引きずり落としてやりましょう
憂と三耶子は校長室へ伸びる一本道、その真ん中辺りで立ち止まり、窓を開けてから向き合った。
ここなら滅多に人は来ないはずだ。学生にとって偉い大人は反発の対象だから、わざわざ好んで近寄ったりしないだろう。
三耶子はカフェオレを口に含んで一息つくと、無表情のまま言った。
「舌を火傷しちゃった」
彼女なりのジョークなのか真実火傷をしたのかは分からないが、なんとなく前者のような気がする。
憂の反応を待っているのだろう三耶子は、口を真一文字に結び首を傾げた。それからすり足でゆっくり憂との距離を詰めてくる。
近い。というか、近すぎる。
「……この間も思ったけど、古海さんって距離感近いよね」
「そうかしら。そうなんでしょうね。私ってほら、友達いないから。距離感とかよく分からないの」
反応に困ることをあっけらかんと言って、三耶子は憂から一歩離れ最初と同じ位置へ戻った。
「粘膜さえ触れ合わなければ問題ないと思ってたけど違うのね」
「古海さん。僕もキミに話したいことがあって」
強引に話を変えようとする憂に気を悪くした様子もなく、待ってましたと言わんばかりに、平坦だった三耶子の声が起伏に富んだ。
「聞こえちゃったけど、姉倉君ゲームに夢中なのよね。実は私もなの。アドベンチャーゲームっていうのが特に好き。友達いないから一人で遊んでばかりだけど、苦手なジャンルとかは無いかな。パソコンも持ってるけどコンシューマー派。スマホは脱出ゲームとか遊ぶことが多いわね」
両手の指先を合わせ、さっきまでと別人のように喋々と語り上げる三耶子。詩を朗読しているかのように綺麗な発音である。
恐らく難しいことは言っていないのだろうが、何を言ってるのか分からない憂は苦笑いで応じるしか出来ない。
豹変したともいえる三耶子の楽しそうな姿に、憂の良心は締め付けられ、やがて耐えられなくなった。耐え続けるつもりもなかった。
「ごめん! 古海さん! キミに謝らないといけない」
「……?」
憂が深く頭を下ると、三耶子はきょとんとした顔つきになる。
「実はゲームの話、嘘なんだ。僕は小学生を最後にゲームに触れてない」
「……どういうこと?」
「古海さんと話すきっかけが欲しくて、気を引くためにわざと大声で話したんだ」
嘘を重ねるようなことはせず正直に打ち明ける。何を置いてもまず最初に謝るべきだったと憂は後悔していた。甘い嘘を舌に乗せ、人気のない場所へ誘い込む……やっていることは誘拐犯と同じだ。
重さの分からない沈黙が漂う。
怒られることも当然覚悟していたが、しかしそうはならず、三耶子は不思議そうに訊いた。
「どうして私と話したかったの? チョロそうだと思われたのなら心外よ」
「違う、そうじゃなくて」
憂が顔を上げると、三耶子は微かに口角を上げ大人びた笑みを見せた。
こちらの事情を見透かしているような、そんな表情。
「剣ヶ峰さんのことでしょ。お互い、苦労するわね。悪いけどあんまり力になれない予感がする」
「いや、古海さん以上に力になってくれる人はいない」
「スカートの中覗きたいとか盗撮を手伝えって話?」
「古海さんって僕のことなんだと思ってんの?」
「冗談よ。私、ジョークが得意なの」
ツッコむべきか悩んだがぐっと堪え、しばし見つめ合ったのち、憂は空咳で仕切り直して話を再開する。
「単刀直入に言うと、剣ヶ峰が嫌がらせを受けてるからなんとかしたいんだ。一人じゃ限界があるから力を貸して欲しい」
「嫌がらせ?」
「……まあ、聞いた限り、いじめ」
いじめという言葉は好きではない。内容に対して軽く聞こえてしまうから、好きじゃない。
それでも使ったのは、深刻な問題であると寄り道せず伝えるのに適しているのも、確かだから。
憂は一度窓の外へ目だけを向けて、再び三耶子を見る。
三耶子もまた真剣な顔をしていた。
「誰がそんなことしてるの?」
「分からない。探り始めたのもついさっきなんだ。一応、疑ってる相手はいるんだけど」
三耶子は顎に手を当て考え込む仕草をする。
それから、
「疑ってるのって、鹿倉潮?」
まさにどんぴしゃで言い当てた。
まさか本当に全てを見透かしているのでは――そんな風に思わされる。
意表を突かれた憂は呆気に取られ何も言えずにいた。その反応で察したらしく「やっぱり」と三耶子は溜息を吐き、無表情から一転、眉を寄せて呆れたような顔になった。
「まだそんな幼稚なことやってたのね」
「古海さん、知ってたの?」
「ええ。私、中学の時休みがちだったんだけど、行かなかったのあれのせいだもの」
さらり、と。
他人事のように。
三耶子は言った。
冗談のように、言った。
笑えない冗談、ではなさそうだ。
憂は自分がどんな顔をしているのか分からなかった。三耶子が優しく微笑んだから、余計に分からない。
「証拠があるわけじゃないのよ。それにあんまり気にしてないし。それどころか家でゲーム出来るから喜んで休んだわ。むしろ感謝したいくらい」
「嘘だ」憂は力強く言い切った。
そんな言い分は通したくない。
これこそ冗談であるべきだ。
「古海さんが僕に話しかけたのは、誰かと話したかったからだろ。誰かと一緒にゲームをやりたかったんだろ。そんな人が理不尽に居場所を奪われて、孤立させられて、感謝なんてするもんか」
本当に気にしていないのかもしれないし、暗くならないよう三耶子が気を遣ってくれただろうことは分かっていたが、それでも言わずにいられなかった。
一方的な綺麗事を。言わずには、いられなかった。
三耶子だって葉火と同じく、夜々と同じく――他人を想って泣いたのだから。
誰かと一緒に生きていきたいはずだ。
『三耶子ちゃんが言ってたじゃん。姉倉君、目立つの好きじゃないっぽいって』――夜々の発言がリフレインする。
会話したことのない地味なクラスメイトの性質を把握していて、本人の知らない所で気を遣う優しい人が、ひとりぼっちで平気だとは思えない。
思わせたくない。
「続けて」三耶子が更に求める。
仮に止められていたとしても、熱くなった憂は構わず続けただろう。
「古海さんも剣ヶ峰も平然としてるけど、僕は信じてない。そういう風に見せてるだけで、僕なんかじゃ想像もつかない葛藤は、いまでもちっとも晴れちゃいないんだって、そう思ってる。古海さんは強がる人だから」
彼女達はきっと道に迷っている。
痛々しいくらい彷徨っている。
初めて三耶子達がバイト先を訪れた時、そんな印象を抱いたことを思い出した。
「怒るべきだ。怒るべきなんだよ古海さんは。僕の言う事が見当外れなら、僕に。そうじゃなければ、鹿倉潮に。もしも相手が鹿倉さんなら、その時は僕も一緒に怒るから」
「……姉倉君って正義感の強い人なのね」
「そんなのないよ。僕はただ、知ってる人が嫌な思いしてるのが嫌なだけ。知らない人の事情にまで首突っ込もうとは思わないし」
これは真実で、憂は決して自分が善人ではないと知っている。
見知らぬ他人にまで手を差し伸べられるほど、器用でもなければ優しくもないと、知っている。
しばらくの沈黙。
ひとしきり言いたいことを言って感情を発散させた憂は、徐々に頭が冷えてきたことで急速に恥ずかしさが込み上がってきて、自分の発言を省みた。
打って変わってしおれたシクラメンのように首を垂れる。
「……ごめん、分かったようなこと言って。言われるまでもないこと言って……本当にごめん」
それに、知らなかったとはいえ過去の嫌な記憶を思い出させてしまった。
誰かの為にと旗を振るって、他の誰かを傷付けたら本末転倒だ。
憂は己の未熟さを改めて痛感した。一人を望むくせに一人に向いていない。
こうやってすぐ熱くなる憂だから、冷静に舵を取ってくれる者が隣に必要だ。
とはいえ鹿倉を探るにあたっての協力者は、別の人物を探した方がいいだろう。
そう決意して顔を上げたと同時、
「――ふふ」
と、三耶子がこれまでとまるで色の違う、顔全体を使った笑顔を見せた。
「ふふふふふ。姉倉君。ねえ姉倉君。私、あなたのような人が現れるのを待ってたのよ」
両手で口元を押さえた漫画のような笑い方。セリフもどこか物語的だ。
同級生ながら大人びた雰囲気を持つ三耶子の、子供のような仕草に憂は見とれてしまった。
「全て姉倉君の言う通り。あんなにずけずけと指摘されるなんてびっくりしたわ」
「ごめんなさい」
「いいの、事実だし。本当はすごく悲しくて、一人は寂しかった。本当に悲しくて寂しかった。正直腹も立ったし、なんなら今でもあの性悪をぎゃふんと言わせてやりたい限りよ。だからあなたに協力させて。いえ、私に協力してって言うのが正しいかしら」
「……いいの?」
「うん。これは冗談でもなんでもない。一緒に怒ってくれるだなんて言われたら、断れないもの。あの王様気取りの性悪をどん底まで引きずり落としてやりましょう。八つ裂きにして半分こしましょ」
意外と口悪いなこの人……いや、思い返せば最初からそうだったか。
とにもかくにも、三耶子は前のめりで協力してくれるらしい。
強がりではなく強くある。目を背けることは何一つ悪い事ではないけれど、三耶子が怒ろうとしているのを憂は嬉しく思った。
「二度と悪事を働けないようコテンパンに成敗してやるわ。言っておくけど姉倉君、途中で投げ出そうとしてもダメよ」
「望む所だよ」
勝手にやって、勝手に失敗したい。
それは嘘偽りない本心だが、やっぱり味方が居ると心強いし、高揚しているからだろう――なんとなく失敗する気はしなかった。
三耶子が拳を出したので、照れくささを覚えながらも、力強く突き合わせる。
「ふふふ。楽しくなってきた。場所的にも時間的にも今は微妙だし、一度仕切り直してどこかでゆっくり話しましょう。今日の放課後とか空いてる?」
「バイト休みだから大丈夫」
「それじゃあ空けておいて」
買い出しの最中だと言う事情も考慮してくれたのだろう、一旦教室へ戻ることになった。
あまり待たせると痺れを切らした葉火が奇行に走りかねない、と二人は意見の一致に笑い、三耶子が剣ヶ峰のコーラを開けて飲んだ。
憂は両手の飲み物を見せびらかすように持ち、三耶子にも同じようにしてもらって、買いに行かされたアピールをしながら並び歩く。
「でも、姉倉君がゲームに興味無かったのはショック」
「じゃあ、折角だから何か教えてよ。スマホで出来るやつだと助かるんだけど」
「放課後までにリストをまとめておく」
教室の手前まで来ると、三耶子は跳ねるように駆け出して先に教室へ入っていった。
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