善人ほど疑いたくなる心理

 葉火は三耶子に対してのみ怒りを露わにする。


 本鈴と同時に立ち去る葉火と、何食わぬ顔で授業の準備を始めた三耶子を見て、二人の関係性は思っている以上に良好なのかもしれないと憂は思った。


 特別。

 少なくとも片側、葉火視点から見れば特別な相手に違いない。三耶子がどう思っているのかは、分からないけれど。


 その事実を前にした時、憂の胸にほのかな願いが生まれた。


 なんとなくだが、協力してもらうなら古海さんがいい。葉火と唯一言い合える仲の彼女だからこそ、葉火の味方になって欲しい――いや、味方でなくとも、敵対する特別として力を貸して欲しいと、そう思う。

 だから、正直無理な気はするけれどもダメ元で助力を乞うてみよう。


 授業が終わり、短い休憩時間が始まる。次の授業も教室は変わらないため、急いで準備する必要は無い。

 憂は教壇前の自席に座る三耶子の背中に視線を合わせた。


 さてどう話しかけてみたものか……さっぱり分からない。話の切っ掛けが掴めなかったし、掴める気もしなかった。


 いきなり本題に入るのはあまりに不躾だろうという意識は憂にもある。こちらは頼む側だ。しかしその前置き部分を埋めるだけの技量は無いのだった。


 こういう時こそ虹村の出番なのだが、彼はマチルダと盛り上がっているのか未だ戻って来ない。あの同好会は潰すべきだろう。


 なんとかなれ、と三耶子の背に熱視線を送り続けていると、教室の入口から大きな声が飛び込んできた。


「古海! まるであたしが逃げ帰ったみたいで気に入らないから次はあんたが来なさい! あたしのホームに招待するわ!」

「……あなたにホームがあるの?」


 げんなりした様子で三耶子が応じる。


 休憩の度にやってくるなんて、あの人暇なのか……流石に二人の争いに割って入り会話を成立させる自信はなかったので、別の行動を取ることにした。


 葉火がここ七組の教室にいるということは、二組の教室にはいないはずだ。断定しないのは二人同時に存在していてもおかしくないからである。


 まあ大丈夫だろうということで、今の内に鹿倉さんの顔を拝んでおくことにした。

 どういう人間なのか、遠くから観察してみよう。


 憂は静かに立ち上がり教室を出た。背後からは葉火と三耶子が罵り合うのが聞こえた。


 廊下を歩く内、二組の教室に差し掛かる。立ち止まらず通り過ぎながら中を窺い見たが、どれが鹿倉さんなのかは分からなかった。顔を知らないのだから当然である。


 二つ目の出入り口を過ぎてから、来た道を戻るように反転。そして、おずおずと中を覗き込んだ。


 室内は活気に溢れていて至る所で各々それぞれが盛り上がっている。

 どれだ。目視できる限り女子グループは七つもあった。


 雑談が出来る程度の知り合いが一人でもいればなんとかなるのかもしれないが、憂にそんな相手はいない。


 いや待てよ、確かこのクラスには――憂の思考はそこで止まる。

 背後から何者かに声を掛けられたからだ。


「わっ!」


 というよりも、驚かされた。

 なかなかの声量に憂は大変驚き、振り向きながら跳び退る。


 視線の先には悪戯っぽく笑う夜々が立っていた。


「姉倉君ってびっくり系苦手だよね。ごめんごめん、隙だらけだからつい」


 悪びれもせず舌を出したてへぺろ。その手は食うかと夜々を視界から外して答えた。


「……次やったら名瀬さんを同級生じゃなくてジャンプスケアにカテゴライズする」

「なにそれ。まーまーそれより、姉倉君こんなとこで何してるの? え、もしかして私に会いに……?」

「名瀬さんにはこれっぽっちも用は無いよ」

「ひどーい! 絶対あるから! ちゃんと考えて答えてみよう!」


 実際のところ丁度良いタイミングではあったのだが、夜々の質問が答え辛いものだったためとぼけてしまった。


 それに夜々が深く関わってくることも避けたい――だが放っておくよりはある程度近くにいてもらった方がいいかもしれない。佳境を迎えたタイミングでのほほんと突っ込んできて場を搔き乱されても困る。


 憂は思案する素振りを見せて間を取ると、何かに気付いた演技をして言った。


「そうだ、鹿倉さんってどの人?」


 白々しい芝居である。何一つ誤魔化せていない。


「最初からそれが目的だったんでしょ」

「鹿倉さんってどの人か教えてくれないかな」

「姉倉君が意地悪する……別にいいけどね! 鹿倉ちゃんはね、あの窓際で話してる子だよ。真ん中の」


 夜々が指さす先を見ると、窓に寄りかかって雑談する三人の女子生徒が居た。その正面に更に三人、椅子や机に座って窓側の三人と向き合っている。


 六人という大所帯に憂は震え上がりながらも視線を鹿倉へ定めた。


 黒のミディアムヘアーと整った顔立ち。美人ながらどこか幸薄そうな、触ると指紋がくっきり浮かびそうな人だ。控え目な笑顔は可愛らしいが、確かに、隣に葉火がいると塗り潰されそうな感じもする。


 マチルダが言っていた繊細というのには同意できるが、あれだ、タレ目ではなかった。


「で、どうしていきなり鹿倉ちゃん? 委員会とか?」

「まあ、そんなとこ。顔を知らないから助かった。ありがとう」

「やっぱり最初から鹿倉ちゃん目当てかー!」


 まんまと引っ掛かる憂だった。


「鹿倉さんってどういう人? 名瀬さんから見た感じ」

「うぬぬ……まあいいよ。遠慮がなくなるのはいいことだし。鹿倉ちゃんはね、優しくて良い子だよ」

「どう優しくてどんな風に良い人なの?」

「よく周りを見てて困ってる人がいたら力になってあげたり、話してても楽しいし、みんなの中心って感じ!」

「なるほどね。名瀬さんみたいな感じか」

「えっ」


 周囲を気にかけて困っている人の力になる、夜々はそう言ったが、憂にはしっくりこなかった。


 だったらどうして葉火が嫌な思いをしているのか。

 嫌われているから例外なのか。


 いや――これもまた結論ありき。葉火に肩入れしすぎている。


 見方を変えれば、嫌われるような側面を持つ葉火だから、差し伸べられた手を突っぱねたとも考えられるだろう。

 そも、葉火が嫌がらせを受けているという事実を感知していない可能性だって、充分にある。


 しかし噂がどの程度広まっているのかは分からないが、五人を相手にする交友関係の広さから、知っていておかしくないようにも思えた。


 夜々はどうだろう、一昨日は除いて、一度でも葉火に関する噂を耳にしたことがあるのだろうか。


 訊いてみようと思ったが、マチルダと繋がりのある人物に聞くのもどうなんだと思い留まる。


 それに何やら夜々の様子がおかしい。ジト目で憂を睨むようにしている。ご飯を入れ忘れられたハムスターみたいだ。


「……どうしたの名瀬さん。お腹空いてる?」

「べつにぃ。なんでもないよ。心配してもらったお礼しなきゃね」


 そう言って夜々は教室へ入ると、


「へーい! 鹿倉ちゃーん! お客さん一名入りましたー!」


 陽気な店員よろしく鹿倉を呼び出した。


 突然の奇行に憂は口をあんぐりと開け、何が起きたのかを理解するので精いっぱいだった。


 へーい、鹿倉ちゃん、お客さん一名?

 徐々に思考がまとまりを見せ、自分が会話していた相手が通り魔だったのだと気付く。


 初対面の印象から夜々をまともな人間だと勘違いしていたが、少しずつ変な奴だと修正はしていたが、それでも足りないくらい夜々は危険な存在なのだと改めた。

 デンジャー名瀬。


 程なくして夜々に背を押されながら、黒髪の少女、鹿倉潮が姿を見せた。困惑した様子で憂と目を合わせると「こんにちは」と微笑する。


 憂も同じように返して、それから気まずい空気が場を満たしていった。

 なにしてくれてんだデンジャー名瀬。


 憂は不満を込めて夜々を見たが、意地の悪い笑みにいなされる。もしかすると夜々は葉火の生霊に取り憑かれているのかもしれない。


「えーっと……名瀬さんのお友達?」おずおずと鹿倉が言った。


「まあ……それに似た感じ。鹿倉さん、だよね?」

「はい。鹿倉潮です」

「姉倉です。七組の」


 ひゅーひゅー、と夜々が半畳を入れてくる。黙れ。

 沈黙は隙になる、ということで憂から話を切り出した。


「えーと……鹿倉さんが古海さんと同じ中学だって聞いて、ちょっと話を聞いてみたくて」

「古海さんの? それは全然構わないけど」


「えー! そうなの!?」と夜々。


「黙ってろ剣ヶ峰」


 あまりのやかましさについ口を出たが大間違い。反射で葉火の名前を出してしまった憂は、どう取り返すか一瞬間の内に考え抜き、触れないことにした。

 無視無視。


 それよりも考えるべきは、慌てて三耶子の名前を出してしまったことについて。

 聞きたいことなど何一つ無いし、これでは変な勘違いをされてもおかしくない。


 しかし鹿倉は茶化すような態度ではなく真剣に、考える素振りを見せた。


「古海さんかぁ。実はあんまり話したことはないんだよね。古海さん、あんまり学校に来なかったし」

「どうして来なかったかとか、分かる?」

「ごめん、分からないや。人間関係で悩んでるって、たまに誰かが話してたけど、本人から聞いたわけではないし。力になれたらと思って何度か話しかけことはあるけど、余計なお節介だって怒られちゃった」


 鹿倉は困ったような顔で笑った。


「ずっと心配だったんだけど、高校生になってからは毎日来てるみたいだし、やっぱり余計なお節介だったかな」


 次は恥ずかしそうに笑う鹿倉。笑顔の幅広さが彼女の持ち味なのだろう。


 憂は「ふうん」と興味無げに相槌を打ち、ここらで切り上げようとしたのだが、次は鹿倉の方から憂に質問があった。


「古海さんもだけど、剣ヶ峰さんとも仲が良いの? 姉倉君って」

「仲が良いってわけじゃないよ。最近話す機会が多かっただけ」

「そっかそっか。うん、安心した。剣ヶ峰さん、ちょっと浮いてるから。名瀬さん以外にも仲良くしてくれる人がいるって知れて良かったよ」


 柔らかい笑みを浮かべる鹿倉を見て、憂は彼女に対する疑念を深めた。


 絵に描いたような善人。

 教科書通りの委員長気質。

 この手のタイプには善性をそのまま裏返したような反対側が存在するはずだ。そう考えるとわざわざ葉火を話題に上したのだって怪しく思えてくる。


 要は、憂の偏見に基づく捻くれ節。

 穿ち過ぎだ。最初から犯人だと決めつけて掛かったせいで疑り深くなっている。


 葉火のキャラクター性を思えば、基本的には誰だって距離を置くだろう。

 憂だって、初めはそうだった。


「鹿倉さんも仲良くしてあげてよ。思ってるより気持ち良い奴だから」

「え?」

「面と向かって、お前が嫌いだ、とでも言ってやれば簡単に仲良くなれると思うよ。鹿倉さんみたいな人が味方についてくれると助かるんじゃないかな」

「えっと……うん。ありがとう?」


 結局、フラットに判断すると鹿倉は白。推定無罪に則ると現時点ではそう結論するしかない。


 もしかすると見る人が見れば明らかな、自白ともとれる発言や表情の変化があったのかもしれないが、憂は相手の反応から手掛かりを得られるほど人間観察に長けていない。


 そもそもここにいるのだって、鹿倉の雰囲気だけでも見ておければ、というただの思い付きだ。事態の進展に期待はしていなかった。こうして名乗り合えただけで儲けものだと考えるべきだろう。


「いきなり来てごめん。また何か思い出したら聞かせて欲しい」

「はい。じゃあ、姉倉君も古海さんや剣ヶ峰さんとの話を聞かせてね」


 鹿倉がぺこりと頭を下げたので、憂も慌てて同じ動きをする。


 最近出会った人達にこのような礼儀正しさは備わっていなかったため完全な不意打ちだ。

 ぎこちない動きになってしまい、それを見た夜々が「ぷぷぷ」と漫画のような笑い方をした。


 鹿倉が教室に戻ろうとするのを呼び止めて、憂は最後に一つお願いをする。


「鹿倉さん。あと名瀬さんも。僕が古海さんの話を聞きに来たことは黙ってて欲しい。あと、剣ヶ峰……さんを分かってる風の発言したことも」

「いいけど、どうして?」

「気持ち悪いと思われるから」


 ああ、と納得したように鹿倉は手を叩き、秘密にすると誓ってくれた。もう一方の夜々も「言わぬ!」と胸を張る。


 今度こそ鹿倉は教室へ戻り、続こうとする夜々だけを引き止めた。

 不思議そうに首を傾げる夜々と少し離れた場所へ移動すると、憂は語気を強めて言った。


「名瀬さん。僕が古海さんの話を聞きに来たことは黙ってて欲しい。あと、剣ヶ峰を分かってる風の発言したことも」

「さっき聞いたけど!?」

「だって名瀬さん口軽いし……」

「誰がじゃー! ちょー堅いっての!」


 なかなかの怒り具合で言い募る夜々の、アナコンダが如き小指と指切りをして、決着。


 計ったように予鈴が鳴ったためお互い自分の教室へ戻るべく歩き出し、そして夜々が別れ際にこんなことを言った。


「三耶子ちゃんと話したいなら一個オススメがあるよ。意外とゲーム好きだから、そういう話喜ぶと思う! あ、私から聞いたの内緒ね!」

「そっか。ありがとう名瀬さん」


 有益な情報に礼は言ったが、数秒前の指切りにどれだけの効力があるのかモノスゴク不安になる憂だった。

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