偏向探偵マチルダ
噂話は口頭のみ。
それがゴシップ同好会の基本原則――といっても総員二名なので口約束のようなものだ――だから、憂は一限目終わりの休み時間に、昨日の昼休みを過ごした物置部屋に足を運んだ。調査報告のため至急来られたし、とマチルダからの呼び出しだ。
一日掛からず情報を集めたその手腕に感心しつつ、物置部屋の扉を開けると、二つある椅子の内一つが既に埋まっていた。
小柄な女子生徒。
眉毛より上、額の真ん中くらいで切り揃えられたおでこがうっすら透けて見えるシースルーバング。毛先が顎先に届くか届かないかくらいのショートボブは、確かにマチルダを名乗るに相応しい。
マチルダはやって来た憂達を無感情に一瞥すると、挨拶も無しに早速本題へ入った。
「剣ヶ峰葉火の件ですが、残念ながらと言うべきか首謀者を特定することは叶いませんでした。これは私のリサーチ能力が低いわけではありませんので勘違いしないように。急かしたあなた方と犯人の小賢しさをけなしてください」
淡々と告げるマチルダを見て、なんか思ってたのと違う、と憂は失礼な所感を抱いた。
「一応怪しい人物に目星はつけています。さて、そちらの……地味なあなた。相手は単独犯だと思いますか?」
「さあ。でも嫌がらせをする奴なんて大体群れてるんじゃないの」
「私もそう思います。剣ヶ峰さんへの嫌がらせは両手で数え切れないほど行われているようです。どこまでが真実なのかは調査中。単独での犯行だった場合、目撃証言の一つくらいありそうなものですよね。上手いことやってる可能性も否定は出来ませんが」
早口で語り上げるマチルダ。
休憩時間の短さを考えれば自然に感じられるが、一朝一夕で習得できるものではない気もする。普段からこんな感じなのだろうか。
「また、単独での犯行であればもっと情報は出回らないように思います。わざわざ言い触らす必要ありませんし。まあ、嫌がらせをする人間性の持ち主ですから武勇伝として語っていてもおかしくないですが……うーん、なんかしっくりきませんね。むしろ言い触らすことで真実を隠そうとしている? 私達を相手になんと小癪な」
「現場にたまたま居合わせた人はいたけど、口止めされてるとか? 誰だってそんな奴に目を付けられるのは嫌だろ」憂が答える。
「可能性は大いにありますね。しかし見て見ぬふりは同罪です」
それはその通り。ぐうの音も出ない正論だ。
文句のつけようがない理想論。
「そのケースも考慮して総合的に複数人での犯行だと判断しました。見張りを立てれば目撃されるリスクは減りますし、仮にバレても余程の相手でなければ同調圧力で圧死でしょう。学生風情が一人で出来ることなんてたかが知れています。というわけで相手は複数、それを踏まえた上で私が怪しいと睨んでいるのがこの人」
写真でも出すのかと思ったが、マチルダは規則に則ってそのようなことはしなかった。
両目の端を人差し指で抑えて下に引く。
タレ目……?
「剣ヶ峰さんと同じクラスの
知らない名前に憂は首を傾げ虹村を見る。
虹村は意外そうに相槌を打ち、憂に説明した。
「鹿倉さんは剣ヶ峰さんに隠れちゃいるが人気者だよ。人当りが良くて誰にでも分け隔てなく接する嘘みたいな善人な。変な噂話は聞いた事がねえ」
「めちゃくちゃ怪しいじゃん」
「お前もマチルダも捻くれてるよな。推理小説に騙されまくったタイプだろ」
潔白が証明されているほど疑いたくなる、虹村の言う通り憂は推理小説に唸らされてきたのだった。
あれは恐ろしい代物だ。何も信じられなくなる。
「で、マチルダ。どうしてそう思うんだ?」
「調べてみると彼女は中学時代をチヤホヤされて過ごしたようです。ジンカクシャですからね。本人はそれで驕ることなく謙虚に過ごしていたそうですが、いざ高校生になって、自分じゃない人物ばかり話題になって注目を集めるのは気分がいいものではないでしょう? 思春期のプライドは大きい割に繊細です。剣ヶ峰さんを恨むのはごく自然だと言えるかもしれません」
「それは飛躍しすぎてやしねえか?」
虹村とマチルダで盛り上がるのを憂は黙って見守ることにした。
「ええ。ですからこれはあくまで私の推測です。しかし彼女の信望の厚さを考えればやはり怪しいと言わざるを得ません。あら不思議、私の疑念をぶっ潰せる力を持っているじゃありませんか。他人を使い、他人を黙らせる。他にどなたか心当たりが?」
「……浮かばねえけど。他のクラスにもいるんじゃねえか」
「そうです。いるんですよねこれが」
そう言ったマチルダの表情に変化はない。溜息一つ吐かないまま喋り続ける。
「鹿倉さんが全ての黒幕であると仮定して進めてますが、例えば、いくつかのグループがそれぞれ嫌がらせを行っている可能性もあります。極端な話だと、全てが違う人物によるものという仮説も現時点で無視できませんよね。なんだったら剣ヶ峰さんの狂言かもしれません」
「それだけは無い。絶対」
黙っているつもりだったが、あまりにバカバカしくて反射的に否定した。あくまで可能性の話をしているだけなのは分かっていても言わずにいられなかった。
マチルダは両手で口角を吊り上げて形ばかりの笑顔を作ったのち、手を離して、何事もなかったかのように続ける。
「私は探偵じゃありませんし、論理より感覚を重んじます。優等生が鼻持ちならないとかそういうのじゃありませんよ? 怪しい人物は他のクラスにもいますが、やはり同じクラスの方が行動を把握しやすいように思います。罪を犯した人物が現場に戻りたがるとはよく聞く話。反応を見たり大事にならないよう手を回したり、そういった点を鑑みると鹿倉さんが第一候補なんですよね」
推理を語り終えたマチルダは、どこか満足気に一息ついて、喋るペースを少し落とした。
「そういうわけで、鹿倉さん周りを探ってみるのがいいかと。彼女が真実潔白であったなら、私達ゴシップ同好会と地味なあなたで土下座でもなんでもしましょう。靴に尊厳をディップしてペーロペロ」
「俺は行かねえぞ。お前一人で行ってこい」
「いやん。そうつれない事を言うものではありませんよ」
二人の仲の良さに割り込みがたい波動を感じたが、構わず憂は答えた。
「分かった、ありがとう。少し探ってみるよ」
「ちなみに地味なあなたは、女の子の友達いますか?」
マチルダの質問を受けた憂は答えに窮する。
いない。
だからといって、即答するのもどうかと思ったからだ。
「いなければこの先は困難を極めるでしょう。犯人が女性だった場合、ですが。やはり男性一人では入れない、入りづらい空間が存在しますからね。あなたが女性だらけのスイパラにタンクトップで突っ込める人物であるのなら杞憂に終わるのですが」
「……死んでも無理だ」
「であれば女性の協力者は不可欠ですね」
難しい事を簡単そうに言ってのけるマチルダだった。
しかし言い分は最もだ。ここまで痕跡を隠す狡猾さを持った相手に一人で挑むのは無謀だし、異性が協力してくれるのなら選択肢が増える。
最初から協力者がいれば発想だって柔軟になるだろう。
だけどなあ。
女性の協力者。
最初に浮かんだのは葉火で、喜んで協力してくれそうな予感はあるが候補に入れるわけにはいかない。
次に浮かんだのは夜々だ。けれども葉火と同じクラスの夜々と一緒に行動すれば非常に目立つだろうし、なによりあの子は口が軽い。失言に期待のできる、探偵にとって救世主のような女の子である。
憂は一か八かでマチルダを真っすぐに見つめたが、返答はにべもない。
「私は遠慮しておきます。単独行動で輝くタイプですし、自慢じゃないですが協調性は皆無。それに使いっぱしりは趣味じゃありません。今回はレオンとの賭けに負けた分を支払っただけですので」
「賭け……? そうなの、虹村」
「まあな。違法性はないから安心しろ。どうせ持て余してた権利だし、良い機会だから使ったんだ」
憂は虹村に改めて礼を伝え、別途なにかを用意すると約束した。
「得た情報は共有しますのでそれで我慢してください。我慢する男の子は好きですよ。一つ質問ですが、地味なあなたは何組所属ですか?」
「七組だよ、虹村と一緒」
「おっしゃる通り。既に聞いていたので知ってますとも。なのでこれは私の茶目っ気です。ふふふ。さて七組なら、適任がいるじゃありませんか」
口調や表情と裏腹に案外愉快なやつらしいマチルダが、次は自分の目を両の人差し指で吊り上げた。
「古海三耶子さん。彼女は鹿倉さんとおなちゅーってやつですよ。当時の話も聞けるし一石二鳥では?」
古海三耶子。
葉火と夜々と一緒に憂のバイト先を訪れた居たクラスメイト。
件の鹿倉なにがしと同じ中学校だったという。
確かに適任なのかもしれないが、接点のほとんどない相手に憂は躊躇った。
仲良くないとは言っていたけれど葉火に一目置かれる存在ではあるし、それを差し引いても目立つ彼女だから、行動を共にすれば自然と葉火の耳に届くように思う。
「といっても古海さんは中学生の頃は学校を休みがちだったと聞いています。過去の人間関係に明るくない可能性は大いにありますね。ですからまあ、その辺りはジミヘンさんの裁量にお任せしましょう」
いつの間にか憂の呼び名はジミヘンに決まったようである。
名前を聞こうとしないのは彼女なりのこだわりがあるのだろうと判断したため憂は黙って受け入れた。
マチルダはまだまだ喋り足りないのか「私的には」と切り出したが、そこで予鈴が鳴ったことで中断された。
と思ったのだが、
「私的には剣ヶ峰さんと協力するのが一番手っ取り早くて小細工いらずだと思うのですが、そこのとこどうです?」
予鈴を切り裂くような鋭い声で述べ上げた。会話を続行しようとしている。
この行為一つでマチルダが授業を平気でサボるタイプだと悟った憂は、改めてマチルダに感謝を伝え、虹村の肩を叩くと、静かに踵を返し部屋の出入口へ向かった。虹村はついて来なかった。
予鈴が鳴っていなければこの質問に答えなければならなかったことを思うと恐ろしい。
〇
葉火への嫌がらせを主導していると目される鹿倉なにがし。
教室へ戻る道すがら、憂は顔も知らない相手について考える。
虹村の話を聞くに人格者であるとのことだったが、表立った醜聞の一つもない人間は、潔白すぎて不自然に思えた。そういう人間も確かに存在すると分かっていても、隙のない無実は学生という未完成にえらく不適当な肩書だと感じられる。
感じるだけ。結局これは偏った思考で、結論ありきの違和でしかない。
だからこれから知っていくのだ。
さてどういうアプローチでいくべきか、変にこそこそ動きすぎて嫌がらせを行う連中と同じようになるのは避けたい。かといって直線的ではいなされて終わる。
色々様々考えてみたが、そもそも鹿倉なにがしを疑うにはマチルダの勘以外に根拠がない。正義を名乗るつもりはないが、無実の人間を疑うのなら、せめて少しでも誠実であるべきではないだろうか。
そんな風に思ったが、それは結局相手のためではなく自分のためでしかないと気付き、自嘲気味に笑った。
教室へ戻ると授業が始まる直前にも関わらず騒々しかった。なにやら聞き馴染みのある声が聞こえてくる。
「だからあたしはあんたに会いに来たんじゃないわよ! 会いに来てやったんだから感謝しなさいよね!」
「意味が分からない。頭が悪いんだから無理して喋らなければいいのに」
「あたしの方が成績良いのに? ごめんね古海、あんた数字が読めなかったのね。読み方教えてあげてもいいわよ」
「まずは空気の読み方を学んでくれば?」
「あんたに言われたくないのよバーカ!」
中を覗けば、教室の真ん中で言い争う葉火と三耶子の姿があった。
憂はそっと自分の席へ戻り、三耶子の協力を取り付けるのは難しそうだと予感しながら、現代文の教科書を取り出した。
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