それは僕じゃないと言ってくれ

 昼休みを迎えた教室。憂は自分の机で弁当箱の蓋を開けた。


 学校における憂の基本方針は「話しかけられたら最低限応じる」だ。


 あまり素っ気ない態度で返すと悪目立ちする恐れがあるため、場の調和を乱さない、必要だと言われない代わりに不必要とも言われないポジションを心掛けていた。


 だから憂に話かけるクラスメイトは多くないが少なくもない。事務的な連絡は勿論、暇つぶしに雑談をすることもある。今日はまだ誰とも話していないが、用も無いのにわざわざ誰かに話しかけたりはしない。


 いつも通り。

 前日、期せずして人気者と時間を共にするイレギュラーがあったものの影響は無し。


 クラスメイトだからといって三耶子と会話することはもちろん無く、姿を目で追うことすらしなかった。


 憂と三耶子の関係に変化は見られない――つまりは何も起きなかったのと変わらない。文句無しの結果である。


 そんな憂のもとへ、一人の男子生徒がひらひらと手を振りながらやって来た。


「よーっす姉倉。美味そうだな一口くれよ」


 馴れ馴れしくそう言ったのはクラスメイトの虹村にじむら

 学校中の噂話を蒐集することに青春を捧げる、ある種真っすぐな心を持った少年だ。


 その性質から休憩時間は特定の人物や特定の場所に縛られない根無し草のような在り方をしていて、持ち前の嗅覚を頼りに面白そうな噂を探し回っているという。


 そんな彼の取材対象には、口数や周囲との交流が少ない人間も含まれるらしく、憂も過去に何度か会話したことがあった。


 要求に対し憂が頷くと、虹村は感謝と同時に卵焼きを手でつまみ口へ入れた。


「覚えてるぜ、これ姉倉が自分で作ってるんだろ」

「へえ。そんなことまで覚えてるんだ」


 前に話した気がしないこともないが、憂自身うろ覚えの会話を虹村はしっかり覚えているらしいことに、素直な感嘆の声が漏れる。


 そんなどうでもいいことまで記憶してるとは、伊達に蒐集家をやってないなと感心した。


 虹村は前の席から椅子を引き出して逆座りすると、視線を憂と合わせた。


「なあ姉倉、知ってるか? 灯台娘の失恋話」


 同じクラスにその内一人がいるにも関わらず虹村は声を潜めるでもなく切り出した。


 教室にいないのは確認済みなのだろうと判断して、憂も普段通りに応じる。


「……ああ、なんか盛り上がってるらしいね」

「目立つ三人が一気に失恋だろ? そりゃ盛り上がるさ。特に男子はチャンスだからな」

「チャンス?」

「失恋直後って狙い目じゃん?」


 虹村が屈託のない笑みで言う。

 憂は大して興味を示さず、つくねの照り焼きを口に入れた。


「とはいえ三大岬だ。あ、これは俺が勝手に呼んでるだけなんだけどよ。あいつらそこそこ有名人だろ? なかなか手出しづらいっていうかさ、出すにしてもちょっと期間空けちまうのは自然だよな」


 適当に肯定しながら食べ進める憂。

 そこで虹村はぐいっと顔を近付けて、声に力を込めた。


「なんでも早速言い寄った奴がいるらしい」


 自信のある見出しだったのだろう、憂が「ふーん」と弁当の方に興味を向けているのを見て、虹村は残念そうに肩を竦めた。


「驚かねえんだな。姉倉を驚かすってのが俺の一つの目標ではあるんだけど、まだまだ無理そうだな」

「いや、これでも驚いてるよ。他にもっといいリアクションくれそうな人いるのにって」


 憂が笑うと虹村も同じように笑った。


 平然とした態度で応じる憂だが、実は内心ドキドキである。まさか自分のことだとは思わないが、万が一そうであったら大問題だ。


 虹村が鎌をかけているのじゃないか警戒していると、近くで話を聞いていたらしいクラスメイトの男子が会話に入ってきた。


「なあ虹村。今の話マジ? 言い寄った奴がいるって」

「おお、マジだぜ大マジ。失恋直後の三人をなりふり構わず口説きにかかったんだってよ」

「すげえなそいつ。命知らずっていうか節操ないっていうか。それってどこから仕入れた情報なんだ?」


 二人で盛り上がり始めたのを機に、憂はペットボトルに口を付ける。緊張で喉が渇く。


 虹村が扱うのはあくまで噂話。こうして盛り上がるのに打ってつけだが、手放しに信じるのはバカバカしい。


 こういう噂の出所はいつだって、あやふやで不確かなものだ――そんなものに振り回される自分が情けない、という憂の心中など知るわけもない虹村が、声に力を込めて情報源を明かした。


「剣ヶ峰さんだよ。自分で言い触らしてたぜ、見所のある男子が言い寄って来たってよ」


 ほんとバカじゃねえのあいつ。


 憂は口に含んだ麦茶を噴き出しそうになったが、すんでの所で踏み止まる。


 いや、まだ早い。思い当たる節があるだけで、思い上がりかもしれない。


 再び弁当を突っつきながら、黙って聞き耳を立てることにする。


「名前とか言ってたか?」

「いや、勿体ぶるの好きだろあの人。名前は教えてくれなかった。が、クラスは教えてくれたよ」


 生来より勿体ぶるのが好きなのだろう虹村も、たっぷり間を置き、焦らしてから、言った。


「七組。ここなんだと」


 虹村の発言に教室中の空気が引き締まる。


 まさか本気で僕のことを言ってやしないだろうな、と憂は背中を嫌な汗が伝うのを感じた。


 冗談じゃない。今までの失言は全部謝るから許してくれ剣ヶ峰さん。


 いやいやいや。あのエネルギッシュで鬱陶しい性格の彼女だ、自分が知らないだけであれから別の誰かと運命的な出会いを果たしたのだろう。そうに違いない。


 思わずかぶりを振ってしまう憂だったが、幸い虹村と男子生徒は互いに盛り上がっていて気付かれなかった。


「じゃあこのクラスに剣ヶ峰さんから一目置かれる奴がいるってことかよ」

「そういうことだな。だから一人ずつ探ってんだよ。このクラスってことと口が悪くて生意気だってくらいしかヒントがねえんだけど」


 勿体ぶるくせにしっかりヒント出しまくってんじゃねえよ。話したい奴の駆け引きだろそれは。絶対喋るなよ。


「ふーん。誰なんだろうな。姉倉なんて正反対だろ」

「ほんとにね」


 ひとまず候補から外れそうなことに安心しつつ温厚な普段の自分を褒めながら、虹村がどう話を展開するのかに意識を集中させる。


「あと剣ヶ峰さんが言ってたのは、今はまだ恋愛する気にはなれないけど、もし付き合うならそれくらいガツガツした奴がいいってさ。ただし後発を相手にするつもりはないから他は真似して話しかけたりすんなってさ」

「つまり近付くなってことか。いつもの剣ヶ峰さんだな。あの人ほんとに失恋したのか?」


 多分してないんだよあの人、と憂は口を挟みたくなったが我慢した。


「でもいいよな、俺も話しかけときゃ良かったぜ」と、男子生徒。


「剣ヶ峰さんのことだから、弾除けとして利用してるんだろうけどな」

「まあなぁ。だけどそうでもしなきゃ一個体として認識されないだろ」


 貴族の話でもしてるのかよ。

 普段から傲岸不遜に振舞っているらしい葉火に人知れず悪態をつき続ける憂だった。


 男子生徒が「ま、俺は名瀬さん派だけどな」と聞いてもない宣言をして立ち去り、正面の虹村は立ち上がって教室中を見渡した後、好奇心溢れた笑みで憂を見る。


「そういうわけだから、面白そうな話あったら俺に教えてくれよな。謝礼は弾むぜ」

「協力するよ」


 心にもない事を心を込めた風で告げる。

 ここで会話を打ち切っても良かったが、仮に虹村が真実へ辿り着いた際にどうするつもりなのか気になって、それとなく聞いた。


「虹村は、その……剣ヶ峰とかいう人に利用される誰かを暴いてどうするつもり?」

「なんだよ姉倉。興味あるのか」

「楽しそうな虹村を見てたら、なんとなくね」


 そう言われて悪い気はしなかったのか、虹村は再び座り直して人好きのする笑みを見せた。噂大好きと俗っぽいのに笑顔だけは汚れなく爽やかな男である。


「だって気になるだろ? 俺って行動力には人後に落ちない自信があんだけど、流石に失恋した女子を即日口説きに行くなんて出来ねえよ。どんな奴だろうって思うのは自然だな」

「……確かに、どんな顔してるか見てみたいかも」


「話の分かる奴だぜ姉倉は。俺達ゴシップ同好会はいつでも歓迎するぜ。今のとこ俺ともう一人、マチルダって奴しかいねえけど。あ、俺はレオンって呼ばれてる」

「出来上がってるじゃん。入り辛いって」


「気にすんなって。まあ俺達の活動なんて噂を集めて語り合うだけのド健全なもんだ。突き止めた所でそれで終いだよ。場合によっちゃ言い触らして楽しんだりもするけど、今回はやめといた方がいいだろうし」


 妙に含みのある発言に憂の眉が跳ねる。それに気付いた虹村が嬉しそうに続きを口にする。


「姉倉ってあんま他人に興味無さそうだもんな。灯台娘のこともあんまり知らねえ感じ?」

「名前くらいしか」

「充分だ。その灯台娘こと三大岬、一人はうちのクラスの古海な。あとは二組の名瀬。そんで同じく二組の剣ヶ峰。今回の主役ってとこか」

「その剣ヶ峰とかいう人が何か言ってるんだよね。それは分かったけど、言い触らさない方がいいっていうのは?」


 憂が最短で話を聞き出そうとするのに対して、虹村は勿体ぶって口角を上げる。憂は残り一つのつくねの照り焼きを差し出して続きを促した。


 虹村が白々しく礼を言い、声を潜めて言った。


「話を聞いただけで分かると思うんだけど、剣ヶ峰さんって自信に溢れてて目立ちたがりなんだ。思ったことハッキリ言うし。そんな性格だから、まあ……嫌われてんだよ。一部の女子から」

「へえ。目立つのも大変だ」


「だからさ、その剣ヶ峰さんが一目置く存在ってのは一部からすりゃ面白くねえわな。この辺りの感覚は俺にはよく分かんないんだけども。そういうわけで正体が大っぴらになると色々面倒くさそうだろ。そいつが嫌がらせされたり、剣ヶ峰さんへの嫌がらせで弄ばれたりしそうじゃん?」

 

 憂は頭を抱えたい気持ちでいっぱいだった。


 葉火が嫌われていることは分かったが、どうして自分が巻き込まれようとしているのか疑問でならない。


 話題に上る正体不明が自分なのかは未だ確信が持てないが、可能性を含んでいる時点で恐ろしい。


 なにより恐ろしいのは、放っておくと葉火がポロリと名前を言ってしまいそうなことだ。


 放っておきたいのに自ら出向いてなんとかしなければならない、というのが億劫で仕方なかった。


 徹底的に避けるという決意一つで安全圏へ潜り込んだ気でいた昨日の自分の愚かしさたるや。


 呑気に飯食ってる場合じゃない……とはいえいま葉火に近付くのも得策とは言えない。


 どうしろっていうんだ。

 憂の中の天秤は根元からぽっきり折れてしまった。


 縋るように虹村を見て、憂は言う。


「剣ヶ峰さんが言い触らさないようにした方がいいんじゃない? 虹村としてはスクープ独占したいだろ」

「まあなぁ。でも他人に言われて聞く人じゃねえよ。北風と太陽的なやり方ならもしかすると――お。噂をすれば影がさすってやつだ」

「は?」


 冗談みたいな響きに憂は身体を強張らせ、嬉々として教室の入り口を向いた虹村の視線を追う。


 恐る恐る、追う。


 するとそこには、凛として構える見目麗しき灯台娘、そして目下の悩みの種である――剣ヶ峰葉火の姿があった。


 堂々と胸を張り、教室中の好奇を一身に受け、それでも一切怖じることなく。特定の誰かではなく目の前にいる全員へ話しかけるように葉火が言った。


「暇じゃないけど遊びに来たわ。古海いる? もしくは――おっとっと、名前はまだ秘密だったわね」

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