また明日をキミ達と
窓側に葉火、その膝に乗る氷佳、手前に夜々。反対側は無人。
世にも恐ろしい席順に憂は涙が出る思いで唇を噛んだ。
本来ならば何があっても阻止するところだが、どのような出会いを果たしたのか、氷佳はすっかり葉火に懐いているようだった。しきりに「よーか、よーか」と名前を呼ぶ。葉火は憂に向けたことのない優しい声で返事をしながら、氷佳の頭を撫でている。
気が狂いそうだ。
水を配膳する手に尋常ならざる力が籠る。
夜々が相手ならまだ納得のできようものだが、どうして葉火なのか。
恨みがましい憂の視線に気づいた葉火が、悪意っぽく笑み氷佳を抱きしめた。
「いいなぁ、いいなぁ葉火ちゃん。ねえ氷佳ちゃん、私にも乗ってよー」
「ダメよ名瀬。氷佳はあたしが一番なんだから。ねー」
「ねー」
夜々がいまにも泣き出しそうな顔で縋ってくるが、どうすることも出来ないし、憂自身それどころではない。
敵だ。これは明確な敵対行為だ。
氷佳がいる手前、場の空気を乱しすぎては悪手、故にせめてもの抵抗として、憂は今後葉火を剣ヶ峰と呼ぶことに決めた。遠慮していては氷佳を連れ去られかねない。
「剣ヶ峰。この先百年の間に氷佳が体調を崩すことがあったらキミにうつされたと判断していいんだよな?」
「いいわけないじゃない。あまりに自然だから頷きそうになったわよ、びっくりした」
憂が向かいの席に腰を下ろすと、葉火が意地悪く言った。
「何座ってんの。仕事に戻りなさい。これから女子会のはじまりなのよ」
「……ここに罪を告白する。僕は今日、シフトに入ったふりをしてるだけで実は休みだ。あわよくば有耶無耶にしようとして嘘を吐いた。ごめんなさい」
愛する妹の前だからこそ潔く。
迷いなく心の膿を吐き出して、額とテーブルがぶつかるくらい頭を下げた。あとで髭親父にも同じ謝罪を受け取ってもらおう。
「あはは! ほんっと清々しいくらいシスコンなんだから。別にシフト云々は嘘つく必要なかったでしょうに」
「氷佳を連れてくる気がなかったから、嘘ついたら次も嘘になった」
「あんたそれ治した方がいいわよ。相手があたしじゃなければ引きずり回されてたでしょうね」
「分かってるよ。それより、どうして氷佳がここにいるんだ。まさか誘拐したんじゃないだろうな」
「氷佳の前でそんな物騒な言葉使うんじゃないわよ」
正論。さっきから葉火に言い負かされ続ける憂だった。
葉火の話を聞くと、ここへ来る途中に氷佳の姿を見つけたそうだ。懐かれるに至った部分は勿体ぶって言おうとしなかったので氷佳から聞くことにした。
氷佳は、憂の様子がいつもと違うことに嬉しさを覚え、直接アルバイト先へお礼を伝えに行こうと思ったという。その道中で二人と遭遇し、葉火から出会い頭に肩車をお見舞いされたのがきっかけで好きになったそうだ。
初対面の相手に肩車をするな。そのまま山へ連れ帰る妖怪がいそうだぞ。
「氷佳、好きな物を好きなだけ頼みなさい。残してもあたしが全部食べるから」
「それは僕の特権だ。剣ヶ峰は引っ込んでろよ」
「喧嘩、だめ」
「氷佳ちゃん一緒に選ぼ。ほら甘い物がいっぱいあるよ!」
夜々が葉火に身を寄せてぴったりとくっついた。
彼女達は露骨にポイントを稼ぎにきている。
氷佳の前にメニューを広げ三人で盛り上がり始めたのを、ただ指を咥えて見ているだけの憂ではない。
ひとまずチョコレートパフェを注文して、咳払いを前置きに新たな話題を置いた。
「はいじゃあここで氷佳クイズ。外れた人は退場してもらいます」
突然のイベント開催に葉火と夜々はポカンとした表情で憂を見る。
「氷佳の一番好きな食べ物はなんでしょう。じゃあ名瀬さんから」
「え、えーと、ハンバーガー!」
進行を優先したレスポンス重視の回答。対応力は見事だが、残念ながら不正解だ。
外れ、と言うと夜々は悔しそうに唸って消沈した。
次の回答者である葉火は顎に手を添え思案顔をする。
「こんなシンプルな問題を出すってことは絶対当てられない自信があるのよね」
「どうかな。ちなみにヒントは無しだ」
「上等よ。当てたらあんたに奢ってもらうから」
「上等だよ」
憂は顔中に余裕を貼りつけ、普段葉火がやるように顎を上げて見下すような体勢になった。
「よーか、がんばって」
「任せなさい。好きな食べ物ということは、手に入りやすいと考えて良いわよね。一番になるからにはある程度の回数味わってるはずよ。となると高級品ではないのかしら。姉倉のことだから氷佳の為に働いてるでしょうし、あんたの性格を考えると毎日でも買ってあげたいはずだから、そうね、手掛かりもないことだし安価路線でいきましょう」
思っていたよりもしっかり考える葉火に一抹の不安を覚えつつ、憂は黙って聞き入った。
「あんたは生意気だから、答えを明かした時にあたし達が『してやられた!』と思うようなものを用意してそうだわ。絶対当てられないけど、荒唐無稽じゃない。となると氷佳が甘い物好きっていうのは大きな手掛かりじゃないかしら。既にヒントは出てるのよ。ヒントを出さないっていうのが大きなヒントってことね」
「考え過ぎだよ」
「なんだったらここでバイトしてるのもヒントだったりしない? ここで手に入る物とか」
そこで一度言葉を切り「思考が偏ってきたわ」と葉火はかぶりを振る。
あくまで真剣に考える葉火の姿勢を好ましく思いながらも、憂は顔に出ないよう無表情で相槌を打つ。
「いえ、やっぱり直観を信じましょう。あんまり時間を掛けても氷佳が退屈するからそろそろ答えるわ。比較的安価で、甘い物で、ここで手に入る。それらを踏まえて、姉倉の生意気さを加味したもう一捻り――答えはミルフィーユのパイ生地部分よ! さあどうかしら!」
葉火は自信に満ちた表情で、高らかに回答した。
ミルフィーユのパイ生地部分。
………………あっぶねえ。勝手に深読みして、結果的に目前まで迫ってきた。やっぱりこの人は油断ならない。
ほとんど正解のようなものだが、真っ向勝負に温情は不要だ。
憂は不正解を宣言して、安堵の息を漏らした。
「正解は、タルトの生地部分」
「あー惜しい! もう少しで当てれたわ! 悔しい! 氷佳慰めて」
「よーか惜しい」
氷佳が葉火の頭をぽんぽんと撫でるのを見て夜々も「私も私も!」と頭を差し出す。
ホイッスルがあれば吹き鳴らして速やかに退場させているところだ。
「そういうわけだから退場だ。氷佳はタルトの生地が一番お気に入りだもんな」
「うん。でもいまはグミが一番好き」
まさかの序列変更が行われていた。
「あはははははは! 姉倉あんたも退場しなさいよ!」
「バ、バカなっ! 一体なにをした剣ヶ峰!」
「兄ちゃが楽しそうで、氷佳もうれしい」
立ち上がって言い募る憂を氷佳は嬉しそうに眺めていた。
さてその隣では、夜々が唇を尖らせ腕を組んでいる。
なんとかノーカウントに持ち込み平静を取り戻した憂は、只ならぬ様子の夜々に気付いた。
「名瀬さん、不満そうだけどどうしたの。退場はなくなったから安心してくれていい」
「さっきからみんなばっか盛り上がって私除け者だよ! 何か言うことはないのかね!」
芝居がかった口調で言って、ぷりぷりとオノマトペを振りまく夜々。
小動物みたいで可愛らしい。
その反抗期ハムスターっぷりが葉火のお気に召したようで、口元が喜悦に彩られた。
「いいじゃない名瀬。いまのあんたとは仲良くなれそうだわ」
「よよ、ごめんね」
と、氷佳が夜々の上に移って頭を撫でる。夜々はみるみる内に感極まった顔になり氷佳を抱きしめた。
「ごめんね氷佳ちゃん気遣わせちゃって。冗談だよ、ちょっとふざけてみたくなっただけだからね。ていうか座り心地どう? 変じゃない? ねえ葉火ちゃん、私合ってる? こういうのやり方分かんない!」
あえて無視しているのだろう葉火が意地悪く見守る中、注文していたパフェが届くと氷佳は目を輝かせて夜々に深く座り直した。
それからは誰が氷佳に食べさせるのかを揉めながら、時折氷佳クイズを交え、なんだかんだで盛り上がる内に、外は夜に染まっていく。
〇
やがて十九時を迎えるという頃、晩御飯の時間だからと場はお開きになった。氷佳は結局パフェに続いてサンドイッチやシフォンケーキも食べたためお腹が一杯のようで、眠たげに目を擦っている。誤魔化しようのない甘やかし。これには憂をはじめ他二人もしっかり反省した。次は休日にしましょう、と葉火が言った。
「家まで送ってあげたいところだけど、遅くなっちゃったから失礼するわ」
「じゃあ私は送ってこうかな」
「ダメよ。抜け駆けは禁止。さ、早いとこ行きなさい」
夜々の手を掴んだ葉火が憂達に向けて言った。
葉火のファインプレーに感謝しつつ歩き出すと、氷佳が名残惜しそうに手を振る。
「ばいばいよーか、よよ。ごちそうさまでした。ありがとう。また会える?」
対する二人も非常に名残惜しそうに、氷佳の問いに望み通りの答えを与えながら手を振り返した。
その様子を見た憂は、照れくさそうに目を伏せて、それから葉火と夜々をしっかり見据えた。
「名瀬さん。剣ヶ峰。今日は氷佳と遊んでくれてありがとう」
氷佳との別れを悲しんでいた二人が意外そうな顔をして、夜々がはにかみ、葉火は胸を張った。
とんだ予想外に振り回されたけど、氷佳が楽しそうに、本当に楽しそうにしていたから――これで良かったといまでは思う。また集まろうと言われると悩ましい限りだが、葉火も夜々も変な奴ではあるようだけど悪人ではないから、氷佳が望むのであれば、まあ、吝かでない。
寒風に触れるうち目が覚めたのだろう氷佳が二人をずっと見つめ続けている。憂の思っている以上に氷佳は二人を好きなのだろう。
だから感謝の意を込めて、そして氷佳の可愛さに気分が高揚したこともあり、憂は柄にも無いことを言った。
「じゃあ、僕達は帰るから。また明日」
また明日。憂の明日に二人がいる。
葉火と夜々がどんな反応をしたのかは振り返ってしまって分からなかったが、ありふれた別れ際の一言だ。社交辞令と言ってもいい。
憂はそのまま氷佳と一緒に歩き出した。
手を繋いで家路を往く。しきりに氷佳が「また遊ぶ」「戻ろ」と言ったが、泣く泣く帰宅を優先した。
「……氷佳、二人のこと好きか?」
「うん。よーかも、よよも、好き。兄ちゃは?」
「まだ分からないよ。これからって感じかな」
葉火のことも夜々のことも、まだ全然知らない。これからがあるのかも分からなかったけれど、氷佳が絡んでくると事情が変わる。
「ふたりとも今度うちに来てくれるって」
「……僕がいる時にしような」
一つ、心に誓ったことがある。
憂に芽生えた揺るぎない決心。
剣ヶ峰葉火について。
彼女が受ける嫌がらせについて。
やっぱりムカつく。
僕の氷佳が好きな相手につまらねえことしてんじゃねえぞ――それが葉火だというのは複雑だったが、氷佳の好きな相手は僕も大事にしたい。
それに葉火には責任を取って貰わなければならない。
氷佳に懐かれたのだから、嫌がらせだとかくだらないことを気にしてる暇なんか与えるものか。その分の容量を氷佳の為に空けてもらう。
氷佳の為なら他人の事情にだって遠慮なく足を突っ込んでやる。
この決断は、嘘じゃない。
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