底辺代理人

 一人のホームレスの男がいた。彼は高架橋の下をねぐらとしていた。

 

 高架橋の下は、多くの人々が通行する。マジメそうなサラリーマンも、スケボーを脇に抱えた青年も、朝帰りのホステスも、子連れの主婦も、みんな平等にここを通る権利がある。


 通行人たちの中には、ホームレスに向かって「汚ねぇ」「死ね」「消えろ」と暴言を吐きつける者もある。酷いときには、殴る蹴るの暴行を加える者さえ出てくる。


 唯一、ホームレスの男に優しくしてくれるのは、近年急速に普及し始めたヒューマノイドたちだけだ。

 ヒューマノイドとは、人工知能を搭載した人型のロボットのことである。今や彼らは、普通の人間に混じって社会生活を営んでいる。

 少子高齢化による労働力不足に頭を悩ませる政府の窮余きゅうよの一策だった「ヒューマノイド社会進出計画」は、国民の予想に反して功を奏した形だ。


 完全無欠の倫理観をプログラムされたヒューマノイドたちは、汚らしいホームレスの男にも優しい声をかけてくれる。

 しかし、ホームレスの男は「構わないでくれ」と、優しい言葉を拒絶し続けていた。


 ある時、ホームレスの男に一人の中年女性が声をかけてきた。とても丁寧な口調だった。

 彼女は、自らを市役所の生活支援課の人間だと名乗った。


 ヒューマノイドじゃない普通の人間に優しい声をかけてもらったのは何年ぶりだろうと、ホームレスの男はぼんやり考えた。


「あなたを助けたいのです」

 役人の女は言った。

「あなたさえ良ければ、我々に支援をさせて下さい」


「いえ、結構です」

 いつもの調子で、ホームレスの男は相手の言葉を拒絶した。


「なぜです。生活保護を受けることも可能ですよ。お部屋を提供することもできます」


「私は大きな罪を犯した男です。温かい支援を頂くなど、あってはならないことです」


「大きな罪?」

 役人の女は首をかしげる。

「もしよろしかったら、事情をお聞かせ願えませんか?」


 ホームレスの男は「分かりました」と答え、おもむろに語り始めた。

 曰く、彼は過去に人をあやめているのだと言う。些細な口論から、友人を刺し殺してしまった。しかし、衝動的な犯行だったにもかかわらず、けっきょく警察は彼にたどり着くことはなかった。

 なぜならば、全く無関係の女性が、犯人として逮捕されてしまったからである。完全なる冤罪だ。そうして、捜査は終了した。

 罪悪感の重さに耐えきれなくなった男は、家も財産も地位も捨て、ホームレスになったのだ。


「私は、一人の人間を殺し、一人の人間を刑務所送りにしてしまいました。そんな私が、幸福になっていいはずがありません。私はこうして、日々、人々の軽蔑の眼差しの的になり、時には暴行を受け、無様に老いていくべき人間なのです」


「自殺してしまおうなどと考えたことは?」


「ありません。自殺は逃げです。私は逃げてはならないのです。生きて、苦しんで、そしてゆっくりと死んでいくべきなのです」


 役人の女は諦めたようにため息をついた。

「分かりました。あなたの覚悟を曲げさせるのは不可能のようですね」


「ご理解頂きありがとうございます」


***


 ホームレスの男と別れた後、役人の女は会議に出席した。

 実は彼女は、市役所の人間ではなかった。本当は、人工知能の研究を目的に設立された「先端人工知能技術研究センター」の研究者だったのである。


 会議には、複数の省庁の官僚たちが大勢出席している。


 女はプロジェクトについての説明を始めた。


「当プロジェクトは、大昔に存在した穢多えた非人ひにんの制度から着想を得たものです。人間は、自分より劣った者を見ると安心する生き物です。そこで我々は、いわゆる『穢多・非人ヒューマノイド』の開発および運用計画を立案しました。彼らには、社会の最底辺として存在してもらいます。国民たちは、そんな最底辺を見ることで、自らを肯定できるようになります。下には下がいるのだ、と」

 

 女は官僚たちを見渡した後、続けた。


「穢多・非人ヒューマノイドたちは、現在テストの段階です。本日、そのうち一体の様子を、私が自らの目で確認して参りました。彼は、自らの体がヒューマノイドだと気づく気配はまるでありませんでした。我々によって偽造された記憶に縛られ、自らを責め続けています。自害の兆候も見られません。彼は社会の最底辺のホームレスとして、機能停止するその日まで、庶民の不満のはけ口になり続けることができるでしょう」



<終>

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