あざとすぎるとファンタジー

 普段近付かない上級生の教室を覗いてみよう。

 憂と夜々はほぼ同時に同じ意見を口に上し、その一致を笑い合い、三年生の教室がある西側へ行き先を定めた。


 目の死んでいるタヌキの着ぐるみや、巫女装束の金髪ギャル集団、バナナと水晶玉でジャグリングをするピエロなど、お祭りを満喫する人々とすれ違いながら、陽気な空気に背を押され、進んでいく。


 右隣を歩くキョンシーを一瞥する。帽子の分だけいつもより背が高い。

 とはいえちびっ子であることに違いはないため、憂は足を止めずに迷子対策を持ち掛ける。


「はぐれないようにね、夜々ちゃん。お兄ちゃんと手を繋ぐかい?」

「うん。繋ご」


 ん、と夜々が左手を差し出してきた。

「バカにすんなーっ!」という反応を想定していたのだが空振りだ。


 憂の軽はずみな発言を返り討ちにする気満々なのだろう、いたずらっぽい表情を浮かべる夜々が、袖を揺らす。素直に敗北を認めようかと思ったが、憂はキョンシーの衣装を大変気に入っているため、その袖を右手でつまんだ。


 しっかりとしていて丈夫な生地だ。帽子も同じ素材が使われているのだろうか。夜々の頭部をまじまじと眺める。帽子が綺麗に嵌っている。ちょっとやそっとじゃズレないだろう。

 そんな風に、恥ずかしさを彼方へ追いやるべく衣装へ意識を逸らす憂だった。


「む、これ結構好きかも。私、甘えたいタイプだけど甘えられるのも好きなんだよね」


 と、はにかんだ夜々が勢いよく右手を振りはじめ、進む速度が上がる。

 袖を指で挟んだまま、憂も続く。


「憂くんさ、氷佳ちゃんと回らなくていいの?」


「時間はまだまだあるから大丈夫。夜々さんとも遊びたかったし。それより、夜々さんこそ虎南ちゃん達と一緒じゃなくて良かったの?」


「うん、大丈夫。まあ……その、虎南にも色々考えがあるみたいで。わたしは両生類の策士、って言ってたけど、どういうことかな?」


「……分かんない。虎南ちゃんの発言全部メモして、10年後に見せつけてやろう」


 虎南がなにやら張り切って、策を張り巡らせようと躍起になっていることは分かった。中学生という時期は軍師を気取りたくなるものなのだ。

 両生類などと言っているらしいが、フットワークの軽そうな虎南の場合、溺れはしないものの、危険地帯が増えたことによるマイナスの方が大きい気がした。


 まあ。それはいいとして。

 憂は話題を変えることにした。


「そういえば葉火ちゃん、元気? 朝から三耶子さんがすごく元気でさ。曰く刺激的な夜を過ごしたとかなんとか」


「超元気だよ。でも、お泊りについて、詳しいことは頑なに教えてくれないんだよね。なにがあったんだろ、正直、ヤキモチだよ」


 見れば夜々はわざとらしく不満を頬に溜め込んでいる。

 つつきそうになる気持ちを抑えるため、憂は視線を正面へ向けた。


「三耶子さんも顔を真っ赤にするだけで全然教えてくれなくってさ。ほんと、妬けるよね――ってことで」


 憂はもう一度夜々を見る。

 夜々も憂を見る。


「僕らも二人だけの秘密っていうの作ってみようか」

「――いいね、そうしよ」


 夜々は無邪気に微笑み、憂も同じような反応を返す。

 少なくとも憂は、三耶子と葉火を羨ましく思った。眩しくて、微笑ましかった。

 彼女達の反応を見るに、相当おかしなことをしたのだろう。

 だから自分も、このお祭りの開放感に乗じてはしゃいでやろうと決めた。


「三耶子さんの反応を見るに、人には言えない恥ずかしい何かが起きたはずなんだ。あの葉火ちゃんが口を噤む程の何かが」


「葉火ちゃんが黙るって一体何事だろうね」


「というわけで、僕達も普段やらないような恥ずかしい行動をしてみよう」


「なんでそうなったの!? なにするつもり!? 私なにさせられるのかな!」


 大チャンスだと思った。

 あれこれとそれらしい理屈を手繰り寄せ並べてはいるが、着地点は最初から決めている。結論から逆算して、論理らしきものを捏ね上げている。


 憂が足を止め、軽く袖を引っ張ると、夜々も止まってこちらを向く。

 困惑と期待の混じったような表情の夜々と目を合わせ、逸らさず、憂は空いている左手の人差し指を立て、


「僕はいまから夜々さんのほっぺたをつつく」


 と、剥き出しの欲望を口にした。

 憂は夜々の頬を触りたかった。やってみようかな、と考えてしまってからその欲求がぐんぐんと膨らんでいる。以前、虎南の頬を引っ張った際に感じた柔らかさを、身体が記憶し欲しているのだ。


 憂はなにもない宙をつつく動作をする。

 夜々は「なんだそんなこと?」とでも言いたげに心安い微笑みを見せた。


「私もよくやるし、気にしないでいいのに――って、遠回しにバカにしてるね!? 恥ずかしいことだってそう言いたいんだね! はしたなぶるってかー!」


「違う違う。夜々さんみたいに爛漫な子はともかく、僕みたいなのが恥じらいを持たずにそんな真似をすると、取り返しのつかないことになるんだよ」


 爛漫な女の子である名瀬の夜々ちゃんが慣れた動きで憂の頬を抉ることしばらく、満足したのだろう彼女は得意げな顔で腕を組む。


「やってみたまえ。いつでもどうぞ。でもこれ、私は全然恥ずかしくないよ」


「じゃあさ、思いっきり甘えてみてよ。これでもかってくらい」


 もうただひたすらに滅茶苦茶を言っている自覚はあるし、恐らく夜々も異変に気付いているのだろうが、何故か憂の意見は通った。

 儲けである。文化祭マジックというやつだろう。


 頬の感触を利き手で味わうべく、憂は袖から手を離し、右手の人差し指をピンと伸ばす。夜々がこちらへ左頬を差し出すようにする。


 白く瑞々しい肌――頬袋に、ゆっくり指を近付ける。手が震えそうだった。

 こういった悪戯を警戒する、例えばハムスター組合なる存在が頬の中に控えていて、押した瞬間一斉に飛び出してくるのかもしれない。

 ピンポンダッシュなどという悪事を働いた過去は持ち合わせていないが、こんな気持ちなのだろうか。


 そんなことを考えつつ、もう少しで指先が届く距離まで近付いた――その時だった。


 夜々が両手で憂の右手首を掴み、ぐっと引き寄せ――憂の指を自身の左頬へ押し当てる。それから、心地良さそうな顔でスリスリと頬ずりをして、くすぐったそうに口元を綻ばせた。


 思いっきり、これでもかというくらい、甘えていた。

 甘えられた。

 指先にはどこまでも沈み込みそうな柔らかい感触。手が震える。


 はっきり言って、理解ができなかった。

 こんな頭の中の妄想がそのまま形になったような光景を、すぐに受け入れられるはずがない。


 あざとさの塊は憂の処理能力を易々上回り、結果、硬直を強いられる。憂は口をあんぐりと開け、お手本のような唖然を満天下に晒した。


「――これ私だけ恥ずかしくない!?」


 憂の硬直に気付いた夜々の顔が見る見るうちに赤らんでいく。

 仰る通りである。そもそも憂が行為を躊躇ったのは恥ずかしさが理由ではないのだ。


 恥ずかしがる夜々の姿を前に、ようやく憂の思考は正常に戻りかけたのだが、そうすると、先程目にしたあざとさが堰を切ったように流れ込んできて、結局身悶えする羽目となった。


 しばらく経って。


「心臓が回し車になって飛んでいくかと思ったぜ」


 ようやく言葉を放てるまでに回復した憂。

 一方の夜々は、不満をたっぷり込めたジト目を憂へ向けている。


「どう考えても不公平だよ! つぎ私の番ね! はい、しゃがんでもらいます!」


 次は夜々の番らしい。

 Tシャツの裾を下へ引かれ、憂は大人しく腰を落とし、姿勢を低くする。すると夜々も同じような体勢となり憂と目線を合わせる。

 それから伸ばした右手を憂の頭に置き――ゆっくり、優しく、撫でた。


「いつもありがと」


 と、夜々はほんのり照れの混じった笑顔を見せる。


 ――これは、こういうのは、ズルいだろ。

 思い出したくて思い出すやつだ――堪らず憂は俯き、そのまま鼻先を鳩尾に埋める勢いで丸まった。

 恥じらいのダンゴムシとなった憂に、夜々は力強い語調で言う。


「これでおあいこだね。私だってお姉ちゃんなんだから、こういうこともできるんだよ。暁東がさせてくれない分、今度から憂くんにしてあげよっか」


「勘弁しておくれやす……」


 あっという間に主導権を握られ、もはや逆転を狙う気力は湧かなかった。この子には敵わない。憂は身体から熱が去るのを待ち続けた。


 ややあって、顔の熱が引いたのを機に立ち上がり、悠然とした態度を取りながら、既に立っていた夜々と向き合う。

 そして。


「ねえ、夜々さん。僕、いまになって気付いたんだけどさ」

「私も……」


 穏やかな空気――ではあるのだが、よくよく考えれば、いや、考えるまでもなく。

 憂と夜々が居るのは廊下、つまり公衆の面前だった。


 周囲を見渡す。幸いにも知っている顔は見当たらなかったので、二人はひとまずの安心を得て、その場を立ち去ることにした。

 そそくさと。

 逃げるように。


 憂が恥じらい半分、可笑しさ半分といった感じで笑む。夜々は心底可笑しそうに笑い声をあげた。


「あはははは! 私達、すっごい恥ずかしいね! ひゃー!」


 階段に差し掛かる。

 憂より前に出た夜々が、ぴょこんと一段二段と駆け上がり、憂の進路を塞ぐ位置へズレて、動きを止める。


「通せんぼ! 唐変木!」


 と、意地悪してくる夜々を押したり引いたりじゃれ合いながら、あっという間に三階へ。


 勢いのまま踊り場から左へ進むと、サメの被り物にメイド服という装いの生命体が営む、シャークメイドカフェが左手に現れた。なかなか興味を惹かれたが、一緒に居るハムスターがサメは苦手ということを思い出し、そのまま直進。


 プラ妬リウム、水族館(人)、トッパラッパッパといった看板が掛けられる教室を横切りながら、憂は素直な所感を口にする。


「なんか、カップル多いよね。他校の学生とか、小学生までいる」


「もしかしてこの辺ってそういう層に向けたエリアなんじゃない?」


「文化祭で?」

「文化祭だもん」


 文化祭の一言で大概の事象に説明がついてしまう気がしたので、憂は特に反論をしなかった。


「じゃあ、別の場所に行こうか」


「カップルと言えば――さ」と、被せるように夜々が言った。


「暁東と氷佳ちゃん、仲良くできそうで良かったよ」


「……そうだね。うん、僕も、そう思ってるよ。暁東くん、氷佳みたいに可愛い子は初めて見たってさ。なかなか見る目のある、見所のある弟くんじゃないか」


「へえ。暁東そんなこと言ってたんだ。随分と打ち解けたみたいだけど、どんな話したの? 暁東、何が好きとか、そういうの教えてくれないんだよね。勉強とか言ってるけど嘘っぽいっていうか」


「……お姉ちゃん達が健康でいられるように、お医者さんになりたいんだよきっと」


 小童の名誉を守ってあげつつ歩く速度を上げると、手を掴まれる。

 立ち止まって夜々を向くと、


「せっかくだからどっか寄って行こうよ。とりあえずそことか」


「え――と。僕はいいけど……夜々さんは、いいの?」


「い、いいに決まってるじゃん? ダメじゃないけども? 普通だよ普通」


「苦手じゃなかったっけ、サメ。そこ、サメ映画の無限上映やってるみたいだよ」


「ひゃーっ! サメはご勘弁!」

 

 指さした先を確認していなかったようなので尋ねてみたが、案の定だった。我が校の先輩方は、シャークメイドにサメ映画と、そんなにサメが好きなのだろうか。

 夜々ちゃんはサメや蛇が苦手なのである。そこでふと、過去に夜々がインディ名瀬と自称していたことを思い出し、やたら蛇の出るあの映画をよく見たものだ、としみじみ思った。


 とにかく、ここらはサメの縄張りのようなので、やはり離れた方が良さそうだ。

 憂はそれとなく行き先を誘導するつもりで、わたわた落ち着かない夜々に語り掛ける。


「夜々さんって食べたくなる動きするよね。ちょっとお腹空いてきたかも。夜々さんはどう?」

「あ、だったら任せて!」


 捕まる藁を見つけた、といった様子で途端に堂々とする夜々。むん、と胸を張ったのち、頭に乗っけている帽子を取る。


 すると。

 夜々の頭のてっぺんに、白くて丸い物が乗っていた。

 それを手の平に乗せ、差し出してくる。


「豆大福だよ! こんなこともあろうかと忍ばせてたんだ! はいどーぞ!」


 夜々の手にちょこんと乗った、豆大福。

 身体の一部を分け与えているように感じられた。

 豆大福を受け取る。

 夜々を見る。

 そうすると、段々とおかしさが込み上げてきて。


 ――ほんと、この子、愉快すぎる。


 憂は、声をあげて笑った。

 愉快な人達に囲まれて僕は幸せだ、と心から思った。

 思わされた。

 嬉しいことだ。なかなか笑うのを止められない。


 ここまで好感触だとは想定していなかったためだろう、夜々は反応に困っているようだが、ふにゃふにゃと緩んだ口元から嬉しく感じているだろうことが窺える。

 人目も気にせず笑って――笑い終えて。


「僕はいま、無性に夜々さんを可愛がりたい気分だよ」

「うむ。可愛がってもらおうじゃないかね」


 再び胸を張った夜々と豆大福を半分ずつ分け合い、可愛がられるのを待つ夜々の姿が可愛らしかったので、特になにもせず、歩き出した。


 やがて泥かなにかで作られたおどろおどろしい人形が入口に立てられる教室へ差し掛かる。暗幕が掛けられていて中の様子は窺えないが、看板を見るまでもなくお化け屋敷だと分かった。放たれる空気から鋭さが感じられ、初めて葉火の家を訪れた時を思い出した。


 憂は当然のようにスルーする構えだったが、


「ね、ここ入ってみようよ」


 と、夜々が目を輝かせる。


「……自分のクラスので十分かな」


「えー、いいじゃん! こっちも楽しそうだよ! だいじょーぶ、私が守ってあげるからさ!」


「夜々さんすぐにやられちゃいそう」


「そんなことないから! お化けなんてけちょんけちょんにしてみせるよ!」


 おりゃー、とデコピンをする夜々。

 憂はどうしても入りたくないので、見苦しくも抵抗する。


「幽霊なんているわけないから、入るだけ無駄だよ」


「お化け屋敷はそういうものなんだよ、実は。憂くんはお化けが怖いんだねぇ。知ってたけど」


「違うよ。お化けは怖くない。びっくりさせられるのが嫌なのと、怖い雰囲気が嫌なだけ」


「かわいーなーもー」


「よよぉ……」


「氷佳ちゃんの真似だ! 似てないっ!」


 くすくすと笑ったのち夜々が「そこまで嫌なら」と言ったところで、暗幕の向こう側からぬるりと出てきたカボチャ頭に腕を掴まれ、二人揃って中へ引きずり込まれてしまった。


 真っ暗な空間。

 受付役らしいカボチャ頭の目と口だけが光っている。唯一の光源であるカボチャ頭は小さな懐中電灯を夜々に手渡すと――光を消し、そのまま闇に消えていった。


 どういう造りになっているんだ。憂は自然と夜々の両肩を握っていた。続けて主導権まで握りにかかる。


「……こうなったら仕方ない。僕は全然怖くないし、行こうか夜々さん。安心して、僕がキミを守るから」


「心強いよ。ということは、私が後ろの方がいいね。入れ替わろうよ」


「夜々さんが後ろにいる状況は一番無しだ。一番無い。なにされるか分かったもんじゃない」


「もー仕方ないんだから。じゃ、このまま前は私に任せたまえ」


「いや、隣がいい。隣が一番安心する。お願い隣に居て」


「…………」


 とうとう返事がなくなってしまった。表情は分からないが、憂のせせこましさに辟易してしまったのかもしれない。


「憂くんって、ほんとさあ……もー」


 夜々は上ずった調子で言うと、そこで言葉を切り、懐中電灯を明滅させる。正常に動作することを確認して、夜々と憂は目の前の幕をくぐった。

 ひんやりした空気が肌にまとわりついてくる。布の擦れる音が聞こえる。

 掛け値なしに真っ暗な空間で、与えられた懐中電灯が唯一の灯かりのようだった。


「夜々さん、いるよね? どうして灯かりをつけないの? 何も見えないよ?」

「…………」

「夜々さん! マジでそういう意地悪はやめてくれ!」


 両手を伸ばし夜々の位置を探ろうとすると、右手の先になにかが当たった。


「ひゃー! どこ触ってんのさ憂くん! 恥ずかしいじゃん!」


「え、僕どこ触ってんの!? 教えて!」


「あはははは! じょーだんでした! 私は触られてないよ」


「待って待って待ってなにか触ってるんだよ僕」


 大騒ぎする憂と、ひとしきり笑ったのちようやく灯かりを点ける夜々。憂の手が何に触れたのかは最後まで分からなかった。


 そんなことはどうでもいい。

 それよりも、この悪戯娘をなんとかしなければ。


 絶対逃がすまいという思いから、憂は夜々にぴったりくっついた。夜々の背後から右手で腰辺りを抱きしめるようにして、左手で夜々の左手首を掴む形。ちょっと大きいライトを抱えるような感覚だ。


 それからいつお化け役が脅かしに来るのかビクビクしながら進んでいったが、しかし、驚くべきことに一度も驚かされないまま、ゴールへ到着した。

 暗幕を抜けた先にカボチャ頭が控えていて、懐中電灯を返却する。

 先へ進むと無事明るい空間へ帰還を果たした。


 本日快晴。お日さまが気持ち良い。

 憂は伸びをして、隣の夜々に声をかける。


「平気だった? なんともない?」

「よくそんな爽やかな顔できるよね」


 自身の醜態を綺麗さっぱり忘却した憂である。紳士然として夜々の体調を気に掛けつつ、自然な笑顔を向けた。

 対する夜々は得意のジト目。終始憂の介護をさせられていたのだ、この反応もむべなるかな、といったところだ。


「ごめんね夜々さん。迷惑かけちゃって」


「迷惑っていうか……ねえ。むう。まあいいけどさ。それより、暗いだけで脅かす人いなかったね」


 どちらからともなく歩き出し、感想を語り合う流れとなる。憂は怒られないことに安堵して、つい声が大きくなるのを抑えられないまま答えた。


「トラブルか、それとも、最初から受付以外に人がいないのか……内装とかを見せるタイプの出し物だったのかな。全然周りを見る余裕なかったよ。でもすごくドキドキしたね」


「ほんとだよ」


「正直、暗くて助かった。夜々さんに格好悪い姿を見せずに済んだ」


「見えてないだけだからね! 全部聞こえてたから!」


 きょよよんしーは憂の横腹を軽く小突く。うるさかった自覚はあるので、憂はもう一度謝った。


 しばらく夜々は口を尖らせ、じーっと憂を見つめていたが、不意に、不満そうにしていた顔に笑みが差した。つい笑ってしまったという感じで、夜々は口元を抑えながら、可笑しそうに語る。


「会ったばかりの憂くんを思い出して、面白くなっちゃった。最初は、ちょっとだけ、怖そうだったよ。それがいまじゃ、私の後ろで震えてるんだからさ。分からないものだよね」


「……幻滅した?」

「ぜーんぜん」


 気を遣われているのかもしれないが、少なくとも憂の目には夜々が自然体に見えて――見たいように見えていて、だから「良かった」と口から零れた。

 夜々が笑う。


「仲良くなったね、私達」

「そりゃあ、もう」


 そして、不意に。


「姉倉君」

「どうしたの、名瀬さん」


 と、昔のように呼び合って。

 互いに顔を見つめ合い、そして同時に噴き出した。


「めちゃくちゃ寂しいからやめよう。夜々さん」

「だね。私もそう思うよ、憂くん」


 名前で呼ぶのは恥ずかしいと思っていたけれど、いまではそれが普通となり、失えば寂しいと思うようになった。

 きっとこれからも、そんななにかが増えていくのだろう。


 ――例えば、いつか。

 夜々が頬ずりをすることを恥ずかしいと思わない日が来るかもしれない。

 なんてバカバカしいことを考えながら、憂は静かに笑う。


 隣の夜々に、立てた人差し指を近付ける。

 当然なにも起こるはずがなく、適当にあしらわれる――と思ったのだが。

 夜々は平然と、先程と同じように頬をスリスリしてきた。


 あまりの衝撃に、憂は意味不明なことを口走る。


「日本の夜明けぜよ。ぜよぜよ。名瀬夜々、なぜよよ、夜々ちゃん、ぜよちゃん」


 憂の知らない内に、例えばのいつかが訪れているようだった。

 いや、もしかすると。

 自分と同様、最初から恥ずかしいと思っていなかったのかもしれない。

 しかし恥じらう姿は演技に見えなかった――どういうことだ。


 目の前の現象について考えていると、夜々がしゃがむようジェスチャーしてきたが、憂は背筋を伸ばし、むんと胸を張った。

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