ラブレタブレ ①

 どこからともなく現れたマチルダに進路を塞がれ、足を止めた。


 神出鬼没な彼女が通り魔的に朝の挨拶を投げてくるイベントはひと月に一度か二度ほど発生するため、いまや慣れたもので、だからこの時点でマチルダの脳内がハムスターまみれなのだと断言できる。


「奇遇ですねジミヘンさん。一緒に学校へ行きましょう。おはようございます」


 斯かる状況下においての定型文を口にしたマチルダは、踵を返し早歩きで先を行く。追いついた憂が肩を並べると、歩くペースが格段に落ちた。


 小鳥が囀ってますね、なんて情緒豊かな発言をしているけれど、こやつの思考のど真ん中に夜々が居座っているのはお見通しだ。


「おはよう美奈子ちゃん。今日はなに企んでんの?」


「ジミヘンさんは何人くらい自分の子供を欲しがってますか?」


 質問に質問で返される。

 それはいつものことなので構わないが、夜々だらけと評した頭からその発言が飛び出してきたことで妙に恥ずかしくなり、変な間を生んでしまった。


 一度頭をリセットさせて。

 おどけた発言で空白を埋めることにする。

 このあたりは本題への助走だから、大して意味はないだろうし。


「プロ野球チップスが作れるくらいかな」


「野球チームが作れるくらい、という言い回しは聞いたことがありますが……種の保存にかなり前向きなようで」


「冗談だよ。弟か妹がいると良いよなって、それくらい」

「へー」


 自ら問うておきながら興味も抑揚も無い返事をして、マチルダはバッグに手を突っ込んだ。取り出したルービックキューブ程の大きさの四角形を手に乗せて、ゆらゆら揺らす。


 古びた新聞紙とセロテープで包装されたそれを見て、憂は目を細める。


「なにそれ。人体の不思議展から無断で持ち出した何かとか?」


「正解。誕生日のプレゼントです。ホッグちゃんへの」


「もう一週間経つけど、まだ渡してなかったのか」


 先週の誕生日会を思い出し頬を緩める憂に対し、マチルダは無表情で淡々と言った。


「誕生日に贈ると、まるで誕生日を祝ってるみたいじゃないですか」


「美奈子ちゃんって、あれだろ。ミーハーを嫌って流行に逆らうタイプ」


「まさか。それではミーハーとやってることが同じです。それに私のような噂好きはミーハーの最たる例かと」


 恐らく今日の目的は、夜々にプレゼントを渡すことなのだろう。

 箱(?)をバッグへ戻したマチルダから、二の足を踏む理由、つまり照れ隠しの言い訳を聞きながら歩く内、学校へ到着する。


 校門を抜け、朝練中の野球部にボールを拾ってくれと頼まれるようなこともなく、昇降口へ。


 一度マチルダと別れ、靴箱から上履きを取り出すと。

 上履きの下にピンク色の洋封筒が敷かれていたことに気付いた。


「なんだこれ」


 手に取って裏表を確認してみたが、これといって何も書かれていない。

 だから内容など分かるはずもないのだが――もしかして。

 これはいわゆる……ラブレターってやつじゃないのか。


 いやいやまさかと大袈裟に頭を振り、バカバカしいと一蹴しつつ――開封しようとすると、そこで。

 

「やっほー憂くんおっはよーでる!」


 と、底抜けに明るい挨拶をぶつけられる。

 驚きに肩を震わせた憂は、そのはずみで封筒を取り落とした。


 ゆっくり、声の方へ首を回して、硬直。


 既に上履きへ換装済みの夜々が笑顔でこちらへ手を振っていた――しかし憂の挙動不審を訝ったようで、目を眇めて首を傾げたのち、とことこ憂との距離を詰め。

 落ちている封筒を拾い上げて。


「うぇっ!? 憂くんラブレター貰ったの!?」


 目を見開いて素っ頓狂に驚愕してみせた。


 気持ちは誰より理解できるけれど、そうまで驚かれると複雑である。

 夜々の派手なリアクションにはリラックス効果があるようで、硬直が解けた。


「まだ中身を見てないから分からないけど、悪戯とか、人違いとかじゃないかな」


「は、早く開けた方がいいのでは? 私、毒見しようか? あ、毒に例えるのは失礼だったねごめんなさい!」


 そこまで一息、なおも息継ぎせずに騒ぎ続ける夜々から封筒を受け取る。


「さて早速確認したいところだけど……一旦、僕一人で見てもいい? 万が一を考えると、無闇に見せびらかすような真似は、ちょっとさ」


「あ、そうだね。ごめんごめん。憂くんのそういうとこギュッとしたくなるなー」


 上ずった調子で言うと、夜々はむんと胸を張り――


「じゃあ、私は目をつぶっとくから心置きなく読みたまえ」


 ぎゅっと目を閉じ、顎を突き出し憂を見上げるようにする。

 更にはつま先立ちで背伸びまで。

 そしてトドメとばかりに「どーぞ」と言った。

 挑発的な一挙一投足。


 憂は夜々の心を読みたくなった。

 ――それ、なにされても文句は言えないと思う。 


 待顔にしばし見入って。

 吸い込まれそうな感覚をなんとか振り払い、封を開ける。

 中には二つ折りの便箋が一枚。


 開いてみると、紙の中央に過度な丸っこさの文字で――


『姉倉君を放課後待ってました』


 と。

 過去形で。

 一文だけ。


 脳を叩き起こして急ぎ記憶の発掘を試みたが、該当なし。

 隣の教室から壁を引っ掻いてモールス信号で呼び出されていたりしたのだろうか。もう一度文章を目でなぞってみたが、やはり心当たりはない。


「おやジミヘンさん。もしやそれはラブレターですか。なんと景気の良い。もうすぐ春ですね、ちょっと気取ってみませんか」


 いつの間にやら夜々の背後まで忍び寄っていたマチルダが言う。

 目を開けた夜々が「どうだった?」と前のめりで訊いてくる。


「……放課後待ってました、って。もしかしたら恨み言かも。差出人は不明」


「舐めてみたらどうですか? 指の脂とか残ってるかもしれませんよ」


「それでどうして分かるんだよ姉倉君は」


「でさ、どうするの?」


 会話の切れ目を狙い澄まして、夜々が話を仕切り直す。


「どうしようかな。手掛かりは無いし……文面的にも悪戯っぽいよね。僕にラブレターってのも考えづらいし」


「そうでしょうか」


 マチルダがぴしゃりと言い切った。


「考えてみてください。あなたは、良くも悪くも目立つホッグちゃん達と一緒にいるんですよ。なんだあの小僧、と気になる人が出るのは必然と言えるでしょう。興味を持って観察すれば愛着の一つも湧きます。それを恋心と取り違えてもおかしくはないのでは? 人間は思い込みの生き物ですから」


「……それは、確かに。夜々さん達の魅力を思えば、その添え物にも注目する心理は理解できる」


 マチルダの論理に納得していると。

 夜々がむすっとした顔で、不機嫌そうに異を唱えた。


「冗談でも添え物とか言うの、やだ」


 言われて憂は。

 失言だったと後悔した。


「……ごめん。いまのは軽率だった」


「分かればよろしい」


 これまで自分を下げるアプローチに抵抗がなかったこともあって、ふとした瞬間、無意識におどけてしまう。

 癖、と言っていい。

 けれどそれは、これから改善していくべき問題点だ。


 自分を下げるということは。

 あなたで良かったと言ってくれた夜々を。

 貰って嬉しかった言葉の価値を、下げてしまうことになるのだから。


 ――僕はもう、いままでの僕じゃない。

 自分を好きになれた。


 だからもう、謙虚と卑屈を履き違えるような発言を、してはいけない。


「ありがとう、夜々さん。もう言わない」

「うん。言っちゃダメ」


 憂と夜々が微笑み合っていると、その様子を見て頷いたマチルダが人差し指で口角を上げながら言った。


「それでは私にお任せください。人探しなど朝飯前田のクラッカー。部に新人が入ったことで張り切っている私です。特別に、ジミヘンさんのためこの辣腕を振るいましょう。うーむ燃えますね」


 便箋を引っ手繰り「ふむふむ」と文字を凝視するマチルダ。 


「記憶しました。それでは近日中にお知らせします。必ずや犯人を見つけ出すと約束しましょう」


 気持ちが込められているとは思えない棒読みだったが、軽やかな足取りで去って行ったので、燃えているのは真実なのだろう。


 マチルダの姿が見えなくなってからプレゼントを渡していないことに気付いたが、まだ一日は始まったばかりである。





 休み時間の度に遊びに来る夜々を三耶子と一緒にもてなし続け、昼休み。

 お弁当を食べ終えるより早く、夜々とマチルダが訪ねて来たので、大急ぎで食べ終えて、教室を出た。


 行き先を告げられぬまま廊下を歩いていると、マチルダが言った。


「おめでとうございます。無事に犯人を突き止めました」


「え、ほんとに? よく辿り着いたね」


「犯人は身近なところに潜んでいました。私のクラスメイトです」


「どうやって突き止めたの?」


「特徴的な文字だったので、筆跡から。私の発案で署名を募ったんですよ。賭場を開いて宿題ギャンブルしようと言ったら、全員快く協力してくれたので、あっという間に集まりました」


 生粋の遊び人揃いという五組らしい団結力である。


「運良く似た筆跡を見つけまして。手紙の内容に近い文章を書かせた結果、ほぼ一致。まず間違いないでしょう」


 話している内に五組へ到着する。

 憂とマチルダを押しのけて中を覗き込んだ夜々が、首を伸ばして前へ前へ出ようとしながら、室内を見渡す。


「どの子? ねえどの子なのさマチルダちゃん! 気になる! 早く教えて、おーしーえーてー!」


「あの人です。窓際、一番前の」


 マチルダの指さした先には、椅子の背もたれに体重を預け、ブレザーのポケットに手を突っ込む格好で外の景色を眺めている女子生徒が居た。


「訪ねてはみたはいいけど、どうしよう。マジで知らない人だ」


「目の前で手紙を破り捨てたのち、指で相手の涙を拭い、すれ違いざまに耳元で「お前を殺す」と言えばいいのでは」


「なんなのその人……」


 気にした様子もなくマチルダは続ける。


「彼女の通称は九々雲くくくももも。口数少なく無愛想。ダウナーでアンニュイな雰囲気が一丁前な女の子」


「紹介を聞いた限りマチルダさん寄りの人っぽいけど……文字から受けた印象と一致しないな」


「あくまでそれっぽいと言うだけで、実態はまるで違います。実はものすごくバカなんですよねあれ。聞く所によると小学生の頃、「バナナは英語に入りますか?」と大真面目に質問して輪をバカしていたのだとか」


「場を沸かしてたんだ」


「いい子ですよ。進路は医学部志望。医者になって自分の頭の悪さを治したいと言っていました」


「なんていうか……応援したくなる子だね」


 私のお気に入りです、と平坦に繋ぎ目を作って。

 マチルダは言う。


「努力家なんですよ。文字が丸っこい理由もそこに由来します」


「たくさん練習したんだ」


「彼女は学ぶ意欲のある子なので、板書をしっかりノートに書き写すんですよ。しかし自分がなにを書いているのかは理解できておらず、その割に量が多いので、せめて見栄えを良くしようと文字に改良を重ねた結果――あの丸っこい文字が誕生しました」


「僕、あの子は報われて欲しい!」


 ものすごく可愛げのある人だった。

 なんというか、三耶子の親戚に通ずるものがある感じ。


 親心のようなものを感じていると、夜々が教室へ足を踏み入れ、憂達を向く。


「先鋒は私が引き受けよう! 二人は近くで観察していたまえ!」


 と、溢れんばかりの甲斐性を見せた夜々が、力強い足取りで九々雲の元へ歩み寄って行く。

 少し遅れて、後を追う。


 気付かないですよあの人、ということで九々雲のすぐ後ろ――マチルダの席に憂が座った。その隣にマチルダが立ち、配置完了。


 九々雲の正面に立った夜々が、片手をあげ、無邪気な笑顔で言った。


「こんにちはーっ!」


 すると窓越しに空を見上げていた九々雲が夜々へと視線を移し。

 緩慢な動作で両手を自身の耳へ持っていき、ワイヤレスのイヤホンを外して夜々へ差し出した。


「聞いてみ」

「どもです」


 相手のペースに素早く順応してみせた夜々がイヤホンを嵌める。

 そして不思議そうに首を傾げた。


「なにも聞こえないよ?」


「使い方、分かんなくて。買ったんだよね、ブルエトーチみたいなやつ。ふふ、変な名前。誰がつけたんだろ」


 九々雲は抑揚こそ乏しいものの柔らかな声でそう言って、おかしそうに笑う。

 ブルエトーチ。

 ブルートゥース。


 これはあれか。

 漫画でよくいる偏差値の壁を突破して存在する同級生。

 成績優秀な生徒会長と世紀末ヤンキー、みたいな。

 いやいや流石にふざけただけか。


 まあとにかく。

 会話を聞いた限り、この人なら手紙の文面が過去形でも納得できる。


「私が教えてあげるよ。スマホ出して九々雲ちゃん」


「助かる。ありがと、親切な人」


名瀬なぜ夜々よよ。二組! よろしくね」


「ぜよぜよ」


 夜々の手引きで無事にイヤホンの接続を果たした九々雲は、拍手を送り感謝を述べて「お礼に片っぽあげる」と言った。

 それから二人が、再生されている音楽について知らないなりに盛り上がっていると。


「やいそこのツートンネーム」と、マチルダ。


「お。町田じゃん。いたんだ」


 呼ばれて九々雲が振り返り、マチルダを見て、次いで憂へ視線を転じる。


「転校生? いらっしゃい」


 そう言って笑う九々雲の顔には、まるで十年来の友人へ向けるような気安さがあった。

 一つ一つのパーツはくっきりとしていて鋭く、出会い方が違えば確かに無愛想と言う印象を受けたのかもしれない。


 憂もできるだけ温厚に微笑み返して。


「僕は、七組の姉倉しくら


 彼女が手紙の送り主だというのなら自己紹介は必要ないだろうけれど、礼儀として言う。

 すると首を傾げた九々雲が、なにかを思い出したように手を叩いた。


「なんだっけ。知ってる知ってる。美観地区」


「それは倉敷。あんまり似てない」


「歴史の人じゃん。ナナクミノクラシキ」


 妹の中学生よりも、弟の小学生よりも会話が難しい人だった。

 ――まあいいや。


「いきなり本題で悪いけど、町田美奈子ちゃん曰く、僕に届いた手紙の送り主が九々雲さんだってことだから真意を尋ねに来たんだ」


「いいよ。なんでも聞いて」


「じゃあ、遠慮なく。放課後待ってましたって書いてたけど、あれはどういうこと?」


 言いながら便箋を机に置くと、目を落とした九々雲が「お」と納得を音にする。


「町田に頼まれたやつだ。私が書いた。百円三枚貰ったし」


「どういうことだ」


 語気強く言いながら、憂は隣を見る。

 しかしマチルダどこ吹く風で、両の掌を天に向け肩を竦めた。

 やーれやれ、といった感じ。


「あれほど打ち合わせをしたというのに。まあいいでしょう。きちんと段取りをタンドリーチキンと間違える奴だと分かって頼んでますから」


 ふっ、と口元だけ笑って。

 憂達に背を向ける。


「ではジミヘンさんにホッグちゃん。用は済んだし戻りましょうか」


 反論を差し挟む間もなく、マチルダは逃げるように去って行く。

 憂と夜々は目で示し合い、後を追いかけるべく動き出す。


 去り際に九々雲へ礼を告げて――


「倉敷、達者でね。ぜよちゃんは待ってよ。教えて欲しい、スマホにお金入れるやつ」


 そして夜々は捕まった。

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