こいつらほんとに失恋したの?
三人が涙を出し切りドリンクを啜って一息つくまで、たっぷり十分を要した。
ようやく一段落。助言したとはいえ、まさか思い切り泣いて発散されると思っていなかった
揃って気まずそうに顔を伏せる三人に対しどうすればいいか分からず、テーブルに備え付けの紙ナプキンを引き抜き、未だ手を離そうとしない夜々へ差し出す。
そこでようやく左手が解放される。憂の手には夜々の手の跡が残っていた。泣いている時、夜々の声のボリュームと手の力加減が比例関係にあったからだ。
「あ、ありがと……」
受け取った
よしもう大丈夫だ。作り置きの結論を出した憂が三人に会釈をする。
「じゃあ、ごめん。バイト中だから」
「あ……そうだよね。ごめんねこっちこそ」
「いいじゃない別に。他に誰もいないんだし。落ち込んでる女の子が三人もいるのよ? 口説き放題だと思わないわけ? 信じられない愚かしさだわ」
夜々が憂にとって理想的な対応をするさなか、攻撃的な口調で割って入ったのは剣ヶ峰葉火。泣き腫らした切れ長の目で威圧的に憂を見る。
なんだこの偉そうなやつは。
名前も知らない相手に上から目線で喧嘩を売られて聞き流せる程、憂は寛大な心の持ち主ではなかった。たとえ相手が失恋直後であったとしても。
「思わないね。男がみんな下心で動くと思わないことだ。それに言っただろ、僕は今バイト中。人がいない時こそやる事が山ほどあるんだよ」
「へえ。あんた意外と喋るじゃない。相手したげるからそこ座んなさいよ」
応戦した途端に肩透かしを食らった憂は物足りなそうな顔を葉火に向ける。葉火の方はそもそも喧嘩を売ったつもりがないのか、呑気にアイスコーヒーを飲んでいた。
これは自分が他人とのコミュニケーションに乏しい故か、それとも葉火が変なのか。どちらか測りかねている憂の元に、姿をくらましていたマスターが現れた。
「おやおや憂くん。なんだいお友達かい? そうかいそうかい。他にお客さんもいないし、休憩がてら雑談でもするといい。いつも助かっているからそのお礼だよ」
「は? なにを勝手なこと――」
「良かったじゃない。目上の厚意は受け取るものよ。他人への優しさを学べるいい機会なんだから」
「そういう事だね。それじゃあ憂くんもみなさんと一緒にごゆっくり」
そう言い残してマスターは再び店の奥へと姿を消した。
取り残された憂に、良いアシストをしたと言わんばかりの葉火がニヒルな笑みを向ける。
こいつ実は元気なんじゃねえの、と憂は心の中で憎まれ口を叩いた。
そんな憂と葉火を交互に見ながら、夜々は困惑しきりだ。更にその様子を引いた位置から眺めていた三耶子が、隣の荷物を足元へ移動させ「どうぞ」と憂に座るよう促した。
何かに導かれるように事態が最悪へと向かっている。憂は素直に座らないことで、運命へ抵抗の意を示した。
そもそもこの子達はどうして自分のような見知らぬ他人の同席を嫌がらないのだろう。当然の疑問だ。それだけに、答えが出るのも早かった。
「もう一度言うけど、僕は今日キミ達と会ったことを言い触らしたりしない。だから気にせず三人で愚痴でも言い合ってくれ。例え聞こえても、内容も口外しない」
あからさまに弱った姿を見られたうえ面白おかしく触れ回られるのを危惧しているのだろう、というのが憂の辿り着いた結論だ。
だから、そんな悪趣味はしないと声に力を込めて伝える。人気者は大変だな、と同情すらした。
憂にとってそういう周囲とのいざこざは最も忌み嫌うもので、どちらかと言えば自分が巻き込まれたくないという感情によるものだが、結果的に気遣いの形となって提供された。
これでいいだろ、と言いたげに肩を落とす憂に三耶子が言う。
「そういう思惑がなかったわけじゃないけれど……それを抜きにしても、私は姉倉君に居てほしいと思っているの」
「どうして」
三耶子が手招きをして憂に顔を寄せるようジェスチャーする。憂は訝りながらも三耶子の口元へ耳を寄せた。
「私達別に仲良くないから気まずいのよ」
「……ひそひそ話は手を添えるのがセオリーだろ」
仕切りが無いので他二人にも丸聞こえである。
夜々は苦笑いをして葉火は「その通りね」と肯定した。
「どちらかと言えば仲悪いのよ。ただ今回は状況が状況だったから」
「三人で顔突き合わせたらいつの間にかここに居たってわけね」
三耶子の補足に葉火が更に付け加える。
つまり余計に面倒じゃねえか。
憂は縋るように一番まともそうな夜々を見たが「そうなんだよねー」と苦笑で片付けられた。
更に夜々が続ける。
「一人でいるのも嫌だし……他に話せる人も、いないしさ」
「あたしは泣いたらスッキリしたからもういいけど」
「お会計しようか?」
「折角だからもうちょっといるわ」
すかさず追い払おうとした憂の目論見を葉火が一蹴する。
「あんたも座んなさいよ。あたしが奢ってあげるから」
「……すごいね葉火ちゃんは。私も見習いたいな」
「これでもまだへこんでるのよ。でも、ほら。姉倉だっけ? 初対面で落ち込んでばかりじゃナメられるじゃない」
そう言って葉火はメニューを広げて食事欄に目を通し始めた。
いよいよ逃げることが叶わないと悟った憂は、大人しく三耶子の隣に腰を下ろす。こうなったら三人の愚痴に付き合う方が結果的に早く解放されると踏んだのである。
「姉倉君、バイトしてたのね」
「……まあね。三人はどうしてここに?」
「偶然、かしら。人のいない方へ歩いていたらこの店を見つけたの」
まさか人気のないのが仇になるなんて、やはり恋愛というのは度し難い、と憂は思った。
「知ってる顔を見つけて失敗したと思ったけれど、やっぱり姉倉君がいてくれて助かったわ。あのまま三人で沈んでいてもお互い強がってばかりで、その内気まずくなってただろうし」
「それはどうも。邪魔して悪かったと思ってたんだ」
「泣くのって、スッキリするものねえ」
しみじみと言った三耶子に相槌を打った夜々が、生まれかけた沈黙を潰すように会話の流れを引き取った。
「そういえば、自己紹介がまだだよね。私は二組の
「……よろしく。僕は七組の姉倉」
三人の名前を憶えていない憂は夜々のファインプレーに賛辞を送る。他二人はともかく、クラスメイトである三耶子の名前を知らないことがバレるのを恐れていたためだ。
自分は相手を知っているのに相手は自分を知らない、というのが人気者にとっていかに屈辱的で、そこから面倒に発展する可能性が大いにあり得ることを、憂は過去に思い知っていた。
知っていながら改善しない辺り、まだまだ青臭い子どもである。
「私は
「前々から古海さんとは話してみたいと思ってたから光栄だよ」
危機を乗り切った憂は調子に乗る。お世辞を使われて嫌な気分にはならないだろうという薄汚い魂胆が透けてみえる、憂を知る者なら絶対に信じない声のトーンと内容だった。
「なに見え透いたおべんちゃら使ってんのよ。あたし、そういうの分かっちゃうのよね」
「キミは元気がいいよね」
反射的に憂が皮肉を吐くと、途端に葉火が目を皿のようにしたため、憂も同じような反応をとってしまった。何に驚いているのか分からないが、自分がとんでもない間違いを犯してしまった気がしたからだ。
互いに見合っている内、葉火が切り出した。
「……一応聞くけど、あたしの名前知ってる?」
「…………」
「まさか知らないの!? 嘘でしょ!? あんたほんとに同じ学校通ってるわけ!?」
葉火が自分は相手を知らないが相手は自分を知っていて当然、というはた迷惑な精神の持ち主であることに憂はげんなりした。
「知ってるよ
「誰なのよそれ!」
如何にも知ってて当然という態度に反発心を抱き、無謀な一か八かに出る憂だった。
当然のように外したが、隣で三耶子が静かに笑ったのを少しだけ嬉しく感じる辺り、憂もまだまだ隙だらけである。
「あたしを知らない男子がいるなんて信じられない……」
「
「ちょっと勝手に言わないで。あたしのタイミングってものがあるんだから」
何食わぬ顔でプレゼンを邪魔した三耶子を、葉火が恨みがましく睨みつける。
憂が視線を葉火の隣に移すと、夜々はいくらかマシになった笑顔で場を見守っていた。
仲悪いって嘘だろ。もう三人でカラオケでも行っちゃえよ。そんな感想を抱いたが、三耶子の言っていたように強がっているのかもしれない、とも憂は思った。
失恋直後にしては明るすぎる。さっきまで身も世も無いといった風だったのに、ここまでテンションの高い会話が成立するものだろうか。
もちろんそういうパーソナリティの持ち主も存在する。
しかし三人に関しては強がっているとする方が、憂には自然に感じられた。
彼女達は他人を想って泣ける人間だから。そう簡単に割り切れるはずがない。
葉火はプライドの高さが発言の節々に隠れること無く溢れているから、虚勢を張るなんて朝飯前だろう。夜々にしたって三耶子にしたって、プライドかもしくは別の部分で強がらざるを得ないのだと、憂は勝手な憶測を自身へ落とし込んだ。
彼女達はきっと道に迷っている。
痛々しいくらい彷徨っている。
だけど、僕には関係のないことだ――憂は思考をリセットして、葉火と視線を絡ませた。
「その胸に刻みなさい。あたしは剣ヶ峰葉火。100年後の教科書に名前の載る美少女よ」
やっぱり裏表なく単純な奴なのかもしれない――この人とは特に関わらないでおこう、と憂は直感的に目を逸らした。
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