思春期とちょろイン

 憂はゲームに触れたことがほとんどない。


 たまに氷佳がカレーを作るゲームで遊ぶのを後ろから眺めつつ褒め上げるくらいで、最後に自分でプレイしたのは小学生まで遡る。


 憂にとって最大の娯楽は氷佳との触れあいであるため、ゲームが嫌いというわけではなく、氷佳を可愛がる以上の楽しみを見いだせなかったのが主な要因だ。


 そんな、知識を持たない憂が一朝一夕のにわか仕込みでゲーム好きを公言するにはどう考えても無理があった。ひとまとめにゲームと言ってもジャンルは多岐に渡り、十人集めて好みを聞けば全員が違うジャンルを答えてもなんらおかしくはない――それくらい幅広く奥深いのだ。


 今時はスマホ一つでゲームを遊べるらしいが、憂にとってのスマホは氷佳を記録しいつでも見返せる便利な機械でしかなかった。


 三耶子の趣味を知れたのは僥倖だが、完全に持て余している。

 有益な情報ではあるのだが有用ではない。憂に力が足りていない。

 ボードゲームならいくらか心得があるため、それで何とかならないだろうか。


 昼休みになり、憂はいつものように自席で昼食を摂っていた。そこへ購買で手に入れたらしい菓子パンを持った虹村がやって来る。二限目途中までマチルダと盛り上がっていたらしい不真面目な男だ。


 虹村は憂と向かい合う形で腰を下ろすと、袋を開けてパンを口へ運ぶ。


 どちらからともなく話し始め、話題は自然と、剣ヶ峰の件に向かった。

 憂は声を落として言う。

 

「そういえば、鹿倉さんに会った。見るからに善人って感じだったよ」

「マジか。姉倉って意外と手早いよな。それで、実際会ってみてどう思ったよ」

「なんとも」


 虹村は唯一事情を把握している人物なので隠し事はしない。隠すような事でもない。


 憂が春巻きを齧ったと同時に虹村が声を潜めて言った。


「古海さんは協力してくれそうなのか?」


 いまこの教室には三耶子もいる。虹村と同様に菓子パンを齧りながら、机に置いたスマホの画面を凝視していた。ゲームをしているのだろうか。


「話の取っ掛かりは掴めたけど、僕はその方面に明るくない。どうしたらいいと思う?」

「その取っ掛かりってのは?」

「悪いけどそれは言えない。趣味の話ってことだけ」


 非常に口の軽い夜々から聞いた話とはいえ、迂闊に漏らすわけにはいかない。夜々が小癪にも出所を不明とさせたからには、三耶子としてもあまり人に知られたくはないのだろう。


 虹村は自制したのか聞き出そうとせず話を続けた。


「むしろ丁度良いんじゃねえの? 興味はあるけど分からないから教えてくれってさ」

「そういう嘘ってバレるだろ。現時点だとあんまり興味も無いし。ただ、ほぼ触れた事がないから、これから興味を持つ可能性は大いにある。あとさ、出来れば僕がそれを知ってるって知られたくない。信憑性も微妙だし。といった点を踏まえたアドバイスをくれないか。虹村ならいいアイデア思いつくだろ」

「お前ちょっと俺への信頼厚すぎるぞ」


 呆れた風の虹村だったが、勘弁してくれとでも言いたげに肩を竦め、しかしどこか慣れているように進行する。


「つまり姉倉から古海さんに直接的なアプローチしなきゃいいんだろ? だったら簡単だ。男子なら誰しも一度はやったことのある一手があるじゃねえか」


 虹村は常識を語るような口調だが、全然ピンとこない。

 黙って続きを待つと、虹村はぐいっと身を乗り出してくる。


「ちょっと大きな声で話して相手の気を引くってあれだよ。これなら姉倉は雑談してるだけだし、自然な形で古海さんの耳に入るだろ」

「思春期すぎる」

「いいからやってみようぜ。他に浮かばねえしよ」


 気乗りはしなかったが、確かに他の案があるわけでもないし――無いことはないのだが、求めるばかりなのも居心地が悪かったので、虹村の提案に乗ることにした。

 遊ばれている気がしなくもないけれど。


 受け入れる以上は三耶子の趣味に関して虹村に明かさなければならないので、弁当のおかずを献上することで口外しないと誓ってもらった。情報元が夜々で、彼女の口がヘリウムより軽いことに関しては特に口止めしなかった。

 虹村のことだから、そもそも知っていてもおかしくない。


 とにもかくにも、早速思い付きを実行する二人。


 虹村が声のボリュームを元に戻し、どころか一段階上げて言った。


「なあ姉倉。最近家で暇なんだけどよ、おすすめの趣味とかあるか?」

「ないかな」


 額にチョップされた。土壇場で生まれた気恥ずかしさによる反抗は、その瞬間木っ端微塵にはじけ飛んだ。

 こうなったらとことんやってやる。


「最近ちょっとゲームに手を出してさ。知ってる? ゲームだよゲーム。今まであんまり触れた事なかったんだけど、これが結構面白いんだ」

「へえ。どんなゲームだ?」

「……カレーを作るゲーム。妹が好きでさ。もっと早く手を出しておけばと後悔したよ。なにやら色んなジャンルがあるらしいんだけど、虹村のオススメとかある?」


 白々しい会話がむず痒くなり、憂は一刻も早くリタイアしたかったが、古海が一瞬こちらを見たのを視界の端に捉え続行を決意した。


「ゲームはあんまりなあ。詳しいやつに聞いた方がいいぜ」

「誰か知ってる? 僕だけじゃなくて妹の好きそうなゲームもオススメしてくれるような素晴らしい人材を」

「いやいや無茶言うなって。そんな人が都合よく見つかるほど人生甘くねえだろ」

「だよね。困ったな。困った困った」


 比較的手を出しやすい趣味ではあるため、都合よく見つかってもおかしくはない。おかしくなっているのは二人である。


 三耶子がどの程度ゲームに精通しているのかも知らず、ただただ調子に乗る男子高校生二名。憂にとって初めての経験だった。


 それからも角度様々に会話を続けたが、視線の先にいる三耶子に動きがないことと、慣れない盛り上がり方が思いのほか疲れたため、憂は一度止めようと目顔で合図する。虹村は喋り足りなそうに微笑んで口を閉じた。


 なんて荒い種蒔きだよ……徐々に平静を取り戻した憂は少しだけいまの会話を後悔した。


「盛り上がってたじゃないの姉倉」


 と、項垂れた憂の頭上に声が落ちてくる。

 息つく暇も無い。

 顔を上げずともそれが葉火のものであると分かり、憂は俯いたままで応じた。


「……どうしたんですか。虹村君に何か用ですか?」

「誰よそれ」


 言いながら葉火は憂の弁当箱から一番大きな唐揚げを摘まみ上げて食べた。


 ここで変に抵抗すると事態は未知へ突入するので、ひとまず受け入れるとしよう。


「美味しいじゃない。好みの味だわ。あたしいつもお昼ごはん抜きなのよね」

「……どうぞ」


 顔を上げた憂が弁当箱を差し出すようにすると、葉火は「え、いいの?」と嬉しそうに憂から箸を引っ手繰り、近くの席から椅子を持って来て、遠慮なく食事を始めた。


 お腹が空いていたのだろう、瞬く間に容器が空っぽへ近付いていく。見ていて気持ちの良い食べっぷりだが、止まる様子がないことに憂は不安を抱いた。


「待て。全部やるなんて言ってないだろ」

「神への供物をケチるんじゃないわよ」

「神のフリした悪魔だろキミは」


 葉火はギリギリ食べ終わる直前で箸を止め、わずかに残った白米とミートボール一つを憂へ返した。完食されるよりタチが悪い、と憂は思った。

 結局残りも葉火に献上して。


「ごちそうさまでした。助かったわ姉倉。実は昨日の夜から何も食べてなかったのよ。お財布忘れちゃったし行き倒れる寸前だったわ」


 危機感の欠片も感じられない笑顔の葉火。


 周囲の視線が自分達に集まっていると気付いた憂は、声を潜めて言った。


「分かったからどっか行ってくれって。キミといると目立つんだよ」

「まだその設定活きてたの? もういいじゃない。また明日って言ったのあんたでしょうに」

「言ったけど、違うだろ。あれは氷佳の手前そう言っただけで」


「これでも大分気を遣ってあげたのよ。学校では話しかけるなってあんたが言うから。でもよく考えるとこれって、こっそり付き合ってるカップルみたいじゃない? あたしとあんたってそういう関係じゃないでしょ。え、姉倉まさか、名瀬じゃなくてあたしを好きだったの? 気持ちはよく分かるけど」


「助けてくれ虹村。僕は心が折れそうだ」


 名瀬さんの名前まで出すなよマジでこいつ。エクソシストっていくらで雇えるんだろう。


 興味深げに成り行きを見守っていた虹村へ憂は助けを求めたが「おもしれー」と一蹴される。


「虹村ってあんた? そういえばこの間も姉倉と話してたわね。苦労するでしょ」

「まあな。だけどおかげで剣ヶ峰さんに名前を憶えて貰えたんだから報われたよ」

「どうして僕が問題児みたいな扱いを受けてるんだ。勝手に変なシンパシー感じるな」


 問題児は間違いなく二人の方なのに。泣いてやろうか。


「古海! あんたもこっち来なさいよ!」


 憂からの睨むような視線を浴びながら葉火は軽快に笑い、機嫌よく呼びかける。

 珍しく利益をもたらそうとする葉火に感動した憂は、恨み節を引っ込めて不自然なまでの笑顔を作った。

 しかし三耶子は一瞥すらせず黙々と手元を見続けていた。


 がっかりだ。憂の顔に落胆が広がる。


「剣ヶ峰ってほんと残念だよな。僕は悲しいよ」

「言うじゃない。お腹が空いてたらブチギレてるところよ」


 憂の足を踏みながら葉火はアルカイックスマイル。鹿倉に負けず劣らず葉火も笑顔の幅が広いな、と憂は思った。


 さていよいよ周りから刺し付けられる好奇にいたたまれなくなった憂は、足を引き抜き立ち上がる。


「飲み物買ってくる」

「あたし炭酸ね。コーラが飲みたい。バニラアイスが乗ってると最高だわ」

「じゃあ俺も」


 当たり前に注文する二人。悲しいかな仕事熱心な憂はバイトの感覚で愛想よく肯ってしまう。

 しかしまあ、一度この場を抜け出せるのなら安いものだ。


 どっちか一つコーラを振って渡そうか、なんて考えながら憂は教室を出た。


 〇


 誰かに見られている気がする。

 昼休みというのもあってそこら中に人が溢れているため、気のせいだと言われればそれまでなのだが、憂は妙に背中が落ち着かなかった。


 振り返っても原因と思しきものは見当たらず、何度か繰り返す内に購買横の自販機へ辿り着く。


 千円札を入れてコーラのボタンを押す。もう一度押して、自分は何にしようか悩んでいると返却口からお釣りが落ちてくる。


 緑茶に決めてお金を入れ直そうと返却口に手を伸ばした時、背後から名前を呼ばれた。


「姉倉君」


 針のように鋭い、空気に穴を開けるような声。

 後ろから刺された気がした。憂は驚きのあまり自販機に頭をぶつけてしまう。

 痛みに構わず振り向くと、気まずそうに目を逸らす三耶子が居た。


「……古海さん。どうしたのこんな所で」

「ごめんなさい。そんなに驚かれると思わなくて」

「驚いてないよ。ちょっと躓いただけ」


 驚いた時に自分がどんなリアクションをしているのかなんて今まで意識したことはなかったが、夜々に指摘されたせいで妙に恥ずかしく感じる。

 僕ってそんなに大袈裟な反応をしてるのか。


 取り澄ます憂に三耶子は困惑していたが、やがて表情をニュートラルに戻すと、早速本題に切り込んだ。


「ゲーム好きなの? ちょっとお話しましょう」


 平板だった声をわずかに弾ませる三耶子。


 まさかあんな思春期作戦が奏功するとは。それもこんなに早く。期待していなかっただけに驚きである。


 準備不足の憂は並々ならぬ罪悪感を覚えながらも、虹村との茶番が無駄にならなかったことを感謝しつつ、三耶子の要求を呑んだ。


 三本を持ち帰るのは絶妙に手間だったので一本持ってもらうよう頼み、お礼に何かご馳走するよと伝えると、三耶子は一度遠慮したが、結局憂の押しに負けて甘そうなカフェオレのボタンを押した。


 それから二人で教室には戻らず、人の少なそうな校舎端へ向けて歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る