今日の平和は明日もつづかない

 剣ヶ峰けんがみね葉火ようか、変な奴。

 古海ふるみ三耶子みやこ、ちょっと変な奴。

 名瀬なぜ夜々よよ、まともっぽい。


 というのが三人に対する率直な印象だ。


 少ない会話から内面を読み取れるほどアナライズに長けてはいないので、かなりざっくり区分けしたが、大きく外れはしないだろうと結論する。三耶子に関してはまだ図りかねるが、あらかじめ変人に部類しておいた方が後々変人だと発覚するよりダメージは少ない。


 ただ、今後も付き合っていくつもりはないため、これはあくまで憂の性格の話だ。


 三人の内二人を変人側へ置いた以上、憂の目は自然と夜々を向いた。視線を受けた夜々は困ったように微笑んだ。


 憂は葉火から駄賃として受け取ったホットコーヒーをちびちびと舐めながら、三人の話に耳を傾ける風で、その実あまり聞いていなかった。


 話題は当然、三人の失恋話。


 こういう所が好きだった、こんな風に好きだった、どんなアプローチをしたか、どういう部分が至らなかったのか、どうするべきだったのか――憂に言わせればマジで興味無い。


 知らない人の話、それも性質的には惚気話に近いため、いよいよもって知ったことではない。だから適当に相槌を入れ聞いている感じを出した。


 段々と口数が減ってきたのを境に、憂は先んじて、頭の中で話をまとめる。


 夜々は肝心な所で尻込みしてチャンスを逃すばかりだった。


 三耶子は上手く伝えられず誤解を招くことが多かったらしい。


 葉火はどうして自分を好きにならなかったか分からない、だそうだ。


 よくある恋愛事情。


 憂は欠伸を噛み殺すのに必死だった。これは決して無関心からくるものではなく、葉火が欠伸をしたのがうつったためだ。コーヒーで眠気を流そうと思ったが、まだまだ熱くて猫舌の憂には辛い。


 そんな憂に向かって葉火は言ってみせた。


「姉倉。黙ってないでなんか言いなさいよ。あんたも恋の一つや二つしたことあるでしょうに」

「ないよ別に」

「え? 嘘でしょ? あたしみたいな美少女がこんなに近くにいるのに? 嘘だぁ」


 お前だけは絶対に無い。


 黙っていると口を出そうだったので、間を置かず続ける。


「名瀬さん達みたくひたむきになれる恋をしたことが無いって意味」

「そこは剣ヶ峰さん達みたくって言いなさいよ」


 うるせえなあこいつ。黙ってろよ。フラれた理由なんとなく分かるわ。


 憂は自分が思ったことをそのまま口にしない人間で良かった、と思った。


「言うじゃない。このあたしにそんな口を利いたのは小学校の時の東方ひがしかたくん以来よ」


 言っていた。

 頭の中で考えたはずの悪態がそのまま口を出てしまっていたのである。


 葉火の反応から自分の失言に気付いた憂は、これまでのクール然とした態度が嘘のように狼狽え始める。慌てて訂正しようとするも、上手く言葉が出てこない。


 人気者に嫌われては今後の学園生活は灰色に染まる――それが憂の認識だったが、しかし葉火は、なんのつもりか嬉しそうに口角を吊り上げた。


「久々に活きのいい奴を見つけたわ。あたしを褒める男は星より多いけど、邪険に扱う男なんていなかったもの」

「まさか……聞き間違いだろ。剣ヶ峰さん達の悪口を言う男なんていないよ」

「それはその通りね。だからあんたが一層際立つわ。そういえば男子の間であたし達、灯台なんてネーミングで括られているけど、あれなによ」


 男子間でのみ使われるはずの隠語が葉火の耳にも届いていたらしい。


 理由を聞かれても困る。

 溜息を吐きたい気分になったが、話が逸れるのはありがたいことだし、そもそも灯台というネーミング自体が耳に入れば由来に辿り着くことは容易い安直なものだったため、葉火がその理由に至っていないとは思えなかったが、しぶしぶ、説明する。


「……夜の海に火」

「なにそれ。何の捻りもないじゃない。深読みしすぎたわ。まあ、分かり辛くてもそれはそれでどうなのって感じよね。灯台なんだから」


 憂が灯台の由来に気付いたのはさっき全員の名前を把握してからだ。

 真っ当な不満だが、ぶつけられても困る。


「考えたのは僕じゃないけど、とにかく、灯台さん達は人気者ってことだ」

「姉倉君……それ恥ずかしいから止めて」


 夜々が俯きながら弱々しい声で言う。

 悪戯を叱られた幼児のように縮こまっている。


 灯台という名称は夜々も知っているらしい。そしてどうやら恥ずかしいもののようだった。


「名瀬ってほんと控えめよね。あたし程じゃないにしても可愛い顔してるんだから、もっと好き勝手振舞えばいいのよ」

「葉火ちゃんに言われると自信つくよ。ありがと」

「あんまり思わせぶりだと姉倉みたいなのに付きまとわれるわよ。姉倉、あんた名瀬みたいな子が好きなんでしょ。さっきからずっと見てるし。告っちゃいなさいよ」

「……今そういう話するのってどうなんだよ」


 なにを恋バナのテンションで言ってんだ。この女にはデリカシーというものがないのか。バカじゃねえの。


 憂は葉火を睨むようにしてせめてもの反抗をする。


 あきらかな冗談であっても無闇に否定しようものなら名瀬を傷つけかねない、それを分かって言ったであろう葉火の悪意っぽい笑みを見て、この女のどこが人気なんだと首を傾げた。


 顔か。顔一本で地位を得たタイプか。


「古海は暗いわ。もうちょっと笑顔を増やしなさい」

「あなたみたいに安い女じゃないの。そんな風に偉そうだから嫌われるのよ」

「嫌われるのは人気の証じゃない」

「いつも一人でいるの寂しくないの? 傍から見てけっこう惨めよ」

「うっさいのよバァカ! あんたの暗さの方が惨めだわ! ジメジメ惨めよ!」


 立ち上がった葉火が身を乗り出して三耶子へ言い募るのを横目に、憂は視線の置き所を探していた。


 葉火のせいで変に意識してしまい、安牌であったはずの夜々が最も見てはいけない存在となったのである。

 不意に目が合って硬直してしまったが、慌てて反らせばそれこそ葉火の戯言を肯定するようだったので、意地で夜々の目を見つめた。夜々は「困ったね」と言って柔らかく笑んだ。


 それからは言い争う葉火と三耶子が場の空気を支配する。


 願っても無い展開に憂は小躍りしたくなった。思う存分やりあえ。真横で繰り広げられる舌戦に憂が口を挟むことはなかった。


 しばらくして。憂は冷めて飲みやすくなったコーヒーを一気に飲み干した。


 隣の戦場も熱が引いたようで、仲が悪いと言うだけあって険悪な空気が流れている。


 そんな中でも平然と振舞えるのが、剣ヶ峰葉火の美点のようだ。


「帰るわ。最後に言っとくけど、失恋云々はこの場で終わり。あたしはもう吹っ切れたから。あたしと話す時は顔の角度に気を付けなさいよ。気を遣ったりしたら怒るから。姉倉あんたにも言ってんのよ」

「え? ああ、ご心配なく。剣ヶ峰さんを怒らせるようなことにはならないよ」


 それは今後関わるつもりがないから、これまでと違って意識的に徹底的に葉火を避けるからだという意味だが、当然その真意を知るはずもない葉火は不敵に笑った。


 葉火が席を立ち、次に夜々、そして三耶子と立ち上がる。憂は誰よりも早く席を立ちレジで待機していた。


 会計時に誰が払うか――なぜか割り勘の概念が抜け落ちているらしく、葉火と三耶子がお前に奢られるのは我慢ならないと揉め始め、こっそり会計を済ませようとした夜々も諍いに巻き込まれたので、憂は嘘を吐いた。


 マスターの厚意で今回はサービスだ。

 目上の厚意は受け取るべき、と葉火の発言を引用することで武装は完璧、不毛な言い争いを見事平定してみせた。


 当然嘘なので、代金は憂の自腹である。


 本来ならば初対面の相手にこんな事はしないが、見かけは元気でも虚勢を張っているのだろう失恋直後の彼女達を、そんな今にも倒れそうなハリボテを、自分の目の届く範囲くらいは支えようとする優しさは、幸か不幸か持ち合わせていた。


 気まぐれの施しを優しさと呼べるのかは分からないが、優しくした。


 なにより早く帰って欲しいし、二度と来ないで欲しい。

 だからこれは手切れ金のようなものだ。


 三人がそれぞれ感謝を口にしながら、ようやく店を出て行く。


 憂は歓喜に打ち震えた。危ない部分もあったが無事人生最大級のピンチを乗り切ることが出来たのだと。その高揚は笑顔となって表出された。


 最初に店を出た葉火の「寒っ」という声。

 三耶子も外へ出て、最後に夜々。


 扉が閉まる直前、夜々は振り返り「またね」と手を振った。


 ハイになっていた憂は間抜けな声で「またねぇ~」と何も考えずオウム返しをした。





 二十時を迎え退勤時間となった。


 ゴミ出しを済ませタイムカードを切った憂は、マスターに頼んで作ってもらったチーズケーキを箱に入れ、代金をレジに突っ込み、挨拶をして店を出た。


 失恋娘達に付き合った時間の分、今日は稼ぎが少なくなった。

 いくらマスターが気にしないとはいえ、働いてもいないのにお金を貰うのは嫌だ。その点は断固として譲らなかった憂である。


 とはいえお金がたくさん欲しいわけではない。社会に出る前に働く習慣をつけておこう、というわけでもない。


 こうしてたまにケーキを買えるだけのお金を稼げればそれで良かった。


 ケーキが崩れないよう慎重に歩くこと十五分。

 ごく普通の一戸建て、自宅に到着する。


 鍵を開けてドアを引くと、廊下の奥から一人走って来るのが見えた。


「おかえり兄ちゃ」

「ただいま氷佳」


 姉倉しくら氷佳ひか

 現在小学二年生の、憂にとって何より大事な妹である。


 ただ生きるだけで負荷のかかる世の中に圧し潰されず済むのは、氷佳の存在があるからに他ならない。


 憂は苦難と直面する度に氷佳を思い出し、自分を奮い立たせ乗り越えてきた。大泣きする失恋女子に囲まれた時も、家に帰ってからの氷佳と触れ合える時間を心の励みとして乗り切った。


 氷佳さえいれば生きていける。

 既に憂の頭から氷佳以外の存在は消え失せていた。


「氷佳の好きなケーキを買って来たぞ」

「わあい! ありがと兄ちゃ、すき」

「僕も氷佳のこと好きだよ」


 とてもじゃないが人に見せられない緩んだ笑顔で、憂は氷佳を抱きしめる。氷佳がくすぐったそうに笑うと、憂は荷物を床に置き氷佳を抱き上げた。

 そのままリビングへ向かう。


「兄ちゃ、宿題教えて」

「もちろん。そんなの僕に任せて氷佳はケーキ食べてるといい」

「でもまた怒られるよ」 

「いつか母さんも分かってくれるさ」


 憂は定期的に母から烈火の如く叱られる。


 氷佳の宿題を代行するからだ。勝手に宿題を終わらせる、それだけならば情状酌量の余地もなくはなかったが、筆跡を限りなく氷佳のものに似せていたことから極めて悪質と判断されたのである。


 とにかく初回の印象が最悪だった。


 以来憂の行動は母にマークされている。


「兄ちゃ、いつもと違う。がっこう? あるばいと? 楽しかった?」

「え? いや、今日はちょっと大変だったんだ。迷惑な客が店内で喧嘩を始めてさ。しかも中々帰ってくれなくて困ったよ」


 憂がポップな口調で愚痴ってみせると、氷佳はポンポンと憂の頭を撫でる。

 それから憂の頭を抱えるようにした。

 このまま眠りたい気分だ。


「氷佳、見えない」

「なにかあったならよかった。兄ちゃ、いつも何もなかったって言うから」


 よかったよかった、氷佳が言いながら憂の頭を解放した。


「こんどまた氷佳もあそびに行くね」

「氷佳ならいつでも大歓迎だよ」


 憂が氷佳の頭を撫でる。


 頭の中が妹でいっぱいに満ちている憂は、当の氷佳が放った言葉の真意を探ろうとしなかった。


 自分の話なんてどうでもいい。

 そんなことより、が先に来る。


 そんなことより氷佳の話を聞かせてくれ。



 リビングで晩御飯を食べながら、向かいでケーキを頬張る氷佳に、その日あった出来事を話してもらう。


 憂は失恋灯台娘の時とは別人のように、氷佳の一言一句たりとも聞き漏らさず、話し手が最高に気分良くなれる相槌を打ちまくるのだった。

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