第6話 憑かれました

 気付くと善幸は真っ白な空間に立っていた。


「……どこだ、ここ?」


 ぐるりと首を動かしながら周囲を見回してみるが、どこまでも果てしなく白い世界が広がり続けているだけで他には何も無い。まるで白いキャンパスの上にでもいるような錯覚に陥っていると突然、辺りが何かの影に覆われて暗くなる。


「ん?何が………」


 訝しげに思いながら振り返った善幸は視界いっぱいに映る大蛇の姿を目にして言葉を失う。ギロリとこちらを見下ろす赤い瞳、キラキラと輝く白い鱗が特徴的なその姿はつい最近どこかで見たような気がするが……いや、違う。そうじゃない。

 

『シャァアアアッ!!』


 と善幸ボーッとしている内に大蛇はその口を広げてこちらを丸呑みにしようとして——————。





「うぉぉおおおおおおッ!?!?———って、あれ?」


 悲鳴を上げながら善幸が勢いよく身体を起こすと目の前に自分を喰おうとした大蛇の姿はなく、代わり見慣れない部屋の壁が視界に入った。


「元気の良い目覚めだね」


 さっきの蛇は何だったんだと善幸が混乱していると隣から声が聞こえ、視線を向ければパイプ椅子に座った黒いロングコートを纏った人物の姿が視界に入った。男にしては少し長めの黒髪に爽やかさと僅かな胡散臭さを感じさせる笑みを浮かべる二十代後半くらいの容姿の整った男性だった。


「あの……貴方は?」


「それより先に確認したいんだけど君、身体は何ともない?とかあればすぐに教えて欲しいんだけど」


「身体……ですか?」


 男性の質問に善幸が内心で首を傾げながら自身の身体を見てみると何故か白い病衣を着ていた。


 ———え…俺、怪我したの?いつの間に?


 自分の状態に困惑しながらも腕を回したり身体に触れたりして自身の状態を確認してみるが、特に痛みや違和感のようなものは無い。少なくとも自分で確認する限りは健康そのものに思える。


「いえ、特には……」


「それは何よりだ。赤羽善幸くん」


 善幸の言葉に男性は相変わらずニコニコと笑いながら呟く。そんな男性の様子を眺めながら善幸は改めて先程の質問を問い掛けた。


「あの、貴方は……それに何で俺の名前を?」


「そうだね。とりあえず現状問題は無さそうだし、今のうちに自己紹介をしておこうか」


 そう呟いて何かの確認を終えたらしい男性は懐から一枚の名刺を取り出して善幸へと手渡した。


「はじめまして、赤羽くん。僕は陰陽連所属の祓魔師、矢島廻やじまかい。よろしくね」


「おん?……ふつまし?」


 男性、矢島の自己紹介と受け取った名刺を確認した善幸は祓魔師という聞き慣れない職業名に眉根を寄せる。


「そうだよ。悪魔を祓って人々を守ることがお仕事の立派な職業さ」


「悪魔を…祓って人々を守る?」


 ————何だ、そのゲームの設定にありそうな胡散臭い職業は……。


「あれ、伊織ちゃんから聞いてなかった?てっきり話してるかと思ってたけど」


「……伊織?」


 聞き覚えのある名前を聞いた善幸の脳内に赤い空の不気味な世界、そして自分に襲い掛かってきた怪物と刀を振るっていた少女の姿が蘇ってくる。


「……そうだ、俺は彼女に撃たれて……それであの世界に…」


「…………」


 脳裏を過ぎる魔界での記憶に頭を抑えながらボソボソと呟く善幸を矢島は特に何かを言うでもなく楽しそうに眺める。

 そうして暫く独り言を呟きながら記憶を整理していた善幸は自身を助けてくれた伊織が怪物との戦いで逸れたままであることを思い出して声を上げる。


「そうだッ!!あの女の子、朝山伊織さんは無事ですか!?彼女、俺を助けようとしてあの世界で————」


「落ち着いて落ち着いて。心配しなくても大丈夫。怪我は負ってるけど伊織ちゃんは無事だよ」


 慌てた様子の善幸に矢島は先程までより温かみのある笑みを浮かべながら無事だと告げる。


「そうですか、良かった……」


「けど今、君が心配するべきは伊織ちゃんよりも君自身だよ」


 伊織が無事だったことに善幸が安堵の息を漏らしているといつの間にか笑みを消した矢島がこちらを指差しながらそう告げてくる。


「……俺の身体、やっぱりどこか怪我でもしてたんですか?」


「寧ろ怪我とかだったらどうにでもなったんだけどね」


 質問に対して矢島はどこかはぐらかすように答える為、善幸には彼の言っていることがよく分からなかった。そもそも怪我の方が良かったなんてことあるのだうか。


「…………どういうことですか?」


「いや~実は君の身体、今ちょっと面倒なことになっててね」


 再度、答えを求めた善幸が尋ねると矢島は椅子から立ち上がりながらゆっくりとこちらに近付いてくる。そして善幸の目の前まで来たところで胸を人差し指で示しながら矢島は告げる。





「結論から言うとね。君、になっちゃったみたい」


「悪魔…憑き?」


 予想もしてなかった回答に善幸は困惑する。

 悪魔憑きって、なんか映画とかでなんか女の子とかが狂ったように暴れていたアレだろうか?別に今ところ精神的な以上は感じられないけど………。


 善幸が困惑気味に繰り返し呟くと矢島はその通りだと静かに頷く。


「ちなみに悪魔ついては知ってる?」


「朝山さんから何となくは……。魔界?とかいう異世界にいる危険な怪物だってことくらいですけど」


「なら話が早いね。今の赤羽くんは言葉通りその悪魔に憑かれた状態なんだ。それも特にヤバいのにね」


「特にヤバい…?」


「八岐大蛇。その名を冠する悪魔の分身が君に憑いてる」


「八岐大蛇って……あの神話とかに出てくる?」  


 八岐大蛇と言えば日本神話に出てくる有名な怪物だ。


 曰く8つの首と8つの尾を持つ蛇の怪物。

 確か伝承では酒に弱く、策略によって出された酒を飲んで酔っ払ったところをスサノオに全ての首を斬り落とされて倒されたという間抜けな話があった筈だが……。


「まぁ、全く同じと言うわけではないけどね。実際のアイツは神話の内容よりも相当面倒だった訳だし……」


 どこか忌々しげにブツブツと呟く矢島の言葉を聞きながら善幸はそんな怪物の分け身が自分に憑いてるのかと身体に視線を向ける。


「…………」


「よく分からないって顔をしてるね〜。まぁ、でも今は封印も効いてるし当然か」


「そうで……って、封印?今、封印って言いましたか?」 


 アハハと朗らかに笑っている矢島の様子も相まって事態の深刻さを感じられないが、封印という聞き捨てならない単語を耳にして善幸の表情が一変する。


「うん、中のオロチが暴れないように今の君の身体には封印が施されてるんだ」


「え、俺の身体に封印があるんですか?」


 善幸は慌てて自服を捲って自身の身体を確認してみるが、特に変な跡のようなものはどこにも見られず、何かかをされたようには思えない。


「別に目に見えるものでも無いからね。見るだけじゃ分からないよ。けどそんなに気になるなら、ちょっとだけ封印を解いてみようか?」


「……良いんですか?まだ全然分かってないですけど、今の俺の中に封印されてる八岐大蛇ってヤバいんですよね?」


「ちょっとだけなら……まぁ、大丈夫だよ。それにその方が赤羽くんの現状把握にもなるだろうしね」


「なら……お願いします」


 正直なところ善幸は矢島の話を半信半疑で聞いていた。

 魔都での出来事がある為、全てを疑うことは無かったがそれでも突然言葉だけで悪魔憑きなったと言われてもなるほどと納得できる訳がない。


 もしこれで自分の身体の状態が分かるならしっかり確認しておきたかった。


「それじゃ、今から封印を緩めるから気合入れてね」


「はい」


 返事を聞いた矢島が頷くとゆっくりと手を善幸の額に指を当てるとボソボソと小さな声で何か詠唱らしい言葉を口にした。



 その直後だった。



「アッ!……ガァッ!?」


 ドクンと心臓が力強く脈動したかと思うと身体の中でが暴れるような感覚に襲われる。内側から自分の身体を食い破って外に出ようと言わんばかりに体内では激しく暴れ、そしてその衝撃が痛みとなって全身を襲った。


「ぐッ…ア…ォォオオッ!?」


 再び心臓が激しく脈打つ。

 そして背中に違和感を覚えた善幸が苦しみながらも母は帰ると背中が不気味に膨れ上がっていた。ギョッとする善幸を他所に背中はそのまま奇天烈なまでに膨れて上がったかと中から2メートルほどの白蛇が出現した。それも一体では無く、何体もの白蛇が背中から生えるようにして唸り声を上げながら出現した。


『シャァアアアッ!!』


「おっと、思ったより解放し過ぎたかな?」


 呟きと共に一閃。

 いつの間にか矢島の手に握られていた鍔のない一本の鈍色に輝く刀が横薙ぎに振るわれ、善幸の背中から現れた白蛇たちはその全てが瞬く間に首を斬り落とされた。


「封」   


「…ガ……ァ…?」


 首を失った白蛇たちの首が力無く床に崩れ落ちる中、矢島が再び指を苦しげな声を漏らす善幸の額に当てると緩めた封印の術式を締め直す。


 同時に内部で暴れていたオロチの力が弱まり、背中の首を失った蛇たちもズルズルと音を立てながら善幸の身体へと戻っていき、数十秒もした頃にはまるで夢だったかのように肉体は元の状態へと戻っていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 けれども乱れた呼吸、背中が破れた病衣、そして現れた蛇たちが暴れたことによって荒れた部屋が今の非現実的な出来事が実際に起きたことであると証明していた。


「どう?君の置かれた状況、何となく理解できた?」


「ええ、身を持って分かりましたよ……」  


 尚もぜぇぜぇと息を切らしながら善幸は矢島の問い掛けに頷く。この一瞬で今の自分がヤバいということは充分過ぎるほどに理解できた。分からせて頂いた。


「それは良かった。それじゃ改めて本題に入ろうか」


「これが…本題じゃないんですか?」


「違う違う、これはただの状況確認。本題は赤羽くんの処遇についてだよ」


 そう言われた善幸は嫌な予感を覚え、思わず身構える。

 先程の封印を少し緩めた際の八岐大蛇の暴走を考えると好意的な処遇が受けられるとは思えない。


「察しがいいね。当然ながら君に与えられる選択肢は良いものとは言えない。順番に言っていこうか」


 善幸の様子に笑みを浮かべなが矢島はパイプ椅子に座り直すと一つずつ選択肢の説明を始めた。


「まず最初の選択肢は処刑。これは言うまでもなく、赤羽くんにとって一番最悪の選択肢だね。尤も君を殺せば憑いているオロチを一緒に殺せる訳だから一部の過激派からすれば最も望ましい選択肢だろうけどね」


「………処刑」


 なんとなく予想はしていたが、それでも改めて処刑という言葉を告げられた善幸は身体がズシンと重くなるような感覚に苛まれる。そんな善幸の心情を察しながらも矢島は話を続ける。


「次が僕たち陰陽連の施設に監禁。これは次善の選択肢。現状、君に施したオロチへの封印は効いてるからね。まぁ、自由はあんまり無いだろうけど、それでも生きていられるだけマシってとこかな?」


「…………なら最善の選択肢は?」


 次善の選択肢でもこれなのかと思いながら話を聞き続けていた善幸は先を急かすように尋ねる。今まで矢島が上げた選択肢は最悪と次善の二つ。つまりまだ最善の選択肢が残っている筈だ。



 善幸の質問に矢島はニヤリと笑みを浮かべると勿体ぶった様子を見せた後に最後の選択肢を述べた。



「君が祓魔師になることだ」

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