わがままを言ってもいい?

 三耶子が無事に「葉火ちゃん」呼びを果たした翌日、金曜日。

 放課後になると皆一斉に文化祭の準備へ取り掛かり、休日用に蓄えていただろうエネルギーを思い思いに解放している。


 憂は広報班で虹村達と「異性のどんな仕草に胸キュンするか」という一歩間違えば不名誉な烙印を押されかねない雑談に興じていた。話は白熱する内いつの間にかチキンレースの様相を呈し始め、日頃物静かな美術部員の女の子が「痛みに耐えながら強がる姿が好き」と言い出したところで、丁度よく休憩のタイミングが訪れた。


 弱みでも握っているのか、杜波さんが昨日に引き続き奈良端先生から差し入れをカツアゲしてきたからだ。

 本日は、シュークリーム。


「なあ姉倉。そういえば古海さんの姿が見えねぇけど、どうしたんだ?」と、虹村。


「仮眠するって言ってた。寝不足みたいでさ。保健室のフリーパス持ってるらしいよ」


 朝からえらく眠たげだった三耶子は、放課のチャイムと同時に教室を出ていった。寝不足の理由は意味深に笑むばかりで教えてもらえなかった。


 憂と虹村は広報班の分のシュークリームを受け取り、席へ戻る。


「そういやマチルダが気になってることあるらしくってよ。姉倉、ちょっと生徒手帳見せてくれ」


「いまは持ってない。それより虹村が好きな画家のお姉さんの話しようぜ。上手くいってんの?」


「いーや、全然。年下はみんなヒヨコマメに見えるんだと」


 虹村はさして残念そうでもなく涼やかに笑う。

 なんとか話題を脇へ蹴っ飛ばせたようで、憂は胸を撫でおろした。

 夜々の生徒手帳を持っていることがバレたら事情を説明する前に袋叩きにされるだろう。そんな気がする。


 憂がシュークリームを口へ近付けようとすると、


「お、おい姉倉! 出た! 出番だ! あれをなんとかしろ!」


 狼狽する杜波さんが駆け寄ってきて、教室の出入口を指す。

 そこには、こちらを覗く夜々の姿があった。


 杜波さんの夜々への苦手意識は以前より増しているらしく、見るからに恐怖で色付けされていた。


 杜波さんは憂を無理やり立たせると盾のようにしながら押していく。そのまま突き飛ばすようにして憂を教室から追い出すと、ぴしゃりと扉を閉めた。

 電光石火の早業である。


「……なんかごめんね?」


「いや、夜々さんは悪くないよ。それより、どうしたの――」


 改めて夜々を見た憂は、言葉を途中で切り、硬直した。

 夜々が白衣を着ていたのである。


 ――可愛い。

 丈の長さもさることながら、注目すべきは袖。余っているどころではない。腕をだらりと垂らせば地面についてしまいそうなほど長く、実用性は度外視の萌え袖。


 なにを目的とした衣装なのかは分からないが、そして誰に向けてかは分からないが、ありがとう、と憂は感謝の気持ちでいっぱいになった。


 まじまじと眺める憂に、夜々はにっこり笑いかける。


「衣装がたくさん届いたから試しに着てみた! どうかな! 葉火ちゃんのお墨付きだよ」


「はひちゃんってほんと良い奴だよね。夜々ちゃん、ジュースを買ってあげる。ついておいで。フラスコにオレンジジュースを並々注ごう」


「誰がちびっこ化学者だーっ!」


 袖をばさばさ振りながら叫ぶ夜々。

 ケミカルな衣装でコミカルに騒ぐ姿は、自らちびっこ化学者と名乗っているようだった。


 ちびっこのご機嫌取りには、甘い物。

 憂は持っているシュークリームを差し出した。


 すると夜々は勢いよく顔を近付け豪快に齧り――溢れ出たクリームが口元と鼻先が白く色づけされる。

 慌てながらもしっかり噛んで飲み込んだ夜々が、またしても袖をばさつかせた。


「袖が長くて拭けない! 助けてー!」


「大丈夫、ちょっと冷静になれば脱げばいいって気付けるから。ロジカルにいこう夜々ちゃん」


「脱げぬ! 脱げぬ脱げぬ五劫のすりきれ――あと覚えてないや! ちょー救命のお助け!」


 ノリに身を任せただろう発言を受け、ほんと可愛いなこの子、と思う憂だった。

 見ていて飽きない人である。


 憂はポケットからハンカチを取り出し、夜々の口元にくっつくクリームを拭ってあげた。


「ありがと! ちゃんと洗って返すね。でもいまはポケットがないから……持っててもらえるかな」


「気にしないでよ。それにこのハンカチ、氷佳から貰った大切な物だから洗い方にはこだわりがある。母さんですらその洗い方は知らない」


「相変わらずの氷佳ちゃん愛――っていうか、そんな大事なの汚しちゃってごめんね!?」


「使わない方が氷佳も悲しむから。あ、誤解のないよう言っておくけど、普段使い用のハンカチも持ってるから、衛生面は心配ないよ」


 安心したのか夜々は喜色をあらわにした――といわけで、餌付け再開。

 残りのシュークリームを食べさせ、口を綺麗に拭いてあげると夜々は仁王立ちで「ごちそうさま!」と誇らしげに食事を終えた。


 クリームの付いた面が内側になるようハンカチを畳んでポケットへ戻し、教室から少し離れた位置へ移動して、憂は訊いた。


「こうして抜け出せるってことは順調みたいだね、準備。葉火ちゃんは元気?」


「元気だよ。いまは保健室で寝てるけど。寝不足ってやつだね」


「そうなの? スマホ手に入れてはしゃいだのかな」


「まあ、概ねそんな感じかと」


 夜々が気まずそうに目を逸らしたため、ピンときた。

 そういえば昨日、長電話の約束をしていたはずだ。憂の見立て通り、葉火もマチルダ同様に睡眠時間のほとんどを失ってしまったのだろう。


 しかしそうなると、目の前のケミカルハムスターが元気なのは違和感がある――いや、夜々のことだ、日中居眠りをして取り戻したのだろう。不真面目な学生である。


「三耶子さんも保健室へ行ったから、いま二人は一緒に寝てるってことか。なるほどね」


「なにがなるほどなの。変なこと考えてないよね」


「……僕ってどんな奴だと思われてんの?」


「葉火ちゃんの身体あったかいとか考えてるんでしょ」


「なんで知ってるんだよ! 違うあれは場を温めるための表現で実際どうなのかは知らない」


「昨日自分で言ってたじゃん! 飲み物持ってきてくれた時! 体温高めの葉火ちゃんには冷たいコーラだよって」


「僕はそんな気持ち悪いこと言わないよ」


 いや、言ったかもしれない。

 葉火に頭をはたかれた際に記憶が飛び出した可能性は大いにある。葉火の家でだるま落としを見かけたし、軽んじることはできない可能性だ。


 憂は炭酸の抜けたコーラのように優しい口調で言う。


「まあまあ。この話を続けても水掛け論だ。真実は人の数だけ存在する。人の数だけ真実が存在すると言った方がいいかな。だからとりあえずそのジト目はやめない? 夜々さんに軽蔑されたら僕死んじゃうよ?」


「やっぱり憂くんにはこれが効くね。だいじょぶだよ、変なこと言うのは前から知ってるし」


 異論ありだが形勢は不利なので、憂は何も言わなかった。

 夜々がからかい交じりに微笑むのを見て、下手に反論しなくて良かったと自分の判断を褒めた。


 気を引き締めようと決意しつつも、強く締めすぎて逆に噴き出てしまう恐れがあるので、程々に。


「それで、僕にどんな用が?」


「え? 言ったでしょ。衣装見せに来ただけだよ。もしかして……迷惑だった?」


 そう言って夜々は眉を下げ、上目遣いで見つめてくる。

 危うく倒れそうになったが、このあざとい挙動は僕をからかおうとしているな、と憂は夜々の意図を推測した。

 看破した、と言い切ってもいい。


 思わず視線を逃がそうになるのをぐっと堪える。


「まさか。迷惑だなんてとんでもない。可愛くて、似合ってる。だけどあんまり歩き回らないでよ。僕以外に見せて欲しくない」


 そうきたか、と呟いて夜々は口をもごもごさせるが、顔は背けない。

 引っ込みがつかないのか、意地の張り合いを選んだようである。


「私も憂くんにしか見せたくないよ。逆に言うと、憂くんにだけは見て欲しい」


「ありがとう。僕はいつも夜々さんばかり見てるよ」


「わ、私だって負けていないのだからね……?」


「他人を思いやれるいい子だよね」


「内面を見てた!」


「視界の端に動くものを捉えたら最初に夜々さんを思い浮かべるくらいだ」


「それはバカにしてるよね!?」


「可愛いし」


「かっ! こんとう!」


 奇妙な鳴き声と共に夜々は両袖で顔を覆い隠した。


「こ、降参です……」


 勝った――いつまでもかわかわれてばかりの僕ではないのだ。

 夜々のあざとさに正面から打ち勝ったのには感動すら覚えたが、それはそれとして、憂も奇妙な声をあげたい気分だった。


 そんな感情を塗り潰すように、葉火の言葉が思い出される。

 ――あたしが悪役だったら絶対トドメ刺すわ。


 確かに。

 窮鼠猫を噛むという言葉がある。憂は追い討ちをかけることにした。


「可愛い可愛い夜々ちゃん。どんなところが可愛いか読み聞かせのお時間だ」


「こ、こやつめ……調子に乗りおって」


 直前まで調子に乗りすぎた故の失敗を詰められていたことなど、忘却の彼方。

 早速はみ出していた。姉倉憂、学ばない男である。


 しばらく経ち顔を隠すのをやめた夜々が、両手で自身を扇ぎながらとぼけるような笑みを作った。


「……成長したね。いまのは憂くんを試した。今度は本気で相手をしてあげよう。それはともかく、明日のことなんだけど」


「それが本題だね。わざわざ来てもらって申し訳ない。呼び出してくれて良かったのに」


「ダメだよ誘ったの私なんだから。それに決めてるんだ。学校だったり、誰かといる時はなるべくスマホを触らないって。直接顔を合わせられるなら、そっちの方がいいからさ」


「そうだね。その通りだ。ごめん、つまらないこと言って」


 夜々の主義には憂も同意だった。たぶんそれは、人に恵まれているからだろうなとも思った。

 何かを得るのに指先だけでは物足りない、自分はそういう人間らしい。


「それでね、明日、ちょっと遠くまで行きたいんだけどいい? 十一時に駅前に集まれたらって思ってるんだけど」


 憂が頷くと、夜々は明日の予定について説明してくれた。

 電車に揺られて二つ隣の町まで行き、少し肌寒いかもしれないけれど、ピクニックをしよう、とのことだ。


 みんなを連れて行きたい場所がある、と。

 夜々はどこか緊張を含んだ顔でそう言った。

 見出しは穏やかそのものだが――緊張するだけの理由が、あるのだろう。


「話すの遅くなっちゃってごめんね。その……断られたらどうしようって……尻込みしてしまいました」


 恥ずかしそうにする夜々。

 葉火に引き続き夜々まで断られる心配をしていたらしい。

 一度自分を見直した方がいいかもしれない、と憂は思った。

 

「断らないって、もっと信用してよ。それに前はもっと問答無用って感じだったじゃん。いきなり葉火ちゃんの家まで連れて行かれたの、覚えてるよ」


「あの頃の私は若かったのだよ」


 ほんのり頬を赤らめながらも、打って変わって偉ぶりながら、夜々は胸を張る。


「雨が降ったら、残念だけど中止かな。天気予報は快晴だし、葉火ちゃんがいると晴れるらしいから心配はしてないけどね。三耶子ちゃんもてるてる坊主の雨を降らせるから絶対晴れるって言ってくれたし、それに私も自信あるんだ。思い出は晴れの日ばっかりだから!」


 ――と、ウインク。

 油断するとこういう仕草が飛び出してくるから侮れない。

 憂は視線を斜め上へ遣って、答える。


「たぶん気温も丁度良いだろうね。まだ昼間はあったかいし。それで、なにを準備すればいい?」


「なんにもいらないよ。私がみんなの分のお弁当も用意するからさ!」


「え、夜々さんが? どうやって?」


「どうやってってどういうこと!? 見くびられてる!?」


 失礼を承知で言わせてもらうと、夜々が料理をするイメージがまったく湧かなかった。憂の頭には弁当箱の蓋を開けたらハムスターが丸まって眠っている絵が浮かんでいた。


「……絶対ぎゃふんと言わせるから。念の為、今日の二十一時からなにも食べないように」


「健康診断……? 父さんが毎回嘆いてる」


「こっそり食べたら分かるからね。渦乃さんが教えてくれるから」


「僕の母さんと連絡取る手段が!?」


「毎晩メッセージのやり取りをしてるよ。今度一緒に遊園地に行くんだ」


 知らない間に友達みたいになっていた。

 最近母親が妙に優しいと感じていたが、間接的に好感度を上げようとしているに違いない、と憂は確信した。


「そういうわけで、明日は私に任せてちょーだい。ただ、その――ひとつ、わがままを言ってもいい?」


「待ってた。なんでも言ってよ」


 母親への対抗心からというわけではないが、ようやく自分の出番だと憂は勢い込んで胸を叩く。


 夜々はまたしても緊張気味に、言い辛そうに、視線を泳がせそわそわ袖を揺らしたのち――


「あのね」


 意を決したように、憂と視線を合わせる。

 そして。


「絶対、来て欲しい」


 と、意志の籠った声で言った。

 確認、ではなく。

 ねだるように。

 願うように。


「明日だけは、私との約束をなによりも優先して欲しい」


 それは確かにワガママだった。

 真剣な、ワガママだった。

 真剣に答えるべきワガママだった。


 憂は思う。絶対という物は希少で滅多にお目に掛かれるものではなく、どれだけ自信を持ったところで、この世界にはほとんど存在しないと、常々思う。

 彼女達と初めて出会った時にもそんなことを考えた。


 けれども確かあの時は、数少ない絶対という物が見つかった。

 そして今回も。

 いとも容易く、見つかった。


「約束する。何があっても、夜々さんを優先するって、約束する。絶対行くから安心してよ」


 ――というかそんなの当たり前だから、もっと無茶苦茶言ってくれてもいいのに、と憂は思った。

 思うに留めた。言葉が軽くなりすぎないように。


 ありがとう、と夜々が安堵するような吐息をもらし、あどけなく笑う。

 

「憂くんはいつも私の欲しい言葉をくれるよね。まあ、いまのは私が言わせたんだけど! ちょっとズルかったね」


「言いたくなかったら言わないよ。そうやって選べるくらいには、夜々さん達と仲良くなれたって、僕は思ってるんだけど」


「……もー」


 夜々は俯き足下のなにかをつま先でつつくような動きをして、顔を上げる。

 

「前から似てると思ってたけど、更に葉火ちゃんに似てきたよね。虎南も言ってたよ。姉倉先輩と葉火さんは――はっ! まさか! させるかーっ!」


「うわあ! 指ドリル! 手が見えないと結構怖い! 意味分かんないからもっと怖い!」


「虎南に手出したら怒るからね! 節操無し!」


「どうしてそうなった! いくらなんでもポンコツすぎる、今すぐその白衣を脱ぐんだ!」


「脱げぬ!」


 突然ギアの上がった夜々に困惑しつつ、憂は指ドリルを受け入れた。

 ぐりぐりと憂の肩関節を抉りながら、夜々はやけっぱちに、


「指切りげんまん嘘ついたら針の涙を千回流すから! そういうわけで明日はよろしく! そろそろ戻るよさらばじゃ! さらべらむ!」


 意味不明なことを口走ると、軽やかに身を翻しそのまま走り去ってしまった――と思いきや、縮こまって戻ってくると、


「ありがとね!」


 そう言って無邪気に笑い、今度こそ去っていく。


 怒涛の展開。

 本当に、見ていて飽きない人である。


 憂は手を振りながら「さらべらむー」と呟いた。

 

 さらべらむ――もしかすると、パラ・ベラム。

 ラテン語で、戦争の準備を意味する言葉。

 語感だけで言葉を選ぶ彼女のことだ、大した意味はないのだろうが――化学者の格好でそんなことを言われると妙に恐ろしい。


 遠ざかるケミカルハムスターの後姿を眺めながら、憂は静かに笑った。

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