証拠だけじゃ殴れない

 放課後。

 憂は学校からやや離れた交差点の、歩道に面するコンビニの前で三耶子を待っていた。


 ほどなくやって来た三耶子は憂の姿を見つけると小走りで駆け寄り、片手をあげて「いっちょあがり」と微笑んだ。昼休みに勃発したコーラを巡る葉火との言い争いはその後の休憩時間まで続いたため、放課後も付きまとわれるのではないかと懸念していたが、そうはならなかったらしい。


 かくして落ち合った二人は歩きながら行き先をどこにするか話し合う。


 憂のバイト先が無難に思えたが、葉火や夜々が訪れる可能性を考えて却下。目に付いた飲食店にでも入ろうかと考えていると、三耶子が言った。


「私の家に来る? 退屈はさせないわ」

「……やめとくよ。気が付いたらゲームしてる未来が見えるから」

「心配しなくても多人数で遊べるものも持っているわ。最近のはオンラインでも遊べてひとりぼっちに優しいの。あ、ごめんなさい。こっちの心配ね。安心して、コントローラは七つある」

「また今度お邪魔させてもらうよ」


 よく分からないセールストークで誘い込もうとする三耶子だったが、憂にきっぱり断られると残念そうに唇を尖らせた。


 余程ゲーム仲間が欲しいらしい。

 これからしばらく相棒的ポジションとなるだろう三耶子の願いを叶えてあげたい気持ちは多分にあったが、彼女のホームでゲームに囲まれれば主客転倒は目に見えている。


 なので心を鬼にして、まずはなにより鹿倉潮の話だ。そんなことは三耶子も分かっているだろう。


「冗談よ。今日のところは諦める」

「冗談じゃないの……?」

「それよりどうしましょうか。姉倉君さえよければ、私に提案があるのだけど。コンビニでアイスを買って、公園なり河原なりで話しましょ」

「別にいいけど、寒くない?」


 十月も半ばを超え冬との境界が曖昧になってきて、暖かい日もあれば肌寒い日もある。今日はどちらかといえば冬寄りだ。


 しかし三耶子は寒いからこそと譲らなかった。そんなにアイスが好きなのか尋ねると「苦手よ」と言い切った。

 不思議な人である。


「悪いけど付き合って。一緒に寒い寒いって愚痴りながら食べましょう。そういうの、ごく普通に憧れてたの」


 照れくさそうに微笑む三耶子。

 そんな風に言われたら断れないし、断る理由もない。


 二人は来た道を戻りコンビニでアイスを買って、近くの公園へ移動した。



 パンダの下に大型のバネがついた遊具に三耶子は乗っていた。乗っているというのは間違いではないが、正確には立っている。


 足置きに立ち器用にバランスをとりながら、片手にビニール袋を持ちもう片方の手に握る水色の棒アイスを齧っていた。


 憂は正面から三耶子を見上げつつ、万が一体勢を崩すようなことがあればすぐさまフォローできるよう構えながらアイスを味わっている。


 寒い寒いと楽しそうに繰り返していた三耶子が言う。

 

「それで、鹿倉潮のことだけど。姉倉君、あの子を知ってるのよね」

「ちょっとだけ話した。その時に古海さんのこと少し聞いたよ。学校、行ってなかったこととか」

「そうなの。何か言ってた?」

「力になれたらと思って何度か話しかけたけど、余計なお節介だって怒られたってさ」

「よくもまあぬけぬけと。恐ろしい女だわ」


 三耶子が乱暴にアイスを齧る。


「探ってるって警戒されたかな」

「元々全てを警戒してるような腹黒だから気にしないでいいと思う。知らないって言ったら知ってると受け取るべきよ」


 あっという間にアイスを食べ終えた三耶子は続いて二本目を取り出した。次はチョコレートのソフトクリームだ。


 憂はこれきりの一本をちびちび舐めながら、ふと疑問を覚えた。


 証拠は無い――そう言っていた割に鹿倉が首謀者であると確信している物言いだ。


「ねえ古海さん。えーと……鹿倉さんが犯人だって確信してるみたいだけど、踏み込んで聞いていいかな」


「聞いてちょうだいな。その前に一つ。姉倉君は優しいから、私に気を遣って聞きたいことがあっても遠慮しちゃうと思うの。だけどこの件に関して、そういうのは無しにしましょう。私なら大丈夫。姉倉君の優しさを知ってるから」


 違うよ古海さん。僕は優しくなんてない。

 口には出さなかった。


 古海の柔らかい笑みが、溢れんばかりの厚意がくすぐったくて目を逸らす。

 葉火と渡り合うだけあって、心根の真っすぐな人だ。


「さて鹿倉潮の話だけれども、最初に私が被害を受けたのは確か中一の秋。今から三年くらい前ね。何があれの気に障ったのかは分からないけど、ある日ノートを開いたら色々と悪口が書いてあったのよ。見つけた時は結構きつかったわね」


「……ムカついてきたよ」


「だけど彼女達にとってそれが失策。最初で最後の、と言ってもいいかしら。まだ始めたてだったんでしょうね、えらく手口がお粗末だもの。今だったら証拠を残すようなやり方はしない。その場の勢いでやっちゃっただろうことは想像に難くないわ。人は群れると気が大きくなるし。その後すぐにノートごと処分されちゃったんだけど、こっそり写真撮って残してるのよね私」


 そう言ってスマホを取り出すと慣れた手つきで写真を表示させて憂に見せた。


 口には出せない暴言が刻まれたノート。憂は顔を顰めてアイスの棒を噛んだ。


「ノートに書かれたこれらの悪口、その筆跡を調べてみたんだけど、あら不思議、いくつかが鹿倉潮ちゃんのものとよく似てるのよ。特にひどい悪口のものと」


 そこで三耶子は悪意っぽく口の端を吊り上げ「優等生よね」と微笑んだ。皮肉の類も嗜むらしい。


「これ以降は物がなくなったり壊されたり、変な噂を流されたりで、奴らの口裏合わせも完璧だから決定的といえる証拠は掴めなかった。私にその能力がなかったとするのが正しいかしら」


「充分証拠になるんじゃないかな。その写真があれば、今やってる行為も止めれるんじゃ」


「ちょっと弱いかもしれない。司法で殴り合うわけじゃないし。相手の味方の数が段違いだから、言い逃れられて人数差で圧し潰されそうだわ。だからあの性悪を屈服させるに至るには、現時点だと自白させるしかないのよね」


 確かに自白を引き出せたならこの問題は一気に決着する。

 しかし現状では、そこまで追い詰めるのが難しい。


 こちらはたったの二人。虹村とマチルダを合わせたとしても四人しかいない。

 であれば、だ。


「だったら僕達がやるべきことは二つだ。一つは証拠集め。出来れば現場に居合わせた上で記録に残したい。もう一つは、僕らの味方を増やすこと。僕も古海さんも友達いないし」


 敵を減らすのではなく味方を増やす。

 何かあった際進んで力になってくれる、とまではいかなくとも、せめて中立でいてくれる人間を増やすこと。


 組織的な相手に挑むにあたって満たすべき条件だ。

 とても難しく感じるが、そう思う反面、有名人である三耶子ならすんなり上手くいきそうな気もする。


 三耶子は深く頷いて言った。


「すごく効果的だと思う。鹿倉潮が何を基準に相手を選んでいるのかは分からないけれど、孤立した存在である点は、私と剣ヶ峰さんで共通してる。私は中学生になる少し前に越してきて知り合いもいなかったから絶好の獲物だったでしょうね。他にも、騒ごうとしない所も似てるかしら、私の場合は力足らずが原因だけど。まあつまり、あの性悪は弱い者いじめ専門だから、大勢を敵に回す根性はないでしょうね」


「聞けば聞くほど極悪人だよねあの人。あと、これは僕の所感なんだけど、周りの目を引くほど美人だっていうのも共通項かな」

「え、どうしたの急に。私そういうの普通に照れるわよ?」


 見る見るうちに三耶子の顔が赤く染まっていき、自分の失言に気付いた憂もまた頬に熱を感じて顔を背けた。


 間を空けるとより気まずくなると判断した憂は、平静を装い話を本流へ戻す。


「ここで難しいのが……あのさ、古海さん。僕、この件について剣ヶ峰に知られたくないんだよね」

「どうして?」

「あいつの為にやってるって思われるのが嫌だ。僕が剣ヶ峰への嫌がらせを止めたいのと剣ヶ峰は一切関係ないんだよ」

「…………?」


 三耶子は首を傾げ、残ったコーンを口に入れて鳥の真似をする。くるっぽーともごもごしながら言ってコーンを噛み砕き、飲み込む。


「ま、姉倉君がそう言うのなら話したりしない。私としても剣ヶ峰さんに知られるの、なんとなく嫌だし。口喧嘩に支障が出ると困るもの。あくまで私は自分の過去に決着をつけるために動くのよ」


「やっぱり古海さんにお願いして良かったよ。それでここからなんだけど、難しいとは分かってるんだけど、僕は剣ヶ峰の味方も増やしたい」


「ふふふ。言うと思ってた。そうすれば解決に時間が掛かったり、最悪……いえやめておきましょう。剣ヶ峰さんへの嫌がらせが止むのと鹿倉潮の斬首がイコールである必要はないものね。早ければ早いほどいい」


 言いたかったことを言うまでもなく理解してくれていた三耶子に感謝しつつ、はっきりとした答えを憂は求めた。


「正直、一番難しい気がしないでもないけど、いいかな」

「もちろん。ちょっと寂しい部分もあるけれど」


 なんの話? という憂の疑問に三耶子は答えない。

 目を伏せて憂いの帯びた笑みを見せると、しかしそれらの余韻をふっ飛ばすような発言をした。


「姉倉君と剣ヶ峰さんが付き合っちゃうのも一つの手よね。流石に彼氏が相手となれば弱音を吐くって考えそうだし、しばらく動きを止めるかも」

「悪い冗談はやめてくれ。その場凌ぎにもならない相手だってすぐバレるよ」


 それに憂と葉火が恋仲になることはないと、教室での会話を聞いていた三耶子は知っているはずだ。

 つまりは冗談。考えるだけで恐ろしい悪夢の冗談。


 しかしそれがいい刺激となったのか、憂の思考に新たな方向が生まれた。


「古海さんはさ、ゲームをやってて攻撃と防御どっちが好き? ゲームって戦ったりするよね?」


 憂が問うと、古海はゲーム話における受動が大変嬉しかったのか、パンダから飛び降り憂の眼前まで距離を詰めると、早口で語り始めた。


「悩ましいわね。どっちも好き、というのは姉倉君の望む所ではないだろうからどちらかを選ばせてもらうわ。そうねぇ、性に合ってるのは防御かしら。場を支配してるような全能感がたまらないの。だけど攻撃時の息つく暇も無い瞬間の連続とか、直感で決めた大博打とかひりついて好き。だから――普段の自分とは違う性格になれるって点で、攻撃かしら。え、姉倉君ゲームがしたいの? 今から私の家に来てもいいわよ」


「また今度お邪魔するよ」

「それっていつ? 今の内に決めておきましょう。明後日とか休日だしどう?」

「その日はバイトがあるから……」


 やんわり断ると、元気溌剌から一転、三耶子はがっくりと肩を落としてだらりと両腕をぶら下げた。とぼとぼと頼りない足取りでパンダへ寄ってしゃがみこみ、パンダの頭を撫ではじめる。


 哀愁漂う背中……あまりのいたたまれなさに、憂は救いを求めて言ってしまった。


「……昼過ぎに終わるから、それからなら」

「その言葉が聞きたかったのよ」


 立ち上がった三耶子は目を輝かせる。こうなることを予感して言ったので憂は驚かなかった。


 テンションがおかしな所まで上がっているのだろう三耶子は、両手の人差し指で憂のお腹を突っつきながらスケジュールを告げていく。


「じゃあ土曜日に。アルバイトってあの喫茶店よね? 迎えに行くから楽しみに働いていて。手ぶらで大丈夫よ。気になるゲームがあったら事前に教えてちょうだい、命に代えても用意するから」


 あっという間に段取りを済ませた三耶子が澄ました顔に戻り、しかしどこか戻りきれていないままで言う。


「それで、姉倉君が話したかったことってなあに? ごめんなさいね脱線させちゃって」

「いや、いいよ。古海さんには僕の頼みを聞いてもらってるし、事務的な関係ってのも嫌だったから」


 とはいえいきなり家にお邪魔するのは並々ならぬ抵抗がある。その辺りを気にしない三耶子に悶々としながらも、やがて自分だけが意識している思い上がりを恥じた。


 憂が夜々をハムスターだと思っているように、三耶子もまた憂を子犬かなにかだと思っているのだろう。


「話を戻すけど、こっちから仕掛けていくのはどうだろう。後手に回り続けても相手の土俵だし、むしろ思い切り揺さ振ってボロを出させる。そうする内に、相手も直感任せの大博打に走らざるを得ない状況が訪れるんじゃないかな」


 剣ヶ峰葉火のように、自分のペースに相手を巻き込む。

 葉火を相手にした自身の選択が予期せぬ結果を招き続けたことを、憂は身を以て知っている。


 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。

 幸いこちらには切れる手札もある。


「もちろん古海さんが嫌なら、やめる」


 僕一人でやる。口には出さなかった。


「賛成よ。むしろ私から提案したかったくらい」と、三耶子は即答する。


 それから、憂が隠している他の考えすらもお見通しなのか、三耶子は意地の悪い笑みを浮かべた。


「逆に問わせてもらうけれど、姉倉君こそ嫌じゃない? 相手が相手だから、正攻法だけで崩せるとは思ってないわよ私。場合によっては卑怯な手だって用いなければならないと、思ってる。仕方なくではあるけれど」


「僕もそれを考えてた。古海さんに幻滅されるんじゃないかと思って言えなかったよ」


 憂は正々堂々を好む人間だが、必ずしも厳守しようとする人間ではない。

 汚さを相手にするのならこちらも汚れるのを厭わない。

 綺麗なまま勝たなくてもいい。

 向こうが姿を見せずに仕掛けてくるのなら、こちらだって姿を隠して策を弄してやる。


 もしも三耶子の言う卑怯な手段が必要となった際、憂は出来る限り単独で行うつもりだ。決して気分がいいものではないし、今日まで嫌な思いをしてきた三耶子がこれ以上汚される必要は無い。

 彼女には最後に甘い部分だけ味わってもらえれば、それでいい。


 こんな理想も三耶子には見透かされているのかもしれないが、憂はそう考えている。


「それじゃ一緒に地獄へ堕ちましょう」


 三耶子が悪意っぽく笑い、憂も同じように笑った。


 指針もある程度は定まったので、今日の所は解散する運びとなった。言い出したのは三耶子だ。


 冬が近づいていることもあって日入りが早く、夜が目の前まで近付いている。

 安全面から早めに帰宅するのはもっともらしい理由だが、三耶子の意図は別にあるようだった。


「具体的に詰めるのは後程やりましょう。だからまずは連絡先を交換しないとね。ちょっと手間かもしれないけど、ゲームのチャット機能を使うのがいいわ」

「なにそれ」

「姉倉君がスマホで出来るゲームを教えてって言ったでしょう? ゲームも出来て連絡も取れる。ウルトラCってやつね」

「別に構わないけど、古海さんがやってみたかったってのもあるんじゃないの」

「えへ」


 自分の頭をこつんと叩き舌を出す、絶滅したはずのとぼけ方。

 可愛い。明るい場所で見ていたら危なかった。


 またしても早口になった三耶子に教えられるがままアプリをインストールして、五分ほど掛けてチュートリアルまでクリアする。それからフレンド申請やらギルド加入やらよく分からない操作を経て、憂と三耶子は、友達になった。


 三耶子は嬉々として口元を綻ばせる。


「ここのチャット機能を使って話しましょう。私と姉倉君しかいないし、他に誰か入ることもないから安心してきわどい発言していいわよ。連絡手段として使ってくれていいけど、プレイもしてくれると嬉しい」

「まあ、やってみるよ」

「最終ログイン時間は出ないから安心して。ランクが全然上がらないようであれば別のゲームを紹介するわ」


 ふんすふんす、とでも聞こえてきそうな熱の入りよう。


 憂は慣れない手つきで操作して、三耶子のアカウント情報を表示する。

 ランク920。これが如何ほどのものなのか分からないが、とても追いつける数値ではないのだろうが――始めただけでこんなにも嬉しそうにしてくれるのだから、思いっきりランクを上げた時の反応を見てみたい気もする。


 三耶子はいま、ごく普通に当たり前な、大人になって初めて気付くような大切に触れている。

 ようやく。触れることができたのだ。


 だから――やってみるか。

 今日は少しだけ夜更かしをしよう、と憂は企んだ。

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