ぴったり
いよいよ明日は文化祭。
週明け、虎南にアドバイザーを引き受けてもらってから今日までの間、色々あったな、と憂は振り返る。
本当に色々あった。
どうしても写真を削除して欲しいという夜々に、「これに代わる可愛い写真を撮らせてくれたら消してやるぜふはは!」と下衆を煮詰めたような冗談をぶつけてみたところ、彼女がジャージ姿であざとい挙動と悪ノリの数々を炸裂させるに至り、最終的には憂の方から、「もう二度としません」と改心を宣言させられた。
可愛さは悪を滅するのだ。
葉火を家まで送り届ける最中、幽霊を目撃して二人でみっともなく大騒ぎもした。本来であれば積極的に関わりたくない存在だったが、葉火と別れたのち、来た道を一人で戻らなければならないと気付いた憂は、「捕まえて叩きのめす」という葉火の判断に同調し、幽霊狩りを行った。
しかし結局正体は分からずじまいである。
三耶子と制服を交換したりもした。
灯台娘の中では落ち着きのある人物だと見られがちな三耶子だが、最近のはしゃぎっぷりは瞬く間に周囲の認識を改めさせ、今現在、七組における三耶子のイメージは悪戯好きな子供である。そのためクラスメイト達は三耶子の要求に寛容であり、すぐに甘やかすので、男女で制服を交換するというイベントが発生したのだった。
男子の中では虹村が一番似合っていた。
他にも虹村と協力して杜波さんの彼氏の素性を調べ上げたり、マチルダと二人で体育倉庫に閉じ込められたり、奈良端先生が実は結婚秒読みであると発覚したりと――日々、世界は前に進んでいる。
おちおち振り返る暇も無いほど、忙しく。
終わりに向かって。
あるいは、始まりに向かって。
進み続けている。
憂達は現在、五組の教室で休憩中である。
七組の教室は迷路となっているため、広々とした五組を使わせてもらっているのだ。生粋の遊び人達が机を端に避けて椅子をいくつか置いただけの空間は、休憩所として完璧な役割を果たしていた。
どこで用意したのかワイングラスを片手に、杜波さんが言う。
「ひとまず準備は終わったな。ここからはブラッシュアップだ。いいかお前ら、結末は妥協になるがそれは悪いことじゃない。妥協できる内は上を見ているということだからな。一秒ごとにレベルアップしてると言っていい。というわけで、まだまだ働け」
注がれた赤色の液体を一口で飲み干し、杜波さんが下品な笑い声をあげる。当然だがアルコールではなかった。
「あの人に振り回されるのもこれで最後だと思うと、少し寂しいかもしれないわ」
「大丈夫だよ。杜波さん、三耶子さんのこと大好きみたいだし」
窓際でアップルパイを食べながらそんなことを話していると、出入り口の方から声がした。
「ここに居たのね! 探したわ!」
と、意気軒高に歩み寄って来るその人物は、葉火。
彼女が周囲の目を引くのはいつものことだが、今回着目すべきは、その服装。
白のレースやフリルがふんだんに施された、黒を基調とするドレスに身を包み、頭には大きな黒のリボンが乗っていて、髪型はツインテール。
気が狂ったのか、と憂はおののいた。
幽霊に憑りつかれてしまったのかもしれない。
葉火は憂達の目の前までやって来ると、見せつけるようにくるりと回る。
「ほら、憂。あんたがお望みのゴスロリよ。可愛いでしょ」
「あ、あーそういえば、そんなことも言ったっけ。似合ってるじゃんはひちゃん」
「当たり前でしょ。なによそれ美味しそうね。一口貰うわ」
言って葉火は憂の手からアップルパイを引っ手繰り、一口で食べてしまった。三耶子も同様の被害にあった。
「夜々を探すついでに見せに来てやったの。あんたら、夜々見なかった?」
「見てないわ。夜々ちゃん、いなくなっちゃったの?」
「そうなのよ。すぐ戻るって言ってたけど、あたしとかくれんぼしたいのかと思って」
説明しつつ辺りを見回す葉火が飲み物を探しているだろうことを察した憂は、ブレザーのポケットから手つかずの缶コーヒーを取り出し、手渡した。
「ありがと。そうだ、憂。今日あんたの家に泊まるから」
「それはいいけど……どうして」
「朝から搬入とか色々あるのよ。あたし、家遠いでしょ? 今日も帰りが遅くなることを考えると、結構大変じゃない。安心しなさい、おばあちゃんの説得は済ませてあるから」
「なるほどね。そういうことなら、分かった。終わったら一緒に帰ろうぜ」
「先に終わった方が相手のクラスへ迎えに行くことにしましょう」
「ご飯とお風呂、どっち先にする?」
「ご飯に決まってるでしょ。食事後のあたしは機嫌が良いから、背中流してあげてもいいわ」
「分かった。母さんに伝えとく――」
そこまで言って、憂は声を張り上げた。
「――っていいわけねえだろ! アホか!」
「本気で連れ込まれるかと思ってドキドキしたじゃない。ノリツッコミはもっとスマートに決めなさいよ」
まだまだね、とでも言いたげに呆れ顔の葉火だった。
手厳しい奴だ。
「冗談よ。三耶子の家に泊めてもらうの」
「来ないのかと思ってドキドキしちゃったわ。憂くんも来る?」
「行かない行かない。はひちゃん寝相悪いに決まってるから、気を付けてね」
「おバカね。あたしはお布団の上が一番大人しいのよ」
閃いたわ、と三耶子が謎の相槌を打ち、よく分からないなりに憂はその閃きを天才だと褒めそやした。
なにが行われるのだろう、きっと天才的なアイデアに違いない。
なんでもそのお泊り会は二人きりで、夜々は不参加なのだそうだ。
今日は家族と一緒にいる、と、そう言ったらしい。
そういうことらしい。
三人は頬の緩んだ顔を向け合い、それから憂が声を潜めて訊いた。
「ということは、二人で一緒にお風呂に入るの?」
「私はそのつもり。バスボムを用意しているわ」
「バスボム? なによそれ、絶対投げつけるわ」
やっぱり僕も行こうかな。
声には出さなかったが、三耶子と葉火は憂の脳内を見通しているような顔をしていた。
ひとしきり雑談を終えたところで、なにかを思いついたように破顔した葉火が、向きを変え、腰に手を当て、挑発的に呼びかける。
「いいこと思い付いたわ! あんたら、あたしがお化け屋敷のリハーサルに付き合ってあげる! すぐに準備しなさい! あたしを驚かせたら好きな物奢ってやろうじゃないの」
葉火の挑発に、騒ぐのが大好きなクラスメイト達はやる気十分に色めき立つ。
明日のお祭りが楽しみで仕方ないらしい葉火ちゃんに、憂は意地の悪い笑みを向ける。
「そんなこと言って大丈夫なのかよ。この間、幽霊にめちゃくちゃビビってたくせに」
「あれはあんたが、背後で突然、なっさけない大声出すから驚いただけよ」
「へえ。可愛らしく僕の後ろに隠れてたくせに。ぷるぷるはひちゃん、背骨がプリンって感じだったろ」
「それはあんたでしょ! あたしの腰に抱き着いて離れなかったくせに!」
どちらの言い分が正しいのかは、二人のみぞ知るといったところである。
両方正しいかもしれないし、両方間違っているのかもしれない。
答え合わせをしましょう、と三耶子も葉火の提案に乗り気だったが、
「いや、僕は夜々さんを探しに行くよ。すぐ戻ってくるから先にやってて。それじゃまた後で! さらばだ!」
と、憂は逃げるようにその場を後にする。
というか、逃げた。
三耶子の微笑は、葉火の主張が正しいと確信しているようだった。
〇
夜々の居場所に心当たりのある憂は、一段飛ばしで階段を駆け上がっていたが、途中で綾坂を思い出し速度を緩めた。
万が一にも転落して怪我を負ったら、当日不在のお祭り男という不名誉を背負う羽目になるかもしれない。
階段をのぼりきって、扉の前に立つ。
ゆっくり扉を押してみる。鍵は掛かっていなかった。
以前よりも冷たい風が流れ込んでくる。全身が強張るのを感じながら、それでも動きを止めず扉を押し開け、一歩踏み出す。
屋上。
ここから始まった――というわけではないが、この場所で大きな変化が生まれたのは事実だ。
だから夜々はここにいるだろうと、そんな気がした。
フェンスの近くに立つ人影が、こちらを向いたのが分かった。
憂は寒さを物ともしない風で、その人物に近付いていく。憂の直感は、正しかった。
「あ、憂くんだ。やっほー。すっごい寒いね!」
「やっほー夜々さん。大丈夫? 風邪引くよ」
夜々はわざとらしく身体を震わせ、自身の身体を抱きしめる動きをする。
憂はブレザーを脱ぎ、夜々に差し出した。
「良ければ使ってよ。僕は寒くないからさ」
「いやいや悪いよ。じょーだんだからさ」
「そっか。じゃあこれは僕が着るとしよう」
「やっぱ寒いんだ」
夜々はからかうように笑って、空に浮かぶ半分の月を見上げる。
憂も隣で同じようにした。前回と同じように、隣に並んだ。
わざわざ一人でここへ来たということは、一人で考え事をしたかったのかもしれないが、憂は自分の判断を、肯定する。
「緊張してる?」
「うん……少しね。でも、不安はあんまりないよ。楽しいこと、考えてた。嬉しいこと、思い出してた」
みんなのことだよ、と夜々は視線を空に据えたまま、声を弾ませる。
「前まではさ、一人でいると寂しくなってたんだけど、いまは平気。会いたいなって思う人達が、会いに来てくれるから。丁度ね、顔見たいなって思ってたんだよ」
「じゃあ、いいタイミングで来れたみたいだ」
「うん、ぴったり」
この場所選びでその発言は、本当に、あざといよなぁ――憂は小さな溜息を吐いた。そんな憂の心中などお構いなしに、夜々は続ける。
「みんなのことを家族に紹介できるようになるんだって、楽しみだよ」
そこで夜々は憂を見る。
憂も夜々を見返す。
「だから私、頑張る。家族と、みんなと。笑ってられる時間が、一秒でもたくさん欲しいから。迷う夜は、今日でおしまいにする」
きゅっと顔を引き締め、瞳に決意を込めて、夜々は宣言する。
そうしよう、と憂は答えた。
寄り添うように柔らかく、夜々の背を押すように力強く、そう言った。
夜々が、嬉しそうに表情を華やがせ、再び月を見上げる。
「全部終わって、色んなとこにも目が向くようになったら、改めて考えたいことがあってね。大したこと――なんだけど」
「聞くよ。聞かせてよ、どんな内容?」
「進路……みたいな?」
「へえ、進路。すごいね、僕はまだまだ将来のこととか考えてないや」
「将来……そういう捉え方、素敵だよね」
と、なにやら素敵な言い回しをして、
「なんだろうね、いまはまだ漠然としてて、だけどこれなんだろうなーってのは大体分かってる……気がするというか」
途端に歯切れ悪く、ぼんやりとした内容を場に並べていく。
「はっきりさせたら、私、それに夢中になっちゃいそうで。他のこと手に付かなくなりそう……みんなと遊びたいのに勉強ばっかりやっちゃう、みたいな」
「悪いことじゃないと思うけど、夜々さんが構ってくれなくなるのは寂しいな――そうだ、みんなで勉強会をしよう。僕、平均より上くらいは学力あるからさ。夜々さんになんでも教えてあげられると思う」
「私バカだと思われてる!? 平均くらいはあるよ! それに、そういうことじゃなくって! そんな反応すると思ったけど!」
ぷりぷり言い募る夜々だったが、ふと我に返ったらしく、控えめに咳払いをして、仕切り直し。
名瀬さん、何故か、ジト目。
「……そういえば憂くん、この間マチルダちゃんと体育倉庫に閉じ込められたんだって? 強引に迫ったらしいじゃん」
「まさか信じてないよね? ラブコメだったら苦情殺到間違いなしの、ときめき皆無な空間だったよ。旅行先で出くわしたら嫌な探偵ランキング作って遊んでた」
密室で二人きり。しかし相手はマチルダ、何かが起ころうはずもない。
好奇心でかさぶたを作りましょう、という文句に惹かれて安請け合いしたのが失敗だった。
「ふーん。まあ、疑ってはないけどさ。憂くんとマチルダちゃんって仲良いよね」
「マチルダさん、性格的に近い部分があってさ。夜々さんのどういう部分を可愛いと感じるかとか、かなり話合うよ」
「な、なにを話しているのだね」
ホッグちゃんってたい焼きをどこから食べようか悩んでる内に逆に食べられそうですよね。
分かるー。ぬわー、助けてー! なんて言ってそうだよね。
そんな会話だった。絶対に言えぬ。
「ま、まあ。それよりさ、明日の話だけど。氷佳ちゃんも来るんだよね?」
「うん。昼前くらいかな。夜々さん達に会えるって張り切ってるよ。母さんも」
「ほんと? うれしーな。渦乃さんも仮装するってさ」
「それはマジで止めて。お願い、ほんとにお願い」
「それでさ、一つ相談なんだけど」
「スルーされた! 信じてるからね夜々さん。それで、相談って? 当然オッケーだけど」
「私の弟、氷佳ちゃんに紹介してもいい?」
「んぎぃ」
予想外の提案に頭をぶん殴られ、憂は悲鳴にも似た変な音を発した。
氷佳に、紹介?
確か夜々の弟は、小学四年生だと言っていた。
氷佳の二つ上。
氷佳に友人が増えるのは素直に喜ばしいことなのだが……一つ懸念すべき点がある。
「いや……まあ。いいんだよ? 氷佳にも男友達とかいるのは知ってるし。でもなぁ……」
「な、なにか不都合が?」
「氷佳と母さんを見てもらったら分かる通り、僕の家族、名瀬の一族にめちゃくちゃ弱いんだよ。氷佳が暁東くんと結婚するとか言い出したらどうしよう。氷佳に恋はまだ早い。流石に。流石に! 笑ってる場合じゃないんだよ夜々さん! 笑い事じゃないんだって! んぎぃー!」
「だって、憂くんが……ねえ」
身も世も無いといった感じで悶える憂の姿に、夜々は笑いを堪えられないようだった。
氷佳の兄離れはまだまだ先だと高をくくっていた憂にとって、マジで笑いごとではないのだ。
――氷佳が自分以外に夢中になる姿を見たら、死んじゃうかもしれない。
憂はたっぷり一分程、大いなる葛藤に身悶えしたのち、ふうと大きく息を吐いて、夜々を向いた。
「……是非紹介してあげてよ。最終的にはお兄ちゃんが一番だって気付いてもらえるはずだから」
「私の弟を甘く見てもらっては困る!」
「まったく、とんだライバルの出現だ。絶対僕が勝つ」
小学四年生に対抗心を燃やす憂だった。
この場に葉火がいたら「気持ち悪い」とこの上なく直截的な表現をしたことだろう。
夜々も口にしないだけで思っているのかもしれない。
ようやく自身を省みた憂は、恵比寿様が如き穏やかな笑みを浮かべる。取り返せる気でいるらしい。
「なにはともあれ、明日は思い切り楽しもうね。夜々さんが楽しむ姿を、家族みんなに見てもらおう」
「うん。ありがと……あのさ」
そう言って。
夜々は。
どこか緊張した面持ちで、おずおずと――言い辛そうに。
恥ずかしそうに。
「――ごめん。また嘘ついちゃった。実は、結構不安でさ」
だから。
と、上目遣いで夜々が右手を差し出してくる。
不安そうに、みつめてくる。
寒さのせいもあるのだろう、震えるその手を――憂は迷いなく握った。
なにも言わず。
握る。
なにも聞かずに握ることが正解だと、憂は知っている。
僕達がついてるよ、その思いを握る力に籠めると、夜々は安心したように、ふにゃりと微笑んだ。
「葉火ちゃんと三耶子ちゃんにもやってもらわなきゃ」
「たぶん、僕よりあったかいよ」
「憂くんと私、おんなじくらいだもんね」
不意打ちであざといことを言われたため、急激に恥ずかしさが込み上げてきて、思わず手を離してしまった。
夜々はからかうような表情をしている。
まんまとしてやられたが、不安は、拭えたらしい。
「戻ろうか。風邪引いたら台無しだ」
「そうだね」
同意した夜々は、しかしすぐには動こうとせず、じっと憂を見つめる。
じっと、静かに、なにも言わず見つめ続ける。
意図の分からない視線に憂はたじろぎながらも、思考を回し攻略の糸口を探し――
「……どうしたの?」
結局、そんな当たり障りのない質問を投げた。
一つ、バカバカしい、突飛な思考は浮かび上がってきたけれども、口にすることは――行動には移すことはできなかった。
「ん、なんでもないよ」
と、夜々はどこか残念そうにも感じられる言い方をして、憂を横切り扉へ向かって駆け出した。
「よーし、それじゃ最後のひと頑張り! 行こっ!」
てってけてーと軽快なリズムで、夜々は去っていく。
その背中を見つめながら、もしあそこで、はしたなぶるをしたらどうなっていただろう、と、そんなことを考えた。
文化祭を前に、自分も大概、浮かれている。
〇
教室へ戻ると、むすっとした葉火の頭を撫でる三耶子の姿があった。
傍らには飲み物がたくさん置かれている。
どうやら葉火は相当な回数驚かされたらしく、「だから言ったのに」と憂は笑った。
おバカだ。
みんな。
みんながみんな、浮かれている。
――いよいよ明日は、文化祭。
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