第8話 首枷

「朝山さん、その傷」


「ああ、大丈夫ですよ。見た目ほど酷い怪我ではありません」


 灯りに照らされて明瞭になった伊織の姿は顔や腕には絆創膏が貼られていたり、包帯が巻かれていたりと痛々しい姿をしていた。


「俺のせいで……申し訳ない」 


「この傷は不覚を取った私の責任です。赤羽さんの責任ではありません」


「いや、そんなことは無いだろ…」


 元を辿れば自分を助けようとして隙を見せたところを目一鬼に狙われたことが原因だ。自分がいなければそもそも伊織は不覚を取ることも怪我をすることも無かった筈だ。


「それに折角、綺麗なんだし痕が残ったら大変だろ」


「………先程も言いましたが、傷のことなら心配しなくても大丈夫です。跡は残らないらしいので」


「そっか、なら良かった」


 傷跡のことを心配すると少し間が空きながらも伊織から問題ないという返答が来た為、善幸はホッと安堵の息を漏らす。とりあえず傷が残らないようで良かった。


「……それより、赤羽さんは自分のことを心配するべきです」


「ああ、下手したらこのまま死刑なんだろ?」


 自分の身体のことをそれよりもと流すのはどうなのだろうかと思ながら善幸は頷くと伊織はその返答に顔を歪めた。


「本当に分かってますか?このまま殺されてしまうかも知れないんですよ?」


「分かってるけど……まぁ、矢島さんがどうにかしてくれるって言ってたし」


 尤もここに閉じ込められた経緯を考えるとあの人の言葉を素直に信じていいのかは分からなくなってきたが……。


「………申し訳ございません」


「……えっ、いきなりどうしたの?」 


 突然、伊織が頭を下げたかと思ったらそのまま謝罪の言葉を口にした為、善幸は訳が分からず首を傾げる。


「赤羽さんがそんな状態になったのは元を辿れば私の責任です。あの時、私が貴方をしっかり守ることができていれば……こんな事にはならなかった筈です」


「いや、そもそも俺が君の邪魔をしなければ————」


「違いますッ!」


 善幸の言葉を遮るように伊織が声を荒げる。

 フロア全体に響き渡るほどの大きな声に思わずビグッと身体を震わせて硬直する善幸を尻目に彼女は叫び続ける。


「全て私のせいです!私が…祓魔師として弱かったから………ッ!!」


「…………」


 いきなり感情的に叫び出す伊織に善幸は困惑しながら思う。

 善幸からすれば目で認識できない速度で動き、あの目一鬼と呼ばれた悪魔を途中まで圧倒していた時点で充分強いと思うが………祓魔師の基準からすると違うのだろうか?


「アハハハ、流石にそれは自分を卑下し過ぎなんじゃない?」


と重苦しくなってしまった空気を切り裂くように能天気な声が響き渡り、視線を向ければニコニコと笑みを浮かべた矢島が歩いてきた。


「矢島さん……」


「仮にも二等祓魔師なんだし、もっと自分に自信を持ちなよ」


 暗い表情を浮かべる伊織を励ますように矢島が彼女の頭をポンと叩きながらそう言うと視線をこちらに向けた。


「思ったより早かったですね」


「すぐ終わるって言ったでしょ」  


 予想よりも随分早く戻って来た矢島に善幸がそのことを指摘すると彼は笑いながらそう答える。


 時計が無い為、正確な時間は不明だがそれでも15分くらいしか経っていないような気がするが、そんな簡単に終わる話なのだろうか?いや、というより仮にも人一人の命が掛かっている訳だし、そう簡単に終わらせて良い話な訳がないのだが……そこのところ大丈夫だろうか。


 ———まさか雑に死刑とか言われたりしないよな?


「とりあえず話し合いの結果を先に伝えるね。赤羽くんが一番気になっているであろう、君自身の処遇についてだけど……」


「…………」


「…………」


 矢島の続く言葉にゴクリと息を呑む善幸。伊織も緊張した面持ちで矢島の言葉を待っている中、善幸に下された処遇が告げられる。



「無事、釈放の許可が出ました!」


「良かったぁぁああッ!」


「……ふぅ」


 ぱちぱちと拍手をしている矢島を尻目に安堵の感情を吐き出すように善幸は声を漏らし、責任を感じていた伊織も処遇の内容を聞いて胸に手を当てながら息を吐いた。


 けれど、そんな弛緩した空気に待ったを掛けるように矢島は「ただ…」と言葉を続ける。


「残念ながら無条件という訳にはいかなかった。赤羽くんにはここを出る条件としてコレを付けて貰うことになる」


「何ですか、それ?チョーカー?」


「それは……ッ!」


 そう言って矢島が手に持っていた物を善幸に見せ付けるように掲げた。どこか黒い首輪のようなソレを善幸が訝しげに眺めていると伊織が声を荒げる。


「これは『喰魔の首枷』っていう魔導具でね。君の封印が解けた時、或いは作動権を持つ者の狙ったタイミングで作動するんだけど、作動すると首枷の内側から牙が現れてそのまま装着者の首を食い千切るんだ」


「く、食い千切る…?」



 あまりも物騒過ぎる言葉に善幸が震えながら呟くと矢島はその通りと頷く。


「万が一、封印が解けかけた時に君ごとオロチを殺せるようにってね。まぁ、それでも何とか作動権は僕が手に入れたから安心して。作動させるつもりは無いし、ちょっとしたお洒落アイテムだとでも思ってよ」


「お洒落アイテムですか……」


 鉄格子越しに手渡された『喰魔の首枷』を眺めながら善幸は呟く。デザイン自体はドンキにでも売ってそうな至って普通のチョーカーだが、先程の物騒な効果を聞いた後だと発動しないと分かっていても嵌めることに躊躇いを覚える。というか、ぶっちゃけ嵌めたくない。


「あの、矢島さん……」


「ダメだよ、伊織ちゃん。僕も必要無いとは思ってるけど、今は嵌めて貰わないと赤羽くんを出してあげられないんだよ」


 首枷を手に持つ善幸に視線を向けながら首枷について伊織が口を開こうとするも先んじて矢島に制される。


 これは善幸に首枷が必要が不必要かの話ではない。

 結局のところ首枷を嵌めなければ陰陽連の上層部はオロチに憑かれた善幸を牢から出すことに納得してくれないのだ。


「………」


 その言葉に責任感から表情を暗くする伊織を見た善幸は意を決するように僅かに息を吐き———勢いよく首に首枷を嵌めた。


 カチッという小気味の良い装着音が響き、伊織と矢島の視線が善幸の首元に集中する。


「赤羽さんッ!?」


「ふぅ、これで出して貰えますね?」


 首枷を嵌めたことに驚く伊織を無視して善幸が違和感のある首元を撫でながら矢島に尋ねると彼は「勿論」と二つ返事で牢を開けた。


「にしても思い切りが良いね。正直なところ、もう少し迷うと思っていたよ」


「まぁ、流石にずっとこんな場所にいるのは嫌ですからね…」


 多少の間はあったとはいえ予想よりも早く『喰魔の首枷』を装着した善幸に対して矢島は驚きながら言うとため息混じりに言葉が返ってくる。


「それにこの首枷が作動することは無いんでしょう?だったら寧ろこの首枷、お洒落だなと思って」


「お洒落って、そんな簡単に嵌めて良いものじゃ———ッ!」


 あまりにも楽観的な善幸の物言いに伊織が口を挟む。

 仮に作動しないとしても、それでも作動してしまえば命を奪う物には違いないのだ。それをお洒落感覚で嵌めて言い訳がない。


「それに俺が暴走する心配が無いと判断されるようになればコレ外して貰えるんでしょう?」   


 そんな伊織の物言いに善幸はあくまでも気楽を装い、内心に抱く恐怖心を覆い隠しながら矢島に尋ねる。


「勿論。問題無いと判断された暁には僕が責任を持って外すことを約束するよ」


「ほら、矢島さんもこう言ってくれてるし、そんな心配しなくても大丈夫だよ」


「大丈夫って……」


 その判断を上から受けることがどれだけ絶望的なことなのかを本当に分かっているのだろうか?


 悪魔に与えられる危険度の中でも最上位である凶魔に位置する大悪魔、八岐大蛇。


 幾ら封印が効いているとは言え、かの魔蛇を完璧に抑える付けることなど一流の祓魔師ですら至難の技だというのに。それを祓魔師のふの字も知らないようなど素人に出来る訳が無い。


「まぁまぁ、ここはあんまり空気も良くないし、とりあえず上に行こう。赤羽くんには幾つか書いて貰わなきゃいけない書類もあるしね」


「はい、分かりました」


「…………」


 パンと手を叩きながら矢島がそう提案すると善幸は首を縦に振り、伊織は無言で何か言いたげな表情を浮かべながら矢島の提案に従うのだった。

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