バイト先が負けヒロイン達の溜まり場になった

鳩紙けい

負けヒロインがやって来る

 恋することは道に迷うことだ。それが姉倉しくらゆうの持論である。


 人生という道のりは始まりから終わりまでの一本道で、別れ道は存在しない。

 重要な局面における選択とは道を選ぶのではなく道の進み方と景色の見方を選ぶことで、だから立ち止まることはあっても、道に迷うことは無い。

 ただしそれは、一人で生きていく場合に限る。


 恋が絡むといとも容易く前提が覆る。

 恋をすると迷い道が生まれる。


 二つの道が交わることで作りあがるのは、およそ理屈で語れない巨大な迷宮だ。どうしてあんなものが出来上がるのか憂には理解が出来ない。


 ただ一つ決めたのは、自分はあんな場所に足を踏み入れないということ。


 絶対に恋なんてしないし、他人の恋心に関わって巻き込まれるのも御免だ。

 それが高校生になった姉倉しくらゆうの青臭くも揺るぎない人生観である。





「姉倉くん。あそこの席にいる女の子、君の学校の生徒だよ」


 喫茶店のマスターである髭親父からの一言に、姉倉憂は顔を顰めた。

 彼女達が入店した時点で自分の知っている人物だと気付いていたが、知らないフリをしていたのだ。


 関わりたくない。

 その一心で普段以上に精力的に、皿洗いをはじめ店内の清掃をこなしていたのだが、退屈を持て余した髭親父に目聡く指摘されてしまった。マスターに接客を丸投げした所で問題の先送りにしかならなかったようだ。


 憂はどう反応するべきか悩み、下手に他人のふりをすれば後々面倒に繋がるだろうと判断して、知っている情報を興味無げに伝えた。


「みたいですね。一応うちの学校では有名人ですよ。美人だし」


 突き放すように淡々と言ったのだが、髭親父はその程度の拒絶は気にならないらしく、声を弾ませ追及する。


「へえ。憂くんも女の子を可愛いと思うんだね。確かに三人とも綺麗な子だ」

「僕は客観的な事実を伝えただけです」

「しかし三人とも只ならぬ空気だ。何かあったのかな?」


 一日通して客入りの少ない喫茶店だから――昼時は稀に忙しいらしい――今の時間帯は暇である。厨房で憂と髭親父が雑談できる余裕がうず高く積み上げられていた。


 窓際のテーブル席で揃って俯く三人を一瞥して、憂は言う。


「失恋したらしいですよ。三人同時に。同じ人を好きだったとかなんとか」


 憂のバイト先を訪れた三人組は学校中の男子の間で「灯台」という隠語で呼ばれる有名な女子だった。全学年の男子を対象に秘密裏で行われる、彼女にしたい子アンケートで名前の挙がることの多い三人だ。


 憂もアンケートには協力していた。特に興味は無かったので、三人の中から書きやすい名前を選んだ。


 そんな有名人である彼女達は、本来秘されるべきである恋愛事情も周囲に筒抜けであり、周囲の事情に疎い憂の耳にも届いていた。


 三人は同じ人を好きになったらしい。その情報を憂が仕入れたのは三ヶ月ほど前。夏休みを迎える前のことだった。


 季節は変わり、冬の訪れが近い晩秋。物悲しい季節であるこの時期、詳しく言えば今日の昼、三人が失恋したという話がクラス中の興味をさらった。


 意中の相手は幼馴染を選んだらしい。それが憂の持つ最新にして最大の情報だ。


「だからそっとしておいてあげるのがいいですよ」

「これ、持って行ってあげて。サービスだ」


 髭親父がチョコレートケーキを三つ用意していた。

 その手際の良さに憂は目を見張った。さては入って来た時点でこの展開を描いてやがったな。


「え、僕がですか? 嫌です。見た目ダンディなんだからマスター行ってくださいよ。元気ないのを見抜けるだけの積み重ねが見た目に出てるし。僕みたいな奴がやると下心丸出しで嫌なんですよ」


 目立ちたくない憂にとって、人気者である存在と進んで接点を持つのは極力避けたい。とりわけ目立つ三人組で、かつ異性となれば拒否する方が自然な思考だった。


 自分が彼女達と恋愛関係に発展するかもなどと自惚れるつもりはないし、そんな可能性が無いことはこの世で数少ない絶対だという確信もあったが、それでもやはり接触するのは避けたい。まかり間違って愚痴の相手にでも選ばれたら地獄だからだ。


「ああいう人種と関りたくないから、こんな閑古鳥が泣き喚く明日にでもなくなりそうな店でバイトしてるんじゃないですか。それにケーキって。サービス自体は否定しないけど、好みもあるからいきなり押し付けるのは迷惑になりかねませんよ」

「君はクビだ」

「ごめんなさい謝ります」


 憂は振りかざされた権力に尻尾を振った。綺麗に腰を折ったお手本のような謝罪である。


 顔を上げると髭親父が腕を組んで笑っていた。


「そういうことだから、ほら行ってきなさい」

「押し付けないでくださいよ。ほんと無理ですって。ろくに会話もしたことないんですから。頼まれてもないのにでしゃばるなんて僕はゴメンです」


「君は何も思わないのかい? 三人とも飲み物にも口をつけず、黙ってずっと俯いている。第三者を交えることで話しやすくなるかもしれない」

「部外者が入ることで話しづらくなるに決まってるじゃないですか」


 三人組に関しては勿論、その三人が恋していた相手の名前すら憶えていない憂だ。名前すら知らないのだから話すことなど何一つない。


 彼女達にしたって、自分のような影の薄い奴に弱音を吐きたくはないだろうと、憂は関与しないのが最善だと判断した。


 ところが髭親父はそんな胸中など無視するつもりのようで、頑なに憂を三人の元へ送り出そうとする。


「半年バイトして友達の一人も遊びに来ない。正直当てにしていたんだよ? でなければ私一人でも十分店は回せるからね」

「それはすみませんね。店頭にでっかい招き猫でも置いた方が人は呼べますよ」


 軽口を叩いてみたが、憂は痛い所を突かれたと内心項垂れていた。


 本来ならばマスターの言う通り、昼時以外の時間帯は一人でも問題無いのだ。決して客入りの多くない経営状態で、それでもアルバイトとして憂を雇ったのはひとえに髭親父のお節介である。余計じゃない、お節介である。


 その優しさを後ろ足で蹴り続けられるほど、憂は恩知らずではなかった。


「……分かりましたよ。今日だけですからね。持って行くだけだし」


 粘った所で事態は好転しないのだから、さっさと済ませてしまうに限る。

 憂は帽子を被りマスクを着けて、トレイの上にチョコレートケーキとフォークをそれぞれ三つずつ乗せた。


 それからなかなか一歩を踏み出せずにいたが、よくよく考えてみれば自分のような影の薄い人間を向こうが認知しているはずがない、と自惚れていた己を恥じた。そう考えると嫌がっていたのがバカらしくなり、先程までの足踏みが嘘のように真っすぐ窓際の席へ歩き出せた。


 席の前に来ても三人は俯いたままだった。ケーキの内一つをテーブルに置いた時、ようやく三人が顔を上げ、視線が憂へ集中する。


 取り澄ました態度で二つ目のケーキを置いた時、憂から向かって左側、手前の席に座る少女が口を開いた。


「あ、あの……頼んでない、です」

「マスターからのサービスです。いらなければ下げますけど」

「いえ……そんな」


 頭の中でシミュレーションしただけあって憂の口調に乱れはない。


 少女は目を伏せておずおずと引き下がる。外に撥ねたショートヘアが、憂にはひどく弱々しく見えた。


 あとは配膳を終えて速やかに去るのみ――だったが、ここで予想外の事態が発生する。


 今しがた応対した少女の反対側、三人分の荷物が置かれた座席の奥側に座る黒髪の少女がわずかに目を細めて言った。


「……姉倉しくら君?」


 三つ目のケーキを配ろうとしていた憂の手が宙で止まる。硬直したことで言外に肯定を告げることとなった。こんな無様を晒した後ではしらを切るにも自然さが足りない。


 憂の名前を呼んだ少女は古海ふるみ三耶子みやこ。日本人形を思わせる黒髪と、物憂げな瞳が特徴的な少女だ。そしてもう一つ、他二人と違って憂のクラスメイトである。


 三耶子みやこの発言を受けて、対面の剣ヶ峰けんがみね葉火ようかが、切れ長の目に似つかわしくない力のない声で言う。


「知ってる人なの?」

「うん……クラスメイトの姉倉君」


 紹介に預かり光栄だ、とは憂には思えなかった。


 三耶子が自分の名前を覚えているという計算外に驚き、次に目元しか見えない自分を言い当てた三耶子の観察眼に舌打ちをして、腐っても同じクラスの相手に楽天的過ぎた己の浅慮を恥じ、やがて怒りの矛先はマスターへ向いた。責任転嫁である。


 一刻も早く退散すべきであると判断した憂が「ではごゆっくり」と言おうとして、しかしそれよりも早く、手前側の名瀬なぜ夜々よよが言った。


「そっか……三耶子ちゃんのクラスメイトなんだ。ごめんね、その、暗い顔してて」


 そう言って夜々よよは、気遣いだけで作ったのを隠せていない下手くそな笑顔を憂に向ける。とても笑える状態ではないのが伝わり痛々しかった。


 憂は悩んだ。なんと声を掛けるのが正解なのか。


 本音としては一刻も早く立ち去りたいし、なんだったら三人まとめて帰って欲しいのだが、そんなことは口が裂けても言えるはずがない。


 当たり障りのない声掛けが一番だと頭では分かっているが、その当たり障りない発言というのが分からなかった。


 当初の予定通り「ではごゆっくり」に決めかけて、嫌な予感が過ぎり取りやめた。


 そんな風に冷たくあしらってこの子達に嫌われてみろ。悪評が出回れば全校生徒に吊るしあげられてもおかしくは無い。冗談じゃないぞ。


 危機一髪で嫌われ者を回避できた憂は、考えた所で答えは出ないのだから、ほどほどに寄り添うことに決めた。


「……噂で聞いた。無理に笑わなくてもいい。泣くなり愚痴るなりして思い切り発散すればいいよ。ここ、全然人来ないし」


「でも……」と、夜々。


「言い触らす趣味はないから」


 憂はそう言って今度こそ立ち去ろうとしたが、夜々の目から涙が零れたのを見て硬直してしまった。女の子に目の前で泣かれるなんて経験は生まれて初めてのことだった。


「あ……ごめんね。その……今、優しくされると」


 決壊してしまった以上あとは流れ出るのみで、夜々の目から涙が次々溢れてくる。


 憂は助けを求めて他二人を見たが、夜々が先陣を切ったことで連鎖的に二人も涙を流し始めた。


 地獄だ。地獄である。いや、まだ地獄の入り口だ、と憂は自分に言い聞かせる。


「な、なにか拭く物持ってくる。それと大人を呼んでくる」


 腰抜け全開の発言と共に逃げ出そうとした憂の手を、夜々ががっしりと掴んで離さない。


「は、話……ぎいでぐれる?」


 マジで勘弁してくれ。帰ってくれ。そして二度と来ないでくれ。


 縋るようにマスターの姿を探したが、誰よりも空気の読めると評判のマスターはホールから見えなくなっていた。


 あの野郎、と憂は毒づきながらも、夜々の手を振り払うわけにもいかず。

 ついには声を上げて泣き始めた三人の涙が止まるまで、立ち尽くすほか無かった。

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