好きすぎて分からない
「虎南ちゃんは男の子を好きになったことある?」
窓の外へ目を遣りながら問いかけるも、虎南からの返事は無い。
ゆっくりと視線を右隣へ転じる。虎南はハンバーグを切り分けるのに夢中で憂の話など聞いていないようだった。
この様子ではいくらセリフを粒立ててみたところで、彼女の興味を惹くことは叶わないだろう。付け合わせのコーン一粒にも敵わない。
呼び出したのはこちらだし、わざわざ休日に付き合ってくれているのだから、虎南のお腹が満たされるのを優先するとしよう。
本日、土曜日。
夜々が可愛く仕方なかった日の翌日である。
現在虎南オススメのハンバーグ店で遅めの昼食をとっていて、虎南の料理が先に届いたので憂を待たず食べてもらっている状況だ。
隣で。
四人掛けのテーブル席なのに、隣で。
虎南曰く「スティンザー効果ってやつですよ。隣同士の方が親密感とか感じやすい感じらしいです」とのこと。そう言った割に話を聞いていないのは彼女の中でどう辻褄が合っているのだろうか。
虎南がハンバーグを一口サイズに分割し終わったタイミングで、憂の手元にも料理が届いた。
「姉倉先輩、半分こしましょう。そっちも食べたいです」
間髪入れずに虎南が言った。
自身のチーズハンバーグだけでなくおろしハンバーグも食べたいようで、視線が憂の手元に固定されている。
「半分と言わず好きに食べなよ。残ったのを僕が食べるから」
「お兄ちゃん……!」
ぱあっと目を輝かせ、憂の皿を自身の方へ移動させると、再びナイフとフォークを巧みに操り始める。食欲に素直な虎南の姿には葉火の面影があった。
「葉火ちゃんに似てきたね」
「ふふん。わたしは葉火さんの一番出汁ですから、似るのは当然でしょう」
「濃いって意味で、大きく間違っちゃいないのか……?」
ちょっと考えさせられたが、一番弟子でも一番出汁でもどっちでもいいので、肉と格闘する虎南を手拍子で応援する。
リズムに乗り作業を終えた虎南が、切り分けた内の一つにフォークを刺して、憂の口元へ運ぶ。
あーん、の形。
「可愛い可愛い虎南ちゃんがあーんして差し上げます。ご馳走になるわけですから、一番槍は姉倉先輩に譲りましょう」
「じゃ、いただきます」
肉を口に入れる。フォークが引き抜かれる。
虎南は満足気に頷いたのち、フォークを取り換えることなくそのまま自分の食事へ移ろうとしていた。
気にする様子は見られないし、事実気にしてはいないのだろうが――昨日の夜々が脳裏をよぎったため、一応訊いてみた。
「虎南ちゃん、それ。間接キスってやつになるけど、いいの?」
「――ふっ」
鼻で笑われてしまった。
やれやれ何を言い出すかと思えば、といった感じの表情がこちらへ向けられる。
この小娘、心からバカにしていやがる。
「間接キスに夢を見すぎなのでは? 過去に飼育委員を務めていたわたしにとって、この程度は日常ジュマンジです」
恐ろしい双六形式のボードゲームみたいな日常を過ごしているらしい。
虎南が語感で言葉を選ぶのも、日常茶飯事。
それはさておき。
「僕をペットかなんかだと思ってやがるのか――というか待て。どうやったら動物と間接キスすることになるんだよ」
「特殊な趣味を持つ先生を放課後みんなで飼っていたんです」
「そいつの名前をいますぐ教えろ! 僕の虎南ちゃんに変なこと教えやがって許せねえ!」
冗談に決まってるじゃないですか、と虎南は今度こそ食事を始めた。
小学生に飼われる変態は実在しないらしい。
小学生の妹を持つ憂は心の底から安堵した。
それからしばらく、虎南の食事を見守る時間が続く。邪魔にならないタイミングを見極め、紙ナプキンで口を拭いてあげたりコーンを一か所に集めたりと、憂は憂で兄としてしっかり楽しませてもらった。
およそ半分を食べた辺りで、虎南はジンジャーエールを啜り、一息つく。
「それで、さっきなにか言ってましたね。わたしが男の子を好きになったことあるか、でしたっけ」
「聞こえてたんだね。そう、虎南ちゃんは恋したことあるの?」
「うーん……あるような無いような。異性が妙にかっこよく見える時期はありましたけど、あれは恋心というより恋ごっこという感じですかね」
中一らしからぬ発言をすると、今度は物憂げな顔でふぅと小さく息を吐き、呟くように問いかけてくる。
「恋をするってどんな気持ちなんでしょうね」
「……それを聞いてみたくて虎南ちゃんを呼んだんだけど」
「前にも言ったじゃないですか。姉倉先輩が自分で考えて結論を出さなければ意味がないでしょうに」
身も蓋も無い結論が出てしまった。
ぐうの音も出ない。
そりゃあないぜ虎南ちゃん、口調まで葉火ちゃんに似てきちゃって。
「でも、どうしたんですか急に。昨日なにかありました? あったんでしょうね。呼び出されたことからも分かりますが――実は。昨晩お姉ちゃんと一緒にお風呂に入ったんですが、ぼそりと姉倉先輩の名前呟いてましたよ。恐らくあれは無意識に。憂くんって」
「……マジであの人はさぁ。マジであの人はさぁ!」
「なにがあったんですか?」
「夜々さんがめちゃくちゃ可愛かったんだよ。甘える、どころか甘えっくすえるって感じ」
憂は意識的に自慢するような語調で答えた。
虎南が「ぐぬぬ」と悔しそうに唸り、しかしすぐさま余裕を顔いっぱいに湛える。
「わたしの方がお姉ちゃんの可愛いとこたくさん知ってるもん。耳の裏くすぐると可愛い声出して頬スリスリしてくるんですよ」
「僕はくすぐってないけど可愛い声出してスリスリされたよ」
「調子に乗んなー!」
声を荒げた虎南が憂のグラスを引っ手繰り、なみなみ注がれたウーロン茶を一気に飲み干すと、一つ氷を口に含み豪快に噛み砕いた。
凶暴なげっ歯類だ。
せめてもう少しラリーを続けてから怒って欲しかったが、虎南は意に介す様子も省みる様子もないまま、話をリセットする。
「それで。お姉ちゃんに恋してるかもしれないって話でしたっけ」
「まあ、そんなとこ。僕は夜々さんのことが大好きだ。同じくらい、三耶子さんと葉火ちゃんのことも大好きだ。僕はあの子達が大好きなんだよ」
「好きすぎるあまりどう好きなのか分からない、と。そういうことですか」
呆れた風で放られた指摘が、とてもしっくりきた。
まさしくそんな感じで、好きすぎて分からない。
日ごと増していく彼女達への好意は、いまや全体を一望できないくらいに膨れ上がってしまって、自分でもなにがどうなっているか分からない。
漠然と種類が違うことだけを感じている状況だ。
「相変わらず恥ずかしいことを恥ずかしげもなく言いますね、姉倉先輩は」
「笑ってくれていいよ」
「笑いませんよ。わたしは他人の真剣を笑いません」
ぴしゃりと言い切り、虎南はピンと伸ばした人差し指を顎に当て、思案顔をする。
ううむと唸り。
一拍置いて。
なにか思い付いたような顔で憂を向いた。
「恋なら、氷佳ちゃんに聞いてみればいいじゃないですか」
「……んぎぃ」
渋面を湛え苦しげに唸る憂の口へ、ハンバーグが一欠片突っ込まれる。更に虎南はお姉さんぶって頭を撫でてくるが、憂は特に抵抗しなかった。
正真正銘傷心中。
肉を咀嚼しながら氷佳との会話を思い出し、飲み込んで、溜息交じりに言う。
「一目で分かったってさ。私はこの人と一緒になるんだって」
「ひゃー、魂レベルで一目惚れですね!」
そうなのだ。
そうらしいのだ。
氷佳は暁東と出会った瞬間に強烈な運命を感じたそうで、以来、存在全てで恋をしているのだという。曰く暁東も同じなのだとか。
恐るべしボーイミーツガール。
お兄ちゃんはとても寂しい。
せめて参考にしたかったのだが、憂の始まりとは対極に位置するためそれも叶わなかった。
「姉倉先輩は、そういうの感じなかったんですか? お姉ちゃん達と会った時。実は一目惚れしてる可能性も大いにありますよ」
「……僕の場合、最初は遠ざけようとしてたんだよね」
「へ? あんなに素敵な人達を?」
「あんなに素敵な人達を」
「なんで? バカって実在するんですね」
非常に腹の立つ小娘だが、実際その通りで言い返す余地がないので、憂は受け入れた。
唖然とする虎南と見つめ合い、しばしの沈黙。
それから虎南がこほんと空咳で間を作り、言った。
「では、過去の自分に一言どうぞ」
「お前はバカだ。その子達はお前の人生を変える大切な存在だ。一生大切にしろ」
「そーだそーだ! バーニャカウダ!」
うっかりオーダーが通ってバーニャカウダが届く――などという珍事が起ころうはずもなく、とりあえず食事を済ませることにして、満腹を告げる虎南から残りの料理を受け取り、憂が平らげた。
余韻も程々にお会計を済ませて店を出る。
風を浴びて伸びをする憂に「ご馳走様でした」と虎南が深く頭を下げた。
そして。
顔をあげると、その表情はやけに自信家な色付けがなされていた。
「たかりと思われては心外です、お食事分はしっかり働きますよ。腹ごなしも兼ねて、歩きながら簡単な恋愛心理テストをするとしましょう」
「お願いします虎南先生」
二人は並んで歩き出した。
「はい、姉倉君。では目を閉じて、女の子を一人想像してください」
歩き出してから目を閉じさせるな。
憂は立ち止まり、言われるがまま目を閉じて、想像する。
女の子を一人、想像する。
「目を開けてください。頭に浮かんだ人があなたの恋する相手です。誰が浮かびましたか?」
「虎南ちゃんだけど」
「え! 姉倉先輩ってわたしが本命だったんですか?」
相変わらず信憑性皆無でお粗末な、喋りながら考えているような心理テストだった。
虎南はわざとらしく両頬に手を添え、恥じらった顔をしている――身体をくねくねさせながら、照れちゃうわといった感じ。
小癪な小娘め。
「まーあ? 姉倉先輩って、愛情深いし、絶対大切にしてくれるから悪くはないんですけどー、ですけどもー、ごめんなさいね! お姉ちゃん達に恨まれたくないのでお断りです」
「虎南ちゃん、僕のこと好きなの?」
「さあ、どうでしょう」
まるで姉のように含みを持たせる虎南――一体なにを企んでいるのやら。
虎南に関してはなにも考えていない可能性を考慮しなければならないので、ある意味姉よりも難しい。
まあ、間違いなく適当だろう。
「おっと。あんまり誘惑してわたしに本気になられては困りますね。いけないいけない。この魅惑の身体つきで危うく悩殺してしまうところでした」
「――ふっ」
憂は鼻で笑った。
やれやれ何を言い出すかと思えば、といった感じの表情を虎南に向けて。
「悩殺? 農作物の間違いだろ。根菜ボディが笑わせるなよ」
そう言った。
言い終えるより早く、怒り狂った虎南が耳を引っ張ってきたので、憂は頬を引っ張り返した。更には葉火から教わったのだろう右手に噛み付いてきやがったが、耳の裏を撫でたら簡単に外れた。持つべきものは知識である。
お互い乱れた髪を直して、会話を再開。
「冗談とは言え悪かったよ。虎南ちゃんは立派にいやらしい」
「嫌な言い方しないでください」
「さて身体つきと言えば――僕が異性として好かれる奴なのかってのも気になるところだ」
「繋ぎ目の気色悪さは置いといて……その辺りは考えるより行動では? どちらであったにせよ、自分を磨く努力はするべきでしょう」
「それは、その通りだ」
好かれるための努力をやらない理由なんて、確かに無い。
現状異性として好かれているなんてことがあったとしても、やはりやるべきだ。
よし。
差し当たってまずは、長時間のお姫様抱っこに耐えうる身体を手に入れよう、と憂は密かに決意した。
「虎南ちゃんはしっかり者だね」
えへへー、と嬉しそうに笑う虎南。褒められることが大好きな彼女らしい、誇らしげな笑顔だった。余程嬉しかったのだろう、虎南は声を弾ませ、分かりやすく増長する。
「ふふん、ふふふん。わたしをアドバイザーに選んだ姉倉先輩の目に狂いはなかったということです。しかし、自分が選ぶ側だなんて自惚れちゃダメですよ」
「思ってないよ。選ばれる側だとも、思ってない」
「それでいいんです。人はみんな、選ぶ側で選ばれる側。偏っていないのならそれで良し」
と言って、虎南は憂の腕に肩をくっつける。
憂は夜々が肩を寄せるどころか頭を乗っけてきたことを思い出し、クラクラした。
――大切にしてね、なんて。
抱き締めなかった自分を褒めてやりたい。
たぶん、抱き締めていたら。
加減はできなかった。
壊してしまうくらい、力を込めてしまった気がする。
「偏りといえば」
という虎南の声で、憂は意識を引き戻す。
「姉倉先輩は自分から相手を誘ってますか?」
虎南が呈した疑問から、過去を思い返してみる。
現在と過去を行ったり来たりで忙しいが――
自分から夜々達を誘うこと。
勿論あるが、その割合を考えた時、大きく偏っている気がした。
夜々はいつの間にか隣にいてくれるし、葉火には問答無用で首根っこを掴まれ引きずられる。三耶子に関しては憂から遊ぼうゲームしようと誘うことも多いが、それでもやはり、向こうからのアクションが大きく上回るだろう。
偏っている。
――なんということだ、僕は彼女達に甘えすぎている。
「……言われてみると誘われる方が多い。こいつは大発見だね」
「ではでは。これからはもっと姉倉先輩から誘ってください。皆さん喜ぶと思いますよ。しっかりPコートしてあげましょう」
「エスコートね」
「お姉ちゃんは大きめのサイズを好むので、エルパーカーがいいですかね?」
「エスコートはSサイズのコートじゃねえぞ! でもエルパーカーには賛成だ!」
「流石姉倉先輩。ピチピチよりぶかぶか。薄着よりも着込んでる方に欲情するって聞きました」
「違う。誰だそんなこと言ってたのは。僕はそんな偏った奴じゃない、どちらにも等しく欲情する。厚着って全裸の色違いだろ?」
「ひゃー気色悪め! そこは偏ってていいんですよ!」
そんな無駄話を続けながら二人は歩く。
会話の内容はともかく、虎南のおかげで大切なことに気付けた。
今いる場所より先のことばかりを考えていたが――それは明確な思い上がりだった。現時点でも直すべき部分がある。
無視できない、偏りがある。
嘆息しつつ、憂は言う。
「しかし、色々考え始めるとキリがないね。元々問題点の塊みたいな奴なんだよ、僕は」
「問題点でかさ増ししてるんですね、人間性を」
「そこまでは言ってない」
ふふふと笑って。
虎南は声に鋭さを伴わせる。
「まあまあ姉倉先輩。気持ちは分かりますが、あんまり急ぎ過ぎることはないと思いますよ。まだ考え始めたばかりじゃありませんか。意識が変われば景色も変わります。こういう時こそ急がず焦らず落ち着いて、視野を広く持つべきじゃないですか? 景色の一つ一つを見落とさないように」
ていうか、と今度は砕けた口調で繋ぎ目を作り、
「わたしと遊んでる暇があったらお姉ちゃん達とサウナにでも行って語り合った方が有意義な気がします」
「虎南ちゃんと遊ぶのも楽しい。だからそんな言い方するなよ」
虎南は一瞬だけ意外そうな顔をして、無邪気に溶けるように微笑んだ。
こうして虎南と話すことで、見えてくるものもある。
現に灯台娘とばかり接していたら気付けなかった問題点が浮き彫りになった――浮き上がらせてくれた。
「虎南ちゃんがいてくれて助かってるよ」
「大したことは言えませんけどね。わたしの立場だと、どうしてもお姉ちゃんに肩入れしちゃいますから。葉火さんも古海先輩も好きなので、出過ぎた真似はしないように気を付けないとです」
中立中立、と虎南は繰り返す。
知られたくないだろうプライベートの話を漏らしている時点で、姉に対して明確な敵対行為を働いているのだが、憂は得しただけなので特に指摘はしなかった。
そして。
だからこれは独り言ですが――と、虎南が。
ひとりでに、語り始める。
「お姉ちゃんの気持ちがどうであれ。わたしは、姉倉先輩にはお姉ちゃんを好きになって貰いたいな」
と。
公平性の欠片も無いことを言った――そもそも公平である必要がないのだけど。
そんなことを言った。
虎南は大袈裟に首を振り、仕切り直しとばかりにニッコリ笑う。
「さてさて。わたしはサブキャラとして皆さんの行く末を見守らせていただきます。悩んでください。大いに悩んでください。行き詰ったり息詰まったらいつでも話を聞いてあげますから」
ありがとう、と憂は返した。
悩むべき部分はたくさんあるけれど、まずは意識していこう。
意識して、やっていこう。
彼女達に好かれる努力というやつを。
意識が変われば景色も変わる――変わった景色の中、自分が彼女達の手を引こう。手を引く積極性を持って、彼女達と関わっていこう――そう思った。
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