バレンタインはいつもそこにある
月曜日の朝。
目を覚ました憂はスマホで時間を確認する。
午前六時を迎える少し前。
二度寝するのに充分なゆとりがあったが、それを良しとせず、ベッドを出た。
惰眠を貪っていられるはずがない。
何故なら今日は――二月十四日。
バレンタインデー。
そして夜々の誕生日である。
これまでチョコを期待する事とも友達の誕生日を祝う事とも縁遠かった憂は、今日という日を喜ばずにはいられなかった。
心躍らずにはいられなかった。
湧き上がる活力に身を任せ、窓を全開にして部屋に寒風を呼び込んでみたり、朝っぱらから熱いシャワーを浴びてみたりと普段やらない行動を連発したのち、準備を済ませ家を飛び出した。
学校に到着したのは、午前七時。
いくらなんでも早すぎる登校だが、じっとしていられないので仕方がない。
誰も居ない教室で朝の静けさを味わうのもいいし、三耶子の机に落書きをしてみるのも楽しそうだ。
そんな企みを胸に、七組の教室へ足を踏み入れると。
そこには。
クラスの男子が、ほぼ全員、集結していた。
ぎらついた視線が一斉にこちらを向く。
「…………おはよう」
異様な光景にたじろぎつつ、平静を装い挨拶を投げる憂。
なんかみんないるんですけど。
目が怖い。
「おはよう姉倉君。早いね」
穏やかに挨拶を返してくれたのは、
好きだった相手に彼氏がいると発覚してから人格が変わった悲しき少年である。
「みんなこそ。僕が一番乗りだと思ったんだけど……えっと、なにしてるの?」
「これはね、心の保全だよ」
「心の保全……?」
「こうすることで、可能性を残すんだ。『恥ずかしがり屋な女の子が朝早く学校に来てチョコレートを忍ばせようとしたが、相手が既に登校していたから諦めた』という可能性を」
教え諭すように拗らせた発言をして、灰世くんは目を伏せた。
各々、色んな思惑を抱えているようだ。
憂は自分の席に腰を下ろし、頬杖をつく。窓の外を見遣り、放課後へ思いを馳せる。
夜々の誕生日パーティー。
既に段取りは済んでいて、放課後、憂のバイト先に集まって盛大にお祝いする予定だ。
当初は四人で計画していたが、噂を聞きつけた虎南も加わり、氷佳、暁東とどんどん人数が膨れ上がり――最終的には、姉倉家と名瀬家と古海家、それぞれの両親も参加することになったのだった。
総勢十三名。
髭親父はかつてない客入りに大喜びで「友達を祝うなら声も大きくなるだろう」と店を貸切にしてくれた。そんな優しい雇い主の肩を揉みながら、憂は当日の手伝いを約束した。
というわけで、誕生日会の準備は万端である。
意識を戻し、教室を見渡す。
誰も言葉を発さない。十五名もの男子が無言でクールな自分を演出する光景がそこにはあった。
女子が見たら大層不気味に感じることだろう――しかし悲しきかな、二組の男子とはそういう生き物なのだ。
そして時間は過ぎていき。
少しずつ、教室に女子の姿が増え始める。そのほとんどが大人ぶる男子を気味悪そうに眺めていた。
空気を変えたのは、武闘派美術少女。
彼女が義理チョコの配給を始めると、男子は一斉に年相応のガキへ戻り、教壇の前に人垣が出来上がった。
「おーおー仕方ねーなーお前ら。ほら、たくさんやるから恩返ししろよなー」
憂が自分も参戦しようか悩んでいると。
「おはよう憂くん。もう来てたのね」
後ろから三耶子の声が聞こえてきて、肩を叩かれた。
振り返って挨拶を返す。
三耶子は首に巻いたマフラーを外してバッグへ入れ、「学生のお手本ね」と微笑み、憂を横切り自分の席へ向かった。
その背中を前のめりで凝視していると――憂が何を念じているのかなどお見通しとばかりに三耶子が振り返り、その表情をいたずらっぽく彩って。
憂の正面まで歩み寄ると、バッグから取り出した箱を差し出した。
「どうぞ。貰ってくれる?」
「わあ! ありがとう!」
意図せず氷佳のような調子で大喜び。
憂は両手で丁寧に箱を受け取ると、愛しい我が子を抱き上げるように高く掲げた。
ブラウンのリボンがよく似合う、薄いベージュの長方形。
バレンタインのチョコレート。
いざ手にしてみると、涙が出るほど嬉しかった。
「生まれて初めて氷佳以外の女の子からチョコを貰った。ありがとう三耶子さん。僕はいま、かつてない感動に打ち震えている」
「ふふふ。良かった。既製品だけど、喜んでもらえたみたいね」
「当然だよ。僕が喜ぶと思って選んでくれた。その心遣い、真心はまごうことなき一点ものだ」
「もう。あんまり喜ばれると照れちゃうわ」
両手を頬に添え照れくさそうに笑って、今度こそ自席を目指すべく背を向けた三耶子を、呼び止める。
忙しく反転して首を傾げる三耶子に、
「ありがとう」
――と、飾り気のない素直な感謝を贈った。
受けた三耶子はポッと頬を赤らめて、再び憂へ近寄ると、「どういたしまして」とはにかんだ。
そして、バッグからマフラーを取り出し、憂の首に巻き付ける。
「これは?」
「もっと喜んでもらおうと思って。後で返してもらうけれど」
「なにそれ」
おかしそうに憂が笑うと、三耶子も同じように笑い返す。
そうして笑顔を向け合っていると、自分達が注目されていることに気付いた。
裏切り者を糾弾するような視線――ではなく、あたたかく見守られていて、こそばゆかった。
そんな憂と三耶子の前で。
教室に入ってきた杜波さんが足を止める。
「なんだお前ら。世界の真ん中みたいな顔して」
呆れた顔で憂の机にポッキーを一袋投げ置く杜波さん。たぶん中身はへし折れた。
「くれてやる。姉倉は古海と仲が良いからな。こうすると古海も喜ぶ。二人で食え」
ぶっきらぼうに言い捨てて、杜波さんは去って行った。
まさか杜波さんから貰えるとは。
三耶子も意外に思ったようで、憂と同じく面食らっている。
しばし顔を見合わせたのち。
バレンタインの素晴らしさを再認識した憂が歓喜の声をあげた。
子供のようにはしゃぐ憂と三耶子の声が教室に木霊した。
〇
昼休みが始まり一人で弁当を食べていると――男子は全員ソロだ――出入口の方からハムスターの鳴き声が聞こえた。
声の方を向くと夜々が手招きをしていたので、憂はこけつまろびつ誘いに応じる。
廊下に出て、教室から離れ、夜々と向かい合う。
「誕生日おめでとう、夜々さん」
「ありがと! 十六歳になりました!」
夜々はなにかを隠すように後ろで手を組んでいる。
間違いなくアレだ。アレしかない。
「ごめんね、ご飯食べてるとこ」
「気にしないでよ。人間社会で浮かないようにそういうポーズを取ってるだけだから。本当は甘い物さえあれば生きていける身体なんだ」
「そうだったんだ! そっかそっかー、残念だよ。またおべんと作ろうと思ってたのに」
「ごめん。僕は嘘つきだ。そんな僕の真実はたった一つ。夜々さんのお弁当がなければ生きていけない」
鮮やかなカウンターを食らったが憂は動じない。
この先に待ち受ける幸福を思えば、たとえ致命傷でも耐えられる。
はしたなぶるに求めてしまいそうな自分を抑え込み、夜々の動きを待つ。
夜々は頬を赤らめ、照れ笑い。
それから一度視線を逸らし――おずおずと、両手で持った紙袋を憂へ差し出した。
「はい、どーぞ。虎南からだよ」
「虎南ちゃんから?」
贈り主が夜々でなかったことに驚きつつ、受け取った紙袋の中を確認する。
ボム兵のような塊が透明なビニールに詰められていた。
これはこれで、超嬉しい。
「ありがとう。放課後、改めて虎南ちゃんにもお礼を言うよ。でも、どうして夜々さんが?」
「直接渡すのが恥ずかしいんだってさ」
「そんなタイプだったっけ」
言葉を選ばなければあの子は恥知らずだ。
むしろ食べる前から感想を求めてきそうな気がするけれど、こうして夜々を経由している以上、虎南なりの理由があるのだろう。
夜々達と高校生活を謳歌したいと言っていたし、自分の存在を無理やりねじ込もうとしているのかもしれない。
もう一度感謝を伝えると、夜々は「うむ」と誇らしげに胸を張った。
そして――
「それじゃ、私戻るね! さらばぼうる!」
と、活発な動きで踵を返す夜々。
慌てて腕を掴み引き止めると、夜々は振り返って首を傾げた。
「どーしたの?」
「え、いや。夜々ちゃん、なにか忘れてなあい?」
「まっさかー!」
冗談を受け流すような笑顔。
頭から落下する気分になった憂だが、そうか三耶子のように演出が用意されているのだろう、と自らを納得させ手を離した。
すると夜々は、
「また後でねー!」
そう言い残してばびゅーんと走り去ってしまった。
場に留まり夜々の再登場を期待したが、一分経っても姿を見せることはなかった。
狐につままれた気分だ――憂は呆然と立ち尽くし、先日、調理室で見た夜々の姿を思い出していた。
どれくらい経ったか。
葉火が現れたことで、憂の意識は現実へ引き戻される。
「なにやってんのよ。ああ、出迎えね。ごくろうさま」
「はひちゃん。夢を……見ていたんだ。長くて、怖い夢を」
「あたしが来るまでよく持ちこたえたわね。もう安心よ」
葉火と共に教室へ戻る。
弁当箱が広げられたままの憂の席に葉火が座り、憂は近くから椅子を拝借して正面に位置取った。
虎南からのチョコをバッグに入れる。
葉火は許可を得ず当たり前のように、食べかけの弁当に手を付けて――
そして、前振りもなく最短で。
「ほら、チョコレートよ。これであんたも有名人ね。人類で初めて、あたしからチョコを貰った人物として」
紙袋を乱暴に机に置き、葉火は威張った。
「チョコのどら焼き。美味しいわよ。期間限定のやつだから感謝して味わいなさい」
「…………」
「なに黙ってんの。言葉を失う気持ちは分からないでもないけど」
「……ごめん、驚いてた」
期待していなかったわけではないけれど、正直、葉火からは貰えないだろうと思っていた。
よしんば貰えたとして、五円チョコかその親族だろうと、思っていた。
まさか立派な和菓子屋の紙袋が登場するだなんて、想像もしていなかったのだ。
「葉火ちゃんが僕のためにチョコを用意してくれるなんて……」
「そうね。あたしも信じらんないわ」
「すっげえ嬉しい。ありがとう」
憂は紙袋に手を添え、まじまじと見つめたのち、葉火へ視線を転じて。
おどけずに。
「ありがとう」
と、笑いかけた。
直後、葉火が鼻を摘まんできた。
どこか照れたような表情をしていたが――瞬き一つの内に消えてしまったので、見間違いかもしれない。
「喜んでるあんた、可愛くて、好きよ。それじゃ早速食べましょうか。あたしも一個貰うわ」
「ダメだ。これは僕のだから絶対にあげない。袋を舐めることすら許可しない」
「いいじゃないの。二個も三個も変わんないわよ」
奇妙な言い回しに憂は目を細めつつ、嫌な予感を振り払うため紙袋を覗き込む。
残念ながら、予感は的中した。
なんと中身は既に開封済みで、八個入りのどら焼き、内三つが既に食べられていたのだ。
「やりやがったなこのアホが! 葉火が僕のために選んでくれたんだぞ! どんだけ大事だと思ってんだ三つも食いやがって! ほら謝れ! 返せ! 吐き出せ!」
めちゃくちゃな言い分だった。
けれど憂は大真面目である。
立ち上がって葉火の背後に回る。
そして左手で葉火の両頬を挟み、右手の指先をへその辺りに押し込んだ。
憂の奇行に対し、葉火は楽しげに笑うばかりで一切抵抗しなかったが、当然、失われた三つのどら焼きが戻って来ることはなかった。
〇
ホームルームを終え、放課後。
いざパーティー会場へ、ということで憂は帰り支度をする三耶子に駆け寄った。
「みやーこさん。行こ行こ」
「ふふふ、ご機嫌ね。でもごめんなさい。寄る場所があるから、先に行ってて」
「用事? 僕も付き合おうか」
「ありがとう。気持ちだけ受け取っておくわ」
三耶子と別れ二組の教室で夜々達と合流すると、葉火も同じような理由で離脱したので、夜々と二人で向かうことになった。
学校を出て、茜色の空の下を並んで歩く。
憂は右隣を歩く夜々の邪魔にならないよう、荷物の全てを左手側に集めている。チョコレートをすぐに受け取るため、という理由も勿論あるけれど。
「夜々さん、たくさんプレゼント貰ったみたいだね」
「うむ、ありがたい。ちゃんとお礼しなくっちゃ。いまからも祝ってもらえるし、こんな楽しい誕生日は初めてだよ」
夜々もまた、少なくない荷物を自身の右手側に集めている。
いくつか引き受けようかと憂は言ったが、自分で持ちたいから、と夜々は嬉しそうに笑っていた。
「憂くんこそ。たくさん貰ってるみたいだけど?」
「うむ、ありがたい。うちのクラス、チョコ配ってくれる人多くてさ。あとマチルダさんからも貰えたし、ほんと、夢みたいな一日だよ」
「え、マチルダちゃんからも?」
「包み紙だけくれた」
つまりゴミである。
「そっかー、良かったね。大満足だ」と、夜々。
「いや、まだ足りない」
前を向いたまま、間髪入れずにそう答えて。
夜々へ視線を移し。
「あんまり意地悪してほしくないな」
と、思い切って言った。
夜々も憂を見返して、くすりと笑い、済まなそうに頬を掻く。
「ごめんね。ほんとは、一番最初に渡したかったんだけど――」
言いさして、夜々が立ち止まったので憂も足を止める。
夜々は空いている左手で器用にバッグを開け、中から小さな包みを取り出した。
奇妙な生き物が描かれた黄色のリボンで封じられている、ブラウンの袋。
二人は、向かい合う。
「はい。憂くんの好きな、甘い甘いチョコレート」
屈託なく笑う夜々に目を奪われながらも、慎重に袋を受け取る。
確かな感触。
実在、している。
憂は大きく息を吐き、気の抜けた声で言った。
「良かったぁ……」
安心した。
トラブルが発生してチョコがダメになったのではないか、などと様々な可能性が頭をよぎっていた。
想定外の事態に見舞われた際、夜々ならすぐに事情を話してくれるだろうと頭で分かっていても。
こうして心の底から安堵するくらい、心配していたのだ。
「ありがとう。昼にフェイント食らった時は生きた心地がしなかったよ」
「ごめんごめん。実は三人で話してね。時間割を決めたんだ。朝は三耶子ちゃん、昼は葉火ちゃん、そして夕方が私。そっちの方が一日楽しめるし。虎南は本人希望で葉火ちゃんの前座」
「そういうこと……てっきりなにかあったのかと。はひちゃんが溶かしたとか。もしくはうっかり忘れちゃったり」
「なにそれー。もー、忘れるわけないじゃん」
と、陽気な笑い声をあげ、
「いっつも憂くんのこと考えてるんだから」
さらりと言って夜々は再び歩き出した。
……後ろから抱きしめてやろうかこやつめ。
追いかけて、夜々の隣に並び直す。
「ありがとう夜々さん。すごく、嬉しいよ。わがまま聞いてくれて。僕のこと考えてくれて」
「任せて。お安い御用だよ」
歩く。
歩いて、歩く。
手元に意識を集中させるのは危ないと分かっていても、右手に持った夜々からのチョコを眺めてしまう。
だらしない表情をしているつもりはないが、どうだろう、自信はない。
「は、恥ずかしいから仕舞ってちょーだい」
「ごめん。もうちょっと」
憂は嬉しくて仕方がなかった。
三耶子に、葉火に、夜々。
他にもたくさんの人達のおかげで朝から喜びっぱなしだ――気を抜けば感極まって泣いてしまうかもしれない。
「ごめんね、僕ばっかり喜んで。今日の主役は夜々さんなのに。でも、悪いけどさ、今日一番幸せなのは僕だと思う」
名残惜しいが、夜々からのチョコをバッグに仕舞う。
「どうかなー。そんなに喜んでもらったら、私の方が上な気がする」
「いや、僕が上」
「私が上!」
些細な意地の張り合いに、二人は笑い合う。
「まあ、いまの時点では憂くんが上ってことにしてあげよう。これからびゅーんと抜き去るからね」
「プレゼント、楽しみにしててよ。物以外にも用意してるから」
うっかり口を滑らせてしまい慌てる憂だったが、夜々は事前に知っていたかのように、嬉しそうな表情。
「葉火ちゃんと三耶子ちゃんも同じこと言っててさ。二人からは、もう貰っちゃった」
「そうだったの? 一体なにを?」
「なーいしょ」
いたずらっぽく言って。
夜々は期待を込めた瞳を憂に向ける。
「憂くんはなにをくれるの?」
勿体ぶろうかと思ったが――人数も増えるし、いま以上に伝えやすいタイミングが訪れるか怪しかったので、言うことにする。
こういうのは、さらりと伝えるのが一番だ。
「聞いて驚きたまえ。プレゼントはこの僕だ」
三耶子と話した冗談を、ごく真面目に採用してみたところ――夜々は目を丸くして、沈黙。
めちゃくちゃ白けちゃった。
まずいと思った憂は、すかさず「冗談だよ」と取り繕う。
すると夜々が、むぅと唇を尖らせて。
「えー、冗談なの? 嬉しかったのになー。ぬか喜ばされ」
からかうような口調で視線を正面へ。
かと思えば、今度はおねだりするように甘えた声で「……ほんとに冗談?」と言った。
元々冗談ではなかったが――この瞬間、確実に冗談ではなくなった。
「……貰ってくれる?」
「うん」
顔は前を向いたまま、足を止めず、二人は言葉を交わす。
とん、と憂の右手に、夜々の左手の甲がぶつかる。
「ほんとに貰っちゃうよ。誕生日の私は遠慮知らずなんだから。安心したまえ、乱暴に扱ったりはしないと約束しよう」
一度だけでなく、二度、三度。
ぶつかる。
夜々が、ぶつけてくる。
だから憂は。
ぶつかってきた夜々の手を掴み――動きを止めて。
自身の小指を夜々の小指に、絡めた。
約束。
指切り。
「大切にしてね」
いつかの夜々のようにそう言って。
小指に力を込めると。
込めた力がそのまま跳ね返ってきたかのように。
夜々も、拳を握るようにして、小指を絡めてきた。
――直後、なにかを振り払うように大きく頭を振って、憂を見る。
「憂くんってさ! 憂くんってさぁ!」
と、乱れた髪を整えもせず口をパクパク開閉させて、ぎゅっと結ぶ夜々。
もの言いたげに、口をもごもごさせている。
憂は、夜々のこういう余裕が持続しないところが好きだった。
攻めた側がいつの間にか追い込まれる、夜々との関係が楽しかった。
だから。
その気持ちを伝えよう、と思った。
プレゼントは僕なんて言ったのだから。
彼女の誕生日に、僕を贈ろう。
貰ってくれる、みたいだから。
「ありがとう」
三耶子へ届けた時のように。
葉火へ届けた時のように。
余計な装飾はせずそう言って。
「チョコレート、ありがとう。いつも仲良くしてくれて、ありがとう。僕は、夜々さん達と一緒にいるのが楽しい」
夜々の目を真っすぐ見据え。
指先まで心を込めて。
長くなり過ぎないよう、スマートに。
「出会ってくれて。一緒に居てくれて、ありがとう」
いつか言いたかったことを。
いつも言いたかったことを。
伝えて――憂は笑った。
「これからもよろしくね。誕生日、おめでとう」
そんな憂からの祝福に。
夜々は夕焼けが差してなお分かるほど真っ赤な顔――それを隠すように俯いて、「はい」と。
聞き取れないくらい小さな声で答えた。
小指が痛いくらいに締め付けられたが、憂はなにも言わない。
これからを約束するようで、嬉しかった。
「私も……憂くんと同じ気持ちだよ。ありがと、いつも」
「そっか。温度だけじゃなくて、気持ちもお揃いだね」
「こやつは……ほんとにさぁ……」
「え? なんて言ったの?」
「なんでもないよ!」
夜々は開き直るように憂の右手ごと大きく腕を振りながら歩調を速めた。
憂もペースを合わせ、一緒に歩く。
笑いそうになるのを堪えながら。
聞こえないふりをしてはみたが、憂は夜々の呟きを一言一句余さず聞き取っていた。真似してみろと言われたら即座に完璧に再現できるくらいだ。
こんな反応をしてくれたら嬉しいな――と想像したそのままのリアクション。
そんな夜々が可愛くて、憂は結局、笑ってしまった。
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