おかえりなさい、またこれからも

 夜に色付けされた景色の中を、並んで歩く。

 同じ歩幅でゆっくりと。


 会話はなく手も繋がずに、けれど居た堪れないなどと感じる様子もなく――憂と夜々は、古海家へ向かって歩いていた。


 お付き合いすることになりました、と誰より先に聞いてもらうため。

 じきに二十時を迎えるので迷惑なのは承知の上だが、それでも、少しだけでも会って話せないかとメッセージを送ってみたところ、三耶子は快諾してくれた。


『そう言ってくれると思って待機中にょ』


 前もって入力しておいたとしか思えない速度だったが、語尾のせいで判断が難しい。さておき、続けて送られてきた写真を見るに、葉火と一緒に待ってくれているようだった。


「…………」

「…………」


 憂は息を呑む。

 二人が待ってくれているのだから歩調を速めるべきだと理解している。夜々も同じことを考えているだろう。


 しかしそれでも実行に移せないのは――距離感を見失っているから。


 キスをして以降の二人は、一周回って初々しい感じになっていた。


 心が通じ合っているのだろうお互い相手を見るタイミングは同時なのだが、視線がぶつかる度、照れくさそうにはにかんで何も言わず正面を向く。

 そんな感じだ。

 その繰り返しだ。

 バスに乗り駅へ移動して電車に揺られ、そして現在に至るまでの間、ずっと。


 ほぼ無言。

 会話は三耶子と連絡を取る際に一言二言交わしたくらいである。


 これはこれで味があるのだが、この妙なぎこちなさを放置したままでいるのは望ましくないと憂は思う。思い続けている。


 舞い上がっている時がもっとも足を滑らせやすいのだ。

 今こそ気を引き締めなければ。


 ――というわけで。

 憂は意を決し、現状を打開すべく右手をそっと伸ばし、夜々の左手に触れた。


 その瞬間。

 二人は同時に肩を震わせて、触れ合った手を自身の胸元へ避難させる。


 そして足を止め、目を見開いて見つめ合い――

 同じタイミングで噴き出して。

 声をあげて笑い合った。


「ごめん、なんだか可笑しくなってきちゃって」


「私も。もっとすごいことしたのに――」


 ね。

 少し遅れて言葉を区切り、人差し指の先を唇に添えて恥じらいを笑みに乗せる夜々。

 あざとい仕草に憂は膝から崩れ落ちそうになった。


 しかしこのあざとさこそ夜々。

 ひとまず空気が戻ったことで一安心だ。


「ごめんねずっと黙ってて。ちょっと頭がぽわぽわしちゃってた」


「僕も。初めてのキスは頭からつま先まで痺れるくらい気持ち良いって聞いてたけど、それ以上だったよ」


「……だ、誰にそんなことを?」


「…………虎南ちゃん」


 舞い上がった憂は見事足を滑らせ、虎南を巻き込んで滑落するのだった。


「こ、虎南って経験済みなの!? 誰と!? 聞いてないんだけども!?」


「知り合いの成人女性から聞きかじった情報らしいよ」


「ならば良し。私の知らぬ間に誰かとお付き合いしてたらどうしようかと思ったよ。虎南の彼氏になるには、まず私の厳しい審査を潜り抜けてもらわないと」


「僕も協力するよ。虎南ちゃんは僕の妹でもあるから」


 夜々が嬉しそうに頷いて、それじゃ行こうか、と憂が言う。


「ん!」


 すると夜々が左手を差し出してくる。

 憂はすぐにその手を握り、そして二人で歩き出した。



 〇



 古海家へ到着してインターホンを鳴らすと、三秒と経たない内に出てきた三耶子が応対してくれた。彼女の眼には未来が見えているのかもしれない。


「そろそろ着く頃だと思ってウェルカムドリンクを用意していたところよ。さ、入ってちょうだい」


 お邪魔しますと二人が会釈すると、三耶子が優しい手つきで夜々の頭を撫でた。

 靴を揃えて中へ入り、荷物をリビングに置かせてもらって、極彩色のドリンクを飲み干したのち三耶子の部屋へ。


 扉を開けながら軽やかに飛び込む三耶子に続き、足を踏み入れる。

 するとそこには異様な光景があった。


「遅かったじゃない。待ちくたびれの鎖帷子って感じだわ」


 などと意味不明な発言をしたり顔で吐く葉火。

 そこはいつものことなのでいいとして。

 それよりも何よりも目を引く違和感は、葉火の格好にある。


「……三耶子さん。これは一体どういう状況?」


 椅子に座った葉火が、縄のような物でぐるぐる巻きに拘束されていた。

 胴体は腕ごと背もたれに、足は椅子の各前脚に容赦なく結びつけられていて、首から上以外を自由に動かせない状態。


 葉火の様子を見るに不本意ではないようだが……仮に目が覚めて縛られていても同じような態度を取る気もする。


 と、目を眇めて観察する憂の背後からひょいっと顔を出した夜々が「えっ」と驚きを声にした。


「葉火ちゃん髪切ってる!」


「よくぞ気付いたわね。似合ってるでしょ。さ、褒めちぎりなさい」


「うん、似合ってる。かわいーねえ」 


 夜々はニコニコしながらトコトコ葉火に近付いていき、椅子の周りをぐるりと一周すると、不思議そうに首を傾げた。


「後ろの方、ちょっと斜めになってるとこあるよ?」


「あたしって背中にも目が付いてるけど、背中からじゃ結局見えなかったのよね」


「自分で切ったの!? そして鏡を使えばいいんじゃないかな!」


「巳舌さんの機嫌が直ったら整えてもらうとするわ。つまり今のあたしは移り変わりのさなか。過渡期ってやつね。断髪にもショートカットキーがあればいいのに」


 ――僕の彼女、縛られてることに一切触れてない。すごい。そんなところも可愛い。


 二人が仲睦まじい掛け合いを見せる傍ら、三耶子が憂に「葉火ちゃんにPCの扱いを教えてるの」と誇らしげに言った。次いで勿体ぶるような顔へ切り替える。

 

「ふふふ。気になるわよね。これにはブラジル原産のベリーみたいなヤシ科の植物くらい深いわけがあるのだけれど、聞く?」


「どうやら浅いらしいけど、是非聞かせてもらおうかな」


 憂が応じると三耶子は得意げな顔をして、滔々と語り始めた。



 ――以下、三耶子の口述を基にした回想。


 憂達の到着を待ちながら二人でゲームをしていると、一段落したタイミングで、葉火が寝転び三耶子の膝に頭を置いた。

 そんな葉火の頭を撫でていると、ふと妙案を閃いた。


「縛ってもいい?」


「あはっ。なによそれ。いいわ、好きにさせてあげる」


 と、同意を得られたため遠慮なく拘束。


 回想終わり。



「というわけなの」


「なるほど。肝心要の動機が語られていない気が――」


 そこで憂は初めてこの場を訪れた際の大変な冗談を思い出した。


「分かった。葉火ちゃんのこと監禁して死ぬまで一生離れないつもりだ」


「私にそこまでの尖ったキャラクター性は無いわ。物騒ね。憂くんって普段そんなことを考えているの?」


「考えてない! 僕の中の三耶子さんが言ってるんだ!」


「修正パッチが必要ね」


 と、悪戯っぽく笑った三耶子が追及を逃れるように葉火の元へ歩み寄る。

 そして夜々の肩を後ろから掴み、優しく押して憂の隣へ移動させた。


 その後三耶子は葉火の隣へ戻り、憂達と向かい合う。

 一連の行動に込められた三耶子の気遣いはこの場の全員が察するところだ。


 だから憂は夜々を見て。

 夜々も憂を見返して。

 微笑みながら正面を向き、


「お付き合いすることになりました」


 声を揃えてそう言った。

 彼氏彼女になりました、と。変化した関係を言葉にして二人に伝えた。


 それを聞いた三耶子は両手で口元を隠して子供っぽく笑い、葉火は顎を上げて威張るようにする。


「おめでとう。本当におめでとう。二人のこと、これからも一番近くで見守るつもりだから、邪険にしちゃ嫌よ」


「いざ目の前にすると想像してたより遥かに気分が良いわ。これからもっとあたしに見せつけなさい。おめでと」


 と、あたたかい表情であたたかい言葉をくれる二人に憂は「ありがとう」と返し。

 夜々はとたとた駆け寄って、右腕で葉火を、左腕で三耶子をぎゅっと抱き寄せた。


「ありがとう。三耶子ちゃん、葉火ちゃん。二人のことも、大好きだよ」


 夜々からの好意を、友人達はくすぐったそうな笑顔で受け止める。

 夜々はしばしの間、二人の頬に頬を擦りつけて愛情を表現した。




「お祝いにゲームをしましょうか。その為に葉火ちゃんを縛り上げたのよ」


 夜々が離れた直後、三耶子がそんな提案を差し込んだ。

 きょとんとする夜々と葉火。


 どうやら縛られている葉火もこれから始まるゲームについて何も知らされていないらしい。どころか提案した本人ですら、なにやら難しい顔をしている。


「ごめんなさい。強引に結び付けようとしたけれど、無理筋みたいだから撤回するわ。衝動的に縛ってみたけどこのままじゃ私が変態みたいだから、正当化するためにもゲームをしましょう」


「最近のあんた、あたしに遠慮なさすぎるわよ。その調子で進み続けなさい」


「一応それらしい理由はあるのよ。葉火ちゃんってあんまり照れないじゃない? だからなんとか照れさせてみたくって」


「なるほどね! 賛成多数!」


 夜々が同意する。葉火は嬉しそうに笑った。

 なんだかんだで楽しんでいるらしい。


 と、そう考えた途端、憂にとってこの状況は合点のいくものとなった。

 そういうこと、だろうか。


 嬉しくなった憂は惜しみない拍手で賛同を示し、ゲームの開始を促した。

 

「覚悟したまえ葉火ちゃん。可愛いとこ引きずり出して差し上げる!」


「ふふふ。私達の苛烈な攻めを受けていつまで強気でいられるかしらね」


 めちゃくちゃ乗り気な夜々と三耶子は意地悪な顔で微笑み合うと、葉火の両サイドに位置付いて口元を嗜虐的に歪める。

 悪役も似合う二人だった。


「いくらあたしでもあんたら相手じゃすぐ音を上げるわよ。大好きだもの。思い出すだけで照れる言葉もあるくらい」


 葉火の返しに二人は照れたのち――邪気の無い笑顔を浮かべた。

 浄化されたらしい。

 縛られてる相手に返り討ちにされちゃった。

 あの悪役へなちょこすぎる……。


 しかし悪役としての矜持は最低限残っていたらしく、二人はすぐに表情を引き締めて、葉火の耳元へ顔を寄せる。

 そしてまずは、夜々から。


「私も葉火ちゃんのこと大好き。可愛いとこいーっぱい知ってるよ。カレーライス食べるとお米だけちょっと残っちゃうとことか、私が送った何気ない写真を全部保存してくれてるとことか、授業中結構な頻度で私のこと見てるとことか――」


「――葉火ちゃんは大雑把なようで私の話を些細な所まで覚えていてくれてるわよね。そして一人の時でも、私の好きな物を知ろうとしてくれる。いつの間にか私より詳しくなっていることもあるくらい。そんな葉火ちゃんのことが、大好きよ」


「ありがとう。葉火ちゃんは私の親友だよ。ずっとずーっと仲良くしていこうね」


「私と出会って、私のことを知ってくれてありがとう。私も、もっとたくさんの葉火ちゃんを知って、大事にするわ。逃げられると思わないでね」


 と、二人分の好意を代わる代わる両耳から流し込まれた葉火は、せめてもの抵抗か唇をツンと尖らせる。

 しかし頬が赤く染まっているし、抵抗を維持できておらず、照れているのは一目瞭然だった。


「お、照れてる。二人共その調子でどんどん言ってあげてよ」


「ちょ、ちょっと憂。止めなさいよ。今日はあんたらが主役でしょうに」


「動揺してるみたいだなはひちゃん。ここに主役じゃない人間は一人もいないぜ」


 噛み付かれる心配がないため憂は大いに調子に乗り、顎を上げ、普段の葉火さながらの不敵な笑みで表情を飾り付ける。


 葉火が歯噛みしつつ身を捩ったが、拘束は緩まない。

 そんな葉火の照れ顔を覗き込みながら、悪役二人は頭を撫でたり耳を撫でたりする。


「可愛いわよ葉火ちゃん。教科書に載ってしまったら、コレクター勢との奪い合いが発生するに違いないわ」


「照れちゃってかわいー。喜んでくれて嬉しいよ。葉火ちゃんは私達のこと大好きだもんねー。憂くんもなにか言ってあげて!」


「似合ってるよ。千回回って万と言え」


「あ、あんたら覚悟しときなさいよ」


 ――と。

 ひたすら調子に乗って葉火を可愛がっていると、部屋のドアが勢いよく開け放たれた。

 騒がしいぞと三耶子の家族からクレームが入ったのかと憂は身構えたが、そうではなく。


「おやおや盛り上がってますね。すぐに帰るのでご安心を」


「ただいま戻りました! そしておかりなさいお姉ちゃん!」


 入って来たのは、マチルダと虎南だった。


 三耶子曰く、実は憂達が来る前まで二人も古海家で寛いでいたが、「まずは四人で話してください」と気を利かせて席を外してくれたらしい。


「ひゃー楽しそうなことやってるじゃないですか! わたしも! わたしも葉火さんを可愛がるー!」


 そんな気遣いの達人である虎南は、目を輝かせて素早く葉火の背後へ回り込む。

 そして噛み付かれないよう注意を払いつつ、顎下を撫でながら葉火の頭頂部に顎を乗せた。


「葉火さん、愛してますよー。ほらほら、葉火さんも言ってください。虎南愛してるーって。さてどうですか? わたしのような小娘に抵抗もできず好き勝手される気分は」


 あの小娘はおしまいだな、と憂は思った。この後確実に訪れるであろう報復の巻き添えを食らっては堪らない。

 が、妹を守るのは兄に生涯許された幸福であるため、目を背けることはできなかった。


「……虎南。この縄のような物をほどきなさい」


「お断りです! 絶対仕返しされるもん!」


「約束するわ。誰にも報復はしない」


「じゃあ私に信じさせてください」


 仲良しな先輩後輩のやり取りはいよいよ佳境を迎えていたが、いつの間にか近付いていたマチルダが虎南の首根っこを掴んだことで、打ち切りとなった。


「帰りますよ。一目見たのでもう十分です」


「満足ですか。ならば良しとしましょう。というわけで、わたし達はこれで! えすけいぷ!」 


 登場して早々に退場するらしい。

 怒涛の展開である。


 宣言通り虎南を引きずるようにして歩き出したマチルダだったが、ドアの手前で一度足を止め、夜々の顔をじっと見つめる。


 そして。

 そして――


「おめでとうございますホッグちゃん。お幸せに」


 と。

 生涯限られた回数しか見られないだろう――いや、もしかすると今後お目に掛かることは無いかもしれない表情で。

 顔いっぱいを友人への祝福で彩った。

 優しい微笑みで。

 自然な笑顔で。

 そう言った。


 無表情な彼女が見せた人間らしさに全員が驚く中、夜々だけが笑い返し、答えた。


「ありがとうマチルダちゃん。今度ゆっくり話そうね。一晩中、付き合ってよ」


「……まあ、構いませんよ。慣れたものです。いつでも掛けてきてください」


「電話じゃなくて、顔を合わせて。どっちの家に泊まるかは、一緒に考えようね」


 言って夜々が柔らかく笑むと、マチルダは目を伏せて。

 くすぐったそうな吐息を零し、


「――悪くないですね」


 そう言い残して、今度こそ部屋を出て行った。

 彼女らしくもなく、上機嫌な足音と共に、去って行く。

 マチルダにとって夜々がどんな存在なのか、短い中でも十分に感じ取れるひと時だった。


「美奈子の奴、どうしても夜々に直接会って伝えたかったみたいよ」


「二番手は譲らないってポロっと零してたもの」


 葉火と三耶子の補足を聞いて、夜々が照れ笑いしながら頬を掻く。


 ――本当にあの人は、夜々さんのことが好きすぎる。

 僕も嬉しいよ、美奈子ちゃん。


 和やかな余韻の中、憂も思わず微笑んで――それから二人を追いかけることにした。追いついたのは二人が靴を履き終えてドアに手を掛けたその時だった。


「美奈子ちゃん、虎南ちゃん。僕達も長居はしないし、一緒に帰ろうよ」


「結構です。もうしばらく四人で楽しんでください。お邪魔しました」


「そうですよ姉倉先輩。ボディーガードを雇っているのでわたし達のことは心配いりません!」


 これ以上留まるつもりはないようで、憂の制止に構わずマチルダはドアを開けて一歩外へ出る。

 その背中に向けて憂は言った。

 

「ありがとう。色々お世話になったし、後日お礼と惚気話を聞いてよ」


 マチルダは振り向くことなく「へいへい」と返し、そのまま出て行った。

 師匠ってば照れてるんですよ、と虎南が悪戯っぽく笑う。


「虎南ちゃんもありがとう」


「ほんとですよ。たくさんお世話させられて苦労しました。でも、なくなっちゃうのは寂しいので、またなにかしらで苦労させてくださいね」


「遠慮なく頼らせてもらうよ」


「わたしはいつでもお腹を空かせてます!」


 なんて、夜々にそっくりな笑顔で。

 元気いっぱいに宣言すると、虎南はドアを押し開けて外へ飛び出した。

 




 部屋へ戻ると拘束を解かれた葉火が悪党を成敗していた。

 両脇に頭を抱えられた夜々と三耶子がくすぐったそうに笑い声をあげている。


「戻ったわね憂。これからあんたの薬指以外を長短さまざまに食い千切るわ――って、なによまたニヤニヤして」


「……してる?」


「ここに来た時からずっとしてるわよ。よっぽど夜々とちゅーしたのが嬉しいみたいね」


「それもあるけど。葉火ちゃんと三耶子さんが、いつもみたいに楽しそうで、嬉しかったから」


 憂は言った。

 普段通りの騒々しさで迎えてくれた二人のことを思いながら、そう言った。


 本人達がそうしたかった、というのも勿論あるだろうけれど。

 二人はいつも通りでいてくれた。


 これまでと変わらず。

 これからも変わらないと。


 言葉だけでなく行動でも、意思表示をしてくれた。

 拘束プレイなんていうわざとらしい程の過剰さで、示してくれた。


 少しやりすぎな気もするけれど、とにかく。

 それがとても嬉しかった。


 他人を思いやれる人達が、自分を中心に据えている。

 みんながみんな、今日の主役。

 ――そんな生き方が交じり合うことこそ、僕達のいつも通り。


「ありがとう。葉火ちゃん、三耶子さん」


 と憂は真面目に言ったが、反応は無かった。


 葉火も三耶子も、そして夜々も揃って憂から顔を背けていたためだ。

 突如として訪れた異変に憂は思考をフル回転させ、自身の発言を遡り――心当たりを見つけて、三人と同じように明後日の方を向いた。


 ごめん夜々さん、口が滑った。

 だって嬉しかったんだもの。


 四人分の熱に沈黙が熟されていく。

 最初に口を開いたのは、葉火だった。

 

「まったく、意表を突かれて照れちゃったじゃない。でもナイスよ。アレをやってもらうつもりだから」


「アレ?」憂が訊く。


「憂は知ってるアレよ」


 と、サディスティックに笑んだ葉火は、夜々のお尻を叩いて憂の方へと追いやると、


「イチャつきなさい」


 なんてことを言い出した。


 同時に憂はアレが何を指しているのかを理解する。

 同じシチュエーションに居合わせたことがある。


 そう、葉火は。

 綾坂と終里に求めたように。

 思い切り見せつけなさい、と言っているのだ。


「分かった」


 憂は頷いて夜々の肩を掴み、向き合う。

 あの時は理解できなくて狼狽えたけれど――今は、剣ヶ峰葉火という人間を理解している。

 だから、迷わない。


「夜々さん。大好きだよ」


 憂からの真っすぐな視線を、言葉を。

 夜々はわずかに動揺しつつも受け止めて。

 微笑して。


「私も。大好きだよ」


 逃げることなく誤魔化すことなく返してくれた。

 恥ずかしそうに――誇らしそうに。


「あはははは! 見なさい三耶子! バカップルがいるわ!」


「ふふふ。とても、すごく、お似合いね」


 葉火は心から嬉しそうに、笑い続ける。

 そして「ふー」と一息ついて。


「愛してるわよ。あんたらのこと、心から」


 満足気に伸びをしながら、今にも踊り出しそうな調子でそう言った。


「言うまでもないけど、ちゃんと言っとくわ。折角の春休みなんだから、デートばっかりじゃなくてあたしらにも構いなさいよ」


「もちろんだよ。葉火ちゃんこそ気を遣っちゃヤだからね。言うまでもないと思うけどさ」


 夜々が笑って、葉火も笑う。

 三耶子と憂も、同じく。


 同じように――それぞれ自分らしい笑顔で、笑い合った。


 ずっと。

 ずっと。

 時間も忘れるくらいに。

 心から。


 こうしてこれからも関係は続いていく。

 変わらないようで変わりながら。

 変わったようで変わらないまま。


 明日も。

 その先も。

 きっと、最後まで。

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