きょよよんしー!

 文化祭は土日を利用した二日間にわたって行われる。

 本日はその初日、十一月十三日。

 時刻は午前十一時過ぎ。


 憂はクラスの出し物である『迷路お化け』の宣伝隊長として、プラカードを片手に校内を歩き回っていた。 


 服装は血糊でペイントされたTシャツに制服のスラックスというシンプルなものだ。当初はマントなり包帯なりを使う予定だったのだが、夜々の両親と対面するだろうことを考えると、あまりにヘンテコな格好をするのは躊躇われた。

 というわけで、昨夜、三耶子と一緒に遊び心を爆発させ作り上げたTシャツが、本日の憂の正装である。


 廊下を歩く。

 親子連れや、他校の生徒だろう見慣れない制服を着た男女が視界に入る。


 普段とは色の違う賑わいがあちこちに運び込まれていて、ただ歩いているだけでも自然と心が弾んでくる――加えてたった今、『もうすぐ着くよ』と母からのメッセージが届いた。


 氷佳を迎えに行かなければ。

 一層軽くなった足取りで、憂は昇降口を目指した。

 体感時間で一秒も掛からず三階から一階まで下り、看板を壁にたてかけ、角を折れると、目の前に人が立っていた。


「おや、丁度いいところに。おはようございますジミヘンさん」


 待ち構えていたかのような現れ方をしたその人は、マチルダだ。

 相変わらずの無表情な彼女は、ブレザーではなくMA-1と呼ばれるフライトジャケットを羽織っている。


「厄介事を運んできました。私は困っていますよ。助けてください」

「分かった。任せろ。それじゃ、僕は行くから!」

「どういうことですか。逃がしませんよ」


 撤退するべく踵を返した憂だったが、マチルダに素早く腕を掴まれてしまった。

 仕方ないので、向き直る。

 厄介事がなにを指しているのかは、目の前の光景を見れば明らかだった。


 小柄な男の子がマチルダのスカートの裾を掴んでいる。小学校低学年くらいだろうその少年は、しゃがみ込んで視線を合わせる憂を、怖じた様子もなく見返す。


 パーツの一つ一つがくっきりとしている、綺麗な顔。

 綺麗というより、可愛いという方が正しいように感じられた。


 どこの学校のものかは分からないが制服を着ていて、紺のブレザーに半ズボンというスタイルだ。


「迷子ってことだよね?」憂が訊く。


「分かりません。一人で立っていたので素通りしようとしたのですが、いきなりスカートを掴まれまして」


「実はマチルダさんが覚えてないだけで知り合いなんじゃ」

「まさか」


 マチルダは傍らの少年を一瞥し、憂へ視線を戻す。

 そして、溜息。


「私にガキの知り合いはいません」


「ガキって言うなよ、感じ悪い」


「失礼。子供は苦手でして。私は通らなかった道ですから。目を合わせるのも嫌なので、その子供がどんな顔をしているのかも分かりません。どうせ小憎こにくらしい顔をしているのでしょうね」


 やれやれ、と肩を竦めるマチルダ。


「さて困り果てた私でしたが、冴えた頭ですぐさま打開策を閃きました。なんと簡単、レオンに押し付けてしまえばいいんだ、と。その道すがらジミヘンさんを発見したので、なんだ丁度良いのがまだ居たじゃないかと胸を躍らせた次第です」


 次第ですじゃねえよ。憂は恨みがましい視線をマチルダに向ける――が、まあいい。ここで揉めても長引くだけだ。


 どうしてここまで子供を毛嫌いしているのかは分からないが、それは後々聞くとして、まずは目の前にいる少年をなんとかしなければ。

 なるべく早く。氷佳を待たせるなんてことはあってはならない。


 憂は一度頭を振り、少年に問いかける。


「変なお姉ちゃんがごめんね。この人アホなんだ。それで、キミ、名前は? 僕は姉倉」

「…………」


 少年は答えない。

 不安を感じているわけではないのだろう、その表情に翳りはなく、澄んだ瞳でじっと見つめてくる。

 目の前の人物は信用に値するのか、その内面を覗き込もうとしているようだった。


 それにしてもこの、小動物的な可愛らしい顔立ちは、どうにも初対面という感じがしない。馴染みのある親しみやすさがひしひしと感じられる。


 あ、もしかして――と憂の頭に閃きが走ると同時、少年が口を開いた。


「知らない人に名前を教えちゃダメって、ぼくはぼくのお姉ちゃんにそう教えてるよ」


「わーお。このガキ変ですよ。姉とやらはもっと変なんでしょうね。関わらない方がよいのでは」


「……ねえキミ、もしかしてだけど、お姉ちゃんって夜々さんと虎南ちゃん?」


 憂が尋ねると、少年は目を細めて「知ってるの?」と答えた。

 マチルダはばつが悪そうに顔をしかめた。


「知ってるよ。じゃあ、キミが暁東あきとくんか。初めまして、僕は姉倉憂。そっちの性格が良くはないアホのお姉ちゃんは――マチルダって呼ばれてる」


「初めまして。マチルダです。いやはや可愛らしい弟君ではありませんか。両手両足に覇王線があるに違いありません。私は占いとか信じませんが。あとこの男も性格は良くありません。気を付けてください」


 夜々の弟だと判明した途端、ご機嫌取りを始めるマチルダだった。なんでも見通す全能ぶった彼女が、ここまで露骨に失敗する姿は、なんというか、可愛らしかった。


 憂は意地悪い笑みをマチルダに向けたのち、少年へ話しかける。


「ご両親とはぐれちゃったの? だったら――とりあえず、お姉ちゃんの所に連れてってあげようか」


「ひとりで平気だよ。ぼくは知ってるんだ。お兄ちゃん、ぼくを利用してお姉ちゃんに近付くつもりでしょ。そういうやから、多いんだ。ぼくのお姉ちゃんは二人とも、世界で一番かわいいからね」


 臆面もなくそんなことを言い放つ小学生。

 この少年は、もしかしなくても重度のシスコンを患っているようだった。


「お兄ちゃんの気持ちは分かるよ。こんなチャンスは滅多にないだろうからね。迷子のぼくを助けることでお姉ちゃんをデートに誘えるつもりなんだ」


 少年――暁東は自身の推理に一片の疑問も抱いていないらしく、辟易だと言いたげに溜息をつき、憂が白状するのを待つように堂々と構える。


 憂はどう答えるべきか悩んだ末、正直に答えることにした。

 対等に接する方がいいだろう、と判断したためだ。年齢で侮れるほど自分が優れているとは思わない。


「その疑り深さが気に入った。だから一人の男として相手をしよう。悪いけど、僕はキミのお姉ちゃん――夜々さんと二人きりでお買い物に行ったことがある」


「――っ!? う、嘘だ。あんなに可愛いお姉ちゃんをデートに誘える身の程知らずがこの世にいるはずない」


「ここにいるんだよ。あの世界一可愛い女の子をデートに誘った身の程知らずがな! ふはは! めちゃくちゃ可愛かったぞ!」


「じゃあどう可愛かったか説明してみてよ!」


「おいおい暁東くん。夜々さんの可愛さを言葉で語り尽くそうだなんて、無茶で無謀もいいところだぜ。本人以外が正しく表現できる部分が少なすぎる」


「ほ、本物だ――!」


 暁東は先程までの澄まし顔から一転、眩しい物を見るような顔をして、大袈裟なくらいのけ反った。

 それから。


「……お兄ちゃんがそこらの素人とは違うことは分かったよ。だからちょっとだけ信用してもいいかな。ぼくは名瀬暁東。お姉ちゃん達の弟」


「よろしくね暁東くん。仲良くしよう」


 憂と暁東は固い握手を交わす。

 奇妙な友情のようなものを感じていると、マチルダが居なくなっていることに気付いた。当初の思惑通り、押し付けて逃げたらしい。

 別にいいけど――夜々さんには全て報告させてもらおう。


 さて暁東の話を聞いてみると、両親がお昼まで身動きを取れなくなったため、先行して虎南と二人でやって来たらしい。優しい虎南お姉ちゃんは保護者としての務めを果たそうと張り切っていたが、色々あってはぐれてしまったのだそうだ。


 虎南が調子に乗ってしまう姿は想像に難くない――が、このシスコンが簡単に姉とはぐれるなんてことがあるのだろうか。間違いなく手を繋ぐだろうこやつが。


 訝りつつも、氷佳と合流する際にまとめて解決しようと目論んだ憂は、弟と一緒に昇降口にいるというメッセージを虎南に送った。

 すぐに返信がきたので確認して、暁東と一緒に歩き出す。

 

「虎南ちゃん、すぐに来るってさ。文字だけで分かるくらい焦ってたよ」


「かわいかったでしょ」


「可愛い可愛い」


 シスコンって相手にするとしんどいな、と憂は思った。

 人の振り見て我が振り直せという言葉が浮かんだが、一旦置いて。

 暁東には聞いておきたいことがある。


「暁東くんさ、いま好きな人いる? もしくは、彼女とか」


「いないよ。女の子を好きになるって、よく分からないし。ぼくはモテるけど、お遊びみたいのは嫌いだから、ガールフレンドがいたこともない」


「そっか、いないのか……しかし暁東くんは、立派だね。安心したよ。そこで次の質問。もし、仮に――あり得ないけど。夜々さんが僕に惚れたとしたら、どう思う?」


「祝福するよ。お姉ちゃんが変な人を好きになるわけないからね」


 思ってた解答と違った。

 もしやこの小学生、僕よりも器が大きいのか――と思わされたが、実際のところ、そうでもなかった。


「表向きはね。お兄ちゃんのことは許さない。一対一で喧嘩する」


「だよな、そうこないと! 実は僕にも、大事な妹がいてさ。暁東くんにとってのお姉ちゃんみたいな存在だ」


「それがどうしたの?」


「いま小学二年生なんだけど、遊び相手になってくれないかな。でも、万が一にも妹が暁東くんに惚れるようなことがあれば、大喧嘩の始まりだ」


「え、やだよ。じゃあ関わらない。女の子の相手って疲れるし」


「そんな選択肢はどこにも存在しない」


「シスコンってやつだ……見苦しいよ。まあ、お兄ちゃんの口ぶりてきに、あり得ないことなんだろうけどさ」


 会話を続けるうち、昇降口へ到着する。

 混雑、という程ではないが人が多い。憂は氷佳の姿を探しつつ、暁東と共に、行き交う人達の動線を邪魔しない位置へ移動した。

 二人並んで壁に寄りかかり、暁東のお姉ちゃんトークを聞いていると、


「あ、居た!」


 という虎南の声が飛んでくる。

 声の方を向くと、虎南と夜々がこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。


 虎南はサイズの大きな黄色のパーカーを着ていて、夜々は――黒をベースに襟元や袖、帯が青色の、キョンシーのコスチュームを纏っていた。

 側頭部には黄色いお札が張られている。頭に乗っかる帽子から輪郭に沿うような形だ。


 憂と暁東は揃って目を見開き「マジか」と漏らした。


「どこ行ってたの暁東! 心配したんだよ! ごめんね一人にしちゃって!」と、虎南。


「良かったぁ、虎南が泣きついてきた時は本気で焦ったよ」と夜々。


 姉妹は弟の無事に安堵したようで、似たような顔で小さな息を吐いた。


「ありがとうございます姉倉先輩。お礼につま先にチューしてあげましょうか」


「虎南になんてことさせるつもり!? どうしてこんな話になるのか説明してみたまえ!」


「夜々さんキョンシー可愛いね。僕もうメロメロだよ」


「誤魔化されないよ!」


 キョンシーだからだろう、夜々は両手を伸ばし人差し指を立て、憂の左頬をグリグリと抉る。気が済むまで抉ってもらい、それでも黙秘を貫いた憂は、見事逃げ切ることに成功した。


 掛け合いが一段落すると、虎南が暁東の正面へ行き、屈み込む。


「やっぱりお姉ちゃんと手繋ぐ? またはぐれたら大変だし」


「……やだよ。恥ずかしい」


「袖でもいいから」


「そんなのできるわけないよ」


 やたらと素っ気ない態度の暁東に、憂は「まさかこいつ」という思いを抱きながらも、黙って成り行きを見守ることにする。


「ぼくは一人でも平気だから」


「ダメ。暁東はまだ小っちゃいんだから。お姉ちゃんに頼りなさい。この虎南お姉ちゃんにね!」


 暁東はツンとした顔で目を合わせようとせず、その反応に虎南が口を尖らせる。

 二人のやり取りを見ていた夜々が柔らかく笑み、暁東へ語り掛けるように、憂に教えるように言った。


「暁東はベタベタされるの嫌なんだよね」


「そうだよ。手なんて繋いだら、ぼくがお姉ちゃん大好きみたいじゃないか」


 ――こいつ! 姉の前で格好つけてやがる!

 さっきまで「ぼくのお姉ちゃんは世界一かわいい」とか言ってただろうが!


 憂は声に出しそうになるのを堪えながら、目元に力を込め、暁東を見る。

 暁東がわずかに首を振った。言わないで、ということだろう。

 姉の前で背伸びをしたい気持ちは理解できたので、憂は首肯で他言しないという意思を伝えた。

 シスコンというのは大変らしい。


「ありがとね憂くん。さっきすれ違った時マチルダちゃんが言ってたよ。憂くんが暁東を見てくれてるから安心だって。あんなに頼りになる人はいないって言ってた。じーにあす! だってさ!」


 それがおべんちゃらであることもすぐに理解できた。恐らく、褒めてやったから弟に働いた無礼の数々を密告するなと、そういうことだろう。必死さが伝わってくる。

 分かったよ、とどこかにいるマチルダへ向けて頷いた。


 すると、「よよー!」という氷佳の声が聞こえてくる。

 走ってくる氷佳の姿を視界に捉え、憂は両手を広げた。


 駆け寄って来た氷佳が、小さな身体に蓄えているエネルギーを一気に爆発させ――夜々に向かって飛んだ。

 氷佳を受け止め、夜々が笑う。


「氷佳ちゃんおはよ。今日もかわいいねー」


「よよもかわいい。どうやったらそんなにかわいくなる?」


「やー、そんな風に言われると照れちゃうなー」


 当然のように夜々を優先する氷佳だった。

 我が家はハムスターに乗っ取られるかもしれない、と憂は思った。


 憂は嫉妬を捏ね上げた視線を夜々へ刺しつけながら「僕も知りたいなあ夜々ちゃん」なんて呟く。それに気付いた夜々が舌を出し、てへぺろ。


「いまの私にやったでしょお姉ちゃん!」


 と、虎南が夜々の隣へ寄ってはしゃぎはじめる。


 次いで暁東が「ねえお兄ちゃん」と小声で話しかけてきたので、憂はしゃがんで耳を寄せた。


「あの子がお兄ちゃんの妹だよね?」


「可愛いだろ」


「うん、かわいい。お姉ちゃん以外であんなにかわいい子は初めて見た」


 ――マジかよこいつ、と憂は反射的に立ち上がる。

 この男は危険だ。危険人物だ。どう対応すべきか頭を悩ませる憂だったが、答えが出るよりも、氷佳が暁東に気付く方が早かった。

 氷佳が、暁東の前まで移動する。


「だあれ?」


「……ぼくは、名瀬暁東。夜々お姉ちゃんの、弟だよ」


「よよの! 氷佳はね、氷佳。兄ちゃの妹」


 二人は見つめ合い、氷佳が笑って、暁東もあどけない笑みを見せた。

 年相応の、無邪気な笑顔。

 それから氷佳が両手で暁東の右手をぎゅっと握り、言う。


「いっしょに遊ぼ」

「うん、いいよ。一緒にあそぼう」


 たったそれだけ、その一言だけで、子供は仲良くなれる。

 仲睦まじい光景に毒気を抜かれた憂は、自分でも驚くほど穏やかに、笑ってしまった――その時だった。


 突然、隣のキョンシーが腰辺りに巻き付いてきた。

 憂の腰に両手を回し抱きしめるようにしながら、脇腹辺りに顔を押し付けてくる。


「なにしてるんだよ夜々さん!」 

「憂くんが飛び掛かるかと思ってさぁ!」


 目の前の光景に憂は感涙こそすれ暴れ出すつもりなど毛頭なかったのだが、夜々にはそう映らなかったようで、弟を守るための行動を起こしたらしい。

 こんなことをされた方がよっぽど飛び掛かりそうだった。

 夜々がどこまで自分のあざとさに自覚的なのかは分からないが、あまり僕の理性を信用しすぎないで欲しい、とそんなことを憂は考えた。


 虎南の「なにやってんですかー!」という叫びが木霊し、夜々が離れる。

 

 ようやく一段落――とはいかず。


「おはよーでる夜々ちゃん。渦乃さんが来たよ」


 憂の母、渦乃が現れた。

 次から次へと忙しい。これが文化祭というやつなのか。


「あ、渦乃さん! おはよーでる! です!」


 渦乃は控え目に手を振り微笑する。

 嬉しそうに挨拶をする夜々に続き、虎南も初めましての挨拶を済ませた。

 Wハムスターの頬っぺたを突っついた渦乃は大変ご満悦な様子である。


「お父さんもすぐに来るよ。氷佳達は見てるから、憂達は遊んでおいで。あとでお母さんとも遊んでちょうだい」


 すかさず、虎南が答える。


「じゃあお言葉に甘え――いえ、わたしも渦乃さんにお供します! 暁東の面倒を見るのはわたしの役目ですから! 姉倉先輩とお姉ちゃんはゆっくり遊んでてください。お姉ちゃん、あとでお父さんとお母さんも来たら遊びに行くね」


 と、虎南は渦乃の隣に並び、腰に手を当て胸を張ると、誰に向けてかウインクをする。「いいの?」という渦乃に、「もちろんです!」と虎南は即答した。


 別に全員で行動すればいいだろうと思ったが、よくよく考えなくても母親と一緒に行動するのは恥ずかしいと気付き、厚意を受け取ることにする。


「憂。その前に、ちょっと」


 なにやら伝えておきたいことがあるようで、二人で少し離れた位置へ移動する。

 真剣な表情だったので憂も真面目に耳を澄ませたのだが――


「夜々ちゃんと結婚できるように頑張りなさい」

「マジでもうどっか行ってくれ!」


 憂は逃げるように元の位置へ戻った。


 それから。

 渦乃が虎南の手を握り、既に手を繋いでいる氷佳と暁東を連れ、歩き出した。


 見送る。憂は氷佳と暁東の動向が気になって仕方なかったが、氷佳の選択を祝福すべきだと自分に言い聞かせ、深呼吸をする。

 氷佳の一番が揺るがないことを信じて。


 あっちはあっち。

 こっちはこっち。

 強引なお節介で二手に分かれることになったが、そういえば肝心の夜々の気持ちを聞いていない。折角だから大勢で遊びたかったかもしれない――というか今日の主題は家族との交流なのだから、自分より虎南や暁東と過ごすべきだろう。


「ねえ、夜々さん」


 やっぱり一緒に行こう、と続けようとしたが、それを遮るタイミングでからかうような笑みを向けてきた夜々が、弾むような声で言った。


「デート、しよっか」


 ――と。

 どうやら意地の張り合いがお望みらしい。


 憂は平静を装い、さも動揺していませんよと言わんばかりに、わざとらしい苦笑を浮かべながら答えた。


「僕から誘いたかったのに」


 受けた夜々は一層笑みを深くする。


「ごめんごめん。私って身の程知らずだからさ。つい自分からね」


「なにそれ――あ! もしかして! マチルダさんからなにか聞いたろ!」


「どうだろうねー」


「正しく伝わってない恐れがある! 話した内容を教えてくれ」


 マチルダめなにを言いやがった。場合によっては出るとこ出てやる。

 こっちもあることないこと吹き込んでやるぞ。


 夜々は大仰に肩を竦めてとぼけると、


「次、楽しみにしてるよ」


 と、どこか大人びた顔でそう言ったのち、「きょんしー!」なんて笑いながら両手を前に出す。


 多彩な変化、その幅の広さに憂は笑ってしまった。

 笑って、気が抜けた。

 ――まあ、いいか。


 先程、憂が無言でつま先事変を有耶無耶にしたのと対照に、夜々は喋々と騒がしくして、憂の追及を逃れたのだった。


 夜々は楽しそうに、笑っている。


「いま私、すごくズルしたい気分なんだよね! 付き合ってもらうよ、憂くん! さあついてきたまえ!」


 キレのいい号令を掛けるちびっ子キョンシーの頭に貼られた御札をよく観察すると、赤い文字で「きょよよんしー」と書かれていた。

 荒っぽい筆跡は葉火のものである気がした。

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