5話
アレスは離れないように繋いだヒバナの手を握りしめる。
明確に、恐怖を抱いていた。
当然だ。今日の朝に潜っていた同じ『日本』だとしても、危険度が月とすっぽん並みに違いがある。
片や、何百人もハンターたちが挑んでモンスターも遺物もない遺跡。
方や、つい最近に発見された未確認箇所の多くモンスターや遺物も多く残っている遺跡。
サルベージハンターの仕事は単純明快、リスクに見合ったリターンしか返ってこない。
今回は、ハイリスクハイリターンの仕事の方な上に、誰か確実に死んでいる量の血液が海に流れている。
こんなぼろ雑巾のような装備かつ武器を持たない状態で入るなど、自殺行為だ。
(セーナ……)
『血は吸わないように気をつけろ』
『ん。……あ、あれ』
突き当たりの廊下には死体が浮かんでいた。
『セーナじゃないみたい』
『ああ、そうだな。回収してあげるか』
そう前に進もうとした瞬間だった。
勢いのいい海水の流れが、二人を吹き飛ばす。
『大丈夫か? アレス』
『なんとか。それより……あれ』
ヒバナがアレスの指差す方向に目を向けると、さっきまであったはずの死体がなく、廊下にさっきまでなかったはずの削られたような大きな傷がついていた。
何かが、二人の目の前を横切ったのだ。
コンクリートを削るほど大きく、力強い、人を食す何かが。
『……早くセーナを連れて帰るぞ』
『ん』
2人は慎重に廊下を泳ぐ。
アレスは逃げ場を探し、ヒバナは索敵に専念。
いつも通りの立ち回り。
しかし、大きな潮の流れと一瞬で消えた死体。
確かにいる得体の知れない何かへの恐怖を、海の静けさと冷たさが大きく煽る。
『セーナ、無事でいてくれよ』
『セーナは元ハンター。だから大丈夫』
その強気な言葉とは裏腹にヒバナの手を掴む力が強くなっていた。
アレスは安心させるように手を握り返そうとすると、ヒバナに引っ張られる。
『アレス、海水の温度が少し変わった気がする。隠れるぞ』
『ん』
アレスが見つけていた小さな部屋に入り、様子を見る。
すると段々、水温が高くなっているのがアレスにも感知できた。
『!?』
廊下の広さを埋め尽くすほどの太い黄色い影が現れた。
顔だけでも、二人の大きさをはるかに超え、ボロボロで脆そうな体だがコンクリートの床を抉る。
白くなった見えないはずの目をギョロギョロと動かし、にやけたように半開きな口。
その所作だけでも、悪魔のような嫌な威圧感を放つ。
アレスは叫びそうになる口を押さえながら、逸らしそうになる目をその黄色い影に固定した。
魚は常時、海水より高い温度の熱を放っている。
でかい魚や化け物達の体温も水温と比べて高くなる傾向にあるのだ。
ヒバナは温度の変化に即座に気づいてはいたが、
『でかすぎんだろ……』
『悪食ウツボ……だと思う。図鑑に載ってた。高火力の武器が必要とも、書いてあった。最低でも対戦車用ライフルは必須』
悪食ウツボ。
遺跡によく住まい、多くの初心者ハンター達を海の藻屑にすらなれないほど喰らい尽くしてきた化け物だ。
その特徴としては、硬い皮膚や質量に見合わぬ速さを使い、獲物に突進。突進してバラバラになった獲物を残さず食らいつくす。
弱点としては視力と頭が悪く、大きな音が鳴ればそこへ突っ込んでいく。
『対戦車用ライフルなんて主人達持ってなかったし、しかもここは、主なトラップが【警報】で一本道が多く、狭いこの環境。悪食ウツボにとって最高の餌場だ』
この時点で遺跡にある全ての【警報】がただ鳴るだけの安全トラップから即死トラップと化けたのだ。
『最悪』
『あいつら、対戦車用ライフルの資金ケチって俺らを時間稼ぎの囮として使う算段だったな』
『それだったら遺跡の外に出るのが一番いい。けど、主人が許すわけがない。だから、セーナの居場所は多分ここかここ』
小さい空間のため耐久力に優れたトイレか、四角を描く廊下から少し外れた場所にある音楽室。
どちらも悪食ウツボが入りづらい場所だ
『まぁ、セーナは奴隷の中じゃ一番強いし、頭もいい。多分、音楽室だろ。ただ行ったところで何もできない気がする』
『逃げるだけなら意外となんとかなるかも。………ただセーナと主人に滅茶苦茶怒られる覚悟だけはしといて』
『わ、わかった』
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セーナは音楽室に滑り込んで、悪食ウツボから逃れる。
『はぁはぁ、やっぱり裏があったわね』
逃げ遅れた仲間の数だけ断末魔が上がる。
『ごめん』
みんなを率いて、ここに逃げようとしたけれど、
指示に従わない者や運動神経が悪い者は皆、悪食ウツボの餌食になってしまい
辛うじて生き残ったのはセーナの他に、たったの3人。
『その3人も窓から逃げようとして、船番に射殺された……と。タイムリミットも近い、このままじゃ確実に置いてかれるなぁ』
主人たちが船に戻れば射殺され、探索している別棟に逃げ込むわけにもいかない。
逃げる場所といえば、子供たちのいる二階くらいだろう。
セーナは素早さにかなりの自信がある。
しかし、いくらセーナの泳ぎが速いといっても、流石に海の化け物の中でも素早さと破壊力が特出している悪食ウツボからは逃げきれない。
そのうえ、逃げ道が極端に少ないこの場所では、二階への階段にたどりつくよりも先に死が先に訪れるだろう。
『悪食ウツボの位置さえわかれば、確実に逃げられるだろうけど。もう賭けに出るしかないかしら』
悪食ウツボがセーナの後ろを取った場合やトラップを踏んでしまった場合、
セーナの死は確定する。
『生存確率を半分切る作戦はあんまりやりたくないんだけど、仕方ないか』
そうセーナが覚悟を決めた瞬間。
ジリジリジリジリジリジリジリジリジリジリッ
『【警報】!? まだだれか生き残ってたの?! いや、今はそんなことどうでもいいわね』
悪食ウツボが壁にぶつかった衝撃を感じとった瞬間、セーナは階段へと全力で泳ぎはじめた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ヒバナの方の【警報】がなるのを確認して、アレスは【警報】を鳴らした。
そして作戦通り、すぐ様トイレに身を隠す。
いきなり方向転換できないほど大きな体。そして、悪食ウツボの知能を使った作戦。
それの最初の段階、二つの警報を悪食ウツボから同じ距離で同時に鳴らすことによる錯乱による時間稼ぎ。
本来なら隠れる隙さえ無く突進されるはずだったが、これは成功したようで、隠れる隙を作ることができた。
『来る……。ここからが本番』
廊下を削りながら高速移動するなにかの音がどんどん近づいてきた。
悪食ウツボはトイレに突っ込もうとしてくるが、小さな部屋のおかげで建物全体へと力が分散され、部屋は崩れない。
第二段階、セーナの逃げる時間を自らの体を使って稼ぐ。
正直、アレスかヒバナのどちらがこの役割をするのかわからなかったが、はずれを引いたのはアレスの方だった。
ただ、一つ誤算があるとするならば、
(怖すぎる……)
あまりの威圧感に体が震えあがる。
そんなアレスの事情はいざ知らず、悪食ウツボはトイレの小さなドアに入り込もうと、身体を捻り始める。
体を無理やりねじ込んで、アレスに食らいつこうとしているのだ。
アレスは、扉から一番離れた壁に体を預ける。
しかし、それは気休めでしかない。
体を預けている壁にも次第に亀裂が走っていく。
アレスのいる場所にぎらついた不揃いの牙が近づき、近づいてくるたびに心臓の音が速くなる。
そして、ついに食らいつける所まで牙が届いてしまった。
大きく開かれる口。その口が閉じる瞬間はアレスが餌となる瞬間だ。
しかし、アレスは諦めない。
なぜなら、
『ヒバナがいるから』
ジリジリジリジリジリジリジリジリジリジリッ!
他方からの【警報】が鳴り響く。
ヒバナが次の【警報】を鳴らしてくれたのだ。
悪食ウツボは音に反応して去っていった。
それを確認するとアレスはすぐさま、悪食ウツボを追うようにして全力で泳ぐ。
これが最終段階、《皆がいるところまで全力で逃げる》だ。
前の方で、悪食ウツボが衝突する音が聞こえた。
最後の曲がり角を曲がると、何もないところで暴れている悪食ウツボの姿が見えた。
そして、その手前でアレスを迎えるみんなの姿も。
『アレスっ!』
『アレスちゃん!!』
階段でヒバナとセーナが手を伸ばしていた。
アレスもそこへ行こうと必死で泳ぐ、が。
ジリジリジリジリジリジリジリジリジリッ!!!!
『トラップ!?』
みんなの姿を見て気を緩めてしまったのか、アレスが【警報】のトラップに引っ掛かってしまった。
『まずい! 早く来い!!』
前にいた悪食ウツボの姿はもうない。
一周して、アレスの方へ向かっているのだ。
アレスの後方には、もう突進してくる悪食ウツボの姿があった。
だめだ。間に合わない。
そう諦めかけた時、二つの小さい影が前に現れた。
『行っちゃだめよ! ヒバナ! ムジ!』
ムジは悪食ウツボの前へと立ちはだかる。
ヒバナはアレスを悪食ウツボから庇おうと背を悪食ウツボへ向けた。
『【咆哮】』
ムジのスキルが発動した。
悪食ウツボは怯み、体中の筋肉が硬直する。
しかし、悪食ウツボの体は急には止まらない。
『ぐぁあぁああ』
悪食ウツボが、ムジを跳ね飛ばし、ムジの体はアレス達の横を通り過ぎた。
『ここまでか……!!』
ヒバナがそう声を漏らす。
『ヒバナ!!! アレスちゃん!!!』
セーナがそう叫ぶと、セーナがつけているペンダントが緑に光り、海流が勢いよく、悪食ウツボの体を押した。
『止まれぇ!!!』
そういって、セーナはより多くの力を遺物に込める。
すると、海流の力は強くなる。
悪食ウツボの体はどんどん低速になっていき、その体は二人の直前でようやく止まった。
『今だ。逃げるぞ!』
ヒバナがアレスを抱えて、階段を駆け登る。
アレスが朦朧とする意識の中で見えたのは、力無く浮いているムジがいた。
『私のせいで』
そこでアレスの緊張が完全に途切れ、意識を失ってしまった。
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