姉倉幽火と剣ヶ峰憂羽

 三月十六日――日付が変わる二分前。

 葉火の誕生日を目前に憂は自室のベッドに鎮座して、スマホの画面をじっと見つめていた。


 日付が変わると同時にお祝いメッセージを送るためである。

 葉火のことだ、少しでも遅れたら催促してくるだろう――だから求められる前にこちらから祝福してやるのだ。


 メッセージを打ち込み、残るは送信ボタンを押すのみ。

 これまでのやり取りを遡り、はひちゃんスナップを眺めているうち、一分前。


 一枚の写真で手を止める。

 自撮りではなく、夜々と三耶子と一緒に映っている写真。

 友達と撮った写真。


 一人で映っている物も味わい深さがあるけれど、三人でいる時の葉火は、年相応に子供っぽく無邪気に笑っている。

 楽しそうに、笑っている。


 年相応――改めて考えてみると葉火は灯台娘の中でも一番年下で、驚くべきことにまだ十五歳だ。

 憂の中で十五歳というのは明確に子供で、十六歳からようやく大人に向けて進み出すような印象がある。


 偏見にはなるけれど、だから葉火と十五歳という響きがなんとなくチグハグに感じられて可笑しかった。

 ――お月見の十五はぴったりだけど。


 思わず笑ってしまったところで、時刻が0時に切り替わる。

 待ってましたと送信ボタンに触れようとしたのだが――


『あたしの誕生日よ。祝いなさい』


 と。

 葉火からのメッセージが届き、憂の『誕生日おめでとう。はひばーさりー』は惜しくも下に位置することとなった。


「やられた……」


 僅差で先を越されてしまった。

 分かっていたはずなのに。

 まさかここまで早いとは――こちら同様に準備して待ち構えていたとは。自動で送信する機能もあると聞くが、そんなことをするたまではない。


 恐らく葉火は送信ボタンに触れるか触れないかのギリギリで指を止めていたのだろう。一方で憂は指三本分程の距離が空いていた――したがって、ストローク分の後れを取った。


 完敗である。

 最速に。

 憂は敗北を噛みしめながらも、葉火が葉火らしく十六歳のスタートを切ったことを嬉しく思った。



 〇



「脱ぎなさい」


 放課後。葉火の呼び出しに応じて指定された場所へ行くと、開口一番奇妙な五文字を投げつけてきた。ここは確か、文化祭の時に三耶子と着ぐるみに着替えた、小道具が保管されている部屋だ。


 葉火から目を離さず扉を閉める。

 これから古海家で葉火の誕生日会をするというのに、一体なんのつもりだろうか。


「ごめん。気持ちは嬉しいけどそういうのは……」


「なに勘違いしてんのよ。いいから脱ぎなさい。ズボンだけでいいわ」


「きゃー! はひちゃんのえっち!」


 柔らかい球体を頭にぶつけられた。

 痛くない。 


「……で、今日は何を企んでんの? 誕生日だから僕がどんな無茶にも応えると思うなよ。だって今日が何気ない日だろうと聞くんだから」


「嬉しいこと言ってくれるじゃない。ご褒美にあんたをあたしの彼女にしてあげる」


「彼女……?」


 訝しむ憂へ、葉火は棚から取り出した何かを下手投げで放る。

 塊に見えたそれは宙で広がり、憂まで届かず床へ落下。飛来物の正体は――この学校の制服、スカートだった。


 理解しがたい贈り物をこれでもかと凝視して、葉火へ視線を移す。


「まさか僕にこれを着ろって?」


「冴えてるわね、その通りよ。さ、あんたのズボンをあたしに渡しなさい」


 なんとなく読めてきた。

 彼女にしてあげる、と言っていたから葉火が男装するつもりなのだろう。

 つまりは服の交換。

 どうしてその必要があるのかは、きっとこれから語ってくれるはずだ。


 憂は落ちている制服を拾い上げ、葉火の方へ歩んでいく。


「大体呑み込めたけど、男子用の制服は無かったの?」


「あんたのがいいわ。デザイン可愛いし」


 言うまでもなく他と同じデザインである。

 唸りたくなるほど説明不足だが、かつてクラスメイト達と制服を交換して遊んだ経験のある憂は、迫り来る奇妙を自分でも驚くくらいすんなり受け入れた。


「じゃあ着替えるから外出ててくれ」


「恥ずかしがることないでしょうに。でも、ま。誤解されるのは本意じゃないし、仕切りで分ければ問題ないわね」


 言って葉火は出入口を指差した。


「あのドアからこっちがあたし。向こうがあんたよ」


「僕に外で着替えろってのか」


「なによあたしに外で脱げって言ってんの? 夜々に怒られるわよ」


「着替え終えたらすぐに呼ぶから、外で待っててくれって言いたいんだ」


「それじゃあたしが露出狂みたいじゃない」


「なんで脱いでから出ようとしてるんだ! 後でゆっくりここで脱げ!」


 冗談よ、と笑いながら葉火は部屋を出て行こうとする。

 扉に手を掛けたところで一度憂を振り向いて。


「残念だったわね。あたしはちょっぴりえっちな少年漫画でも頑なにサービスシーンが無いタイプの女の子よ」


 果たしてそんな子が存在するのかは定かでないが、そう言い残して今度こそ部屋を出て行った。

 ぴしゃりと勢いよく扉が閉められる。


 次の瞬間には戻って来てもおかしくはないので、憂は素早くスカートに履き替え、素直に待機していた葉火と入れ替わった。

 このまま立ち尽くしていては不審者情報が出回りかねないため、棚から引っこ抜いた長髪のウィッグを雑に頭に乗せて俯き、葉火の着替えが終わるのを待った。


 程なくして許可が下りたので部屋へ入ると、葉火が不敵に微笑みくるりと回った。


「ど。似合ってるでしょ」

「似合ってる。さすが葉火ちゃん」


 言いながら葉火へ近付いていく。

 多少丈は余っているものの違和感は無く、華麗に着こなしていると言うほかない。


「当然ね。人は制服の通りになるなんて言うけど、あたしの場合は服の方が合わせるの」


 いつものように髪をかき上げながらそんなことを言い、胸を張る。

 そして。


「そういえば下町のナポレオンって銭湯に入り浸ってる人を指してると思ってたわ」


 ナポレオン繋がりで思い出したのだろう、葉火はやけに神妙な顔でしみじみと言った。

 憂の好きな葉火の勘違いシリーズ。


 けれど確かに下町には銭湯が多いイメージがあるし、ナポレオンはお風呂が好きらしいから、実は間違っていないのかもしれない。


 まあいいわ、と話を区切って葉火は憂の姿を上から下へ視線でなぞる。


「あんたもなかなか――」


 言いさして、ぎゅっと口を結ぶ葉火。

 たっぷり間を生んだのち口を開きかけたが、結局何も言わずに目を逸らしやがった。

 失礼千万。憂は右手で葉火の頬を挟み込む。


「正直に言ってみろ。なんだ?」


「あたしの彼女、可愛すぎ?」


「葉火ちゃん……!」


 似合っていないのは自覚しているので、茶番はこのくらいにして。

 手を離した憂は壁際の丸椅子を引き寄せて腰を下ろす。


「着替えたはいいけど、この後の展望は? 三耶子さん達待ってるし、早く行こうぜ」


「そのための変装よ。最近、放課後になると巳舌さんがあたしを攫おうとするの。昨日も夜々とおちょくってきたわ」


 葉火の説明によると、ここ最近、理由は不明だが家政婦さんに見張られているという。友達に誕生日を祝ってもらうと説明したにもかかわらず、今日も正門前で待機しているのだそうだ。


「そういうことか。説得は難しそうだし、出来たとして時間が掛かるだろうから回避しようってのは、分かった。でもわざわざ変装する必要あった? 脱出経路を正門に絞る必要はないし、裏の方からこっそり外に出ればいい」


「楽しそうだからやってみたかったのよ。男装」


「だったら文句は一つもない」


 なにより納得できる理由だった。

 それを言われては何も言い返せない。

 というか――


「それなら葉火ちゃんだけ変装すれば良かったんじゃ? むしろ男子二人組の方がいいんじゃない?」

「あ」


 葉火はいかにも想定外といった声を漏らした。

 あまりにも当たり前すぎて見落としていた、という感じ。

 この反応はマジっぽい。


 二人は無言のまま視線を絡ませ、どちらからともなく噴き出し――声をあげて大笑いした。


「あたしとしたことが浮かれ気分でおバカになってたわ」


「ほんと、親しみやすい奴だよ葉火ちゃんは。ということで、僕はジャージかなにか着るよ。三耶子さんの家で着替えさせてもらおう」


「ダメよ。夜々も三耶子も楽しみにしてるんだから、そのままでいなさい」


 当然の如く情報が共有されていることを恐ろしく思う反面、仲睦まじさを微笑ましくも思った。


 この格好で廊下を歩くつもりはなかったが――夜々と三耶子が待ち望んでくれているというのなら、教室までは継続するとしよう。

 灯台娘に激甘な憂だった。


「とにかく。カップルなりを装って学校を出るわけだけど、会話がないと不自然だからちゃんと設定を決めておきましょ。安心しなさい、あんたの影響で物真似を身に付けたわ。とりあえずあんたの真似してあげる」


 と、前置いて。

 こほん、と咳払いしたのち憂を真っすぐに見据え――


「僕は姉倉憂。趣味は速読。ただし捲るのはページじゃなくて女性の着衣。座右の銘は、目くるめくスカート捲り」


 憂の声真似をしてそう言った。

 甘く見積もって、封印推奨のクオリティ。


「全っ然似てねえ! 僕はもっとこう、渋い感じだろ! 声も大塚明夫さんに似てるし!」


「バカじゃないの似ても似つかないわよ。どうやったらそんな勘違いが生まれるわけ? あたしまで恥ずかしくなってきたわ」


「なんだと……つまり僕は三耶子さんに騙されたってことぉ!?」


「あはははは! あとでお仕置きしてやりなさい!」


 理不尽な結論をはじき出し――次は憂の番。

 葉火と同じく咳払いで間を取って、憂は自信と共に渾身の物真似を送り出す。


「あたし剣ヶ峰葉火。趣味も特技も拾い食い。全ての道はイートインスペース」


 内容もさることながらイントネーションまで完璧に再現できた。

 確かな手応えを感じつつ賞賛を待っていると――


 葉火は。

 葉火が。

 飴玉を噛み砕くような力で――左頬に、噛み付いてきた。


「痛ってえ! なにすんだこいつ!」


 慌てて飛びのくと、座っていた丸椅子が転倒して床に転がった。


 負傷箇所を押さえる憂。

 やれやれとばかりに息を吐く葉火。


「あんたがあたしを食いしん坊みたいに言うからでしょ」


「周知の事実だろ。氷佳とアンパンマン見てどいつが美味しそうか話してたこと知ってるんだからな」


「楽しかったわ。水族館に行った気分だったもの」


「嫌な客だ!」


「結局アンパンマンが一番美味しそうなのよね。あたし、街でアンパンマンとすれ違ったら頭に噛みつくわ」


「そんなのもうゾンビじゃん!」


「ゾンビといえば巳舌さんよね」


 と、葉火が急に話を本筋へ戻す。


「しぶとくてしつこいし、噛み付いたのか仲間も増えてるみたいだから油断しちゃダメよ。さ、行きましょ」


 そう言って歩き出した葉火を憂が引き止める。

 三耶子と夜々を待たせているので移動するのは賛成だが、その前に。


「葉火ちゃん、髪、そのままでいいの?」


「うっかりしてたわ」


 サッカー部も形無しの鮮やかな切り返しで進路を180度変えた葉火は、棚からウィッグとネットを取り出し、慣れた手つきで装着した。


 葉火が選んだのは黒のおかっぱで、意外にも馴染んでいる。

 ついでに憂のウィッグも調整して、ひとまずは準備完了。


「これで完璧ね。手始めに学校中の女子をあたしの虜にしてやるわ」


 巨大な野望を胸に抱く葉火の傍ら、憂はばさっと髪をかき上げる。見慣れた葉火の所作を真似してみた――真似してみたかったのだ。

 様になってるじゃない、と葉火が笑う。


「あたしのことは姉倉しくら幽火ゆうかと呼びなさい」


「じゃあ僕は、剣ヶ峰けんがみね憂羽うきはで」


「さ、行くわよ憂羽ちゃん」


「行こうか幽火くん」



 〇



 憂と葉火は三耶子達と合流するついでに教室でジャージに着替えるべく七組を目指し廊下を歩いていた。

 すれ違う者や教室に残っている同輩達は、こちらに気付くと好奇の視線を送ってきたが、話しかけてくることはなかった。


「案外乗り気じゃないの。半年前のあんたに見せてやりたいわ」


「……あの頃の僕には触れないでくれ。結構恥ずかしいんだよ」


「見てて窮屈そうだったのよね。あんたがおバカだってこと、一目で気付いたし」


「今だから言うけど……僕も葉火ちゃんの第一印象バカだった」


「失礼な奴ね」


 葉火が胸の辺りを小突いてくる。


「それが良い所なんだって気付けて、本当に良かったよ」憂は言った。


「ありがと。褒められるのは気分がいいわ。あたしが飽きるまで続けなさい」


「飽きることあるの?」


「分かってるじゃない」


 葉火は髪をかき上げようとして、空振り。

 それがおかしかったのか、くすりと笑う。


「あたしもあんたのこと、よく分かってるわよ。だから言ってやりたいことがあったんだけど、今は勿体ぶっておくわ。今日という日はあたしの誕生日で、それ以外のイベントはこの世に無いの」


「それは、その通りだ」


 言い終えると同時に、到着。

 中へ入ると、机を挟んだ向かい合わせで談笑している夜々と三耶子が、同時にこちらを向いた。他にも数人のクラスメイト達が、憂達を見て笑っている。


「…………」

「…………」


 夜々と三耶子は。

 珍妙な二人組を見て口元を綻ばせた――かと思えば、逃げるように憂達と正反対へ顔を背ける。小刻みに震えているところを見るに、笑うのを堪えているようだった。


 憂は二人の前まで行き、わざと拗ねた風で言う。


「失礼しちゃうわ。二人が楽しみにしてくれてるって言うから、恥ずかしいのを我慢してたのに」


「ごめんなさい。背筋が伸びてたから、乗り気なんだと思って、つい」


 反応を返して三耶子は立ち上がり。

 次いで幽火くんこと葉火へ視線を注ぎ、吸い寄せられるように近付いていく。


「楽しそうね。私も一緒に男装したかったわ」


「悪いわね、一人分しか無いのよ。又貸しするから後日にしなさい」


「するな」


 背を向けたまま釘を刺し、憂は眼前の夜々をじぃっと見下ろす。

 依然顔を背けていた夜々は、恐る恐るといった速度で憂を向いて。

 全てを帳消しにするような、柔らかい笑みを見せた。


「かわいーよ。かわいーかわいー」


「人をドッペルゲンガーみたいに言わないでよ」


「言ってないけども!?」


 憂はネットごとウィッグを外し、そのまま夜々の頭に乗せる。前後逆だったため夜々の顔が隠れてしまう。それをくるりと回し視界を確保した夜々の正面、先程まで三耶子が座っていた位置に、葉火が着席した。


 憂は数歩引いて三耶子の隣へ。

 なにが起こるのか見守っていると、身を乗り出した葉火が夜々の顎に手を添えて。


「僕は姉倉幽火。早速だけど夜々ちゃんの彼氏に立候補しちゃいまーす。よろぴこー」


 と、軽薄な調子で言う。

 あれが僕の真似だったら捻り潰してやる、と憂は拳を握った。


「僕と結婚してくれ。キミを毎日メリーゴーランドに乗せてあげる」


「ご、ごめんなさい」


「では言い方を変えよう。キミをきたかたにしてあげる」


「だ、誰か……お助けあれ。ラーメンにされちゃう」


「おバカね。喜多方ラーメンの話なんてしてないわよ」


「戻った! おかえり葉火ちゃん!」


 仲良しこよしな掛け合いに、隣で三耶子が嬉しそうに笑む。

 そんな三耶子の姿に微笑みながら、


「そろそろ行くわよ。三耶子に禁断症状が出てるから」


 葉火の声真似をして憂は言った。

 すると三耶子が身震いをした。


「ふふふ。待ちきれなくて震えてきちゃった」


「なにあたしより楽しみにしてんのよ。可愛い奴ね。ほら、こっち来なさい」


 手招きに応じた三耶子の頭を両手で撫でまわすと、葉火は立ち上がり歩き出そうとする。

 それを夜々が前のめりで引き止めて。


「葉火ちゃん。我慢してるだけで、私だってウズウズしてるんだからね」


「なによ妬いてんの?」


 大雑把な手つきだったが、撫でられて夜々はくすぐったそうにご満悦。

 何気ないけれど。

 見ていて心があたたかくなるやり取りだった。


 そして葉火は誰よりも嬉しそうに。


「最後まで誰一人として欠けるんじゃないわよ。あたし、自分の誕生日を友達と過ごすなんて初めてなんだから。ケチ付けたら承知しないわ」


 無邪気な笑顔でそう言って。

 鼻歌を奏でながら歩き出した。

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