ラブレタブレ ②

「意外性の無い真相にお怒りかもしれませんが、お喋りな気分なので付き合ってもらうとしましょう。そうです手紙の送り主はこの私」


 教室から少し離れた所で足を止めたマチルダが、窓を背にしてそう言った。んべ、と舌を出し両手の人差し指で注目を促している。


 有耶無耶にされることも覚悟していたが、それならそれでマチルダらしいし別にいいかと受け入れるつもりでもいたのだが、どうやらこれより解決編へ突入するらしい――


 かと思えば。

 マチルダは舌を引っ込め五組と反対方向へ再び歩き出した。

 動じることなく隣に並んで、憂は言う。


「言われてみるとそりゃそうかって感じだよ。これ以上に納得できる答えは無い。それで、どうしてあんな真似を? 友達自慢なら小細工しなくても付き合うのに」


「意地悪を言いますね。小細工を取り上げられた私は、雑学の書かれていないお菓子の包装紙みたいなものです」


「特に問題はないね」


「そも、あのツートンネームを自慢しようという意図などありません」


「どうだか」


 含みを持たせた言い方をして、憂は笑った。


 既に知っている。

 マチルダという少女が、淡泊な風でいて、実は友達想いであることを。

 素直になれずついつい憎まれ口を叩いたりするけれど、それでも付き合い続けてくれる相手を大切に思っていると。

 知っている。


 子ども扱いされているようで気に入らなかったのか、マチルダはわずかに唇を尖らせた。表情の変化に乏しい彼女の揺らぎが微笑ましくて、憂はもう一度笑った。


「美奈子ちゃんのこと、少しくらいは分かってるつもりだよ。今回も夜々さんが絡んでくるんだろ」


「その通り。ぶち転がしてやりたいところですが、下手に抵抗するのはやめておきましょう。意地を張って弱みを晒し続ける被虐嗜好者ではありませんので。短気の損切です。覚えてろシクラメン」


「情報を増やして気を散らそうとする手口が中学生の妹に似てる」


「がびーん」


 相も変わらずフラットに嘆きながら、わざとらしく項垂れるマチルダ。両手を目元へ持っていき「よよよ……」と泣き真似をしたのち、顔を上げる。


「さて今回のラブレターですが、あれは私から夜々ちゃんへの誕生日プレゼントです」


「夜々ちゃんって言った」


「言ってませんよ腐れ耳め」


 恐らく泣き真似に引っ張られたのだろう、お手本のような自滅である。

 あまりつっつくと本気で怒られそうなので、追及はしないでおく。


「あの新聞紙に包まれた四角形は?」


「あれはジミヘンさんを誘導するために用意した目先の結論ってやつですね。いい隠れ蓑となってくれたようでなにより」


「隠れ蓑……まあいいや。純真な僕はすぐに信じちゃうんだよね」


「おやどの口が」


 からかうような抑揚をつけてきたので、憂は肩を竦めておどけてみせた。


「以前にも言いましたが、ジミヘンさんってちょろい野郎じゃないですか。だから知らない人からラブレターを貰った際、どんな反応をするのか見てみたくて」


「失礼だな、僕はちょろくない。他人の影響を受けやすい点を除けば硬派な男だ」


「絶対ハニトラに弱いですよね」


 ハニトラ――ハニートラップ、甘い罠。

 色仕掛け。

 随分とまあ、軽く見られたものである。


「見損なうなよ美奈子ちゃん。僕に色仕掛けなんて通用しない」


「朝起きた時、掛布団が他人の体操着にすり替えられていても同じことが言えますか?」


「どう引っ掛かれって言うんだ。気味悪いから外に投げ捨てて、部屋の模様替えをする」


「あーあ。ホッグちゃんのなのに」


「なんだよそれなら先に言えよ。壁に引っ掛けて飾り付けるに決まってるだろ。場所は、そうだな。時計の横とか?」


「ジミヘンさんって私の口の軽さを警戒する割に、ベラベラとバカほざきますよね」


「インテリアデザインについて語り合ってるだけだろ。壁にユニフォームとか飾ってるの見たことあるぞ。なにがおかしいんだ、言ってみろよ」


 あくまで強気に押し通そうとする憂に対し、マチルダは口を閉ざし自身を抱きしめるようにして、怯える少女を演じ始めた。

 こういう風にリアクションの豊かな人だから、ついついバカほざいてしまうのだ。


「とにかく。僕も美奈子ちゃんと同じく夜々さんの体操着しか欲しがらないから安心しなよ」


「なんと悪質な巻き込み方を」


「ふう。これで満足?」


「ううむ不愉快。なぜ私が駄々っ子のような扱いを受けねばならないのか」


 拳を握りわなわなと震えるマチルダだった。


 冗談はこのくらいにして、話を戻すことにする。

 今回の悪戯が夜々への誕生日プレゼントだと言っていたけれど、どう喜んでもらう算段なのかは、いまいちピンとこない。


 回りくどいやり方が好きな人だ。

 だからこそこちらは、ストレートに。


「それで、今回の悪戯からどんな展開を望んでるの?」


「既に目的は達成しました。ホッグちゃんに伝えたかったんですよ、世界は外側の方が広いということを。あの子はバカではないので余計なお世話なんでしょうけどね」


「相変わらず持って回った言い方を」


「残りは想像にお任せします。シリアスは私の担当ではありませんので。ああ、でも。お尻の話ではありますね。Kiss my ass」


 と、言って――言いながら。

 息の継ぎ目も悟らせぬまま、マチルダは舌を回す。


「私はケーキにロウソクを突き立てる柄じゃありませんが、折角の機会なのでホッグちゃんのお尻に火を灯してみました。早く戻ってあげた方がいいと思いますよ」


 そして人差し指を交差させ。

 口を塞ぎ、話は終わりという意思を示す。


 ダメ元で尋ねてみたが、やはり教えてはもらえなかった。

 想像に、託された。

 だからマチルダからのヒントを携え、現在から今日の朝まで記憶を遡ってみようと思ったのだが――それを阻むように。

 

「そういえばホッグちゃんから、「スキレットを弁当箱にするの変かな?」と相談を受けたんですが、どう思います?」


 頭の中がスキレットでお昼寝するハムスターの絵で埋め尽くされてしまった。

 プレゼントを気に入ってもらえているらしい。


「なんでいま言うんだよ考え事してたのに。頭が夜々さんでいっぱいになるだろ」


「いつものことでは?」


「お揃いだな!」


 恐ろしいことを、と返して足を止めたマチルダに憂も合わせる。するとマチルダが来た道を指さし「戻ってください」と言い出した。


「こちらへ来てはいけません。めでたい日なので恥ずかしいことを言いますが、私はあなた方四人を見ているのが結構好きなんですよ。私のような陰の世界を生きる人間にとって、幸せな仲良しという陽だまりは、観察していて気分が良い」


 そう言ってマチルダは珍しく――指を使わずに微笑んだ。

 鏡写しの反応を引き出す、自然な笑顔。

 

「だから、ほら。いるべき場所へ帰ってください。私が連れ出した点には目を瞑ってもらいましょう」


 生死の狭間を訪れた者を現世へと送り返すような、漫画的やり取り。

 けれどここは現実で、憂もマチルダも、生きている。


「美奈子ちゃんも一緒に戻ろう。夜々さん、喜ぶよ。だって――」


 喜ばせようとしたわけではないのだろうけど。

 それでも。

 嬉しいことを言ってくれたマチルダへ。

 夜々のことが大好きな彼女へ向けて。


 かつて夜々と交わした約束を思い出しながら。

 10年後の自分達を想像しながら、憂は言った。


「夜々さんの思い描く10年後には、美奈子ちゃんもいるんだから」


 するとマチルダは意外そうに眉を跳ねさせ、数度早い瞬きをした。

 そしてすぐさま取り澄まし。

 もう一度小さく微笑して。


「悪くないですね」


 と、素っ気なく言いながら――来た道を戻り始めた。





 教室の入口に立つと、窓際で九々雲と夜々が紙にペンを走らせているのが見えた。

 マチルダと一緒に近寄っていく。

 こちらに気付いた夜々が笑顔で迎えてくれた。


「おかえりー! 二人はどこでどのような話をしていたのかしら? 私にも聞かせてみるがよい」


「大した話はしていませんよ。強いて言うなら、ジミヘンさんとの同棲は大変だということが分かりました」


「それは……どうして?」


「気を付けてください。運動用の衣服を壁に飾られます。奴のロジックにかかれば、スクール水着も観賞用へと早変わり」


 ベラベラとバカをほざきやがる。

 いくらなんでも冗談であると夜々は分かってくれているはずなので、憂は口を挟まず、先程からじっと見つめてくる九々雲と視線を交わらせた。


 ぼーっとした顔つきで、何を考えているのか全く読み取れない。デコピンしたら快音が響きそうだ。


 しばし見合っていると。

 なにがスイッチとなったのか、九々雲が薄い笑みを浮かべた。


「よ。倉敷。ぜよ子から聞いた。好きなんだってね、ハムスター」


「好きだけど……それがどうかしたの?」


「見に行く? いっぱいいる家、知ってるんだ」


「……機会があれば、ということで」


「めっちゃでかいよ。カニかと思った」


 彼女の脳内に所蔵されている生き物図鑑には致命的な不備があるようだった。

 果たしてハムスターとカニ、どちらが間違えて記載されているのだろうか。多分、ハムスター。


「夜々さんとどういう会話してたの?」


「えーっと。そうだ、キャッシュレスってやつ教えてもらった。わらしべ長者の英語版なんだって」


「夜々さん……」


「お礼に授けた。文字の書き方」


 得意気にそう言って、九々雲は憂を見たまま手を伸ばし夜々の肩を叩いた。


「ぜよ子。行ってきなよ」


「うむ。それじゃお言葉に甘えよっかな。憂くん、ちょっと来てちょーだい」


 戻って来るから待っててね、とマチルダに笑いかけた夜々に連れられ、憂も教室を出た。五メートル程離れたあたりで立ち止まると、夜々が壁にもたれかかったので、同じようにする。


「あのラブレター、マチルダちゃんの悪戯だったってことでいいの?」


 上体を傾けた夜々が憂を下から覗き込む格好で訊いた。


「そんなとこ。詳細は話してくれなかったけど」


「そっかそっか」


 体勢を戻し背中を壁にくっつけて。


「残念だったねー」


 と、からかう調子で意地悪く笑う夜々。

 憂は「全然」と穏やかさにわざとらしい悔しまぎれを込めて返した。


 正面を向いたまま、今度は慎重さを伴わせて夜々が言う。


「もし本物だったらどうしてた?」

「えーっと……」


 ……本物だったら、どうしてたか。

 途端に歯切れが悪くなる憂に、夜々はむっとして。

 再び憂の顔を覗き込む。


「その反応は、相手次第じゃオッケーしてたってことでよろしい?」


「違う違う。そうじゃなくて……」


 再びの沈黙。

 どう答えたものか。


 告白に対して前向きな検討をするつもりだから――というわけではなく、むしろ逆、断るつもりだからこそ、口にするのは憚られた。


 貰ってもいないのに。

 現実味もないのに。

「僕は告白されても断るぜ!」なんて言うのは、いくらなんでも恥ずかしすぎる。


 とはいえしかし、夜々に変な誤解をされることを考えれば、そんなプライドは捨てるべきだろう。

 判断が早いに越したことはない――というわけで。


 こちらへジト目を向け続ける夜々に、口ごもった背景を洗いざらい吐き出した。


「……公言するのは恥ずかしいって話でした」


「そーいうこと。憂くんってばかーわいー」


 ツンツン。

 心なしかデレっとした顔で脇腹をつついてくる夜々。


 夜々優勢の構図。

 だから憂は、いつものように、反撃に出た。


「じゃあ夜々さんは? ラブレター貰ったらどうするの?」


「え? わ、私? そりゃ、ねえ」


「その反応は相手次第でオッケーしてたってこと?」


「こやつめ……」


 お決まりの攻守逆転。

 夜々は悔しそうに呻きながら縮こまり、唇を尖らせて。

 それはそれは拗ねた風で。


「そんなわけないじゃん」


 と言った。

 その声があまりにも小さかったこと。

 なんでそんなこと言うかな、と脳内に直接響いてきたことで、これは不味いと憂は慌てて謝った。


「ごめんごめんなさい調子に乗りました。僕が悪かったです」


「私こそごめんね。意地悪を言ってしまいました」


 憂が頭を下げ、夜々も応じる。

 しばし謝り合ったのち、どちらからともなく微笑んで、仲直り。


「まったくもー。マチルダちゃんってば、すぐ変なことするんだから」


「いちおう彼女なりに夜々さんのことを大切に思ってるから、そこは汲んであげてよ」


「だいじょぶ。実はすっごい分かりやすい子だからね」


 それは確かに、その通り。

 お腹が空いた時にだけ寄って来てくれる猫ちゃんのような人だから、慣れてきたらかなり分かりやすい。


 本人は隠し通せているつもりでいるのかもしれないけれど。

 意外と隙多いからなあ、あの人。

 教室へ戻る時、軽やかだったし。


「ねえ、夜々さん」

「んー?」


「前に話した、10年後も集まろうって約束、覚えてる?」


「もちろん! 山ほどある楽しみの中でも一番上の方!」


 人差し指をピンと伸ばし頬に添えながら、明るい声で夜々は言い放った。

 その一声で、夜々の思い描く未来が明るいものだと十分すぎるほど伝わってくる。


 彼女の世界は眩く輝いている――そう考えて、ピンときた。


 ああ、そういうことか。

 気付いてみれば。

 考えてみれば――いや、考えるまでもなく。

 なんて、分かりやすい。


 勝手に勘ぐっていただけで、マチルダは当たり前のことを言っていただけだった。


 世界の外側。

 想像できない可能性。

 行き止まりの、向こう側。


 確かに余計お世話だったのかもしれないけれど――本当に、マチルダは、夜々のことが好きすぎる。


 そんなマチルダを思いながら。

 目の前の夜々を思いながら。

 憂は言った。


「その先にも、いる?」

「……?」


「僕は。10年後の、その先も、一緒に」

「……! ……っ!?」


 夜々は首を傾げ、閃き、目を見開くという綺麗なグラデーションを作り上げて。

 ぐりんと首を回して憂を向き、おずおずと問う。


「そ、それすなわち?」


 と、続きを憂に委ねつつ、早くしてと急かすように身を乗り出した――直後。

 夜々は鼓膜をつんざくような悲鳴を上げた。


 異常事態。

 憂は驚きのあまり後頭部を壁にぶつけ、宙返りする勢いで飛びのき夜々から距離を取って、左胸を両手で押さえた。


 廊下に居た生徒はもちろん、教室から次々に人が溢れてくる。


「よ、夜々さん……?」


 ゆっくり近付くと、夜々は蹲ったまま顔を上げず、右手をそっと突き出した。

 手の平に乗っているのは、右耳用のワイヤレスイヤホン。

 九々雲からの贈り物を装着したままだったらしい。


「いきなり爆音が……つけっぱ良くないね……」


 振り返って五組の方を見ると、教室の前で九々雲がマチルダに頭をはたかれていた。

 憂がマチルダに加勢すべきか思考を巡らせていると、夜々が勢いよく立ち上がり、頼りない足取りで九々雲達の方へと歩き出した。


「許すまじっく! これはお説教に値する!」


「僕も付き合うよ」


「プンスコティッシュテリアリスト!」


 よく分からん発言が飛び出すくらいダメージは甚大らしかった。

 いや夜々はいつもこんな感じだった、と思い直した折に。


「あ、私聳えるとこだった」


 と奇妙な言葉を重ね、夜々はポケットから取り出した二つ折りの紙を、憂のブレザーのポケットへ突っ込んだ。


「これは本物だよ」


 そう言って夜々は笑い、うおりゃーと九々雲の方へ突撃して行った。

 夜々が九々雲に頭突きをお見舞いしたのを見届けて。


 ポケットから紙を取り出し、開くと。

 中央に控えめな大きさの文字が並んでいて。


 九々雲から授けられたという過度に丸っこい書体――ではなく、見慣れた夜々の筆跡で。

 こう書かれていた。


『いつも待ってます』。

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