第3話 やはり異世界

 スタートダッシュで転ぶことなく駆け出すことができたのは善幸にとってこの上ない幸運だった。


 と言うのも—————


「嘘だろッ!?」


 玄関の扉を勢いよくぶち破り、そのまま汚い部屋の中を駆け抜けてベランダから文字通り飛び出た善幸は背後から聞こえてきた轟音に着地と同時に振り返り、恐怖と驚愕の入り混じった声を上げる。


 善幸が目を向ければ先程まで自分がいた筈のアパートが音を立てて崩壊していた。土煙が舞い上がり、壁や天井の一部だった石材がバラバラと地面に落下していく中で赤い瞳がこちらを睨み付けていた。


 きっと転んだり躓いたりして少しでもあのアパートから出るのが遅くなっていたら間違いなくあのアパートと同じように木っ端微塵になっていたことだろう。


 尤もまだ危機は去っていない訳だが……。


「ヤバいヤバいヤバいヤバいッ!!」


 善幸は着地の衝撃で痺れの残る足に鞭を打ち、少しでもあの怪物から距離を取るべく走り出す。


 履いている靴は革靴で加えて足元は瓦礫が散らばっているせいで不安定で幾度となく態勢を崩しそうになるが、それを気力で耐えながら一歩でも怪物から離れるべく走り続ける。

  

「……はぁッ!はぁッ!」


 あの怪物が一体どんな存在なのかは分からない。

そもそも考察のしょうも無いが、少なからずアイツが何かしらの意思を持って自分を襲っていることだけは分かる。


 故に逃げる。逃げなきゃ殺される。間違いなく殺される。


「ッ!!」


 善幸が必死に走っていると背後からドスンという重いものが地面に落ちたような音が聞こえて来る。


 振り返る余裕は無い。けれども音からして瓦礫の類では無く、怪物が地面に着地した音だと悟った善幸はとにかく足に力を込めて走り続ける。


 少し前まで死にたいと思っていたが、流石にこんな訳の分からない場所で訳の分からない怪物に殺されて生涯を終えるのは善幸としてもゴメンだった。死ぬならせめて青い空の下で死にたい。


 とそんなことを考えていると背筋に凄まじい悪寒が走り、直感に従って横に向かって転がり込む。


『ォォォオオオオオオッ!』


「ひッ!?」


 直後、先程まで善幸がいた場所を鋭く尖った鉤爪のような形状をした怪物の脚が襲い掛かった。運良く躱すことができたので命拾いはしたが、脚を振り下ろされた地面を見ればそこにはポッカリと穴が開いていた。


「くっ…こ、腰が……」


 その威力を目にした善幸は仮に自分が回避しそびれていた時のことを想像し、その恐怖のあまり思わず腰を抜かしてその場から動けなくなる。


 言うまでもなく絶体絶命の状況だった。


『ギィィイイ』


「か、勘弁してくれ……」


 ニヤリとまるで怯えるこちらを嘲笑うかのように口角を上げながら近付いてくる怪物に対して逃げることすらできない善幸はそう言って乾いた笑みを浮かべるしかなかった。


 けれども善幸の思いも虚しく、こちらを喰らうべく怪物がゆっくりと口を開く。そして怪物の口内でギラギラと輝く牙が目と鼻の先にまで迫り、いよいよ自分の最後を覚悟をした善幸が目を瞑り————


 

「はぁッ!」


『ギィイッ!?』


 ————その直後、聞き覚えのある声と共に上空から何者かが化物へと落下してきた。


「ッ!?」


 怪物の悲鳴と同時に生暖かい液体が顔に降り注ぎ、何事だと目を開けた善幸は眼前の光景を前にして目を見張る。


 つい先程まで正彦を喰らおうとしていた怪物は頭から紫色の血を流しながら力無く倒れており、その血の流れを辿っていくと頭部に一本の刀が深々と突き刺さっていた。


「全く、こんなところまで移動しているとは……。手間をかけさせてくれますね」


 そして、その刃を突き立てたであろう張本人。

 刀の柄を握って怪物の頭部に立っていた少女がどこか面倒そうに呟きながらゆっくりと顔を上げる。


「ッ!?き、君は……ッ!」


 少女の顔を見た正彦は思わず驚愕の声を漏らす。

 それもその筈だろう。何せ彼女は——————


「さっきぶりですね、勘違いのお兄さん」


「君は……あの時の自殺をしようとした」


 ————善幸が自殺を止めようとした少女と全く同じ容姿をしていたのだから。


 少女は微笑みながら刀を怪物の頭部から引き抜くと体操選手かと思うような軽やかな動きで地面へと飛び降りて着地する。


「だから、自殺しようとした訳じゃないですって……」


 善幸の言葉を呆れた様子で否定すると手にしていた刀を振るう。するとヒュンという風切り音と共の刃に付着していた紫色の血液が振り払われて地面に掛かった。


「それよりもよく魔界にいて無事でしたね、お兄さん。しかも牛鬼に襲われて生きているとは運が良いですよ」


「………マカイ?ギュウキ?………いや、というか君は一体何者なんだ?それに、その怪物………って、後ろ後ろッ!!」


 善幸が尋ねている途中でゆっくりと牛鬼と呼ばれた怪物が起き上がるのを見て、思わず少女の背後を指差しながら叫ぶ。


「色々と思うことはあるでしょうが、まずはこの場から離れましょう。良いですね?」


 けれども少女は善幸の言葉に慌てることなく迫ってきた牛鬼の顔面を振り向き様に一閃、真っ二つに叩き斬ると安全の為にここから離れることを提案する。


「…………はい」


 善幸に彼女の提案を断る選択肢は無かった。

 



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