幽霊とシャンプー

「あれ……? シャンプーしたっけ……?」


 僕は風呂で考え事をしてしまう癖がある。

 そしてだいたいにおいて、いま自分が入浴のどの段階フェイズにいるのかを忘れてしまう。


 まあ、それは僕に限った話ではなかろう。

 風呂で考え事をしていると、「シャンプーとリンスしたっけ?」「洗顔したっけ?」と、自分がどこまで終えたかを失念してしまった経験が、誰にだってあるはずだ。


 そうなった場合、我々は今後の入浴方針を定めるために、石鹸類に最近使われた形跡がないかを必死で見さだめようとする。

 だが、その試みはまず間違いなく徒労に終わり、我々は念のために今一度シャンプーなり洗顔なりを繰り返すことで、事なきを得るのだ。


 僕も例にもれず、今一度シャンプーをすることにした。


「……」


 頭を一心不乱にごしごし洗っていると、不意に、今日の出来事が脳裏に蘇ってきた――。


 ――今日は久しぶりに、大学時代の友人と飲んできた。

 霊感持ち(自称)の彼はその席で、ちょっと怖い話を聞かせてくれた。

 

 彼は実家暮らしで、両親と祖父と共に、マンションの一室で暮らしていた。

 しかし、ひと月前に祖父が急死してしまった。

 それから間もなくして、祖父は幽霊になって、家の中に現れるようになったというのだ。


「祖父を含めた俺たち家族は、本当なら次の日に旅行に行く予定だったんだ。でも、旅行当日の朝、祖父はベッドで冷たくなっていた。死因は心臓発作だ。あまりに急な死だったもんで、祖父自身、自分が死んだことに気づけなかったんだろうな。祖父はいまだに『明日の旅行楽しみだな』とか言ってるんだよ」


 友人は半笑いで語っていたが、怖がりな僕は割とマジで怯えていた。

 なんであろうと、幽霊が出てくる話は例外なく怖い。


「俺は祖父に、『あなたはもう死んでいるんだ。成仏してくれ』って毎日言い聞かせているんだけど、一向に死んだことに気づく様子はない。毎日毎日『明日の旅行の支度はもうしたのか?』とか聞いてくる。死を自覚できない幽霊は、生前の最後の時間の中に閉じ込められてしまうものなんだ。祖父は、生前の最後の日の夜を何度も何度も繰り返しているわけだ」


「大変だな……」

 幽霊なんているわけないと自分に言い聞かせながらも、僕の声はわずかに震えていた。


「やれやれだよ。説得には骨が折れそうだ――」


 ……。

 おっと……。

 意識がトリップしていた。

 

 僕は髪の泡を流すため、シャワーのノズルの向きを調整した。

 お湯を出し、それから手で髪に触れた。


「……あれ?」


 髪に泡がついていない。

 髪は湿っているが、シャンプーの泡の手触りがまるでないのだ。

 

 どうやら、無意識に頭を洗い流していたらしい。


「……ん?」


 にわかに、背後に気配を感じた。


 シャンプーの最中、背後に気配を感じるというのはよく聞く話だ。

 むろん気のせいだ。

 幽霊なんているわけないんだし……。


 僕は気を取り直して……。


「……」


 ……あれ?


「……シャンプー、したっけ?」


 とりあえず、もう一回やっておこう。


 僕はボトルをプッシュし、妙に細長い鏡に自分の姿を映しながらシャンプーに取り掛かった。


********


 半年前にこの部屋に入居して以来、私はずっと怪奇現象に悩まされています。

 

 もう限界でした。

 一人ではどうしようもないと判断して、プロの霊能者に来てもらうことにしました。

 

 私は霊能者をマンションの部屋に入れ、問題の場所を見てもらいました。


「います」

 霊能者は言いました。


「どんな、幽霊なんですか……?」

 

 霊能者は片手を前に突き出し、目を閉じ、しばらくじっと黙っていました。

 幽霊の正体を読み取ろうとしているのでしょう。


 やがて目を開けた彼は、ゆっくりと話し始めました。


「男性の幽霊です。彼は、以前この部屋に住んでいたようです。しかし、この場所で命を落としてしまったのです」


「……自殺、ですか?」


「いいえ、違います。彼はもともと心臓に持病を抱えていたようです。そしてある日、急な発作に襲われ、亡くなりました。普通なら成仏できるのですが……」


「ですが……?」


「死を自覚できない幽霊は、生前の最後の時間の中を彷徨さまよい続けます。この男性の幽霊は、あまりにぽっくりと急死してしまったため、死を自覚できていません。ゆえに、生前の最後の行動を繰り返しているのです」


「ちなみに、どんな行動を繰り返しているのですか……?」

 私は恐る恐る尋ねました。


 すると、霊能者は答えました。


「シャンプーです」


 私はなんとも言えない気持ちで、妙に細長い鏡がある浴室に向かって手を合わせました。



<終>

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