7話

 その中は、暗くオレンジ色の光で照らされたトンネルのような場所だった。


 海は暗く染まり、底には薄暗いライトがついている。

 その光は海中の小さなゴミを照らして揺らいでいて少し不気味な場所だった。


『ようこそ、大船【オリオン】へ。オリオンは人口五十万人。プール、温泉、娯楽施設がふんだんに詰められた楽園です。どうぞ、お楽しみください』


 緊張している中で不意にくるその機械音声は、アレスを驚かせるだけのものがあった。


「びびってんのかアレス。何回目だ?」


「……わからない」


 声は出さなかったのだが、体が一瞬硬直したことをヒバナは気づいていたようだ。


 アレスはヒバナのウェットスーツの端を掴み、体を震わしながら周りを見る。

 たくさんの水上バイクや小型船が並んでいる。


 あの後、二人は用事のあるらしいセーナと別れて、拠点としている大型の住居船に来ていた。


 主人は他のバイクにぶつけないようゆっくりと間を通って水上バイクを定位置に停める。


 エンジンが停止し、キーを取り出すとアレスの巻いていた紐をひったくり、アレスを蹴り飛ばす。


 その蹴りは重く、背中に熱が溜まる。


「先にいけ」


 アレスは指示に従い、設備されていた階段まで泳いで船の上にたどり着く。

 それに気づいた警備員の人々が小走りで近づいてきた。


「身分証を提示しろ」


 アレスには身分証は存在せず困っていると、少女に追いついてきた主人がカードを出す。


「カサンダ=リニアだ。サルベージハンターをやっている」


 警備員は、その身分証を確認して頷く。


「確認した。そちらのお嬢さんと坊主は?」


 警備員はボードを書き込みながら、少女を見つめていた。


「奴隷だ」


「なるほど。女の方は、高そうだな。手は出したのか?」


「子供に興味ねぇよ」


「それもそうか。よし、行っていいぞ」


 主人が濡れた体のまま更衣室に消えていき、アレスも奴隷専用の更衣室に入って着替えをする。


 その更衣室は隠す気がなく見通しがいい。

その上に男女共同だ。


 年端も行かないアレスは、そんなことを気にせずスーツのチャックを開ける。


 すると、上半身が露わになるのと同時にスーツに溜まっていた水がジャバジャバと一気に落ちてきた。


「お前、ちょっとは恥じらいをだな」


「……下着は着てる。それより、顔殴られたところ大丈夫?」


 アレスはヒバナの殴られた頬を触り、大切そうに撫でる。


「ああ、大丈夫だ。それよりアレスも背中蹴られてたろ大丈夫か?」


 少女の体には所々主人に作られた傷があり、今日できた紐の跡をなぞると、何かに刺されたような痛みが体に走る。


「……一応、大丈夫」


「あのおっさん。性格悪いからな。少しでも弱み見せたら、もっと痛ぶられる。今回は良く我慢できたな」


 ヒバナはアレスの頭を撫でて褒めるが、アレスは恥ずかしそうに顔を落とす。


「他の人にやると気持ち悪がられるからやめといた方がいい」


「うっ。それよりあのおっさん待たせたら厄介だ。早く着替えるぞ」


「ん」


 アレスは主人が着ているスーツの洗濯をしなくてはいけないことに気づき、すぐにボロ雑巾のような服へ着替える。


 更衣室にあった桶を借り、そこに自分のスーツを入れた。


「ヒバナも……」


「ありがとさん。持つぞ」


「ううん。いい」


 ヒバナのスーツも入れ、桶を抱える。


「うーわ。おっさんキレてる」


 先に外の様子を見に行ったヒバナが渋い顔をしていて、つられて眉間に皺を寄せる。


 警戒しながら更衣室から出ると、海パン姿の主人とその仲間数名がいた。

 随分待ったのか、携帯をいじったり貧乏ゆすりしたりと待ち方がさまざまだった。


 主人がヒバナに近づいてきてまた一発殴る。

ヒバナの頭がくらりと揺れ倒れそうになるが、アレスにこっそりと支えられて踏みとどまった。


「遅い」


「すみませ……きゃ」


 アレスは蹴り飛ばされて壁にぶつかる。

痛みなどないようなふりをしながら、震える体を起こすと、ヒバナが再び殴られていた。


 アレスが伏して倒れると、持っていた桶の中にスーツを投げ捨てるように各々が入れていく。


「ようやく終わったぁ。それに明日は、待ちに待った花火大会だ! 楽しみしかねぇよ。ナンパでもしようぜ。50人はもちかえってやる」


「ばかが、お前じゃ無理だろ」


「どういう意味だこら」


 そんな声が遠ざかるのを聞きながら、アレスは体を起こし、桶を持とうとすると、それは海水の重さも相まって、指を挟んでしまう。


「っ。……はっ」


 痛みに反応してしまったことに気がつき、周囲を確認する。

 誰もいないことに、ホッと胸を撫で下ろした。


「大丈夫か?」


「ん。見た目ほどじゃない。ヒバナは?」


「まー、多分大丈……。うおっと」


「嘘つかない」


 フラつくヒバナの体を支えると、ヒバナは離れようとする。


「お前の方がずっと重症だろ。蹴り飛ばされてたじゃねぇか」


「だから、見た目ほどじゃない。受け身的なこと取れたから」


「ったく。情けねぇな。俺」


「ヒバナは情けなくない、かっこいい」


「……」


 アレスは何故か視線を逸らすヒバナを背負い、犬小屋のような自室に戻る。


「悪い」


「ヒバナは悪くない」


「そりゃそうだけど」


 アレスは、自分より痩せ細ったヒバナの体に集めた綿の上に乗せる。

 だが、ヒバナはそれを退けて立ち上がろうとしてきた。


「洗い物やんなきゃだろ」


 アレスはそれを読んでいたと言わんばかりにすぐさま、起きあがろうとするヒバナの体を押し倒す。


 顔が近く、アレスは胸に謎の異常をきたすがヒバナの健康状態の方が優先的であるため気にしない。


「洗い物は私がするからヒバナは寝てる」


「お、おぅ」


 限りのあるなけなしの水と石鹸を取り出して桶の中にいれる。


「いってらっしゃい」


「! いってきます」


 桶を再び持って、すぐ干せるよう甲板から一番近い奴隷専用ルームに移動する。

そこには痩せこけて今にも死んでしまいそうな奴隷達が何人も寝っ転がっていた。


 アレスは無表情のまま階段近くまで移動し、そこで大量にあるスーツを洗い始めた。


 奴隷には人権がない。ご飯を食べる権利もないし、反抗などしてしまえば、すぐに撃ち殺されてしまう。


 奴隷など誰も同じ待遇だが、なり方は一応二つの手段がある。


 敵船に敗北し捕虜となったとき、もしくは金欲しさに身を売ったときのみだ。

 アレスは親に売られた側の人間だった。


(確か、売られた理由は『気味が悪い』とかだったっけ)


 親の記憶などもうほとんどない。


 だけど、全然、悲しくなんかない。むしろほんの少しだけ感謝している。

 奴隷にならなければ、ヒバナと会えなかった。


思い出すことすらできない家族なんかよりも、ヒバナの『いってらっしゃい』の方がアレスの心を温めてくれる。


 アレスは出そうになった鼻歌を抑えながらスーツを泡立たせ洗う。


「やばくね? また人が殺されたの?」


「人じゃなくて奴隷ね。主人の奉仕する時に乱暴されて殺されたらしいよ。まだ子供だったのに……」


「そうだよねー、普段は奴隷なんて気持ち悪くて抱けやしねぇみたいな顔しといて。あ、例の子じゃん」


「例の子?」


「色んな男に、言い寄ってるらしいよ。あの子を守るために一人死んだらしい。それなのに、当然みたいな顔してたらしいわよ」


「うわぁ。最低」


 二人の奴隷の物珍しそうな視線がアレスに集まる。どこから情報を集めてくるのか、噂になっているようだった。


 アレスは気にせず、紅い目をスーツに集中させる。しかし、奴隷たちが近づいてきた。


「ねぇねぇ。あなたって処女?」


「いつもの彼氏は一緒じゃないのー?」


 とても奴隷と言っても淑女2人が初対面の子供に向かっていう言葉ではなかった。

 アレスは2人を無視して海の見える窓の近くでひたすらにスーツを洗う。


「無視してんじゃないわよ!」


 すると、無視されたことに苛立ったのか奴隷の片方がアレスを蹴り飛ばす。

 船の壁にぶつかり、鈍い音がする。痣がまた増えただろうとアレスは慣れた感覚で判断する。


「あんた、少し美人だからって調子乗ってんじゃないの? お高く止まっちゃってさ。奴隷のくせに」


 アレスは表情を変えずに再び、スーツを洗おうと桶を掴む。

 その様子にまた腹が立ったのか、拳を振り上げる。


「なにやってんの!」


「「げっ」」


 一人の女の姿に二人は逃げるように散っていった。


「一回ボコっただけであんなにビビる必要ないじゃない……」


 アレスはあきれた表情をしながら、緑の髪の少女に話しかける。


「セーナ?」


「そうだよ。私参上!」


 なぜか吹っ切れたような顔をしたセーナが隣で仁王立ちしていた。


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