名瀬式褒メソッド

 鹿倉と別れてから教室までの移動中、憂は夜々の背中を押し続けた。からからと笑う夜々の声が一番鶏のようにアラームのように、学校中へ朝の風情を流し込む。


 七組の教室はほぼ無人で、三名のクラスメイトがそれぞれ自席で教科書とノートを広げていた。


 夜々から手を離した憂は自分の席へ腰を下ろす。そうすると途端に疲れが押し寄せてきて、倒れるように突っ伏した。

 

「む。私を押すのってそんなに大変だった? ねえ姉倉君。ねーねーねー、おーい」

「名瀬さんはすごく軽かったよ……口と同じくらい……おやすみ」

「あれっ? 私とご飯食べるって約束はどうするつもりだね!」


 ぺしぺしと憂の頭をはたく夜々。不意に何かに気付いた風で辺りを見回し「騒がしくしてごめん」と自習中の三人へ謝った。


 それから憂へ向き直ると、眉は逆立ちへの字口。不満たっぷりといった様子である。


 夜々は腕を組みしばらく何かを思案すると、しゃがみこんで憂の耳元へ口を寄せて言った。


「僕は名瀬さんに絶対服従します。僕は名瀬さんに絶対服従します。僕は名瀬さんに絶対服従します」

「……ハ、ハムスターが耳から入ってくる……」


 夜々らしからぬ抑揚のない囁き声がモノスゴク気味悪く、憂はたまらず顔を上げる。


 夜々は勝ち誇った顔をしていた。

 何に勝利したのかはよく分からないが、鹿倉のものと違いずっと見ていたくなるような可愛さしか感じられなかったので、憂は何も言わなかった。


 変な刷り込みをされても困るし、眠るのは後回しにして。


 鹿倉との邂逅を幸運だと評したが、それ以上に、こうして夜々と会話する機会が早速訪れたのは、豪運と言って言えなくもない。


 味方を増やすこと。言うなれば友達作り。


 改めて文字にすると情けなくて涙が出るが、友達を作るのに必要なものはなにか、憂も三耶子も大真面目に作戦を会議した。

 その末に出した結論が、こう。


「名瀬さん名瀬さん。ちょっと相談に乗って欲しいんだけど」


『名瀬さんに教えてもらおう』――それが憂達の導き出せる最善策だった。


 餅は餅屋、馬は馬方ということで、自分達があれこれ考えるよりも、人懐っこくて友達が多い名瀬様よりご教示賜ろうという実に現実的な選択だ。


 憂としては「まかセロリ!」だなんて快諾を予想していたが、それとは裏腹に夜々はかしこまった顔をする。


「そ、相談……? 私に?」

「うん。名瀬さんにしか頼めない。かなり情けない話なんだけど」


 そこで一度止めて、視線を窓へ転じる。

 事実とはいえ、いや事実だからこそ夜々相手に話すことが妙に恥ずかしい。


 夜々がシリアスな顔つきでいるせいで尚更躊躇ったが、言わないわけにもいかないので、観念した。


「……友達ってどうやって作るか教えてくれない?」

「え、と……。友達」

「いや僕じゃなくて。友達の話なんだけど――って言い訳も使えないのか。危ないな全く。まあ、知り合いの話なんだけど」


 先程から夜々の反応が想像とかけ離れていることもあり、憂は滅茶苦茶な発言で間を埋めようとする。

 これまで散々夜々にスルーをお見舞いしてきた報いだろうか、恙なく話は進んでいった。


「姉倉君は友達が欲しいの?」

「まあ……うん。色々事情があって、流石に友達いないのは不味いって気付いたんだ」


「ん」夜々が右手で自分を指さした。


「そうそう。名瀬さんにアドバイスを求めるのが一番だと思って」

「ん!」


 左手も追加される。いつもの愉快な夜々だ。

 ジェスチャーに含まれた意図を汲むべく憂はしばし思考したが、すぐに両手を上げて降参を示した。


「私は!? 私って友達カウントじゃないの!? 結構ショックだけども!?」

「え、あ……それは」


 夜々が周囲への気遣いも忘れて声を荒げるものだから、憂は気恥ずかしさに悶えたくなった。


 友達――友人というものに慣れていない憂は、自ら他人を『友達』と称するのに抵抗がある。決して恥ずかしい事ではなく、むしろ誇らしい事なのだが、分かっていても難しい。


「友達欲しいならそういう所は気を付けた方がいいかもね。出来る限り言葉にする、これ大事。疎かにすると大事件」

「勉強になります」

「よろしい。では練習してみよう。姉倉君と私は?」

「……お、お友達」

「もう一回! 姉倉君は私に?」

「に? に……いや、絶対服従はしない」

「惜しー!」


 全然惜しくない。


「名瀬さんがそう言ってくれるのは心の底からマジで嬉しい。でも一旦僕は後回しでいいんだ」


 再び自習組へ謝っていた夜々が憂に向き直り「どゆこと?」と小声で訊く。

 憂も同じように声を潜めて言った。


「実は昨日、古海さんと話したんだけどさ」

「へー三耶子ちゃんと。私のおかげかもしれない」


「名瀬さんのおかげ。言い忘れてたよありがとう。それでまあ、色々盛り上がる内に僕達も友達作ろうなんてはしゃいでさ。だけど僕も古海さんも友達少なくて右も左も分からないから、名瀬さんに頼りたいんだ」


「なるほどねえ。姉倉君じゃなくて三耶子ちゃんの話なの?」


 概ね真実だが大事な部分を告げていない。隠すつもりはなかったが、折角なので友達に隠し事をするのは心苦しいというのを話すきっかけにした。


「いや、一番は剣ヶ峰。古海さんと剣ヶ峰の話したんだ。名瀬さんも聞いたろ、剣ヶ峰が嫌がらせされてるって」


 夜々はおずおずと頷いた。


「ムカツク話だよね。それで考えてみたんだけど、剣ヶ峰が狙われる理由って浮いてるからかなって。友達……とまではいかなくても、味方してくれる人が多ければ状況は変わると思うんだ」


「じゃあ、葉火ちゃんの友達作りをしたいってのが一番上なんだね。大賛成だけど、葉火ちゃんがなんて言うかな」


「剣ヶ峰って素直じゃないし、勝手にやるつもりだよ。僕と古海さんで」

「えっ怖い」


 当然の反応である。言葉足らずもいいところだ。

 あしながおじさんによる許嫁、といった想像していたらしい夜々に、実情はポジティブキャンペーンだよと伝えると、ひとまずは納得していただけた。


「そういうことなら私も手伝わせてよ。手伝うってほど、何か出来るわけじゃないけどさ。三耶子ちゃんも葉火ちゃんも、姉倉君だって別に理由があって友達が少ないわけじゃないから。きっかけが無かっただけだよ」


「きっかけね。そういうものかな」


「ポジティブキャンペーンも悪くないけど、どっちかというと反対かも? もっと弱いところとか、普段隠れてる可愛い部分を見せた方がいいと思うよ。葉火ちゃんなんて特にさ。葉火ちゃんタイプはそれが一番!」


 びしっとピースサインを作った夜々が言う。

 弱さや可愛さ――葉火となかなか結び付かないフレーズだが、だからこそ効果的なのだろう。


「姉倉君は葉火ちゃんがどんな反応したら可愛いと思う?」

「……うう」

「泣いちゃった」


 地獄のような質問だったため思わず一度茶番を挟んで、再開。


「僕としてはあのままが一番なんだけど、確かに取っつきにくさは否めないよね。剣ヶ峰なぁ。そうだなあ、何が可愛いかなぁ」


 はぐらかそうとも考えたが、それでは相談を持ち掛けておきながらあまりに不誠実だ。だから照れくさかろうと、時間が掛かろうと、答えなければならない。


 可愛いと聞いて最初に浮かんだのは氷佳だが、あまりに可愛すぎて参考にはならなかった。


 次に連想したのは――名瀬夜々。彼女が得意とするあざとい挙動の数々は、ことごとくが憂にクリティカルヒットする。


 しかしそれは夜々がやるから効果的なのであって、仮に葉火が上目遣いで――


「いやぁ無いな。想像するのも恐ろしい。あれらは名瀬さんだから可愛いのであって、剣ヶ峰にやられると針のむしろに座らされてる感じかも」

「姉倉君なに想像してんの? 遠回しに私をバカにしてないよね」


「してないよ。本当に難しいお題だね。だけどまあ、月並みだけど、照れたりすると可愛いかも。いつも自分のペースで突き進む人だし、そんな人が調子を乱される様は可愛らしいと思いそうだ」


「いーじゃんいーじゃん! じゃあさ、どうやったら葉火ちゃん照れるかな?」


 徐々に人が増えてきたこともあって夜々の声量に遠慮がなくなってきた。

 難問の連続に頭を抱えたい心境の憂だが、楽しさもあったので答え探しに思考を回す。


 剣ヶ峰葉火を照れさせるにはどうすべきか。

 あれこれ想像してみたが憂の中にいる葉火は一向に照れてくれない――どころか尊大に高笑いしやがる。

 

「褒めるのが一番って気はするけど、褒めただけ威張りそうだよねあの人」

「褒め方次第じゃないかな。姉倉君さ、葉火ちゃんを真正面から褒めたことある?」

「無いけど……無かったかな」

「姉倉君ってストレートに女子を褒めるの苦手でしょ。照れてふざけちゃうタイプ」

「得意な人とかいるの? その人達は本当に可愛い名瀬さんみたいな存在を知らないんだよ」

「それのことだーっ!!」


 デンジャー名瀬は身を乗り出すと、突き立てた人差し指で憂の額をぐりぐりと抉る。


 憂としては本心を告げたつもりだったが、伝わらないだろうことも分かっていたので、やはり褒め方は大切である。


「いいかね姉倉君。照れちゃう気持ちはよく分かる。でもね葉火ちゃんを照れさせたいんだったら、葉火ちゃんくらい真っすぐいかないと」

「それはそうだけど、別にその路線じゃなくてもいいんじゃないかな。とりあえず思い付きで言っただけだし」


「直感って大事じゃん。それに葉火ちゃんの味方を増やしたいなら、これが一番良いって私は思うな。まずは姉倉君が、葉火ちゃんの味方だってことはっきり伝えないと。伝わるように伝えないとね」


 軽快に言いウインクする夜々を直視してしまった憂は、逃げられないことを悟った。知らない内に刷り込まれていたのか、出会った時からずっと夜々のあざとさには逆らえないのだ。


 絶対服従。


「じゃあ葉火ちゃんに、どんなとこが好きか伝えてみよう! 好きってはっきり言うのがポイントだよ」

「別に好きじゃないんだけど」

「私は姉倉君のそういう素直じゃないとこ好きだよ」

「……な、何言ってんだよ名瀬さん。からかわないでくれ」


 憂が顔を背けると夜々は満足気に唸った。


「このように、本心をストレートに伝えて相手の反応を引き出しましょう。姉倉君と葉火ちゃんって結構似てるから効果的だと思われます」


「似てる……? 僕と剣ヶ峰が?」


「そういうわけだから、葉火ちゃんのどこが好きかまとめとくこと! 名瀬先生からの宿題ね! 期限は今日の昼休みまで! おっはよーう三耶子ちゃん!」


 流れるように挨拶へ移った夜々の視線を辿ると、丁度三耶子が教室に入ってきた所だった。


 三耶子はわずかに口元を綻ばせ、二人のもとへ近寄ってくる。

 憂と三耶子は目配せをして、どちらからともなく頷いた。


 昨晩話し合った内容は鹿倉への対応だけではない。自分達の身の振り方も、自分達なりに考えた。


 完成系は『夜々に頼る』なので、いわばその前身、草案、プロトタイプ。

 夜々の協力を取り付けるまでの繋ぎ――その内容とは、憂と三耶子が教室で雑談をする、それだけ。


 かつて憂が三耶子の気を引くために用いた思春期作戦の対象が不特定多数に置き換わったものだった。

 早速実行するつもりらしい。


 確かに教室にどんどん人が流れ込んでくる今なら騒がしいし、会話の揮発性が高くウォームアップに丁度良い。


 三耶子の姿を夜々は見上げ、憂は見守る。


 昨晩のチャットでは「第一声は私が引き受けるわ」なんて自信満々だった。見た事のない絵文字が使われていた。

 

 不安もなくはなかったが、深夜だったのでワクワク感が遥かに勝り、憂は「何を言っても受け止めたるけん」とにわか方言で応じたのだった。


 そんな期待を一身に背負う三耶子は、朗々と言う。


「姉倉君。昨晩はお楽しみだったみたいね」

「古海さん?」

「間違えた。昨晩は楽しかったわね。思わず私も熱くなっちゃった。初めてだったし」

「古海さんっ!」


 憂は立ち上がり、目力で三耶子の発言を押し返した。

 受け取り拒否である。


 慌ただしかったはずの室内は静まり返り、好奇や動揺といった様々な感情が憂達へ向けられた。


 言ってたけど。

 任せておいて。小粋なジョークで場を沸かせてみせるから――なんて言ってたけども。


 これじゃ逆効果だ。こういうのは信頼できるツッコミが居てこそ成立するんだよ。

 当の三耶子は気にした様子もなく泰然としている。


「……お、おほほ。では私はここいらで。お邪魔しましたぁ……」


 と、気まずそうに俯いた夜々が、げっ歯類を思わせる小回りで人を避けつつ教室を出て行った。


 いよいよって感じだ。

 二人の時はともかく、人前でのこういう冗談を許容すると余計な問題が発生しそうなので、しっかり反省してもらわなければ。


 憂は自身の過ちを棚に上げながら言った。


「古海さん……明日の件は一度白紙に戻させてくれ」

「えっ」


 ツンとした鋭い雰囲気が一転、三耶子の顔いっぱいどころか身体全体が狼狽一色となる。両手を握っては開き、口をぱくぱくさせながら、憂の腕に縋り付いてくる。


「ま、待って姉倉君。どういうこと? 一体なにが気に入らなかったの? そんなこと言っちゃ嫌よ。言うなら直して欲しい所を言って」

「いや、ごめん……冗談だよ。不健全なジョークを人前では控えてくれれば、もう言わない」

「封印する。中学生の個人ブログくらい厳重に」


 想像以上に三耶子が必死だったため憂は胸を締め付けられながらも――これは確かに可愛いな、とも思った。

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