11話

 走り始めてから、何時間が経過しただろうか。

もう、太陽が沈んでからかなり経過している。

息も絶え絶えになり、一足踏み込むたびに足が悲鳴を上げていた。


 まだ走り続けられているのが不思議なくらいだ。

何かが起きれば、すぐに崩壊する。


「足が絡まって……」


 その何かが起こるのは、意外と早かったようだ。

 アレスは、転んでしまった。


「痛い」


 地面にうつ伏せになったまま、力がどんどん抜けていくのを感じた。

 鉛に変貌した自分の体を動かせる気がしなかった。


「ここまでなの?」


 涙があふれ出してくる。


「まだ、……止まれない」


 ヒバナの足を引っ張りたくない。

引っ張れない。後押ししてあげられる存在じゃなきゃいけない。


 アレスは体を起こそうとするが、体がそれを拒絶する。


「言うこときけぇ!」


 歯を食いしばるが、目は霞み、アレスの頑張りを足があざ笑う。


「まずい……」


 周りでたむろしていた男たちの口角が吊り上がる。

 しかも、アレスが倒れてしまったのは、薄暗い裏路地のような場所だった。

いつもなら、ちゃんと危機管理を怠らずに、こんな危なそうなところには入らなかったはずだ。


だが、考え事をしながら赴くままに走っていたために、こんな場所に入ってしまった。


「お嬢ちゃん、ダメじゃないか。こんなところに来ちゃ」


「何されても、文句言えないぞ」


 男たちは舌なめずりをしながら、近くに寄ってくる。

アレスは、自分の体を触ろうと迫りくる手に噛みつく。


「痛ってぇ!! こいつやりやがった!」


「だせぇな。早くやることやっちまおうぜ」


 アレスは男たちに囲まれる。

逃げようとするが、体が動かない。


「お願い。動いて」


 そう呟いた瞬間、一人の男の子が倒れる。


「アレスッ!!!」


 そこにいたのは鉄パイプを握ったヒバナだった。


「おい、こいつヒバナじゃねぇか!?」


「じゃあ、こいつ、アレスか!! あのセーナのお気に入りじゃねぇか」


「逃げるぞ」


「なんでだよ! やられっぱなしじゃ」


「鬼のセーナを知らねぇのか?! こいつらに手を出したやつらは女だろうが誰だろうが半殺しにするイカレ野郎だ。やりたかったら一人でやれ!!」


「おい待ってくれ」


 そういって男たちが逃げ去って行った。


「まじで、セーナ何やらかしたんだよ。大丈夫か? アレス」


「本当になにしたんだろ。……でも、それより」


 また助けられてしまった。


「……ありがとう」


 ヒバナの差し出した手を掴み、立ち上がる。

しかし、足の力が急に無くなり、重い頭から倒れそうになる。


 ヒバナは慌てて倒れこもうとしたその体を受け止める。


「アレス!!」


「私、走らなきゃ」


「もうやめとけ」


「嫌ッ!!」


 アレスの弱すぎる力で、ヒバナから離れようとする。


「絶対に嫌……」


 アレスは、ふらふらする体を起こした。


「アレス……」


 ゆっくりと前へと進む。

 ヒバナはそのアレスの背中を見届けようとするが、自分の顔を叩いて目を覚ます。


(逃げるな!)


 ヒバナはアレスの手を掴む。


「アレス、もうやめろ」


 アレスが驚いたような顔をして、ヒバナを見るがすぐに視線を逸らした。


「……一番」


「ん?」


「一番、近くで、ヒバナが、夢に向かって、努力してるのを、見てきた」


 アレスは荒い呼吸を整えながら、ようやくヒバナの顔を見た。


「それなのに、私のせいで、夢を諦める?」


 再び、倒れそうになった。しかし、支えようと駆け寄ったヒバナに片手を向けて止めて、自分の足でたおれそうになる体を踏みとどまる。


「そんなの、絶対に嫌」


 何度もヒバナに助けられた。

夢を持って走り抜けるヒバナはいつも輝いていた。


 アレスが追いつこうと走っても、ヒバナには追い付けない。

それでもいい、ヒバナのそばにいられれば。


 だけど、足を引っ張るというなら話は別だ。


「アレス……」


「私は、頑張るヒバナが好き」


 突然の告白に、ヒバナは頬を赤らめる。


「だからこそ、ヒバナがどれだけ本気で夢を叶えようとしてるのは誰よりも知ってる」


 何十回も他人に馬鹿にされた。できるわけがないと笑われた。

ヒバナはそれでも絶対に諦めなかった。


 何度、馬鹿にされようが笑って夢を語ってくれた。


「サルベージハンタ―になる夢は、もうヒバナだけの夢じゃない。私だって、ヒバナとサルベージハンターに成りたい!」


 アレスは、ふらつく体を前に進める。


「だから、私は強くならなくちゃいけないの。私だけは、ヒバナの足を引っ張っちゃいけないの。背中を押してあげられなくちゃいけないの」


 死にかけようが、地獄に行こうが、それだけはやってはいけない。やらなくちゃいけない。


「なんで、そこまで」


 その言葉で、アレスは足を止めて、ヒバナへ振り返る。


「だって、相棒でしょ?」


 アレスはさも当然、といった風に答える。


「……そうだったな」


 ヒバナは、大きく伸びをする。


(何やってたんだ、俺は。なにがアレスのために夢を諦めるだ。俺の相棒がそんな弱いわけがないだろ)


「なぁ、アレス。俺も走っていいか?」


「え?」


「相棒が頑張ってるんだ。一人で待つことはできねぇよ」


「ん!」


 久しぶりに見るアレスの笑顔だった。

今日だけで、感情をあまり出さないアレスの表情を何個見ただろうか?


 それほどまでに、アレスの中のヒバナは大きな存在なんだと、ようやくヒバナは……。


「競争だ!」


「ん。でも、私は30キロは走ってるから、ヒバナの走る距離は私の残りの丁度倍、走れば平等」


「何キロ走るつもりなんだ?」


「100」


「…………お前、算数得意だったよな?」


「妄言吐いた罰」


「ああ、もうわかったよ。悪かった」


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