エピローグ、そして(前)
葉火が母親との一件に区切りをつけた翌日。
エピローグは余韻の抜けないうちに――ということで、事前に掲げた公約の通り花見が開催された。
現時刻は十四時。
場所は剣ヶ峰邸からほど近い、桜の綺麗な広場。
立ち並ぶ木々の中でもとりわけ大きな一本を囲む形で四方にレジャーシートが広げられており、参加者たちは各々好きな位置に付いて歓談を楽しんでいる。
そんな中、運営側に任命された憂は各シートに飲食物を配って回っていた。
「どうぞ。他にもどんどん届くから楽しみにしててよ」
今しがた蕎麦屋で受け取って来た、天ぷら入りの容器が詰まった袋を杜波さんへ差し出す。すると横合いから手を伸ばしてきた灰世君が、憂の腕にそっと触れた。
「ありがとう姉倉君。ところで席替えは用意されているのかな?」
「予定はないけど、始まったら好きに移動するといいよ」
「先んじていただきます、言質を」
手を合わせる男子達に母への接近禁止を言い渡し次のシートへ。
危なかった。
その後トラブルもなく天ぷらの配給を終えると、薄い箱を三段ずつ抱えた中学生達が駆け寄って来た。
「ピッツァやらポテトやらたくさん買ってきましたっ! 買物でこんなに興奮したのは初めてです!」
「ありがとう虎南ちゃ――あれぇ? キミ達、口元になにか付いてない?」
「中学生にもなればお化粧くらいしますよ。些細な変化に気付くとはお兄ちゃんも成長しましたね」
「上に立とうとするな。箱単位でつまみ食いしたろ」
五人の中学生は揃って口周りにケチャップという痕跡を残していた。
わざとやってるのかな。
わざとやってるんだろうな。
虎南が姉譲りのてへぺろ上目遣いで誤魔化そうとする。
「別に怒ったりしないよ。場所取りも手伝ってもらったし」
「わーいありがとうお兄ちゃん! ちょろい! さてさてそれじゃあ働くぞみんなー!」
陽気な号令が放たれ、中学生達が一斉に動き出す。
可愛い奴等である。学年が上がっても騒々しいままでいて欲しいな、と憂は思った。
それはさておき。
手の空いた憂は次なる仕事を求めて辺りを見回す。
デザート担当の三耶子と魚井。
お米やパン担当の夜々とマチルダが、それぞれ調達してきた品を振り分けている。
ひとまず一番近い三耶子に声を掛けようとしたが、戻って来る葉火の姿を見つけたためそちらを手伝うことにした。
「おかえり。なに買ってきたの?」
「唐揚げと唐揚げよ」
葉火はからっとした笑みを浮かべ、両手の袋を肩のあたりまで持ち上げる。
その後ろで鹿倉と弦羽も同じような動作をした。
「……まさかオール唐揚げ?」
「そんな手抜きはしないわよ。スペアリブに焼き鳥に餃子やら、お肉担当として誇れる買物をしてきたわ」
「やるじゃん。鹿倉さんと弦羽さんもお疲れ。手伝うよ」
雑談も程々に四人で肉料理を配って回り、葉火を除く全員が着座して、全体の準備が完了する。
いよいよ花見の始まり。
挨拶を務める葉火が2リットルの烏龍茶を手に、シートが作る円の外側に立つ。その位置は中学生に混じって正座する憂の正面だった。
「あたしの声は通るから、木の裏側にいる人達は耳を澄ませてくれればいいわ」
と気遣いを見せる葉火だったが――
言い終えると同時に、該当する人達が見える位置まで移動していることに気付いたらしく、「かっこつけさせなさいよ」と唇を尖らせる。
が、すぐに口元を綻ばせ。
参加者を一望するといつものように強気に笑んだ。
「今日は集まってくれて感謝するわ! 思う存分食べて飲んで楽しみなさい! 今日という日を胸に刻んで一生の宝にするのよ!」
弾む葉火の声は命じるようであり願うようでもあり、一言にはまとめられない様々なニュアンスが感じられた。
言いたいことがたくさんあるのだろう――しかし葉火はそれらをぐっと飲み込むように口を結び、
「ま、あれね。長々と話すのもなんだし、始めましょうか」
それじゃあ――
「乾杯よ!」
と鋭い声音を響かせた。
葉火の音頭に呼応して場が沸き立ち――そうして、確かな熱と共に花見の幕が上がった。
楽しい一日。
エンドロール。
あちこちから音で空気で盛況が伝わってくる。
特に憂の背後が顕著で、吸血衝動に駆られた吸血鬼が如く食べ物に飛びつく中学生によって、おぞましき生存競争が繰り広げられていた。
巻き込まれるのも面白そうではあるものの――
憂は息を殺してシートを脱出し、呆けたように動かない葉火の隣に並んだ。
横並びで盛況の輪を見渡す。
誰もが楽しげに笑っている。
桜の花も今が一番だというように咲き誇っている。
「いい景色ね」
と、不意にそう零した葉火の横顔は、いつになく柔らかな、明るい情感に溢れていた。
――本当に、いい景色だ。
「来年も見よう」
「楽しみがまた一つ増えたわ」
葉火は微笑みながら目を伏せて、指先でサイドの髪を耳に掛ける。
それから大人達が集まるシートへ目を遣った。
縮こまって正座する火薙に絡む渦乃と、夜々と三耶子の母親。
そこには、火富の姿もある。
「まだ雪解けとはいかないけど、話し合えてたから時間の問題ね。渦乃たちが友人になってくれるだろうし、変に抱え込んで拗れる心配もなさそうだわ」
「そっか。僕の母さん距離の詰め方おかしいから、嫌がられないといいけど」
「だからいいんじゃない」
「だよね」
「あとは大人に任せましょ」
「うむ、大人しく頼らせてもらおう」
葉火と同様、憂も心配はしていない。
火薙が逃げずにこの場にいて――新たな出逢いに触れている。
それは憂にとって信用するに足る、充分すぎるほど十分な事実だった。
「にしても楽しそうね、マスター親分」
母親勢の奥では、奇跡的に半休を取れたという姉倉・名瀬・古海家の父親達と、髭親父に奈良端先生、巳舌さんが酒盛りをしていた。
見えているだけでも夥しい量の缶やボトルが準備されている。
アルコールの入った髭親父がどのように変化するのは気になるところだが、君子危うきに近寄らず。
未成年は酔っ払いに近付くだけ損をするのだ。
「巳舌さんって酔うとなにかしらの上戸になるから心配だわ。ランダムだから厄介なのよね」
「某ハンターの念能力みたいじゃん」
「あはっ、良い例えじゃない」
本人に伝えておくわ、と葉火が笑う。
「こっそり一滴くらい舐められないかしら」
「僕も興味あるけど、こればかりは二十歳まで我慢しよう」
「そうね。あ、抜け駆けするんじゃないわよ。初めてはあんたらとって決めてるんだから。あたしの誕生日まで我慢しなさい――」
言いながら葉火は閃きが下りてきたかのような顔をして、頭を左右に振ると、憂に向けて上目遣いをする。
「我慢……してくれる?」
「一体なんの真似だ」
「夜々の真似よ」
「なるほどね。確かにポイントは押さえてある。だけど及第点には届かない、と辛口ながら言わせてもらおう。キュートってのはぎゅぎゅっとしないとダメだ」
「始まったわ、いつもの発作が」
「もっと可愛さを凝縮するんだ。ブロッコリーがカルピスの原液を飲むようなイメージで」
「アドバイス感謝するわ。ついでにお手本もあると助かるわね」
「任せたまえ」
憂が迷いなく夜々の上目遣いを真似ると、葉火は周囲の視線を集める規模の大笑いをした。
「――あー面白いもの見た。ほんとおバカよねあんた、夜々に怒られるわよ。それにあたしの方が絶対似てたわ」
「どうかな。後でどっちが似てるか判定してもらおうぜ」
「望むところよ。あたしが勝ったらなんでも言うこと聞いてやるわ」
「ズルしようとするな。それじゃあ早速――と、その前に」
続きは食べながらにしよう、と持ち掛けてみると、葉火が罠に掛かった獲物を嬲るような瞳を向けてくる。
こちらから切り出すのを待っていたようだ。
「悪いけど、あたしだけ特別メニューがあるのよね。氷佳があたしのために巨大おにぎり作ってくれたのよ」
「お、助かる。唐揚げに合いそうだ」
「助かるってなによ。まさか半分は自分の物だとか思ってないでしょうね」
「思うもなにも……厳然たる事実として存在してるだろ」
「食い意地がハラスメントだわ。あたしのためって言ったでしょうに」
いつまでも続けてしまいそうなので、冗談はこのくらいにして。
憂が移動を促すと、葉火は素っ気なく言った。
「先に食べてなさい。あたしは目的を果たしてからにするわ」
「目的?」
「お礼。昨日も散々伝えたけど、改めて、ね」
お礼――葉火が掲げたもう一つの公約。
手伝ってくれた全員に、一人ひとりちゃんと目を見て、ちゃんと名前を呼んで、ちゃんとお礼を言う。
それが今日の目的。
食事よりも先にすべきこと。
剣ヶ峰葉火の、エピローグ。
「そっか、そうだよね。いってらっしゃい」
「いってくるわ」
憂が笑って、葉火も笑い返す。
そして葉火は中学生が群れるエリアへ近付いていき、コーラのペットボトルを掴み上げる。烏龍茶と合わせて2リットルを一本ずつ装備。お酌をして回るつもりなのだろうか。
さてそのまま近くにいる者から順繰り感謝を伝えて回ると思ったが、葉火は憂の元へ戻って来た。
そして。
「最初はあんたにするわ」
と、真っすぐに憂の瞳を見据え、真剣な表情で。
葉火は深く深く、味わうように、頭を下げた。
「ありがとう、憂」
「どういたしまして、葉火ちゃん」
憂もまた引っ張られるようにお辞儀をして。
同時に顔を上げ、笑い合う。
「なにニヤニヤしてんのよ」
「……嬉しくて、ちょっと照れる。葉火ちゃんがニヤついてるのもあって」
「あたしの新たな表情に惚れる奴が続出しそうね」
言って葉火はくすぐったそうに笑むと、大きく一歩を踏み出し、中学生の群れへ向かって行く。
楽しげに肩を揺らしながら。
最初の相手に選んでもらえて光栄だ――最後も僕がいただこうかな。
憂は欲張りにもそんなことを考えつつ、小さく笑った。
〇
好奇心から酔っ払いに近付いてみたところ非常に疲れる絡み方をされ、命からがら逃げ出して、氷佳という安息の血を目指していると。
「憂くん憂くん。問題です」
背後から声を掛けられた。
振り返ると、如何にもご機嫌な三耶子と魚井の姿があった。
魚井が三耶子の背を支えて漢字の「入」のような形を作っている。
「私が何の真似をしているか、当てられるものなら当ててみて頂戴」
「私は補助だから、居ないものとして考えて」
やけに強気な三耶子に魚井が続く。
相当自信があるらしい――これはなんとしても当てたいところだ。
憂は顎に手を添え思案顔をする。
魚井は補助で、三耶子単体。
ということは最初に浮かんだ「入」の文字では無い。
ピサの斜塔はストレートすぎる……となると。
「シリーズ物の最新刊?」
「本棚はギチギチに詰めるのが基本でしょ」
魚井がすかさず不正解を告げる。
その持論には異論ありだが、本筋から逸れてしまうので触れないことにする。
「目の付け所は悪くないのよ。そこに私っぽさを足せば、きっと正解に辿り着けると思うわ」
「分かった。爪とぎする猫のゲーム」
「正解よ」
「違うでしょ三耶子ちゃん」
その後もいくつか回答してみたが正解することは叶わず、答え合わせ。
体勢を戻した三耶子がウキウキで言う。
「正解は、寿命間近のプレイステーション2。ディスクを読み込まない時、こうやって斜めにすると調子が戻るの」
「絶対分からなかったけど当てたかった……!」
拳を握って悔しがる憂の姿に三耶子はご満悦である。
してやったり、という感じ。
ゲーム好きの間では有名なあるあるなのだろうか。
憂が第二問を求めると三耶子は快諾し、立てた人差し指で己の顎をつつきながら天を仰ぐ。
「さてどうしましょう。もう少し分かりやすいのでいうと――」
そうしていると。
ぬるりと現れた杜波さんが三耶子の左手を掴んだ。
「古海。面白い形の天ぷらがあるんだ。見に来てくれ」
と、そのまま手を引いて連れて行こうとしたが、魚井が三耶子の右手を掴んで阻止する。
「……誰? 三耶子ちゃんは私と遊び続けるんだけど」
「お前こそ誰だ。古海は私の女だぞ」
「どうしましょう。モテモテになってしまったわ」
両側から引っ張られる三耶子は大変嬉しそうな笑顔である。
つまりもう一人加われば……?
「楽しそうだし混ぜてもらおうかな。ここは間を取って僕が三耶子さんと遊ぶ、でどうだ?」
「どうして我々の間に姉倉がいるんだ。意味が分からん」
「百合の間に挟まるとか常識ないの?」
百合だったのかよ。
愛情深い方々の辛辣な対応に苦笑いする憂だった。
まあ、いいとしよう。
実情はどうあれ、三耶子が友人に慕われているのは大変喜ばしいことだ。
「嬉しいけれど、喧嘩はダメよ二人とも。やるなら勝負でないと。ふふふ、お誂え向きのゲームを知っているから、みんなで遊びましょう」
「そうだな古海の言う通りだ。よし放せ、知らない人。そしてどこかへ去れ。古海の腕が取れる」
「腕って胴体のささくれでしょ? 取れるのは普通だよ。それくらいも知らないんだね知らない人」
なおも喧嘩をやめない二人にご立腹なのだろう、三耶子の頬がぷくりと膨らむ。
なかなかに愛らしいフォルムで眺めていたくなるが、破裂する前に対処するとしよう。
「杜波さんも魚井さんも、友達って言う割に話聞かないんだな。三耶子さん悲しんでるじゃん。あーあ、僕だったらそんな思いさせないのに」
「はぁ!?」
「はぁん!?」
煽ってみると効果覿面、魚井らは眼光鋭く憂を睨みつける。
が、すぐに見るべき相手が違うと気付いたのだろう、怒気を治めて三耶子を解放した。
「ごめんね三耶子ちゃん。ちょっと熱くなっちゃった」
「私も悪かった。許してくれ古海」
「深く傷ついたわ。私がディスクなら読み込みエラーを起こしているでしょうね」
わざとらしく拗ねる三耶子が可笑しくて、憂は自然と微笑んだ。
一方で魚井は焦りに焦った様子で三耶子を羽交い絞めにする。
「な、斜めにすれば大丈夫なんじゃないかな! ほら手伝って知らない人!」
「よく分からんが斜めにすればいいんだな。任せておけ知らない人」
三耶子の両足を抱きかかえて持ち上げようとする杜波さん。
ディスク側に問題があるのに本体を斜めにしたところで効果があるのかは疑問だが、まあ、言うだけ野暮というものだろう。
本体――本人が、それはそれは嬉しそうにしているのだから。
「ありがとう憂くん。一緒にどうかしら」
「今はやめとくよ。あとで僕とも遊んでね」
誘いに応じたい気持ちもある。
あるのだが……こちらに手を振っている人物が居るようなので、そちらの話を聞くことにする。やや離れているため憂を対象としているのかは自信がないが行ってみるとしよう。
そういうわけで。
運ばれて行く三耶子を見送って。
憂は手を振る人物のもとへ移動する。
勘違いだったら非常に恥ずかしいが――
「僕のこと呼んでた?」
「呼んでた。気付いてくれて良かったよ」
と、人懐っこい笑みを浮かべる――綾坂。
自惚れではなかったことに胸を撫で下ろし、憂も笑い返す。
「姉倉君、俺とキャッチボールでもどうかな」
抱えているグローブのうち一つを差し出してくる。
唐突なお誘いに戸惑いつつも、憂はグローブを受け取って。
親しみを込めて、言った。
「喜んで。まずは僕がバッターやるね」
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