶりな気が……」


 誰かと思って善幸が振り返ると薄茶色に染められたポニーテールの髪を揺らし、愛嬌のある表情を浮かべる2つ下の後輩である女性、夏目紗理奈なつめさりなが立っていた。


「先輩が就活が忙しいってサークルに全然来ないからですよ!」


「確かに」


 考えてみれば4年生になってから講義ほとんど受けてない上にゼミの卒論も無かった。加えてここ最近は就活に必死でサークルどころか大学にすら碌に来ていなかった。


 久しぶりに思う筈である。


「折角来たんですし、今日は部室にも顔を出して下さいよ」


「……それもそうだな。今日は出るか」


 考えてみれば大学生でいられるのもあと少しだ。ようやく就活も終えて時間もできたことだし、久しぶりに挨拶に行こう。


「ちょっと、なっちゃん!俺には何も無いの!?」


「だって山根先輩は結構な頻度で部室に来てるじゃないですか……」


「確かに!」


 夏目の指摘に山根が納得した様子で叫ぶ。

 そう言えば山根は3年の後半には既に内々定を貰って気楽そうにしていたなと善幸は過去の記憶を振り返る。


 当時は次々と内定を手に入れていく山根に対してずっと妬ましさ覚えていたものだが、それも昔の話だ。


 今やこちらも内定所持者。

 山根を妬む理由など何一つない。


「とりあえず俺は一回、部室に顔出しに行くけど山根はどうする?」


「よっちゃん行くなら俺も行こうかな〜」


「よし、なら一緒に……ん?」


 話している途中でポケットに入れていたスマホが振動していることに気付いた善幸は手を入れて取り出すと画面を確認する。


 そしてつい先程届いたメッセージの内容を確認すると善幸はため息を吐いてスマホを再びポケットへとしまった。


「すまん、急用が入ったから顔出しはまた今度だ」


「えぇ〜!?」


「何でですかッ!?」


 善幸の発言に山根と夏目の2人は不満げな表情を浮かべがら抗議の声を上げる。


 けれど善幸はそんな彼らの声を無視して背を向けるとどこか得意げで腹立たしさを覚える表情を浮かべながら口を開く。


「内定者研修だ」


 そう言って去っていく善幸の後ろ姿をポカンとした表情で見送った山根と夏目は互いに顔を見合わせる。


「あれ、赤羽先輩って内定持ってたんですか?」


「いや、特に何も聞いて無いけど………ああッ!さっきの良いことって、そういうことか!!」


 山根の納得した声が大学に響き渡った。


*****


「お、来たね。赤羽くん」


「お久しぶりです、矢島さん」


 東京都新宿区の指定された場所へと辿り着くと先に着いて待っていたらしい矢島がひらひらと手を振りながら声を掛けてきた。


「悪いね、突然の連絡で」


「全然大丈夫です」


「そう?何か用事とか無かった?」


「はい、サークルに顔だそうかなって思っていたくらいなので平気です」


 少し前ならともかく、今は就活を終えて講義もほぼ無い。お陰で時間にだいぶ余裕ができたので突然の連絡でもある程度は融通を利かすことができる。


「そっちには顔出さなくて良かったの?」


「はい、別にいつでも顔出せますからね」


 矢島の問いに善幸は問題無いと即答する。

 後で文句は言われるかも知れないが、それよりも研修の方がずっと大事だった。


「まぁ、特に問題無いなら良かったけど……」


「それより矢島さん、連絡には研修って書いてありましたけ何をするんですか?」


「そうそう、軽く概要だけ説明しとこうか」


 善幸の質問に矢島は頷くと今日の目的の趣旨を説明する。


「実はこれから僕の弟子の子が任務に出るんだけど、赤羽くんにはその任務に同行して貰おうと思ってるんだ」


「任務に同行ですか……?」


 想定していたよりもハードそうな内容に善幸が不安げな表情を見せると矢島は安心させるように話を続ける。


「まぁ、同行と言っても基本は見学だけだよ。それに対象も低級悪魔ばかりだし、僕も付き合うからね。今回の目的はあくまで赤羽くんに改めて祓魔師がどういうものかを理解して貰おうってだけだよ」


「なるほど……」


 矢島の説明に善幸は納得すると同時に安堵する。

 確かに事前に仕事内容を確認することは大事だし、入社後のイメージとのギャップを埋める為にも必要なことだろう。


「まぁ、前回みたいな危険は無いから気楽に付いてきてよ」


「……分かりました、よろしくお願いします」


 若干不安は残っているが、それでも前回ほど危険なことにはならなそうだと安堵しながら善幸は頭を下げる。


「それじゃ、早速行こうか。ここから現場まで少し歩くから付いてきて」 


「はい」


 目的地に向かって歩き始める矢島の背中を追って善幸も足を動かす。


「……そう言えば、矢島さん」


「ん?何だい?」


「陰陽連って今年、何人くらい新卒採用しているんですか?」


 サラリーマンに学生、それにギャルと多くの人々が行き交う間を縫って進む中、善幸はふと気になったことの一つ矢島へ尋ねた。


「ああ、今年の新卒なら赤羽くん以外ないよ」


「え゛」


 想像もしていなかった返答に善幸は驚愕の声を漏らす。


「俺だけ……なんですか?」


「うん、君だけだね」


 善幸は人混みに飲まれて消えそうになる矢島の背中を追い掛けながら声を掛ける。


「あの、それは現時点でって話ですよね?まだこれから取る予定はあるんですよね?」


「いや、無いね」


 善幸の質問を矢島はバッサリと切り捨てる。どうやら陰陽連の新卒採用は既に終了しているらしい。


「陰陽連は人材不足だって言ってましたよね?」


「ああ、深刻な人材不足だとも」


「なのに新卒採用、俺だけなんですか?」 


「いやぁ、君が入ってくれたお陰で0にならずに済んだから良かったよ」


 良かった良かったと矢島は呑気に笑っているが、善幸からすれば笑える話では無かった。


「えっ、マジで俺1人なんですか?」


「残念ながらね。だから赤羽くん、早く強くなって一人前になってね」


「…………」


 善幸は脳裏にブラック企業という単語を思い浮かべながら矢島の後を追うのだった。

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