僕は彼女を助けない
翌日、昼休みが始まってすぐ憂は虹村に声を掛けた。
教室ではなく人目に付かない場所で話したいと告げると、虹村は戸惑いつつも爽やかに笑み、ゴシップ同好会が根城とする物置部屋へ案内してくれた。
細長い部屋の奥には机が一つと椅子が二つ、向きがバラバラに置かれている。お世辞にも綺麗とはいえない散らかり方で、足下を見ると埃の塊が転がっていた。
椅子に腰掛けた虹村に座るよう促され、憂は椅子の向きを虹村と正対できるように移動させて座った。
虹村は好奇心の色濃い瞳を輝かせて言う。
「で、話ってなんだよ。姉倉から誘われるなんてここ最近で一番驚いたぜ。しかも人に聞かれたくねえときたら、すげえ期待するけどいいんだよな」
「期待に応えられるかは分からないけど」
勿体ぶるわけではなく保険としての前置き。
「昨日話してた剣ヶ峰さんの話。あれは僕だ」
寄り道せず最短で真実を明かすと、虹村は目を丸くして言葉を失った。お手本のような驚愕に憂はむず痒くなり目を逸らした。
「驚いた?」
「……あぁ、マジで驚いたよ。昨日のあれでおおよそ察しはついてたけど」
「やっぱりそっか」
「姉倉が自分から明かすなんて想像もしてなかった。何があった?」
身を乗り出した虹村の表情は心配二割の好奇心八割といったところだろうか。
「隠し通すには分が悪すぎるし、遅かれ早かれ虹村なら嗅ぎつけるだろ。だったらこっちから打ち明けようと思った。言い触らさないって言ってたし」
「へえ。随分俺を信用してくれてんだ」
「それにコントロール出来るんじゃないかと思ってさ。知らない誰かを作り上げるとか、別のもっと大きな話題で塗り潰すとか」
「悪いけどそこまでの力はねえよ。嘘も信条に反するから無理だね」
嘘っぽい口調で虹村が言った。
事実嘘であるように思う。噂はあやふやだから面白いのであって、真実なんて小火に水を浴びせるようなものはお呼びでない。
そう考えると虹村の発言は、暗に自分を信用しすぎるなと忠告してくれているのかもしれない。
「姉倉の思惑は分かったけど。ま、それだけじゃないんだろ?」
見透かしたようなことを言って笑う虹村に、憂は「まあね」と澄まし顔で返す。
そして言った。
「剣ヶ峰さんについて聞きたいことがある」
「……マジでワクワクする見出しだぜ。続けてくれ」
「小耳に挟んだ……いや、本人から聞いたんだ。あの人、嫌がらせされてるんだって? 陰険な連中に」
憂は虹村と視線を合わせる。
「あー……そういう話は聞いたことあるな。昨日も言ったが剣ヶ峰さんは目立つから敵も多いんだよ。陰口なんかは、けっこう聞く」
「敵にすらなってないだろ。隠れてこそこそやってる奴なんか」
教科書を捨てるという陰湿なやり口。葉火の口ぶりからすると一度や二度ではなさそうだし、他にも被害を受けているのだろう。
考えるだけで腸が煮え返りそうだ。
あんなに堂々とした相手にそんなやり方しか出来ない連中に、腹が立つ。
「随分棘のある言い方だな。ま、その通りだけどよ。知ってて止めない俺も同じか」
「僕だってそうだ」
虹村が目を伏せ自罰的に口元だけ笑う。
そしてすぐに表情をニュートラルに戻して話を繋いだ。
「剣ヶ峰さんねえ。なあ姉倉、もしかして剣ヶ峰さんを」
「違う。それだけは絶対に無いから二度と口にしないでくれ」
噂好きの性なのか良くない方向へ持って行こうとしているようだったので、先回りして道を潰す。
虹村は残念そうに眉を下げた。
「にしても急にどうしたんだ? 昨日は反応薄かったよな」
「嫌がらせって言っても、もっとオープンなのかと思ってたよ。喧嘩するとか、そういうの。あの人が正面からぶつかる人だから……勝手にそう思ってた」
そう思い込んでいた。
自分と葉火のように、あるいは葉火と古海のように、真っ向から切り合うのだと。
正々堂々とした人間が相手する敵もまた、正面切って戦いを挑むものだと。
思い違えた。
「優しい奴なんだな、姉倉は」
「馬鹿言うなよ。僕は全然優しくなんかない」
「しかし剣ヶ峰さんが弱音を吐くってのは想像できねえな。相当参ってたのか?」
「そういうわけじゃないけど。平然としてたよ、見た目は」
「大して気にしてないのかもしれないぜ?」
「そんなわけないだろ」
虹村の一言を即座に否定する。
感情豊かなあの人が、他人と関ろうとするあの人が――他人からの悪意を気にしないわけがない。
傷付かないわけがない。
嫌われたら悲しいし、傷付けられたら傷付くだろう。
学生なんてまだまだ未完成なのだから。
彼女だってそのことについて自覚的だったはずだ。
そう考えると――彼女の一見奇異に映る行動の数々は、いまだからこそ出来る失敗の種、なのかもしれない。
であればなおさら、怒らないことが不自然に思えた。
「嫌なことされて嫌な気持ちにならない人間はいない」
「言ってみただけだ、怒るなよ」
肩を竦めておどける虹村に「怒ってないよ」と答えた。
怒らない。
どうして葉火は怒らないのだろう。いや、自分が知らないだけでどこかで怒りを顕しているのかもしれないが、昨日「行為そのものは卑怯者のやることだから相手しなければいいだけ」と言っていた。
なぜ相手にしないのだろう。
葉火が気高い人間だから?
そうであったとして。
あれだけ感情を表に出す彼女が、あっけらかんと言い捨てることがあるのだろうか。
人間関係を最低限に済ませてきた憂には、その辺りの機微は理解できない。
だから勝手に推測するしかない。
そもそも最初に憂は葉火をプライドが高い奴だと評したはずだ。
弱みを見せると舐められる――そんな風に言っていたのに、会話に弱みを潜ませた。
それは――気付いて欲しかったから、あるいは気にしないで欲しかったから。
どちらなのか分からないし、そもそも二択なのかも、分からない。
「ねえ虹村。剣ヶ峰さんの性格なら、嫌がらせされたら相手を探し出して八つ裂きにしそうだと思わない? 首を持って見せびらかして回りそうだよな」
「そこまで凶暴とは思わねえけど、無視するよりはそっちの方が自然に思えるな。俺はあの人のことあんまり知らねえけど」
同じく葉火をほとんど知らない憂だが、ここ数日の交流を踏まえての感想は虹村と同じだった。
やっぱり剣ヶ峰さんなら怒りそうなもんだけどな。
怒らない理由を考えた時、最初に浮かぶのは周囲との衝突を避けるため。
嫌われないため。
嫌われたくないから。
もしかすると剣ヶ峰さんは、ごく普通に当たり前に、嫌われたくないのだろうか。
そう考えると、あれだけの唯我独尊を思わせる立ち居振る舞いは、いま思えば、自ら嫌われようとする――いわば保険を掛けているように思えた。
しかしその思考は自身の抱く剣ヶ峰葉火から外れている――と、そこまで考えて、憂は一度思考を止めた。
ここで座ってあれこれ考えた所で結論は出ない。そも、感情的な人間を理屈に収めようとすることが愚かしく思える。
それに葉火が何を考えていようと、憂にはどうでもよかった。
「虹村、その嫌がらせしてる相手って誰か分かる?」
「いやー悪いが俺は知らねえな。陰口言ってた奴なら数人は分かるけどよ、繋がりがあるかは分からん。相棒ならいくらか詳しいかもしれねえが、その辺りの楽しくねえ噂はあんまり共有しないんだよな」
「聞いといてよ。出来る限りの礼はするから。その数人も教えてくれ」
憂の言葉を受けて、虹村はまたしても意外そうな顔をする。
「今日の姉倉、マジでいつもと違うよな。もしかしてだけど、剣ヶ峰さんのこと助けようとか思ってんのか?」
「思ってない。それに助けるなんて恩着せがましい言い方はやめてくれ」
じゃあどうして、という虹村の疑問に、憂は簡潔に答えた。
「ムカツクから」
「お前やっぱり剣ヶ峰さんを……」
またしても色恋と結びつけようとしているらしい虹村に辟易しながら、憂は言った。
「そもそも僕はあの人をそんなに好きじゃない。でも、嫌いでもない。これから判断していこうってのに、嫌がらせだとかなんだとかのネガティブな要素が邪魔なだけだ。僕は僕のために動いてるから、究極的には剣ヶ峰さんは無関係だよ」
「……は、ははははは! なんだそりゃ、お前めちゃくちゃ言ってるって分かってるか?」
交じりっ気のない愉快そうな笑い声。憂は途端に恥ずかしくなって「とにかく!」と無理矢理仕切り直した。
「僕だけじゃ情報を集めるのが難しい。何か分かったら教えてくれ」
「ははは――おお、そういうことなら協力する。礼には期待していいんだよな」
「期待してくれ。反故にして虹村を敵に回す方がずっと怖い。ああ、それと。この件は剣ヶ峰さんの耳に入らないようにしてほしい」
「そりゃどうして」
「あの人が関わってくると意味分かんないくらい荒れそうだろ」
威勢のいいことを言ってみたが、実際の理由はもっと情けないものだった。
嫌がらせを止めたいというのは心の底から本心だが――憂にはそれを成し遂げる自信が無い。
僕なんかに何かを為せるはずがない、どうせ失敗するだろうという思考が拭えない――だから、失敗したとしても誰にも後ろ指をさされないよう、なるべく人に知られたくないのだ。
勝手にやって、勝手に失敗したい。
代わりに、よしんば上手くいったとしても感謝や名声は必要ない。
万が一にも葉火が変にしおらしくなったりしたら気持ち悪いし、なおさら水面下のジョン・ドウ がいいだろう。
あの人のことだから「良くやったわね」なんて言いそうだけど。
憂は椅子を立ち、出入口を指して教室へ戻ろうと虹村に合図する。
歩き出して、憂は言う。
「人手が必要な時は言ってくれ。それなりに役には立てると思うよ。僕って目立たない奴だから」
他人に踏み込まないと気を払っていたくせに、他人の事情に首を突っ込む。
他人にフェアを求めながら自分は嘘を吐く。
矛盾。
〇
放課後を迎えた憂は誰よりも早く学校を飛び出しバイト先の喫茶店へ向かった。
暇を持て余す髭親父に事情を説明すると、時給問題で揉めかけたが――払おうとする髭親父と受け取らない憂の構図だ――憂は詭弁で押し切りシフトに入ったふりをする承諾を得た。
多少働くことにはなるだろうが、必要経費だ。
緊急事態だから動きやすくしておきたいので、やはりお金なんて受け取れない。
憂は信念を貫くのが素晴らしいのではなく、折れないことが誇らしいのだと考えている。だから必要に応じて曲げるし削るし捩りもするが、折れなければノーダメージ。
氷佳のためなら折ってもいいのだが、安売りすると氷佳の価値をも貶めてしまいそうなので、奥の手として秘めている。
憂は着替えを済ませて葉火と夜々の来店を待った。
氷佳は帰宅しておやつを食べたのち、タブレットを使ってビデオ通話に応じてくれる手筈だ。
おやつを食べる氷佳の姿を想像して頬が緩む憂。
ややあって来客を告げる鈴が鳴った。
同時に元気のいい声が飛び込んでくる。
「やっほー姉倉君、来たよー! 待ったー?」
「いらっしゃいませ」
夏の向日葵を思わせる笑顔を夜々、その後ろから葉火も姿を見せた――が。
「約束を守らせてあげに来たわよ姉倉。さあ席に案内しなさい」
葉火の背に天使が担がれている。
見間違いか? いや、見間違えるはずがない――信じられないことだが、最愛の妹を、葉火がおんぶしていた。
「兄ちゃ、来たよ」
可愛い――じゃなくて。
ここにいる理由や葉火に背負われている疑問の一切を脇に追いやって、憂は足早に葉火へ迫った。
「氷佳を降ろせ剣ヶ峰葉火ッッ! これよりお前を粛正する!」
「あはっ、助けて氷佳。お兄ちゃんがあたしをいじめるのよ」
「兄ちゃ、ダメだよ」
「うんうん、ごめんな氷佳。そうだよなダメだよな。というわけで助けてくれ名瀬さん。剣ヶ峰さんが僕をいじめるんだ」
「よーしそれじゃ私が席へごあんなーい!」
突如として押し付けられかけた調停役を見事に投げ出した夜々が、我先にと窓際の席へ歩き出す。
続く葉火から氷佳を奪い返そうとしたが、楽しそうに「ごーごー」と言う氷佳の姿が可愛かったので見送った。
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