三人揃うのは意外と珍しい

 遅れて教室へ入ると、既に登校していた三耶子と夜々が話しているのが見えた。


 実際のところ夜々は土曜日に予定があるのだろうか。そこ次第で思考の方向がまるきり変わる。

 憂は自席に腰を下ろし、なんとか夜々がヤキモチを焼いてくれた方向で自分を納得させられないか考えていたが、夜々と三耶子が近寄ってきたことで思考は中断された。


「おはよう憂くん。昨日は楽しかったわね。起きたら今日になってたわ」


 憂が挨拶を返すと、三耶子は凛とした佇まいで言う。


「今度は私の家に集まるべきね。夜々ちゃんの好きなクレーンゲームも用意しておくわ」


「え、ほんとに!? 知らないよ、私けっこー上手だからね。ペンギン帝国を滅ぼしたことがあるのだよ!」


 と、物騒なハムスターが意気軒高に吠えたところで、


「揃ってるわねあんた達! いい心掛けだわ!」


 負けず劣らず威勢のいい口上で、自身の登場を演出したのは剣ヶ峰葉火。朝送られてきた写真とは違い、跳ねていた髪が綺麗に整えられている。


 葉火は堂々とした歩みで近付いてくると、ふふんと笑い、右手を掲げた。手にはスマホが握られている。


「ほら見なさい三耶子、夜々。スマホよ。あたしのスマホ。おばあちゃんに買ってもらったわ」


 言いながら、スマホの角を三耶子の頬へ押し付けグリグリする葉火。

 やめて、と三耶子は言葉のみで抵抗した。


「というわけで連絡先交換するわよ。これであたしを仲間外れにすることは不可能ね」


「しないわよ、そんなこと」

「そーだそーだ!」


 三耶子と夜々がそれぞれスマホを取り出す。葉火は三耶子に自身のスマホを手渡した。


「三耶子、あんたに任せるわ。まだ基本的な操作しか覚えてないの」


「任されたわ」


 頼られたのが嬉しいのだろう、三耶子は頬を赤らめつつ得意顔で応じた。

 憂は二日前、火曜日の夜に三耶子と夜々と連絡先を交換した時を思い出す。憂も三耶子に操作を頼んだ。


 まだ基本的な操作しか覚えていないと葉火は言ったが、文字をスムーズに打てている時点で憂からすれば免許皆伝である。そんな男なので、葉火と連絡先を交換した際には奥の手を使った。


 憂と葉火の懸け橋となってくれたのは、妹ハムスター名瀬虎南。中学生ながらスマホの扱い方を熟知している彼女に全てやってもらった。

 スマホという最先端は、憂には過ぎたテクノロジーである。


「……なにかしら、この壁紙」


 と、そう言って三耶子はスマホの画面を憂へ見せつける。「なんだなんだ!」と夜々も画面を覗き込んだ。


 ホーム画面。

 葉火が壁紙に設定しているのは、あまりにもうるせえから昨日送ってやった、憂が葉火をお姫様抱っこする写真だった。


 憂は驚きのあまり立ち上がって葉火の肩を掴む。


「なにやってんだよはひちゃん! 恥じらいってものがねえのかはしたない! はしたなぶる!」


「あんたからやってきたじゃないの。それに気に入った写真をいつでも見れるようにして何がいけないのよ。あたし、自分が漫画になったら表紙はこれにするわ」


 激しく揺さぶられながらも葉火は腕を組み、大層ご機嫌な様子だ。

 ――へらへらしやがって、そんな本があったら全部裏返してやる。


「あたしが膝枕してあげたら、こんなお返しされちゃった。可愛いやつよね」


「因果を捏造するな! たまたまそうなっただけだろ!」


「たまたま……?」


 三耶子は本気で困惑しているようだった。

 夜々はむすっとした顔で「ほー」と言った。ジト目でなにやらもの言いたげである。


「いいじゃない。お礼にあたしの写真送ってあげたんだから。保存してるくせに」


「してねえよ。するわけないだろ」


「そ。じゃあ、氷佳の写真見せなさいよ。ほら、スマホ貸しなさい」


「……また今度ね」


 憂は着席して物憂げな表情で窓の外に視線を遣った。

 それを切っ掛けに生まれた沈黙を破ったのは夜々だ。前のめりで机に乗り上げながら葉火の頬に指を突き刺して、言う。


「虎南が私をお姫様抱っこしようとしたのこういうことか! 二人してなに教えてんだーっ!」


「はいはい分かったわよ。羨ましいのね」


 そう言って葉火は暴れる夜々の傍へ寄ると、いとも容易く抱え上げ、お手本のようなお姫様抱っこをしてみせる。


「わーっ! おろせーっ! おろしてーっ!」


「あんまり暴れると見えるわよ」


「ひゃーっ!」


 憂はかつての自分を見ているような気持ちになった。

 だから止めようと思ったのだが、嫌がっていた夜々が楽しそうに笑い始めたのでやめた。赤ちゃんみたいな人である。


 なので憂が懸念すべきは、虎南の時のように葉火が夜々を投げ捨てることだ――流石に無いだろうけれども。


 仲睦まじい二人を眺める憂に、三耶子が話しかける。


「私にもやって。たぶん、恥ずかしさで処理落ちすると思うけど。私、剣ヶ峰さんよりは軽いと思う」


「はあ!? あんた体重いくつよ」葉火が即座に反応する。


「64キロバイト」


「じゃああたしはその半分ね――と、いうか。夜々、あんた結構重いわね。実は一番重いのあんたでしょ」


「なんだとーっ!? 重くないわーっ!」


 葉火は憂の机の上に夜々を降ろした。

 憂の正面には、横向きの夜々。それを三耶子がお姫様抱っこで回収しようとして、失敗に終わった。


 単純に腕力の問題なのだろうが、葉火の前振りがあるせいで、夜々のプライドは大変傷つけられたようである。


「――私は怒った! みんなして人をオモタンク呼ばわりしてさ! 傷付いた! これはお詫びが必要だよ!」


 机に座ったまま、ぷりぷり怒りを撒き散らす夜々。

 葉火が撫でようとすると夜々は頭を振ってはねつけた。


「悪かったわね夜々。何をしてほしいのか言ってみなさい、聞いてあげるから」


「土曜日、葉火ちゃんも付き合って。憂くんと三耶子ちゃんはオッケーしてくれたから、あとは葉火ちゃんだけだよ」


「いいわよそれくらい。なにするのよ」


「それはまだ秘密」


 夜々は微笑みながら目を閉じて言った。あっという間に不機嫌モードは終了したようだ。もしかすると最初から怒ってなどいなかったのかもしれない。

 もしくは本当に赤ちゃんなのかもしれない。


 それはともかく、どうやらなにやら、土曜日を使って考えていることがあるらしい。


 中身は分からないが、差し当たっては夜々のヤキモチ説の立証が難しくなったことを残念に思いつつ、しかし、灯台娘が揃うことは意外と少ないので、そんな休日を憂は楽しみに思った。


「それで、あたしに何をして欲しいわけ?」


「え? だから、土曜日付き合ってよ」


「あたしをなんだと思ってんのよ。あんたに誘われた二つ返事で行くに決まってるじゃない」


「おー……て、照れちゃうね」


 と、照れ笑いを浮かべる夜々を見て、葉火は不敵に破顔する。


「あんな誘われ方したことで傷ついたわ。これはお詫びが必要ね」


「え? ち、違うんだよ? 流れでいけそうだと思っただけで、ほんとは普通に誘うつもりだったのさ」


「冗談よ。それは抜きにして、今夜あたしに付き合いなさい。長電話ってのやってみたかったのよね。話したいこともあるんでしょ?」


 葉火の言葉を受け、夜々は再び照れたのち「うん。聞いて欲しい」と微笑んだ。


 話をする――それ自体は喜ばしいことだが、あのマチルダに恐怖を覚えさせる夜々の長電話だ、もしかすると明日は弱った葉火が見られるかもしれない。


 夜々が机を降りて。

 一段落。


 今度こそ連絡先の交換を終え、葉火はスマホを指で挟み手首を前後に曲げながら言う。


「三耶子、なにか暇つぶしになりそうなもの教えなさいよ」


「そう言うと思って既にインストールしておいたわ。分からないことがあれば聞いてちょうだい」


「あはっ、やるじゃない。あんたがテスト勉強に苦戦した時はあたしが助けてあげるわ」


「助かるわ。ウィンウィンの関係ね」


「なによそれ。柱の男と波紋使いの女みたいな関係ってことでいい?」


「ダメよ。何を言ってるのか分からないけど」


 なんて掛け合いをしながらスマホを覗き込み、このゲームは云々という話へ移る三耶子と葉火。


 先程の発言に疑問を覚えた憂は、首を傾げ、夜々に訊く。


「ねえねえ夜々さん。さっきの会話だと、まるで葉火ちゃんが頭良いみたいなんだけど」


「葉火ちゃん成績すっごく良いんだよ。学年でも上位だったような」


「葉火ちゃんが……? どういう仕組みで?」


 そういえば過去に三耶子より成績が良いという話を聞いた気もする。

 聞こえてきた気がする。

 しかしだからといって学年上位は盛りすぎだ。憂はまったく信じられなかった。


 ――いつからこの学校は戦闘力で成績を決めるようになったんだ?


「あたしをバカだと思ってたみたいね。そんなわけないでしょうに。成績悪いとおばあちゃんの立場が悪くなるかもしれないから、勉強は欠かさずやってるわ」


 会話に入ってきた葉火が、それに、と前置いて。

 軽快に笑う。


「あたしのキャラで成績悪いと、悪夢よりも悲惨でしょ」





 憂と三耶子は、文化祭のパンフレットに載る紹介文を考えていた。


 放課後の教室はどこも騒がしい。

 憂達七組も例外ではない――どころか、他と比べてもその盛況ぶりは頭一つ抜けていた。様々な要因が重なり合っているため一概にこれが理由だとは言えないが、それでもあえて一言にまとめるならば、一年七組にはアホが多いのである。


 一見澄ましているが中身は全然クールじゃない、というタイプが特に多いのが、憂達のクラスなのだった。


 その筆頭である杜波さんの姿はなかったが、しばらく経った頃、両手に箱を持って現れた。担任の奈良端先生も一緒だ。


 教室のあちこちから陽気な声があがる中でも、杜波さんの声はよく通った。


「よしお前ら、良い調子だ。たまには私からご褒美をやろう。といっても未婚の奈良端先生からだけどな。お金の使い道に困っているそうだから、これから文化祭当日までバンバン差し入れをしてくれるそうだ。やったなお前ら」


「言ってませんよ……」


 と、奈良端先生。彼女は一見すると気の弱そうな女性だが、教育方針を巡って上に噛み付けるくらいには獰猛な性格である。


 一番怒らせてはいけない人、というのは憂ですら知っているクラスの共通認識で、だから杜波さんの発言に一瞬だけ緊張が走った。


 なんとかセーフ。

 掛け合いも程々に、杜波さんは手に持っている箱を掲げる。


「お前らも良く知るドーナツだ。好きなだけ食え。ちゃんとお礼を言わないと根に持たれるから気を付けろ」


「お礼を言うのは常識ですよ」


 と、奈良端先生が言って。

 しばしの休憩。


 憂は三耶子の分もドーナツも受け取って、席に戻る。


「ありがとう。あとちょっとで一段落つけそう」


 三耶子はペンを走らせ、やがて強く句点を記すと、顔を上げて伸びをした。それから気の抜けた息を吐くと、奈良端先生のところへ行き礼を伝えて、戻って来た。


「ふふふ。こういうの、すごく楽しいわ。ねえ憂くん、なにか飲み物を買いに行きましょう」


「そうしよっか。ドーナツは虹村に預かってもらおう」


「お? 呼んだか?」


 武闘派美術少女達と絵しりとりで遊んでいた虹村にドーナツを託すと、人好きのする笑顔で了承してくれた。

 虹村含む広報班の四人からのオーダーも受けて、憂と三耶子は教室を出る。


 目指すは購買横の自販機。憂と三耶子にとっては思い出深い場所だ。

 ゆっくり廊下を歩いていると、


「ねえ憂くん。私、いまが一番楽しいわ」


 三耶子は出し抜けにそう言った。

 堪え切れないといった風に笑いながら、そう言った。


「少し前まで自分が文化祭に向けて張り切る姿なんて想像できなかった――といえば嘘になるけど、頭の中から出てくることはなかったもの。それがいまじゃ、妄想よりも現実の私の方がずっとはしゃいでる。うん、私は、いまが一番楽しい」


「そっか。僕も同じだよ。おんなじだ」


「もっと早く――というのは、違うわね。私としたことが失言だったわ。うっかり。いまを肯定するのなら、過去の一つたりとも否定すべきじゃないわよね、きっと。だから私は胸を張ってこう言いたい。やり直したいことなんて一つも無いって」


 と、三耶子は威張るようなポーズを作る。


「三耶子さんは、すごいね。かっこいいや」

 

 本当に、かっこいいと思う。

 彼女が自分よりも多くの痛みを味わってきたと知っているから、なおさら。


「――と、学生如きが一丁前なことを言ってみたけれど。もし、記憶を持ったまま過去に戻れるとしたら、すごく悩んでしまうかも」


「それは誰だって悩むんじゃないかな。貫きたい信念があるからこそ、かえって悩むなんてことも、あるだろうし。ちなみに、何をやりたいのかって聞いてもいい?」


 三耶子はそこで口を結び、憂の顔をじっと見つめる。

 足は止めないまま、憂も隣の三耶子を見返す。


 それから、にこりと。

 三耶子は笑って。


「教えてあげない」


 と言った。

 教えてあげない。

 教えてくれないらしい。


 そう言われると余計に気になるのが人の性だ。後悔は無いと本心から言っていたであろう三耶子が、何を目的として過去に戻りたいと思うのか気になって仕方がない。


 三耶子は既に正面を向いているが、憂はその横顔に視線を送り続ける。


「ヒントが欲しい。お願い三耶子ちゃん」


「ないことはないわ憂ちゃん。ただし長い広告を見る必要があるけれど」


「お願いします」


「その後も一文節ごとに広告が出るわよ。もちろんスキップ不可。本当にいいの?」


「……時間がある時に改めて挑戦するよ」


 どうしても教えてもらえないらしいので、泣く泣く諦めることにした。

 

「お姫様抱っこしてくれたらおまけしてあげてもいいけど」


「からかわないでくれ……あれは……」


「私じゃなくて私のお父さんをよ。意外と乙女趣味なんだから」


「からかわないでくれ! どんどん三耶子さんのお父さんと顔合わせづらくなってるんだよ!」


 三耶子はクスクス笑って、自身の肩を憂の腕に優しくぶつける。

 ぽすん、といった感じ。


「イフの話はおしまい。と言いつつ、もしも私が本気だったらいまので大怪我していたところよ。ふふふ」


「急にどうしたの」


「いまの私は無敵なの。怖いものなんてなにもないわ。教室へ戻ったら杜波さんを討ち取ってみせましょうか」


 なんだかんだで杜波さんとも仲良くしているらしい三耶子だった。


 三耶子はもう一度「ふふふ」と幼気な笑い方をして、小走りで憂の前を行く。


 自販機は近い。

 角を折れて少し進むと購買があり、そのすぐ隣が目的地だ。


 三耶子の姿が見えなくなり、遅れて憂も左へ曲がる。

 すると少し先に三耶子の後姿があって――彼女は突然、ぴたりと、動かなくなった。


 硬直。

 正面を向いたまま、微動だにしない。


 追いついた憂は三耶子の視線を辿る。

 その先には人がいて、二人いて――しっかりこちらを認識していた。


 ――なるほど三耶子の硬直も頷ける。


 自販機の前にいる二人組は。

 彼と彼女は。

 憂が最近よく遭遇するカップル、綾坂と終里だった。

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