ラブレタブレ ③
昼休みの終わりかけになってようやく五限目が体育だと思い出した夜々が「着替えなければー!」と大慌てで走り出し、それを面白がったマチルダと九々雲が後を追いかけて行った。
残念ながら手伝う必要はないようだったので、大人しく自分のクラスへ戻り次の授業に備えることにする。
五組を出て廊下を歩きながら。
右ポケットから手紙を取り出し、文章を読み返す。
次は左のポケットに手紙を入れ、少し進んでもう一度取り出し読み返す――という行動を繰り返している内、七組へ到着する。
最後にもう一度文章を目でなぞり、教室へ一歩踏み込んで。
自分の席へ視線を移すと、ジャージ姿で少年ジャンプを読む葉火の姿があった。
しろはひさん、もしくはくろはひさんに食べられては堪らないので、手紙を内ポケットへ仕舞い、忍び足で葉火の背後へ回り込む。
高揚感のままに思い切り驚かしてやろうと憂の心は悪戯心に満ちみちていたのだが――しかし気配を悟られてしまったようで、バン、とジャンプを閉じた葉火が振り返った。
「甘いわね。あんたの気配がどんだけ分かりやすいと思ってんの。機嫌が良いところまで分かるわ」
「やるじゃん。次はそれを逆手に取るとしよう。で、コスプレしてなにやってんの?」
「体育をコスプレイベントみたいに言うんじゃないわよ。あんたを待ってたの」
葉火は立ち上がり、ジャンプを憂のバッグへ収納する。勝手に。
そして憂と差し向い、気取るように髪をかき上げた。
「今日、バイト休みよね。あたしに付き合いなさい――」
と、言いかけて。
自信に溢れた表情から一転、いやに強張った表情で、たどたどしく言い直した。
「付き合って、くだ……さる? さい? 管狐?」
「……なにを企んでるんだ教えてくれ――まあいい。こういう時はペースを握らせないに限る。ということで、葉火ちゃん。僕に付き合ってくれ」
「いまあたしが誘ってんのよ」
「違う、僕が誘ってるんだ」
二人は同時に相手の顔へ手を伸ばし、親指と人差し指で鼻をつまんだ。
「学校終わったらあたしに付き合いなさい。いいわね?」
「いやだ。学校終わったら僕に付き合えよ。いいな?」
「いやよ」
などと出口の見えない不毛なやりとりで一分程浪費して。
見かねた三耶子が仲裁に入り、じゃんけんで決することとなった。
どちらが勝利を掴んでも行き着く先は同じである。
そんなじゃんけんの結末は――パーを出すと宣言して実際にパーを出した、葉火の勝利。
「おほほのほ、ですこと。あんたのことは手に取るように分かるわ。というわけで、あたしに付き合いなさい」
勝利を誇るように放たれる高笑いを甘んじて浴びながら、いつかのリベンジを誓いつつ憂が頷くと、葉火は満足気な顔をして腰に手を当て、仁王立ち。
敗北を噛みしめつつ目を逸らした先で、三耶子と視線がぶつかった。
「三耶子さんも来るよね?」
「ごめんなさい。今日は杜波さん達と遊びに行くの。また誘って頂戴」
と言って微笑む三耶子の肩を抱き、葉火が詳細を語った。
じき訪れるクラス替えに伴い委員長という権力を失うことに怯える杜波さんを、みんなで慰めるらしい。
杜波さんが本当に恐れているのは、そんな気の良い友人達と離れてしまうことなのだろうな、と憂は思った。
人の機微に聡い三耶子は杜波さんの心中を察しているのだろうな、とも。
憂が笑い返すと、直後に予鈴が鳴り始めた。
そのどこか間延びした音を伴奏に葉火は、
「じゃ、放課後。あんたのバイト先で待ってるわ」
そう言って。
のんびりした歩みで教室を出て行った。
〇
ホームルームを終えて二組へ直行してみたが既に葉火の姿はなかった。
笑顔で駆け寄ってきた夜々に尋ねてみたところ、葉火はホームルームが終了した瞬間に姿を消したらしい。
マチルダを家に招待したことを嬉しそうに語った夜々と別れ、憂は学校を出てバイト先へ向かった。
葉火は一体なにを企んでいるのか。
合流せずわざわざ待ち合わせるからには相応の理由があるのだろう。
人を雇ってハプニングを演出するような奴だから、憧れのシチュエーションを作り出すために奔走し、人なり物なりを集めていてもおかしくはない。
おばあちゃんとか連れて来てたら怖いなあ――などとあれこれ考えている内、目的地へ到着した。
扉を開けて中へ入る。カランコロンと鈴の音が響く。
閑散とした店内を見渡す限り、憂の他に客の姿は見当たらなかった。葉火はまだ来ていないようだ。
髭親父に挨拶を済ませ、先日誕生日会でプレゼント交換をした思い出深いテーブル席に腰を下ろす。
さて葉火はなにを仕掛けてくるのか――念のためテーブルの下を覗き込み、潜んでいないか確認してみる。当然いるはずもなく、憂が顔を上げようとした、その時だった。
「よく来たわね」
と。
キレの良い発声に続き、テーブルにグラスを置く音。
まさかと思い声の方向を見ると――
店の制服とエプロンを着用した葉火が、堂に入った立ち姿で、そこにいた。
憂はしばし目を見開いたのち、瞬きを一つ。
「……なにをやっておられる?」
「見ての通り、アルバイトよ」
この店員さんとでは話にならない。
憂が責任者を呼んでくれと要求すると、キッチンの方からこちらを窺っていた髭親父が喜色満面で歩み寄ってきた。
「いらっしゃい憂くん。驚いたかな?」
「驚きましたよ。これは一体どういうことですか? もしかして、苦肉の策で看板娘を?」
「看板娘か。まあ、それもあるね」
「気持ちは分かりますけど……確かに経済を回せるかもしれませんが、不敬罪で引きずり回されるような奴なんですよ、葉火ちゃんって。本当に大丈夫ですか?」
「引き千切るわよ」
葉火が物言いを捻じ込んできたが鮮やかにスルー。
しかし無意識に視線は葉火へ引っ張られた。
このしみったれたくたばりかけの店に、葉火のような華のある店員がいれば、それはそれは目立つだろう。偶然誰かの目に留まったりなんかして、客足が伸びる可能性は否定できない。
けれどそれで商売が上手くいくなら初めからそうしているだろうし、そもそも髭親父は道楽でこの店を営んでいる節がある――いや、だからこそか。
潰れてもいいとは思っていないにしても、利益よりも重視しているものがある。それは憂を雇ってくれていることからも明らかだった。
「憂くんの気持ちも分かるとも。剣ヶ峰さんが心配でたまらないんだね」
「それもありますけど……果たしてこのお店に人を増やす余裕があるのか気になってて」
「心配いらないよ。春休みまでの一ヶ月だし、シフトも週に一・二回くらいだ。なにより私はこのような事態にいつも備えている」
若者に頼られることを無上の喜びとする髭親父らしい答えだった。
甘えているこちらとしては、ただただ感謝するばかりである。
「……無理はしないと信じてるので、それは分かりました。ありがとうございます。でも、どういう流れで葉火ちゃんを雇うことになったんですか?」
「たまたま話を聞いてしまってね。剣ヶ峰さんには文化祭の時にお世話になったし、それを抜きにしても、常連さんが困っていれば助けになりたいものだ」
「助かりましたわ」
たまたまの部分が気になったが、似非お嬢様によって質問を返す間を潰されてしまった。
「高校卒業したら今の家出て行くつもりだし、色々と準備が必要でしょ。あたしにだって足りない物くらいあるのよ」
「社会性とか?」
「分かってるじゃないの。言い当てられたのに不思議と悔しくないわ」
つくづく客観視の上手な友人だった。
魚を得るための釣り方を覚えておく必要があると判断して行動を起こしたらしい。
「というわけで修業させてもらうことになったの。あたしが姉弟子、もしくはエシディシね」
「泣き虫なはひちゃんらしいけど、僕が兄弟子である点は譲らない」
「え、ちょっとなによ! あんた読んだの? なんで黙ってたのよ言いなさいよね!」
実は虎南から単行本を借りて、某奇妙な冒険をこそこそ読み進めている憂である。全巻読み終えてから明かすつもりだったが、うっかり口を滑らせてしまった。
それはいいとして。
「事情は完璧に理解したけど、らしくないっていうか、迂闊だな葉火ちゃん。致命的な見落としをしてるぞ」
「なによ」
「ここは絶望的に人が来ない。接客の練習をするには劣悪すぎる環境だ。公園の鳩に話しかける方がずっとマシなくらいだぜ」
「あははははは! その通りね! 一本取られてやったわ!」
「二人共出て行きなさい」
憂は席を立って深々と頭を下げる謝罪の姿勢を作り、「ごめんなさい許して下さい」と言った。
顔を上げると髭親父と葉火が腕を組んで笑っていた。
「なんで葉火がそっち側にいるんだよ。お前も頭を下げるんだ」
「あたしはいつだって前を向いているのよ」
「おバカめ。社会性ってのは足元にも落ちている。顔近付けてよく見てみろ」
力尽くで折り畳んでやろうと葉火の頭を後ろから押してみたがビクともしない。
――押してダメなら、もっと押す。
けれどやっぱり葉火に頭を下げさせることは叶わなかった。
「悪いと思ったら謝るわよ。今回の失言はあんたでしょうに」
「……そういうことにしておこう。パーツの少ないプラモデルみたいな奴め」
「なに言ってんのよ。あたし以上に可動域の広い人間は存在しないわ」
と、憂の挑発に乗る形で。
葉火は突然前屈をして両の手の平を床にくっつけた。
威勢の良い発言に見合った姿勢に驚きつつも、取り澄まして、憂は言う。
「すみません。今日のところはこれで許して貰えませんか」
「構わないよ。初日の憂くんと比べたら可愛いものだ」
髭親父の発言に葉火が食いつくも、なんとか阻止して。
葉火の接客練習へ。
他に客がいないうえ来るかどうかも定かでないため、憂が入店からやり直すことになった。
一度外へ出て、二十秒ほど時間を置き、再入店。
入ってすぐ正面の位置で待ち構えていた葉火が、見間違いかと思う程度の会釈をして、言った。
「おいでやす」
「待て。なにをはんなりしてくれてんだ」
「ご飯にしろお風呂にしろあたしにしろ、自分で準備は済ませなさい」
「店員さんに自立を促されちゃった!」
「早々にやかましい奴ね。あたし初めてなんだから優しくしなさいよ」
「文化祭で接客してたろ、そういえば」
「せっかく甘えてあげたのに。おバカね」
冗談はこのくらいにして、と葉火は憂に背を向けて。
「いらっしゃいませご主人様。お好きな席へどうぞ」
「ありがとう」
選択の余地なく既にお冷の置かれている席へ案内されて、腰を下ろす。
「後は任せてゆっくりしてなさい」
「じゃあ、お任せします。優しいね、葉火ちゃんは」
「なに露骨に判定甘くしてんのよ。あたしが言ったこと気にしてるわけ? あんなの冗談でしょうに」
「ううむテーブルが眩しいくらいに輝いている。もしやキミが磨いたのかい? こんな才能が埋もれていたとはね」
先程自分で言って思い出したが、葉火は文化祭の時に接客をそつなくこなしていた。もちろん勝手は違うけれど、心配しすぎることはないのかもしれない。
きっといまは友達を相手にはしゃいでいるだけだから、行き過ぎない程度に付き合ってみることにしよう。
時給が発生している以上あまりいい加減なことはさせられないにしても、気持ちよく働いてもらうことも、重要だ。
「賛辞は素直に受け取っておくわ。そういえばまだ服装を褒められてないわね。ほら、似合ってるでしょ。写真撮っていいわよ」
「似合ってる。それじゃお言葉に甘えて、はひチーズ」
全身を見せつけるようにくるりと回った葉火を素直に褒めつつ、正面からの写真を一枚。
待ち受けにしなさい、と葉火は胸を張って威張ったのち、優雅な足取りでキッチンへ向かった。
残された憂はお冷で舌を潤しつつ、撮った写真を虎南に送った。
しばらく経って。
葉火がトレーを右手の指先だけで支えながら料理を運んできた。
憂の前に配膳されたそれは、オムライス。
「お待ちどおさん。特別にあたしの手作りよ」
「え、初日から任されてんの?」
「あたしの能力を考えれば当然ね。好きな文字書いてあげる。さ、リクエストしなさい」
そう言ってケチャップの容器を振る葉火へ、憂は即答する。
「氷佳。漢字で。書き順を間違えることも許さん」
「ほんっとブレないわね……六画ぐらいにしときなさいよ」
「僕は氷佳を六画で書ける」
呆れた風の葉火が容器の蓋を開けたところで、憂は手を翳して制止した。
やっぱり別の文字にしよう。
「せっかくだからお任せで。こういう時はひちゃんが何書くのか気になるし」
「心理テストされてる気分ね」
ふむ、と左手の人差し指で自身の顎をつつくようにして。
やけに真剣な表情で容器を握り込み、卵の上に赤色の文字を書き連ね始めた。
やがて書き上がった文章は――『しくらちゅぅ●』。
最後の黒丸は失敗したハートマークらしい。
つまり正しくは、『しくらちゅぅ♥』。
憂がしげしげと文字を眺めていると、口をすぼめた葉火が「ちゅぅ」と甘えた声で言った。
「これはあれよ、あたしの中の夜々。憂くん憂くん、ちゅう。わ、名前呼んでたら間違えてちゅーしちゃった」
「なにを考えているのだねキミは」
実に恥ずかしい限りだが――実際に夜々がそうするかはともかく、想像するのは容易だった。
想像してしまった。
解釈一致。
ディティールを詰め始めると悶えてしまいそうだったので、思考を振り払うべくスプーンを手に取り食事へ意識を集中させようとしたが。
しかしスプーンを葉火に取り上げられてしまった。
「まあ初めてにしては上出来ね。リベンジは最後の晩餐まで取っておくわ。あんたの」
「僕の死期が分かるっていうのか……?」
「氷佳の結婚式、その前日よ。当日なにしでかすか分からないし、あたしが息の根を止めてあげるの。安心しなさい。氷佳の晴れ姿はあたしがこの目に焼き付けておくから」
「最愛の兄を殺めておきながらどの面下げて出席するつもりだ」
「二次会も楽しみね。ビンゴゲームとかやるのかしら、あたし絶対一等当てるわ」
「二次会行くの!?」
「バチが当たった、なんてベタなオチは勘弁して欲しいところだわ」
「勘弁して欲しいのはこっちの方だ! バチが当たるなんて言葉で片付けるんじゃねえよ!」
つい声を荒げてしまった。
こほん、と咳払いで調子をニュートラルへ戻すと、葉火が「あたしが悪かったわ」と謝ってくる。
「冗談よ。あたし、天国でもあんたらと遊ぶって決めてるの。いまのままだと危ういから、しっかり徳を積んでおかないと。あんたも気を付けなさいよ」
言い聞かせるように語気を強め。
次いで葉火は嬉しそうに、大人びていながら子供っぽく、微笑んだ。
「あたしらが地獄へ堕ちたら、夜々も三耶子も平気な顔でついてくるわよ。あいつら、おバカだから」
あたしだってそうするし。
あんただってそうするでしょ。
葉火はそう言い足して、憂にスプーンを手渡した。
間違いないな、と憂は思った。
「……まったくもってその通りだよ。お互い気を付けようぜ葉火ちゃん」
「まさしく上を目指すってやつね」
そして憂と葉火はおかしそうに笑い合う。
バカバカしいことを言っている自覚はあるが、思い上がりという感じはしなかった。
夜々も、三耶子も。
間違いなくそうする。
気が、引き締まる。
「じゃ、あたしは仕事に戻るわ。そんなおバカ達のためにメイド力上げないといけないのよ。といっても今日のシフトは十八時からだから、いまは慣らしで動かせてもらってるんだけど」
「やけに遊んでると思ったら、そういうことか」
「完食しなさいよ。ご飯残すのがこの世で一番の罪なんだから。ケチャップが足りなかったら言いなさい」
と、そう言って。
踵を返し歩き出した葉火だったが、一度足を止め。
振り返り、憂を向いて。
「ちゅっ」
と、投げキッスのジェスチャーをして、それが自分でおかしくて仕方なかったのだろう、呵々大笑しながらキッチンへと戻って行った。
そんな葉火による文字が施されたオムライスをしばし目で楽しんで。
憂は静かに、端っこから食べ始めた。
〇
憂がオムライスを完食するのと同時に、店の扉が勢いよく開かれた。
来客は小柄な女の子。
制服姿の中学生、名瀬虎南。
脇目も振らず憂の傍まで駆け寄ってきたが、いつものような元気はない。
死にかけである。
どうやら葉火のアルバイトデビューを見届けるため全ての力を走ることへ注ぎ込んだらしく、それは荷物を全て手放し軽量化を図っていること、短く荒い呼吸を繰り返していることや、完全に目が据わっている点からよく分かった。
汗を拭うより身だしなみを整えるより。
なにより最初に息を整えねばならなくなる急ぎ方で駆け付けたようだ。
虎南は目の焦点も合わぬまま浅い呼吸を繰り返し。
お冷を持って来た葉火の方を向いて。
「お゛え゛っ」
と、まるで挑発でもするかのように、思い切りえずいた。
締め上げようとする葉火から身を挺して虎南を守り抜いたことで、天国に近付いた気がした。
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