あなたへ贈るあい
時刻は十八時半――
『新入り十六歳・名瀬夜々ちゃんを可愛がる会』の開始から三十分が経った頃。
貸切営業、加えて主役のはちゃめちゃな上機嫌も相まって、店内は未だかつてない賑わいに満ちていた。心なしか普段よりも照明が明るく感じられる。
髭親父の手伝いでキッチンとホールを行ったり来たりしていた憂は、ひとまず料理も出揃い仕事が無くなってきたところで、エプロンを没収された。
「ありがとう、助かったよ。後は私一人で十分だから、憂くんは楽しむ側に回りなさい」
「ありがとうございます。それじゃ、お言葉に甘えて。片付けの時にまた」
礼を告げたのち、テーブル席の方へ移動する。
贅沢に四つの席を使って、四つのグループに分かれている。
何を話題にしているのかやけに盛り上がっている父親達。
それぞれアルバムを持ち寄り見せ合っているアナログな母親達。
主役の夜々とぴったりくっつく三耶子、その正面から写真を撮る虎南。
氷佳を膝に乗せる葉火の隣でフォークにパスタを巻きつける暁東。
組み分け帽子があったらどこに振り分けられたのだろう――そんなことを考えながら、憂は氷佳組のテーブルへ歩み寄り、対面の空いているソファに腰を下ろした。
すると、待っていたかのように暁東が話しかけてくる。
「聞いてよお兄ちゃん。
これ見よがしに溜息をつき、やれやれと呆れた風で葉火を見る暁東。
憂は半分に切られたシナモントーストに視線を置き、先程まで三耶子が居たのだろうか、なんて雑な予測を組み立てながら、訊く。
「姉貴上ってなんだ。葉火ちゃんを指してるんだろうけど」
「その通りよ。姉貴と姉上をいっぺんに摂取できる欲張りセット。氷佳にも分けてやったわ」
「あにきうえー」
と、楽しげな氷佳から初回お試しあにきうえ。
ううむ可愛い耳が進化しそうだ――オキシトシンだかの脳内物質が分泌されるのを感じながら、トーストを齧る。しっかり噛んで、飲み込む。
「それで、暁東くんが葉火ちゃんを姉と呼んでるのはなに?」
「氷佳ちゃんの姉だからだってさ」
成程また勝手なことをほざいているらしいが、祝いの場を戦地にするようなことはしたくない。
「へえ」と適当に受け流しポテトフライへ手を伸ばすと、そこで横合いから声がした。
首を右へ回して、声の方を見る。
「誕生日おっめでとー私! 十六歳になりました! 十六の夜々! 私のことはイザヨヨと呼びたまえ! なんてねみんなありがと! あはははは!」
陽気で愉快な夜々ちゃんの姿があった。
ブレザーとセーターを脱いで白のスクールシャツ、その上に定番の「本日の主役」と書かれたタスキを掛け、腰に手を当て胸を張っている。
かと思えば素早く憂の隣へ滑り込み――肩をぴったりくっつけた。
浮かれてるなあ、と親心を働かせたのも束の間。
夜々の隣に三耶子、その隣に虎南と詰めて来たことで、憂は奥へ奥へと追いやられ、あっという間に窮屈な横並びが出来上がった。
いくら小柄な人達とはいえ流石に狭苦しい。
虎南が反対側へ移ってくれれば丸く収まるのだが、表情を見るにそのつもりはないらしい。どころか、圧し潰さんとばかりに押し込んでくる。
「おしくらまんじゅう
と、夜々が危機感を欠片も含まない笑顔で言って。
三耶子がお行儀悪く咥えていたストローで夜々の頬を吸い始めた。
「ひゃーっ! 助けてー! 三耶子ちゃんに吸いつくされちゃう!」
「ちょっとなにあたし抜きで楽しそうなことやってんの。混ぜなさいよ、混ざるわ」
「だめだよ。よーかは氷佳といるの」
引き止められた葉火は口角を上げ、「氷佳はあんな風に成長しちゃダメよ」と優しい声で言い聞かせ、氷佳の二の腕を掴んで揉んだ。氷佳がくすぐったそうに笑った。
美しい光景が憂の正面に広がっている。
さていよいよ辞世の句でも用意しておくべきか、憂が圧死を覚悟していると不意に力が弱まり、虎南が暁東の隣へ移るのが見えた。
続いて三耶子もソファの端まで移動したため、それなりに快適なスペースを確保できるはずなのだが、何故か夜々は憂にくっついたままだ。
なんのつもりか目顔で尋ねると、「えへ」と舌を出してうっかりアピールをされた。
夜々が離れる。
憂は斜向かいの暁東と視線を絡ませ頷いた。暁東も同じようにした。
それからしばらく他愛のない話を続けて。
「さてさて皆さん。お姉ちゃんに心奪われる気持ちには共感を示しますが、忘れてはいませんね? そろそろ頃合いと見ました、メインイベントのお時間です!」
意気揚々と立ち上がった虎南に急かされ、夜々以外の全員が席を離れる。
夜々を残した状態で一度解散。
各々準備したプレゼントを手に、再集合。
食べ終えた皿を片付け、食べかけの物は隣のテーブルへ移す。
空になったテーブルを入念に拭いて、準備完了。
「せっかくなので一人ずつ渡しましょう! それでは並んでください!」
虎南が言うと、お手本のような笑顔を浮かべ肩を揺らしていた夜々が、照れくさそうに頬を掻く。
瞬く間にプレゼントを捧げ持つ人々の行列が出来上がる――その先頭、一番手を引き受けたのは、葉火だった。
ソファに腰を下ろして夜々と差向う姿を見て、面接みたいな構図だな、と憂は思った。
「おめでと、夜々。あんたが生まれたおかげで大勢が幸せよ」
言いながら葉火は縦長の箱をソファからテーブルへ上げる。
「ありがと葉火ちゃん。大好き」
夜々は受け取った箱を大切そうに眺め、撫でて、そして問う。
「開けてもいい?」
「帰ってからにしときなさい。ここで解き放ったら大変なことになるし」
「解き放つってなんぞ!? なに入ってるの!?」
「人形よ人形。あたしの家に泊まった時、あんたと憂が遊んでたやつ。夜々のことかなり気に入ったみたいで、ずっと探し回ってたんでしょうね、行方不明だったんだけどようやく見つけて捕まえたわ。ま、平気でしょ。髪の毛縛って手足は全部取り外してるし。ものすごい顔で睨んでたけど、きっと気のせいね。おととい来やがれって感じだわ」
「せめて変な因縁は作らないで欲しかったな!」
小学生が考えたような、絵に描いたような――祝うと呪うの間違いがそこにあった。
複雑そうな表情で箱を見つめ、夜々がおもむろに開封を始めたところで、葉火は立ち上がり席を離れる。
そして去り際に。
「冗談よ。でも、ここで開けるのはやめときなさい。あんたが自分の下着その他を見せびらかす趣味があるって言うなら、止めないけど」
「いのちびろったーっ!」
立ち上がり箱に覆いかぶさる夜々。
憂は「一応確認しといた方が……」と遠慮がちに呟いた。
虎南に後ろ足で脛を蹴られた。
次の贈り物は、三耶子から。虎南も一緒に着席する。
「おめでとう夜々ちゃん。愛してる」
「ありがと、三耶子ちゃん! 愛してるよ、たくさん」
「わたしも! わたしもーっ!」
三人で微笑み合って、三耶子が言う。
「私と虎南ちゃんからは、加湿器を用意させてもらったわ。家に帰ったら届いているはずよ。連名での贈り物になった点は、色々と察して頂戴」
「ふふん。わたしとみゃんこ大先輩が組めば最強です。お姉ちゃんが寝てる間にこっそり部屋の広さ調べたり、入念なリサーチをしたから期待しててね」
「二人ともありがとね。でもさ、寝てる間じゃなくても良いと思うな!」
続いて憂の番。
ここまで三人が夜々の正面に座っていたので、憂はあえて夜々の隣に位置取り、抱えていた紙袋をテーブルに置く。
「おめでとう夜々さん」
「ありがと、憂くん」
「僕からは、スキレット。欲しがってるって話聞いたから」
情報源はもちろん虎南である。
それだけでなく実際に商品を選ぶ際にも同行してもらった。
夜々から聞き出した情報を基に、サイズや用途、素材に色、オーブンとの兼ね合いなど様々な要素を鑑みて――二人で六時間くらい悩んだ。途中でホットサンドメーカーなどの文明に気付かなければもう少し早く決まった気はする。
そんなこんなもありながら。
最後までやけっぱちにはならず、吟味に吟味を重ねてセレクトした一品なので、喜んでもらえる自信はある。
実際、夜々は他のプレゼントに負けず劣らず喜んでくれた。
「わーありがと! 色々作ってみたかったんだ、ホットケーキとかさ! 今度ご馳走するね」
「楽しみにしてる」
微笑み合ったのち、憂は席を立とうとする。
すると葉火と三耶子、虎南からもの言いたげな視線を送られていることに気付いた。
なんとなく分かる。
少しはふざけろって言いたいのだろう。
しかし憂は彼女達の物言いを華麗にスルーして、次の氷佳達へバトンを渡した。
ひとまず最後の、氷佳と暁東。
「よよ、おめでとう。氷佳は今日がうれしい」
「おめでとうお姉ちゃん。思い出したのが昨日だから大して準備できなかったけど」
嘘つけ自分の誕生日より大事にしてるだろ――と思ったが、憂は言わなかった。
澄ました顔をする暁東。
隣の氷佳は年相応に無邪気に笑んで、小さな箱を両手で差し出す。
夜々は両手で掬うようにして贈り物を受け取り、大事そうに抱きしめた。
それから氷佳に促され、開封。
中身はハムスターのキーホルダーだった。手作りと思しきフェルト製のハムスターが二匹、ペーパークッションの上に寝そべっている。
「暁東くんとね、たくさん練習して作った」
「そうだったね。ぼくとしたことがうっかり」
大嘘が露見したというのに暁東は動じない。
姉も弟の見栄を突っつくことなく、口元を緩みに緩めながら、キーホルダーを摘まんだ――と、同時に。
「んえ?」と、間の抜けた声を出す夜々。
「氷佳ちゃん……これは?」
そして意を決したようにキーホルダーを持ち上げて宙に翳すと――ハムスターの頭から伸びるストラップ、その先に。
鈍く煌めく金属が繋がっていた。
それがなんらかの鍵であることは、誰がどう見ても明らかだった。
「そっちはおまけ。かぎだよ。よよにあげる」
「なんの鍵?」
「あいのかぎ」
これさえあれば心のドアを開けることができるんです――といったポエティックな代物であるはずはなく。
実在するからには実際的な意味を持つ、あいのかぎ。
恐らくあれは――合鍵。
姉倉家の鍵だった。
「夜々さん。多分それ、うちの鍵」
「うぇ!? あ、あーね! 合鍵だ! あはははは! もー氷佳ちゃんってばー」
夜々は鍵を取り外して氷佳へ渡そうとする。
しかし氷佳は両手でバツマークを作り、受け取り拒否。
「いらないなら、みやこかよーかにあげて」
と言った氷佳に、憂は優しく笑いかける。
「氷佳の気持ちは充分に伝わったさ。でも、流石にこれは、みんなにも迷惑掛かるからダメだ」
「兄ちゃが言うなら……ごめんね、よよ」
「さて夜々さん。氷佳が誠心誠意頭を下げているけれど、どうする?」
「圧が……最初から迷惑なんて思ってないよ。安心してちょーだい」
夜々が握り拳を突き出してきたので、憂は右手を皿のようにして受け取る形を作る。小指から順に開かれていき、握られていた鍵が落ちてくる――瞬間、暁東が言った。
「なんだか別れる時のカップルみたいだね」
憂は上体をのけ反らせながら手を引っ込めた。
鍵はソファで跳ねて、床へ落ちる。
慌てて屈み追いかける憂だったが、鍵は意地の悪い笑みを誇る葉火の手に収まってしまった。
「あたしが預かっとくわ。近々家出する予定だし」
「葉火ちゃん! それ私が貰ったんだよ! かえしてー!」
葉火が夜々の隣に座って。
鍵を取り合うという名目で二人がじゃれ合い始める。
おかしな挙動をしてしまった憂は命拾いした気分で一杯だった。
ほっと胸を撫で下ろし、無差別級の戦いを眺めていると。
「虎南ちゃんのおかげで大盛り上がりね」
「ちょっとみゃんこ大先輩! なにを仰いますか!」
憂の耳に、背後から不穏な会話が流れ届く。
振り返ると、三耶子の口を押さえる虎南の姿があった。憂の視線に気付くと、口笛を前奏にして「すっとぼけーしょん!」とキメ顔で言った。
「小娘。まさか己が氷佳を唆したとは言うまいな」
「だったらなんやねん」
生意気言った虎南の首に右腕を回し、肩を組む憂。
膝を曲げて虎南が腕を引っ掛けやすいようにすると、虎南も負けじと左腕を巻きつけてきた。
「言い訳があるなら聞いてやろう」
「まあまあ、これには潮干狩りくらい深い訳がありまして。話すと長くなるので割愛しますが構いませんね?」
「いいわけねえだろ」
「だからあるって言ってるじゃないですかー! この分からず屋っ!」
「言い訳が無いだろって言ってんじゃねえよ! 都合のいい耳しやがって!」
憂が右手で虎南の耳を引っ張ると、同じ攻撃が返ってくる。
「子供の健全な成長を妨げる存在を僕は許さない」
「あまり自罰的になっちゃダメですよ。自信持ってください、姉倉先輩は子供の成長になんの影響も与えません」
「言うじゃねえか。よし小娘、しばらく僕の下で妹として暮らせ。果たして僕の影響を一切受けずにいられるかな?」
「おねーちゃーん! 変な人が絡んでくるー!」
憂は自分の心に従った。
虎南を自分の妹にしたかった。
しかしいつだって、妹と言うのはままならないものである。
虎南からの通報を受け、葉火と揉み合っていた夜々がこちらへやって来る。
そしてバトンタッチとでも言うように虎南と手の平を合わせ、位置を交代。
今度は夜々と肩を組む形となった――依然憂は中腰の姿勢である。
「うむ。本日の主役は私だからね。私以外をチヤホヤしてもらっては困る。もう十分すぎるくらいだけどさ! みんなほんとにありがとね! 私は世界一の幸せ者だよ。お返しは期待してくれたまえ」
背後から夜々の頭を撫でて、三耶子が言う。
「そうだ、夜々ちゃん。私と葉火ちゃんがあげたプレゼント、今日一日有効よ」
「折角あげたんだから、もっと使いなさいよ」葉火も会話に入ってくる。
受けた夜々は眉を跳ねさせて、考え込む素振りを見せたのち、
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
主役らしからぬ遠慮がちな調子でそう言った。
かと思えば力強く。
ぐっと憂を引き寄せると、右手を仕切りのようにして、耳打ちをする。
「ね、憂くん。ちょっと外に出よ」
いたずらっぽい声でのお誘い。
当然断る理由はないので応じようとすると――フッ、と鋭い吐息を耳に流し込まれた。
憂は悲鳴ともつかない声をあげて飛びのく。
夜々の得意技。
油断していた。
楽しそうに笑う夜々が逃げるようにとっとこ店を出て行ったので、すぐに後を追いかけた。
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