嫌味だけど陰口ではない
生まれて初めてのスマホゲームに思いのほか熱中した憂は、生まれて初めての眠すぎる朝を迎えた。
昨晩布団に入り、ちょっとだけ夜更かしするつもりでゲームに臨んでみるとこれが大変面白く、丑三つ時には三耶子を驚かそうという企みもすっかり忘れ、ひたすらゲームに打ち込んだ。
結局眠りについたのは午前五時。試験前ですらここまで無茶はしない。六時間は睡眠へ充てたい憂にとって、二時間と少しは瞬きみたいなものだった。
眠すぎる――家にいると寝てしまいそうだったので、いつもより早いが学校へ行く事にする。ゾンビのような足取りで家を出た憂の意識が冴え始めたのは、昨日三耶子と待ち合わせをした場所を過ぎてからだった。
間もなく学校が見えてくる。
まるでワープでもしたかのような感覚に陥ったが、それはきっと、ゲームのやりすぎってやつなのだろう。
あくびをすると徐々に頭の中がクリアになり、だから声を掛けられてもすぐに反応ができた。
「おはよう姉倉君。早いんだね。待ち合わせ?」
声の主は、鹿倉潮だった。控えめに笑いながら片手をあげている。
憂は立ち止まって挨拶を返すと、目を細めて睨むようにした――楽しそうな三耶子の姿が思い出され自然とそうなった。
鹿倉の表情が強張ったため、憂は慌てたフリで目を擦る。
「ごめん鹿倉さん。死ぬほど寝不足でさ……まだ夢の中って感じなんだよね。その、待ち合わせってのはなに?」
「あ、違った? 名瀬さんも学校来るの早いから、てっきり」
なにやら勘違いされていたのできっぱり否定して、それから思い出す。
昨晩盛り上がった三耶子とのチャットを。
徹夜でゲームを楽しんだ憂だが、三耶子との作戦会議も怠ってはいない。具体的にどう動くかを詰めていく中、起こりうる展開のいくつかを予想して、その対応を共有していた。
例えば現在のように『鹿倉潮から接触してきた場合』は『警戒されている。こちらから噛みついてやれ』。
鹿倉から見た憂は一応知り合いの枠組みに入るだろうから、姿を見つけて声を掛けてもおかしくはないのだが、憂と三耶子は優等生を侮らないと決めている。
だから、話しかけられたのではなく仕掛けられたのだと――憂は気を引き締め歩き出した。
「わざわざ挨拶してくれなくてもいいのに。僕と話しても得はないよ」
「そんなこと言わないでよ。折角知り合ったんだから、仲良くしたいでしょ?」
そう言って人好きのする笑みを見せる鹿倉。
実に優等生な対応だけど――そんな猫かぶりは通用しない。
三耶子曰く、あの性悪は自分の正体がバレているとは思ってないはず――それはつまり徹底的に徹底して正体を隠している、隠しきれている自信があるということ。
自ら前線へ出張る大胆さからも自信のほどが窺える。
白々しい演技だ。初めから怪しいと思ってた。
さておき。
並んで歩く鹿倉の横顔を見遣る。
先手は向こうに譲ってしまったものの、出会ってから一日と経っていないこのタイミングで鹿倉と会話できるのは大きなチャンスだ。
時間経過は鹿倉の味方をする。憂達は数で劣るうえ大したアドバンテージを持っていないため、手札が暴かれ対策を打たれる前にこうして二人きりとなれたのは、僥倖と言えるだろう。
『出し惜しみせずにガンガンいきましょう!』――三耶子より授けられた必殺タクティクスを胸に、憂から話を切り出した。
「昨日はありがとう。鹿倉さんのおかげで古海さんと話せたよ。話したっていっても、昼休みにちょっとだけなんだけどさ」
「そっかー。うん、二人だけの秘密って感じかな?」
訳知り顔の鹿倉がずれた反応をしたため、憂は首を傾げる。
「なんのこと? 僕と古海さんの間に秘密なんて無いけど」
「実はね、昨日の放課後二人が一緒に歩いてるの見ちゃったんだ」
なるほど、本題はそれか。だからこうして声を掛けてきたわけだ。
ある日突然、自分が過去にいじめていた相手と現在いじめている相手との接点を持った奴が現れ、周囲を嗅ぎ回るような動きをしていれば、そりゃあ気になる。
鹿倉は世間話の体を崩さずにいるが、裏側を知っている憂からすれば露骨に探りを入れてきたな、という感じだ。
これまでも小さな芽すら見逃さず、摘むなり踏み潰すなりしてきたのだろう。
「見間違いだよ……って白を切ると余計に怪しいか。鹿倉さんの言う通り、古海さんと公園で遊んだんだ」
「へえ、意外! なぁんか青春って感じだね。童心に帰って遊ぶ内に二人の距離は急接近って感じかな」
「まあね。お互いに、触れられたくない過去の話とかもしちゃったよ」
不意打ち。鹿倉の発言が気に入らなかった憂は攻勢に出た。
動揺の一つでも顔に出て欲しかったが、残念ながら白々しい笑顔でカモフラージュされていた。
「これは秘密なんだけど……鹿倉さんは信用してよさそうだから教えるよ。実は古海さん、中学の時、ひどいことされてたらしいんだ」
「えっと……ひどいこと?」
憂は答えずに大きな欠伸をした。これは寝不足からきた意図せぬ一撃だが、なにやら駆け引きっぽくなったので良しとして。
気遣わしげな鹿倉に顔を向けないまま話を続ける。
「古海さんには心当たりがないらしくってさ。誰がやったかも分からないからどうしようもないって、気丈に笑ってたよ。傷つけられたのに、笑ってた」
「なにそれ。本当、ひどい話」
「僕は鹿倉さんも怪しいと思ってるけど」
平然と、ぬけぬけと心を痛めたふりをする鹿倉に腹を立てた憂は、鋭い口調で言い放った。
そのひどい話を作ったのはキミだろうが。
憂を向いた鹿倉の表情は、一瞬間だけ凍り付いたように見えたが、すぐさま困惑した表情へと切り替わった。
「あ、ごめん。言い方が悪かった。何も分からないから当時の同級生は全員怪しいってこと。別に鹿倉さんを特別疑ってるわけじゃなくて、むしろ逆かな。数少ない安全牌ってやつ?」
「えーっと、ありがとう……? どうしてそう思うの?」
「だってさ、どんな人間かを想像してみた時、あまりに鹿倉さんとはかけ離れてたから」
そこまで言うと、憂は一度大きく息を吸い――吐いて。
推理を披露する名探偵を意識した得意顔で、舌を回す。
「まずその犯人、相当性格が悪いよね。でないと他人に嫌がらせなんて出来ないし。手口の豊富さと徹底した匿名からもそれは分かる。あとは、頭もかなり悪い。これは断言していい。他人を下に置いても自分の位置は変わらないって気付いてないんだ。他人を貶めて悦に入る、中学生の当時から小一みたいな精神性をお持ちだったみたいだよ。多分いまも成長してない。自分は賢いと勘違いして偉ぶってたりするんじゃないかな。いわゆるバカ。バカの総大将」
三耶子と一緒に深夜のテンションで考えた内容を記憶から引き上げていく。
戦略というより浅薄。
鹿倉を苛立たせることに重きを置いた陰湿な攻撃である。
どちらが言うかは早い者勝ちということだったが、もとより憂が引き受けるつもりだった。
「ね? 鹿倉さんとは真逆みたいな人物像だ」
目論見通り鹿倉の顔がわずかに引き攣ったが、しかしまたしても、取り澄まされる。
「あはは……ねえ姉倉君。やめよ、陰口。気持ちの良いものじゃないしさ」
やんわりとした口調で憂を宥めつつ、鹿倉は言う。
「聞いてて思ったんだけど、姉倉君は犯人捜しをしてるんだよね」
「まあ、そんな所。ひとまず同じ学校にいる元同級生から探ろうと思っててさ」
「じゃあ私も手伝おうか?」
それは願ってもない申し出だった。鹿倉が言い出さなければこちらから頼んでみただろう。
鹿倉の動向を監視できるから尻尾を掴めるチャンスも増えるし、暗躍部隊であるマチルダが鹿倉周りの人間関係を探りやすくなる。
葉火への嫌がらせだって今まで通りとはいかないだろう。
良いこと尽くめ。
良いこと尽くめに思えるからこそ――憂は考える。
彼女の行動原理はなんだ。
鹿倉潮はこちらの懐に潜り込むことで何かを狙っている。強かにいやらしく何かを企んでいるに違いない。
そうでなければ、自ら飛び込んできた意味が無いのだから。
きっと僕が想像する以上に、こちらの思惑を推し量っていることだろう。
であれば。
葉火の嫌がらせについて知っている事。
その犯人が三耶子の件と同一犯であると疑っている事。
全ての黒幕として鹿倉潮を疑っている事。
これらは既に看破されたと考えるべきか。
そう結論せざるを得ないくらいには……挑発しまくったわけだし。
得意げに推理して悪口を撒き散らす痛々しい奴だと思ってくれたのなら助かるが、そこまで鈍くはないだろう。
鹿倉は決してバカではない。戦いにおいて相手を侮るようなことは、してはならないのだ。
「手伝うのは構わないんだけど、でも……一ついい?」鹿倉が言う。
憂は聞き返さず続きを待つ。相手のペースには乗らない。
やがて言い辛そうに目を伏せていた鹿倉が顔を上げて憂を見た。
「ごめんなさい。何も知らなかった私が言えたことじゃないんだけど、その……古海さんの話って、本当なのかな。ひどい事されたって話。ごめんね、でもみんなを疑わなきゃいけないなら、古海さんのことだって、疑わなきゃでしょ……? それが正しいことだと思う」
どこまでも優等生であろうとする鹿倉は、心苦しさを隠せないとでも言いたげな表情で、形ばかりの平等を作ろうとする。
正しくあろうと声をあげる。
ふざけるな、と言いたかった。
馬鹿馬鹿しい。そんなものは――鹿倉が多数決で作り上げる正しさなんてものは、どうだっていい。
仮に三耶子の身の上が一から十まで全て嘘だったとしても、憂にはどうだっていいのだ。
「僕は正しいことをしたいんじゃなくて、古海さんの味方をしたいだけだよ。だから彼女のことは丸ごと全部信じるって決めてる。もしも彼女が嘘吐きだったなら、僕も一緒に謝るよ」
その宣言は憂が自分で思っている以上に淀みなく口を出た。
更に挑発の一つでも添えようかと思ったが、鹿倉の様子がおかしい。
「…………そっか。素敵だね、うん、私ちょっと感動しちゃった! 喜んで協力させてもらいます。私も二人と仲良くなりたいな」
棘のない態度で優しく喋ってはいるが、その瞳は据わっているように見えた。煮詰まった怒りが溢れ出たような、どす黒い、優等生らしからぬ感情の色。
憂は再び目を擦る。すると幻だったかのように、鹿倉の瞳は朝日が溶けて輝いていた。
ついに学校へ到着し、正門を潜ったタイミングで鹿倉が言う。
「何を手伝ったらいいのかな? なんでも言ってよ。私も疑われててちょっとショックだったし、全力で汚名を雪がせて」
平静を装っているが内心怒りに震えているに違いない、と感じた。
考えてみれば。
気に入らない相手なり目に付いた相手なり、あるいは理由もなく他人を迫害するような人間が、目の前で悪口を言われ、かつて沈めたはずの相手が仲間を連れて這い上がってきたとなれば、肥えに肥えた大きいだけのプライドに障らないはずがない。
下手に頭が回るせいで相手が自分を挑発していると気付き余計にムカついたことだろう。
しかしこれまで正体を隠してきた狡猾な相手だ、感情的な行動には期待できない――いや。
待てよ。
たったいま隙を見せたじゃないか。
ほんのわずかな隙だけど、鹿倉潮は冷静でいられなかった。
感情を、抑えられなかった。
そう見えただけ――かもしれないが。
そもそも最初に三耶子のノートに悪口を書き連ねたのも感情を持て余した衝動的な行動である線が濃厚だ。
つまり三年前の情報にはなるが、彼女の自制心は一流とは言い難い――にも関わらず今日まで尻尾を出さなかった。
それは相手が無抵抗だったから?
孤立して騒がない相手を狙っていたから、その事実を組み合わせることで浮かび上がるのは――鹿倉は歯向かわれた経験に乏しいのではないか。
噛みつかれる痛みに、歯を立てられる苛立ちに慣れていないのだと考えれば、さっきの感情を処理しきれなかったような反応も頷ける。
鹿倉潮は、殴り合いにおいてほぼビギナー。
一考の価値のありじゃないか。古海さん、ガンガンいった甲斐があったよ。どうやら僕達にも勝ち筋はあるらしい。
憂はついでに葉火と夜々にも感謝した。
そして鹿倉には、形だけの感謝をする。
「ありがとう、鹿倉さんが力を貸してくれるならすぐ解決すると思う。犯人すっげーバカだし。実は証拠を残しててさ」
「証拠……? そんなものがあるの? だったらすぐにでも……」
言い切る直前で中断した鹿倉は顎に手を当てて考えるポーズを取った。
「そっか。一目で犯人までたどり着けるわけじゃないんだね。私が力を貸せばっていう発言を信じるなら、欲しいのは人手かな。だったら……持ち物の一部? だけどそれを証拠と言い切れるかな。見てみないと分からないや。もしくは、それその物が証拠となる……手書きの脅迫状とか、その類? なんにせよ、一度ゆっくり話を聞きたいな。見せてよ、その、証拠ってやつ」
堂々と自らの推理を披露した鹿倉が一歩前へ出て、憂の顔を覗き込んでくる。
分かっていたことだが、簡単には崩れない。
昇降口を前にして鹿倉は一度背後を確認すると、途端に早口になった。
「善は急げって言うし、今からどこかで話そっか。古海さんも来てるなら三人で。来てないならとりあえず私と姉倉君の二人で。誰も来ない場所知ってるよ」
まさか殺されやしないだろうな。鹿倉の笑顔がえらく嘘っぽく見える。
さて邪魔の入らない場所での一騎打ちは望む所ではあるのだが、相手に誘われるがままってのが癪だ。
鹿倉潮の余裕をどこまで削れるかが戦局を大きく左右する――だったらここは、一度断るべきか。
「悪いけど用事があるんだ。古海さんには僕から話しておくよ、詳しい話はまた改めてってことで」
「そっか。それは残念。だったら仕方ないね」
と、鹿倉は食い下がる様子もなくあっさり引き下がって、微笑んだ。
そこで憂は自身の失策に気付く。時間を掛けるほど有利になるのは鹿倉側、つまり憂は、みすみす余裕を与えてしまったのだ。
分かっていたことなのに。
細かいポジション取りに意識を割きすぎて全体を見失っていた。
やっぱり今から――と言いかけたその時、
「へーい! 鹿倉ちゃん! 姉倉君! おっはよーでる!」
朝っぱらから笑えるくらい元気な夜々の声が飛び込んできて、次いで夜々本体が二人の間を走り抜けた。
振り向いた夜々は憂達を見て「お邪魔だった?」と悪戯っぽく笑う。
真実マジで邪魔だったのだが、まんまと鹿倉にしてやられた手前強気なことは言えなかった。
隣で鹿倉は笑っている。憂にはその折り目正しい笑顔が勝ち誇っているように見えた。
余裕ぶってんじゃねえぞ――負けじと背筋を伸ばした憂が負け惜しみを吐く。
「おはよーでる名瀬さん。キミに会いたくて早めに家を出たんだ。そろそろ来ると思ってたよ、それじゃあ行こうかご飯でも食べに」
名瀬の肩を掴み反転させて、その背中を押して進む。「なにごとか!?」と騒ぐ夜々に構わず、憂は顔だけを鹿倉に向けた。
鹿倉と視線が絡み合う。
「それじゃあ鹿倉さん。これからよろしく」
「それじゃあ姉倉くん。これからよろしくね」
二人は笑い合った。
口元だけ。
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